26話 谷を渡る
プラティナより頭一つ小柄で小さな男性だった。
白いものが混じった髪に皺混じりの目元。穏やかそうな笑みをたたえた顔立ちには既視感があった。
(似てる。神殿長に)
かつてプラティナがいた神殿を統括する神殿長。婚約者だったツィンの父親。
よく見れば別人なのはわかる。髪や目の色が異なる、なにより体型が違う。神殿長は長身だったツィンの父親らしく、がっしりとした大きな体格をしていた。目の前にたたれると、恐怖すら感じたほどだ。
何かされたというわけではないが、いつだってプラティナを圧倒する存在感があった。
穏やかな笑みをたたえながらも、その瞳はいつだって冷たい光を宿したままで。
「……ティナ! プラティナ!」
「はっ!」
アイゼンの呼びかけにプラティナは我に返る。
一瞬、神殿に居た頃の自分に引き戻されてしまっていた。それほどまでに、こちらを見ている男の雰囲気は神殿長にうり二つだったのだ。
「教祖様!」
リッチェルが声を上げ、その場に膝をついた。どうやらこの男こそが、先ほどまで話題に出ていた教祖らしい。
「リッチェルさん、ここには決められた日以外は近寄らぬように言いつけてあったはずですよ」
言葉遣いは穏やかだが、その声音には反論を許さない威圧的な色があった。
地面に膝をつき、祈りを捧げるように手を組んでいたリッチェルの顔色は蒼白だ。
「きょ、教祖様。実はこの者たちが……」
「ん?」
教祖の視線がまだ男を担ぎ上げたままのアイゼンに向けられる。
担がれたままの男が哀れっぽく「助けてくれぇ」と叫べば、その目元がわずかに細まった。
「そこの貴殿。申し訳ないが、あなたが担いでいるのは我が教団の大切な信徒です。どのような理由があるかは存じませんが、降ろして頂けますかな」
「断る。コイツは俺たちを襲おうとした。反撃したまでだ」
「なるほど……信徒の罪は私の罪。代わりに心よりお詫びしますので、どうか許してやってください」
教祖が深々と頭を下げた。
「アイゼン、私からもお願いします」
「チッ」
舌打ちを一つしたアイゼンは男の身体をドサリと地面に投げ捨てた。ちょっと嫌な音がして男が呻いたが、命に別状はなさそうだ。
叩きのめされた男たちはどうやら身動きが取れないらしく、累々と転がっている。
既視感のある光景に苦笑いしながらアイゼンを見れば、やはり呼吸一つ乱していない。ひょうひょうとした動きで男達の武器を拾い上げては、谷底にためらいなく投げ捨てている。
「なにもそこまで……」
「君はもう少し危機感を持て。おい、俺はお前たちを許したわけでも警戒を解いたわけでもない。次に妙な動きをしたら、武器同様に谷に投げる。わかったか」
そう低い声で男たちを脅しつけたアイゼンは、ゆっくりとプラティナの横に戻ってきた。
まるで必ず守ると言われているような距離感に、一瞬だけ過去に引き戻されて萎んでいた気持ちがすぐに上向く。実際、守ろうとしてくれているのだろう。
「老いぼれの頼みを聞いてくださりありがとうございます」
「お前の頼みを聞いたわけじゃない。俺の聖女様が望んだからだ」
「……!」
俺の聖女様。突然の呼び方にプラティナは思わずアイゼンに視線を向けた。恥ずかしさに頬が熱くなる。
アイゼンは顔色一つ変えず、教祖を睨んだままだ。
「聖女、とおっしゃられたか?」
「ああ。このプラティナは聖女様だ。この聖地に妙なヤカラが住み着いていると聞いて調査に来たんだよ」
そんな設定をいつ思いついたのか。
プラティナが困惑しきった視線でアイゼンと教祖を見比べる。
「妙とは心外ですな。私たちは棄てられた聖地を守り信仰を深めてきただけです」
「毒を撒いて大地を枯らしたのを瘴気だ穢れだと騒いで人間を従えているのが信仰とは恐れ入るぜ」
「なんのことですかな?」
「とぼけるな。こっちに来て足下を見てみろよ。お前が毒を撒いた大地は、聖女様がすっかり浄化しきった。聖女様曰く、この地には瘴気なんて欠片も感じないそうだ」
「奇なことをおっしゃる、そんなことが……なっ!」
吊り橋を渡りきりこちら側に辿り着いた教祖は、すっかりと緑を取り戻した大地を見つめ驚愕の表情を浮かべた。
先ほどまでの余裕さはどこに消えたのか、呆然とした顔でプラティナを見つめてくる。
「本物の聖女、だと」
「ええと……はい。聖女です」
二度目だからか先ほどのような羞恥心は湧いてこない。だがじろじろした不躾な視線が落ち着かない。
「本当に何らかの瘴気があの祠から出ているのならばこの聖女様が浄化してやる。案内しろ」
「ぐ……い、如何に聖女様といえども危険ですから、そのような」
「聖女様は王都で女王の命を受けて聖地を巡礼している身だ。貴様ごときがそれに逆らうのか」
「なっ、女王陛下が!」
教祖の表情が一変した。その傍にいたリッチェルもだ。
王都からそれなりに離れているとはいえ、ここはシャンデ王国内。女王の名前にはそれなりに効力があるのだろう。先ほどまでの威圧的な空気が嘘のように狼狽えている。
(もしかして最初からそうしていれば良かったのかも?)
プラティナの聖地巡礼は、正確には女王の命ではなくメディと宰相が決めたことだ。
女王レーガの名前を出すという考えは一切思い浮かばなかった。
「し、しかし女王陛下は聖地を見捨てられたと聞いております……その証拠に今日までここは放置されていて……」
教祖はまだプラティナ達を追い返すことを諦めていないらしい。
口調はしどろもどろながらも、必死に反論を試みようとしているのがわかる。
「チッ、諦めの悪いジジィだな」
苛立ったようなアイゼンが一歩前に出た。
教祖は流石というか表情はおびえこそ逃げるような動きはしなかったが、リッチェルはひぃと引き攣れた悲鳴を上げて地面に座ったままその場から後ずさりする。
「悪いが押し問答している時間が無駄だ。祠に行かせてもらうぞ」
「アイゼン? きゃっ!」
言うが早いかアイゼンがひょいっとプラティナの身体を抱え上げた。
所謂お姫様抱っこの状態だ。
「少し無理をする。俺がいいと言うまで鼻を摘まんで息をするなよ」
「えっ、ちょっと待ってくださっ……!」
制止の言葉を言い終わる前に走り出され、プラティナは指示通り鼻を摘まんで息を止めた。
目は閉じるべきなのかどうかわからなかったので開けたまま。だから、アイゼンがどうしようとしているのかがすぐにわかった。
プラティナを抱えたアイゼンは教祖たちの前を駆け抜け、吊り橋を渡り始めたのだ。
不安定な吊り橋を駆け抜けているというのに、ほとんど揺れを感じない。瞬きする度に祠が近くなっていく。
「おい! 待て! お前ら!!」
「き、危険です、谷からは瘴気が!!」
叫ぶ声にプラティナはリッチェルが語っていた言葉を思い出した。
谷から湧き上がってくる瘴気。教祖以外は平気だというそれを浴びて谷に落ちた者もいるという。
(アイゼン!)
鼻と口を押さえたままの状態で見上げたアイゼンは、まっすぐに前だけ向いている。
吊り橋の中央にさしかかった瞬間、じわりと目に何かが染みたような感覚に襲われた。鼻を摘まんでいてもわかる刺激臭が周囲にたちこめているのがわかる。
アイゼンの顔が苦痛に歪んだ。咄嗟に手を伸ばそうとしたプラティナに気がついたのか、身体を抱いていたアイゼンの手に力が籠る。
恐らくは何らかの毒物が撒かれているのだろう。だからアイゼンは口を閉じ鼻を摘まめと言った。アイゼンもまた呼吸を止めているのが、色を無くすほどに引き結ばれた唇から理解できた。
(あと少し……!)
せめてアイゼンの邪魔にならぬように身体を丸め、前を見る。
あとほんの少しで祠がある反対側の大地へと足が付く。
「駄目だ! 許さんぞ!!」
背後から教祖の悲鳴のような声と何かがぶつりと切れる音が聞こえた。
ぐらりと足下がたわみ、身体が一瞬宙に浮く。
「縄を切りやがったな!」
「きゃあ!」
アイゼンが叫び、不安定な足下を蹴ってその場からジャンプする。
ぐらりと揺れた身体を支えるため、プラティナは鼻と口を押さえていた手を離しアイゼンの首に必死にしがみついた。
「きゅう!」
「アンバー!!」
衝撃でようやく目が覚めたのだろう。先ほどの騒動の間、ずっと鞄で眠っていたアンバーが飛び出してきて宙を舞う。
そしてアイゼンの肩を掴み、その小さな身体からは想像できない力で二人の身体を引き上げる。
「チビ! そのままそっちに誘導しろ」
「きゅう!」
アイゼンの言葉に答えたアンバーは羽ばたく。
その動きに助けられ、宙に浮いていた二人の身体が谷間から離れて無事に地面に着地した。
それとほぼ同時に縄の切れた吊り橋が歪な音を立てて谷へと落ちていった。
もしアンバーがいなかったら。
恐怖で真っ青になっているプラティナの肩を、アイゼンが掴む。
「プラティナ、大丈夫か!」
「え、あ、はい……」
教祖達に相対していたときからは信じられないくらい弱り切った顔でのぞき込まれ、プラティナは目をぱちくりさせた。
眉を下げ、凜々しい目元を不安そうに揺らす顔は、あまりにらしくなくて。
「フフ、大丈夫ですよ」
なんだか急にアイゼンのことが微笑ましく見えてプラティナは小さく笑った。
「ちょっとびっくりしただけです。なんともありません」
「すまない……まさか橋を壊すとは思わなかった」
谷の向こうを睨み付けるアイゼンの表情には怒りが滲んでいるのがわかる。
その頬がわずかに汚れていることに気がつき、プラティナはそっと手を伸ばして汚れを撫でた。
数回手のひらで撫でれば汚れはすぐに消えて無くなる。
「アイゼン、ありがとう」
頬に添えた手を離しお礼を言えば、アイゼンは「ああ」とか「うう」とか短い返事をしてすっと立ち上がり、そのままプラティナをその場に残しスタスタと祠の方に歩いて行ってしまう。
「?」
「きゅう?」
その場にぽつんと残されたプラティナが首を傾げれば、いつの間にか側に来ていたアンバーがそれを真似るように首を傾げたのだった。





