18話 名前を呼んで
ギルド会館の外に出れば、すっかり夕暮れだった。
道行く人たちは家路を急いでいるのかどこか早足だ。
「今日からあなたはアンバーよ。よろしくね」
「きゅう!」
プラティナの周りを嬉しそうに飛び回るアンバーという名前になったトカゲの首には銀の鎖がキラリと光っていた。
ギルドにて正式な従魔登録をしたことにより、アンバーはプラティナの所有物ということになった。生き物を所有物扱いするのは少し嫌な気持ちだったが、アンバーが魔物である以上、そうしなければ他の冒険者から奪われる可能性もあるといわれ、渋々ながら頷いた。
「禁猟区以外では従魔でない魔物は狩猟や捕縛の対象になるからな。珍しい生き物なら余計にだ。こいつはどうやら君を気に入っているようだから、せいぜい大事にしてやるといい」
「はい!」
「きゅう!」
アイゼンの言葉に返事をすれば、アンバーが真似をするように鳴いた。
「まあ、君も世話をする生き物がいるほうが無理をしなくていいだろう」
「無理、ですか?」
「ああ。そいつは魔力は強そうだが、みたところまだ幼獣だ。無茶をさせれば弱るだろうし、あの程度の冒険者に怪我を負わされたことを考えれば強さもそこまでといったところだ。君が無理をして連れ回せば、そいつも危険だと言うことを覚えておくんだ」
冷静な指摘にひやりと血の気が引く。これからはアンバーを守らなければいけない立場になったのだ。無理はできない。
ただ自由に旅がしたいという子供じみた願いが、一つ重さを増したような気がした。
(アイゼン様って、何者なんだろう)
今更の疑問が首をもたげる。
密猟者たちを簡単に倒してしまったこともだし、この短い間に一緒に過ごしただけでもその知識や経験は桁外れなのが伝わってくる。
もしかしなくても、この人は凄い人なのかもしれない。このまま自分の傍に居てもらってもいいのだろうか。
急に不安になって俯けば、肩に止まったアンバーがきゅうきゅうと鳴いた。
アンバーはどうやらプラティナの心の揺れ動きを理解するらしく、口に出さなくてもその気持ちを察知してくれるらしい。
竜種の魔物にはそういった能力があると、さきほどガセルから教わったばかりだった。
「君、大丈夫か?」
だがプラティナの異変を察知したのはアンバーだけではないらしい。黙ってしまったことを心配したようにアイゼンがのぞき込んでくる。
強くて、自由で、頼もしい人。
プラティナが持ち得ない全てを持っているアイゼンという存在が、心の中で存在感を増した気がした。
同時に、これまでずっと引っかかっていたことが気になってしょうがなくなる。
「アイゼン様」
「なんだ」
「……その、『君』って呼ぶのやめてくださいませんか? 私にはプラティナ、という名前があるんです」
「……!」
一瞬目を剥いたアイゼンに、どうやら名前を呼ばれなかったことは意図的だったことを察する。
出会ったときからアイゼンはまるでプラティナの名前を知らないかのように、呼びかけるときは『君』と言い続けてきた。確かに、彼を苦しめた王国の王女の名前など呼びたくはないだろう。だが、これからはずっと一緒に旅をしていくのだ。他人行儀なのは少し寂しい。
「……君も」
「はい?」
「君も、俺に『様』をつけるだろう。いい加減やめてくれ。俺は君のような存在に敬称をつけられるような人間じゃない」
まさか同じようなことを指摘されるとは思っておらず、プラティナはぱちりと目を丸くした。
出会ったときは周囲の目があったため呼び捨てにしていたが、王都を離れてからはずっと「アイゼン様」と呼んでいたことを思い出す。
「それは……私はあなたに迷惑をかけている身ですし……」
「君に迷惑をかけられた記憶はないが」
「う……」
何故だろう。とても意地悪な口調に、プラティナは小さく唇を噛む。
ふつふつとこみ上げてくる感情の名前がわからず落ち着かない。
「じゃあ、私が呼び捨てにしたら名前で呼んでくれますか?」
「いいぞ」
間髪入れずに返事をされ、自分で言っておきながら思わず短く呻いてしまう。
こちらを見つめてくる黒い瞳からは迷いは感じない。
出会ったときからずっと、アイゼンはまっすぐなままだ。
急に呼び方を変えることは恥ずかしかったが、この機会を逃せばずっと変えられない気がすると、プラティナは小さく深呼吸してから顔を上げた。
「……アイゼン。今日は守ってくれてありがとうございました」
「かまわない。俺はプラティナの従者だからな。当然のことをしたまでだ」
くすぐったさが全身を駆け巡る。これまでの人生でずっと呼びかけられてきた名前なのに、アイゼンに呼ばれるとどうしたことが自分の名前が特別なものに思えてくるから不思議だ。
なんと返事をしてよいかわからずもじもじしていれば、アイゼンもまた口元を押さえて明後日方向を見ていた。
気恥ずかしいのはお互い様なのだな、と気がつく。
「アイゼン、お腹がすきました。宿屋に戻りましょう。今日の夕食は何でしょうか」
「そうだな。さすがに疲れた。食事をして早く休むか」
疲れて重たいはずなのに、どうしてだか足が浮き上がるような思いだった。
宿屋に戻れば、すでに宿泊者むけの夕食が食堂で配られ始めていた。美味しそうな匂いに我慢できず、急いでテーブルにかけつければアイゼンが苦笑いをしながらついてくる。
「おや、それはあんたの従魔かい?」
食堂の主人がプラティナの肩に乗ったアンバーに気がつき目を輝かせた。
「はい。アンバーといいます」
「じゃあ、ちび助の飯もだしてやらないとな。肉でいいか」
アンバーのご飯、という単語にプラティナははっとする。面倒を見るということは食事の世話もしなければならないのだ。
助けを求めるようにアイゼンに視線を向ければ、彼は小さな笑みを浮かべていた。
「ああ。こいつは雑食だがおそらく肉が好みだろう。代金は宿代につけておいてくれ」
「あいよ!」
アイゼンの言葉に頷いた食堂の主人は、キッチンへと駆け戻るとこぶし大の生肉を持ってきてくれた。アンバーは嬉々とした様子でそれにかじりついた。
「あんたたちにはこっちだ。今日はギルドに行って依頼を受けたんだろう? 精をつけなきゃな」
どん、という小気味いい音と共に目の前に置かれたお皿には、丸焼きにされた肉の塊が載せられていた。つやつやと輝く表面からは油が滲んで滴っている。鼻孔をくすぐる香ばしくも甘い香りにお腹がきゅるると歓喜の悲鳴をあげた。
左右に置かれたナイフとフォークを取り、そっと刃を滑らせれば驚くほど簡単に肉が切れてしまった。現れた断面は柔らかな白色でしっかりと火が通っているのがわかる。
ごくりと喉をならしてから、切り分けた一切れを口に運ぶ。すると、じゅわりと口の中に旨味が広がり、顎がきゅうっと痺れるように痛んだ。
「おいしい~~~~!!」
思わず叫んでしまった。
アイゼンは小刻みに肩を揺らしているし、食堂の主人は満足げに大きく頷いている。アンバーは自分の肉を食べるのに必死でこちらを見ようともしない。
「そんなにうまいか」
「ひゃい。こんにゃにおいしいおにきゅ、はじめででふ」
「食いながら喋るな。落ち着け」
水の入ったコップを差し出され、恥ずかしくなるが止められない。
噛めば噛むほどに口の中に味が広がる。これが幸せか、と身体が震えてしまう。
「こんなに大きくて美味しいお肉、はじめてです。食べても食べてもなくなりそうにない」
喜びを素直に口にしてせっせと口に運ぶ。
アイゼンは何故かじっとこちらを見たままだし、食堂の主人は「おかわりもあるぞ!」と言ってくれた。
今日は大変な一日だったが、幸せなこともたくさんあったと、胸の中を幸福が満たしていく。
その後、お腹いっぱいになったプラティナは案の定、部屋に辿り着く前に寝落ちてしまいまたもアイゼンに運ばれることになったのだった。





