11話 旅支度をしよう
結局、アイゼンの指示通り一日ゆっくり休んだプラティナは翌日にはずいぶん元気になっていた。朝食だけではなく、昼食やおやつ、夕食までベッドで食べるという贅沢な時間を過ごしたことに少しの罪悪感を抱いていたりする。
(でも、全部美味しかったなぁ)
昼食はチーズがたっぷりと使われたリゾットだった。アイゼン曰く、身体が疲れている時は固形物よりも消化の良い火が通った料理が身体に良いのだとか。事実、一口食べるごとに全身がほかほかと温まり幸せな気分になった。
おやつは見たこともない白い砂糖菓子で、口の中でほろりと崩れた。甘美な味わいに思わず頬を押さえてしまったほどだ。
夕食として届けられたのは、新鮮な野菜がたくさん使われたパスタだった。リボンのような形をしたパスタはこの街の特産品らしく、とても柔らかく茹でてあるためとても食べやすく、プラティナは全部ペロリと平らげてしまったのだった。
(三食しっかり食べるのが久しぶりだったから調子に乗っちゃった)
不意に、そのことを正直に伝えた時のアイゼンの顔を思い出し、プラティナは小さく笑う。
見たことのない生き物を発見したような驚愕の顔で見つめられ、少々恥ずかしかった。
出会った時は無愛想で怖い顔しか見せてくれなかった彼だが、街についてからは急に態度が変わったように思う。
あれこれと世話を焼いてくれようとするし、暇さえあれば「腹は空いていないか」と聞いてくれる。
きっと、街に着いた途端、倒れるように眠ってしまったことや痩せっぽちなのを気にしてくれているのだろう。
優しい人だなぁとプラティナはアイゼンへの感謝で胸をいっぱいにする。
(迷惑をかけないようにしないと)
前回のように急に倒れないようにするために自分の身体をよく把握しようとプラティナは意気込む。
「準備はできたか?」
ノック音と共によびかけられ、プラティナは「はい」と元気よく答えた。
祭服の上からしっかりとローブを着て部屋を出ると、騎士姿ではなく軽装に着替えたアイゼンが立っていた。
騎士姿の時は雄々しい印象が先立っていたが、シンプルな軽装に身を包んでいるとその顔立ちの美しさが際立っていた。黒を基調にした服は恐らくは旅人向けの服なのだろうが、身体を鍛えているアイゼンが着ていると高級感さえ醸し出されているから不思議だ。
うっかり瞬きながら見とれていると、ふっと視線をそらしてしまう。
「……あのままでは目立つからな」
「なるほど!」
確かに、とプラティナは素直に頷く。
騎士姿で街をうろつけば確かに人の目に付きやすいだろう。
「今日は買い物に行くんですよね」
「ああ。昨日のうちに注文しておいた品を受け取りに行くのと、君の着替えを買いに行こう」
「はい」
「その前に朝食だ。今日は食堂に用意してもらっている」
「はい!」
食事という言葉に現金な胃袋が歓喜するのを感じながらプラティナはアイゼンに促され部屋を出たのだった。
「今朝の食事も美味しかったですねアイゼン様。本当に良い宿屋を紹介してもらいました」
「そうだな……」
宿を出て商店が建ち並ぶ道を歩きながらプラティナは感動に身を震わせる。
朝食だと出されたのは柔らかなパンの上に目玉焼きが乗ったものだった。しかも目玉焼きの下にはカリカリに焼いた薄いお肉がくっついていたのだ。あまりの美味しさにプラティナはこれを作ってくれた食堂の主に心からの賛辞を述べたのだった。
そんなプラティナを見つめるアイゼンの視線にはどこか憐憫が混じっているような気がしたが、きっと身体の弱い自分を案じてくれているのだろうと思うことにした。
「まずは君の服を買いに行こう。靴も必要だからな」
「ああ、そうですね」
視線を落とし自分の足下を見たプラティナは苦笑いを浮かべる。神殿時代から履きっぱなしの革靴の底は薄くなっているし、なんと言ってもみすぼらしい。
「聖地への道のりは馬が歩けない場所もあるという。なるべく頑丈で軽い靴を買おう」
そうしてアイゼンに連れてこられたのは小さな商店だった。店の前にはいくつかの服が飾られており、靴や鞄なども取り扱っているようだった。雰囲気から旅人向けの商品が多いようで、店内にも旅慣れた雰囲気の客が多い。
入店すれば店の奥から好々爺という雰囲気の男性が出てきた。どうやらこの店の店主のようだ。
「いらっしゃいませ。ああ、昨日の」
「昨日は世話になった。店主、頼んでいたものは?」
「はい、届いていますよ」
アイゼンは勝手知ったる様子で店主と会話しはじめる。どうやら昨日のうちに一度来店していたらしい。今着ている服もここで買ったのだろうかとプラティナはキョロキョロと店内を見回した。
「君の服はこっちだ」
呼ばれて駆け寄れば、店の奥に女性ものの服がずらりと並んでいた。落ち着いた色合いのシンプルかつ動きやすそうな服が並んでいる。
「この中からいくつか服を選んでくれ」
「一枚じゃだめなんですか?」
「旅が続けば着替えが必要になることもある。女性向けの旅服を扱っている店はないから、ここで揃えておきたい」
「わかりました」
「店主、あと彼女の靴も頼む」
テキパキとした指示に従い、プラティナは服の中から明るい緑と臙脂色の服を選んだ。どちらも手触りがよく仕立てがよく見えたからだ。
その選択にアイゼンは一瞬だけ口元を緩めると、残っている服の中から水色の服も選び出した。どうやらそれも買うことになるらしい。
「こちらの靴など如何でしょう」
そうこうしている間に店主が靴を持ってきてくれた。善し悪しがよくわからないプラティナに代わりアイゼンが靴底の厚さや重さなどを確かめて選んでくれる。
まるで着せ替え人形のようだと思いながらも、悪い気がせずプラティナは大人しくアイゼンの選択に従ったのだった。
そのほかにも店主のすすめでいろいろなものを買い求めた。
いつのまにか結構な大荷物になってしまい、これを抱えて旅に行くのかと不安に思っていると、店主がなにやら奥から背負い袋を抱えて持ってきた。
「こちらがご注文頂いていた収納袋です。ご確認ください」
「ああ、よくこの短い間に見つけてくれたな」
収納袋とは何だろうとプラティナも近寄ってその背負い袋を見たが、一見すれば普通の袋にしか見えない。
不思議に思って首を傾げていれば、それに気がついたアイゼンが苦笑いを浮かべる。
「これは魔法収納袋だ。魔術式が縫い込まれているので、見た目の十倍以上の荷物が入るし重さを感じない。旅には必須の道具だ」
「そんな便利なものがあるんですね」
驚き目を丸くすれば、店主が微笑ましそうな視線を向けてきた。
「どんな旅人も魔法収納袋は持っていますよ。貴重品などを入れて懐に入れておくのです。このサイズのものは少し珍しいかも知れませんね」
「へぇ」
しげしげと観察してみるが、見れば見るほどに普通の袋にしか見えない。
外の世界にはいろいろなものがあるのだなぁとプラティナは感心したように頷くばかりだ。
「買ったものをこの袋に入れてくれ。代金はこれで足りるか」
アイゼンが店主に渡したのは、城門で受け取った小袋全部だった。店主は中身を確認すると満足げに頷く。どうやら話は付いたようでプラティナはほっと息を吐いた。
(アイゼン様がいてくれて助かったわ。私では到底こんな準備はできなかっただろうから)
宿のことや旅支度にはじまり、こんな便利な道具があることも知らなかった。旅がしたいなどと願った自分の未熟さが少しだけ恥ずかしくなった。
「いい買い物ができた。助かったぞ」
「とんでもございません。こちらこそ、このような可愛い奥様の旅支度を手伝えて楽しかったです」
「!?」
「!?」
店主の言葉にプラティナとアイゼンは一緒になって動きを止めた。
「ち、違います!」
「そうだ! 彼女は俺の助手だ!!」
「そうです!」
二人して慌てて否定すれば、店主は意外そうに目を丸くしてアイゼンへと視線を向けた。それから何故か「ははあ」と訳知り顔になって大きく頷く。
「さようでございましたか。それは大変失礼致しました」
深々と頭を下げる店主にそれ以上に何を言えるわけもなく、プラティナは恥ずかしさで赤くなった顔を両手で包むようにして隠した。
(恥ずかしい。アイゼン様に申し訳ないわ)
城門の時に続き、とんだ勘違いをさせてしまったとプラティナは地面に沈み込みたい気分だった。
ちらりと指の隙間から隣のアイゼンを盗み見るが、彼もまた手のひらで顔を覆っているため表情は読めない。
こんなみすぼらしい死にかけの小娘と夫婦に間違われてきっと落ち込んでいるのだろう。
(これからは気を引き締めなくては)
あまり馴れ馴れしくならないように適切な距離を学ばなくてはとプラティナは決意を新たにしたのだった。