10話 美味しい食事
「……はっ!」
パチンと泡がはじけるように意識が覚醒し、プラティナは目を開けた。
明るい室内をぐるりと見回すが、見覚えは一切無い。ここはどこだろうと困惑しながら記憶をたぐれば、ようやく昨日の出来事がよみがえってくる。
(そうだった。巡礼の旅に出たんだったわ)
宿屋の部屋に入った途端、気を失うように眠ってしまった自分の失態を思い出しプラティナは顔を赤くする。着の身着のまま、しかも男性の前で寝てしまうなど。
身体のあちこちは痛かったし、頭が重い。昨日は気が張っていたため気がつけなかったが、やはり無理がたたったらしい。
虚弱な自分の身体が情けなくうなだれていると、控えめなノック音が聞こえた。
「はい」
慌てて返事をすれば、扉が開きアイゼンが部屋の中に入ってきた。
その腕には食事らしきものが載ったトレイがあり、漂う美味しそうな香りにプラティナのお腹が『くぅ』と子犬のような返事をしてしまう。
「はう!」
恥ずかしさに顔を覆えば、アイゼンがくっくっと笑ったのが聞こえてきた。
アイゼンが笑ったという驚きと羞恥にプラティナが混乱している間に、彼はテキパキと小さなテーブルを寝台の横に運び食事が載ったトレイと水を用意してくれる。
「昨日は夕食も取らずに寝ていたからな。とりあえず、先に水を飲め」
「……はい」
まるで子ども扱いだと少し拗ねた気持ちになりながらもプラティナは素直に差し出されたコップを受け取った。
「身体はどうだ? 熱は?」
「……少し痛みますが動けないほどではないです。熱は多分ないと思いますけど……」
自分で自分の額に触れてみるが、どうもよくわからない。
だが不思議なことに、余命わずかと神殿で診断された時に比べると少しだけ肩が軽いような気がしているのだ。聖女という役目から解放されたからかもしれないとプラティナはぼんやりと考える。
「そうか。辛い時はすぐに言ってくれ」
「はい」
「大事を見て、数日はこの街で過ごそう。幸いなことに城門でもらった金があるし、宿屋も代金を負けてくれるらしい」
この宿屋はあの城門にいた兵士の身内が経営しているものらしい。身内が世話になったからと、宿代を安くしてくれたそうなのだ。
その気遣いは嬉しかったが、プラティナはアイゼンの数日という言葉に眉を下げる。
「アイゼン様。私は大丈夫ですから、早く旅に出ましょう」
でなければこの身体の寿命はすぐに尽きてしまうかもしれない。はやる気持ちが焦りを生み、プラティナの胸を締め付けた。
「落ち着け。気持ちはわかるが、今無理をすれば先に進めない。それに、昨日も言ったが今の装備では旅など無理だ。この街でいろいろ買いそろえる必要もある。とにかく今日は休むんだ。いいな」
強い口調で言われ、プラティナはしょんぼりと肩を落とす。
せっかく旅に出られたのに、早々に躓いてしまった、と。
「……とにかく食事をしろ。食べられないものは?」
先ほど持ってきたトレイには、ふかふかしたパンにハムや野菜が挟まったものと、まだ湯気を立てているスープがのせられていた。美味しそうな香りに忘れていた空腹感があばれだし、プラティナはごくりと喉をならす。
「何でも食べられます」
「じゃあ、まずはスープからだな。やけどするなよ」
差し出されたスプーンを手に取り、プラティナはスープを口に含んだ。
「……美味しい!!」
口の中に広がる甘美な味わいにプラティナは目を見開く。
「そうか」
「凄いですね! 味が付いている上に、お肉まで入ってますよ!!」
「……は?」
「うわ~~お野菜もこんなに大きい! 美味しいですねぇ!!」
感激にはしゃぎながらプラティナがスプーンを動かしていると、アイゼンが信じられないものを見る顔でその姿を凝視してくる。
最初はスープに夢中だったプラティナだったが、だんだんとその視線にいたたまれなくなる。
「……あの?」
何か粗相をしたのだろうかとプラティナが声をかければ、アイゼンはどうしたことかどこか怒ったように目を細めていた。
「教えて欲しいんだが、君は神殿でどんな食事をしていたんだ」
「え? ええっと……パンとスープがほとんどですね」
「どんなパンだ」
「真っ黒で硬いパンです。水と一緒じゃないと飲み込めないようなガリガリッとしたやつですね。時々、レーズン入りのがあってそれは甘くて美味しかったです。また食べたいですねぇ」
「……スープは」
「野菜の切れ端を水で煮たスープです。だから、こんな風に味があるスープは本当に久しぶりですね。信徒への炊き出しで、余っているものを頂く時しか食べられなかったので。ああ、本当に美味しい」
五臓六腑にしみわたるとはこのことだと思いながら、プラティナは一心にスプーンを動かす。
よく煮込まれたお肉は口の中でほろりと崩れ、顎が痛くなるほどの旨味を感じさせてくれる。
「このパンも食え」
「え、いいんですか?」
「全部君のだから。とにかく食え」
「わーい」
素直に喜んで差し出されたパンにかぶりつく。フワフワとした生地は顎に力を込めなくても噛めたし、中に挟まっている野菜は新鮮でみずみずしくハムの塩味は絶妙で舌が痺れるほどに美味しかった。
「幸せ……!」
頬いっぱいの食事を頬張りながら、プラティナは早くも旅に出られたことを感謝していた。
神殿ではいつも粗末な食事だったし、塔に閉じ込められていた間に運ばれてきていた食事も似たようなものだった。
こんな風に温かさや味を感じる料理はいつ以来だろう。
「……ゆっくり食え。俺はちょっと出てくる」
「はい!」
おもむろに立ち上がったアイゼンが部屋を出て行くのを見送りながら、プラティナは笑顔で食事を続けたのだった。
***
「っ……!!」
廊下の壁に無言で拳を打ち付け、アイゼンは一人声を殺して悶えていた。
目に浮かぶのは何でも無い普通の食事を嬉しそうに食べるプラティナの姿だ。
小さな口で頬いっぱいに食事を頬張る姿は小動物を連想させる。
(なんなんだあの生き物は……!)
城門に着くまでは平気そうだったが、やはり身体に無理が来ていたらしい。
昨日、街に辿り着いた時点でプラティナは限界だったのだろう。足下がおぼつかない姿に嫌な予感を覚え、取るものも取りあえず宿屋に駆け込んだのは正解だった。
部屋に着いた途端、目の前で気を失われた時はさすがのアイゼンも死ぬほど動揺した。
眠っているだけだとわかった時は脱力するほど安心したし、寝台に寝かせるために抱え上げた身体の軽さと頼りなさに胸が締め付けられてしまった記憶はまだ心に焼き付いている。
体力のなさを考慮せず歩かせてしまった後悔で自分を殴りつけたくなった。
(とにかく医者に診せる必要があるな)
目覚めたプラティナは思いのほか元気そうだった。食事姿から察するに食欲の減退などは見られない。疲れているのは伝わってきたが、病人特有の存在の希薄さもないので、すぐに命に関わるような病ではないことは確かだ。
だが、人の命は簡単に失われてしまう。アイゼンはそれをよく知っていた。
(くそ……)
思い出したくもないことが浮かんできて、アイゼンは舌打ちをする。
ずっと昔に捨てたはずの過去を今更思い出すなんてと、苛立ちがこみ上げてきた。黒く重たいものが腹の中で渦巻きはじめる。
(とにかく彼女の回復が最優先だ)
食事を取ったあとはまたしばらく寝かせる必要があるだろう。その間に街を回って買い物を済ませておこうと算段する。
(目が覚めたら食べられるものを買っておくか。携帯食もなるべく柔らかくて栄養があるものがいい。肉は狩ればいいとして、調味料も必要だな)
あれこれとプラティナのための旅支度を考えていると、先ほどまで感じていた苛立ちが消えていく。自分の変化の理由がわからず、アイゼンは小さく首をひねりながらも、そろそろ食事を終えたであろうプラティナの様子を見るために再び扉を叩いたのだった。





