1話 余命わずかの聖女様
「残念ですが、聖女様の余命はあとわずかです」
診断を告げた医師の顔色は、余命宣告されたプラティナよりも悪い。
「具体的に、私はどれくらい生きられるのでしょうか」
「長くて……あと半年かと」
「短くて?」
「数週間から数日かもしれません」
プラティナは医師と同じく悲痛な表情になり、ヘーゼル色の瞳で床を見つめる。
白銀色の髪がさらりと落ちて顔に影を作る。石像のように白い肌には染み一つなく、まるで作り物のように美しい。小さな唇は色づく前のイチゴのように血の気が失せていた。
十七歳とは思えないほどに細く華奢な身体を包む木綿の祭服には金糸で繊細な細工が施されているものの、よく見ればあちこちが擦り切れている。
大陸の西に位置する小国シャンデ。
十年前に国王が亡くなったため、王妃であったレーガが女王として即位し国を治めていた。
プラティナはそんなシャンデの第一王女だ。
だが、女王レーガの娘ではない。レーガは元々愛妾の一人でしかなかった。正妃であったプラティナの母が病死したことで、繰り上げで正妃になったのだ。
そんな事情もありプラティナは女王にたいそう疎まれていた。
どれくらい疎まれていたかというと、国王が死ぬやいなや、聖なる力を持っていたことを理由に幼い頃から神殿に押し込められ、王女として社交界デビューさせてもらうこともなく、朝から晩まで国の安寧を祈る役目を押しつけられるほどには冷遇されていた。
神殿の食事はたいそう質素で、硬いパンと水だけというのは当たり前。よくわからない理由で断食させられたことも何度もある。
だがプラティナは実はあまり悲観していなかった。
王女である自分が祈ることで国が平和であるなら嬉しかったし、貴族としてのややこしいお勤めに参加しなくて済むのは案外悪くないとさえ思っていた。
ほんの少しだけさみしさもあったが、父である国王が亡くなる前に決めてくれた婚約者もいたし、慎ましくも平凡な人生を送れさえすればいいと本気で願っていたのに。
ことの始まりは数時間前。
いつものように祈りを捧げようとしていたプラティナは、突然目眩に襲われその場に倒れてしまったのだ。
慌てた神殿の職員が医者を呼び寄せ診断させたところ、医者は真っ青な顔をしてプラティナに余命宣告をしたのだった。
「聖女様のお身体はあちこちがとても弱っております。身体も痩せすぎておりますし、顔色も悪い。心臓の動きも悪く、指先はこんなに冷え切って。今、こうやってお話をされているのが不思議なくらいです」
つらつらと自分の状況を説明され、プラティナはますます困ったと眉根を寄せる。
「私が死んだら、誰がこの国のために祈るのでしょうか」
はぁと重いため息をついて、プラティナは考え込む。
プラティナは「聖女」という役目にそれなりに誇りを持っていた。
他によりどころがないというのも大きかったが、やりがいは十分な仕事だったからだ。
聖なる力を国中に行き渡らせ、病や災害から人々を守るというのは並大抵のことではない。毎日の祈りを終わらせたときには疲労感でぐったりしてしまっていた。
だが、精一杯努力してきた。
それが突然あと少しで死にますと言われ、はいそうですか、と簡単に納得できるはずがない。
「あの、私が助かる方法はないのでしょうか」
医者は無言で首を振る。
「奇跡でも起きない限りは無理でしょう……」
「そうですか……」
うなだれる医師にしょんぼりと肩を落とすプラティナ。
部屋全体が葬式のような空気に包まれていた。
(どうしましょう。余命わずかだなんて。これからどうすれば)
戸惑いでいっぱいだったプラティナの心に、ひたひたと冷たい感情がわき上がってくる。
これまで神殿から出ることはほとんど許されなかった。
家族であるはずの王族は誰もプラティナの存在を気にとめない。
このまま、外の世界を知らないで死んでいく自分が急に哀れに思えてきて目の奥がつんと痛む。
(せめて死ぬ前に、なにか一つくらいやりたいことを願っても許されるかしら)
自分にとって何が一番未練なのかをプラティナが必死に考えていると、部屋の扉が勢いよく開いた。
「お姉さま! 話は聞きましてよ!」
「メディ、どうしてここに」
遠慮のない態度で近づいてくるのは、二歳年下である異母妹のメディだった。
プラティナとは違い、女王レーガの実の娘である第二王女。
まばゆい金の髪に宝石のような青い瞳。お人形のように愛らしい容姿からはまばゆい光が溢れているようで、陰鬱だった部屋の中が一気に明るくなったようにさえ錯覚してしまう。
質素な身なりのプラティナとは真逆の真っ赤なドレスを着たメディは、そこで動いているだけで場の空気を変えていくような華やかさがあった。
「お姉さまが倒れたと聞いて駆けつけたのですわ」
「まあ、そうだったの。ありがとう」
自分を心配してくれたのかとプラティナが感動していると、メディはふんと令嬢らしからぬ動きで鼻を鳴らし胸を反らせた。
見下ろしてくる青い瞳に宿った、どこか見下すような色味にプラティナは身をすくませる。
「別に心配したわけではありませんのよ? お姉さまが聖女の務めを果たせなくなったら困りますもの」
「ああ……」
メディの言葉に浮かびかけた気持ちが沈み込んだ。
異母妹であるメディとの関係は良好とはいえない。女王の実の娘であるメディは、それはそれは溺愛されて育てられていた。プラティナは見たことがないが、王宮にはメディだけの庭がありいつも花が絶えないという。
貴族たちも女王の機嫌を取るために、メディにはことさら甘く尽くしているという話だ。
同じ王女なのに、扱いは雲泥の差。
それでも、プラティナはメディに対して恨みをもったことはなかった。
血のつながった姉妹なのだから、いずれは二人でこの国を支えていくのだと信じていたのに。
「驚きましたわ。まさか、聖女ともあろう者が余命わずかだなんて」
容赦の無い言葉が胸を刺した。
医者が慌てた様子で立ち上がり、その拍子に倒れた椅子が立てた音が石作りの室内に響き渡る。
「メディ様、そのような……」
「あら、私に嘘は不要よ。全部聞こえておりましたわ」
ふふ、と悪だくみをするような笑みを浮かべたメディがプラティナを見下ろす。
「困りましたわねぇ」
プラティナは首を傾げる。いったい何が問題だというのだろうか。
その仕草が気に食わなかったのか、メディはつんと唇を尖らせる。
「国を支える聖女が死ぬなんて不吉すぎるじゃない。お姉さまには元気なうちに聖女を引退していただかないと」
「!!」
「と、いうわけでお姉さま、今日から私がお姉さまの代わりにこの国の聖女になりますわ」
にこにこと悪意など感じさせないような笑顔で告げるメディの言葉にプラティナは呼吸も忘れて固まった。
「あの、メディ……?」
「うふふ。お姉さまは知らなかったでしょうけれど、私にも聖なる力がありますのよ? 先に生まれたからというだけでお姉さまが聖女になっていましたけど、本当に聖女にふさわしいのは私ですわ」
歌うように語るメディはすでにプラティナを見ていない。
聖女となった自分を想像しているのか、その場でくるりと回りながら嬉しそうに微笑む。
「ああ、もちろん私が聖女となるからには婚約者も譲っていただきますわね?」
「えっ!」
今度は思わず声が出てしまった。
婚約者という言葉にプラティナの心臓が嫌な音を立てる。
「ツィン、入ってきて」
「はい」
呼びかけに答え部屋に入ってきたのは、一人の青年だ。
メディの髪色よりも一段明るい黄金を糸に変えたような柔らかな髪と薄緑の瞳をした背の高い彼の名は、ツィン。この神殿を管理する神殿長の息子だ。まだ完全な入信を終えていないため、祭服ではなく一般的な貴族男性と同じ正装を身にまとっている。
ツィンはプラティナの婚約者でもあった。
「聖女様……いや、プラティナ様。残念です。私はあなたを支える日々を待ちわびていたのに」
本気でそう思っているのか疑わしいほどの白々しいセリフにプラティナは唇を噛む。
ツィンとの婚約は、亡き国王が生前に決めたものだ。
王女プラティナと未来の神殿長が結婚すれば、王家と神殿の繋がりは深まり、国力が安定すると考えたのだろう。
愛のある関係とは言えなかったが、共にこの国を支えて行くと約束したはずだったのに。
「ふふ。これからは私が聖女になり、ツィンがこの神殿の司祭となるのよ」
「安心してくださいプラティナ様。今後は私たちがこの国を支えますから」
メディとツィンはまるで恋人同士のように寄り添い、嘲るような表情でプラティナを見下ろしていた。