兄の威厳を取り戻そう⑧
「お待たせしました、急な電話があったものでして……おかけください」
「はい、失礼します」
奥にある従業員用の詰め所に案内された俺は、店長と思わしき男性の勧めに従い椅子へと腰掛けた。
「では改めまして、私はこのお店の店長を任されております只野茂です」
「ご丁寧にありがとうございます、私は不動政信と申します……今日はよろしくお願いいたします」
お互いに自己紹介を交わすが、そこでレジに立っていた女神?と店長が同じ苗字であることに気が付いた。
(年齢的に親子ってところかなぁ……なるほど、通りであそこまで一従業員のはずの女神?様が労働力の確保に躍起になってたわけだ……)
身内で回さないといけないぐらい辛いと言っていたが、要するに娘である彼女自身がお店に出なければいけない状況に追い込まれているということなのだろう。
しかも父親が店長ということはお店の経営状況がそのまま自らの生活費にもつながるわけで、面倒ならサボればいいと思っている俺とは状況が違いすぎる。
(そりゃあ人を増やして少しでも休めるようになりたいよなぁ……しかしお店関係者である女神?様から直々に採用は確実だとまで言われたのに、なんか渋い顔してんなぁ?)
人が足りないはずなのに、目の前で履歴書を読んでいる店長は俺のことを歓迎しているようには見えなかった。
「うぅん……こ、これは……ええと、まず聞かせてほしいのはこの職歴の八年間の空白なんだけど……何をしていたの?」
「はい、家でゴロゴロしながら基本無料ゲームとテレビアニメ鑑賞をしておりましたっ!!」
「……あのねぇ、仮にも三十を超えたいい大人がそんなこと堂々と主張しちゃ駄目だよ……申し訳なさとか後ろめたさを感じていないのかい?」
「ええっ!! とっても楽しい悔いのない日々でしたっ!! ぶっちゃけまだまだニート生活を続けたいところでしたが妹が働け働けと騒ぐものでして……」
「……それはまあ言いたくもなるよねぇ……はぁ……」
正直に答える俺を見て、何やら頭を抱えている店長。
(おかしいなぁ……採用は確実なはずなのに……なんか怪しげな雰囲気になってない?)
尤も採用されたいと思っているわけでもないのだが……というかぶっちゃけ労働自体したいとは思っていない。
だから別に不採用でも構わないのだけれど、同時にどうせ働くのならばあの理想的な胸……もとい女性の居るここが良いのも事実だ。
そして妹のあの荒れっぷりと自身の懐具合からしても、近々どこぞで少しは働く羽目になるだろう。
(なら後で何社も回るよりはここで受かっておいた方が面倒が無くていいんだけど……無理臭いかなぁこれは?)
「……まあいいや、えっと次に志望動機だけど……『お金が欲しいから』ってこれまたシンプルだねぇ……」
「はい、今現在私は貯金も無く身の回りの品を処分して日銭を稼いでいるのですがもう私物は携帯以外処分してしまいまして……尤も携帯電話も料金未納で止まっているので採用結果については郵送か家の電話にかけて頂けると幸いです」
「け、携帯を止められてるって……それじゃあいざって時に連絡も取りづらいってことだよね……というか何でそんな状況になるまで遊んでたのかな……そんな怠け癖が付いているのに本当にウチで働けるのかい?」
どうにも俺の印象は悪いようで、露骨に訝し気な目を向けられてしまう。
「ええ、採用されれば全力でお仕事をさせていただきたく……えっと、シフトならいつでも幾らでも入れて大丈夫です……妹はもう一人でも大丈夫なそうなので……」
「いや妹さんのことはどうでも……その子は幾つぐらいなの?」
「えっと、今年で十六になりますね……」
「えっ!? じゅ、十六って……ずいぶん歳の差がある兄妹だねぇ……そう言えば御両親は君に何か言っていないのかい?」
「あー……うちの両親は八年前に事故で亡くなっていますので……」
「えっ!!? そ、そうかそれは悪い事を聞い……んっ!? は、八年前ってことは……っ!?」
しかし話の流れでウチの両親の事について言及すると、何やら店長は弾かれたように履歴書を読み直し始めた。
(そうそう、たまたま親父たちが亡くなった数カ月後に俺の会社は潰れたんだよなぁ……まあただの偶然だけど……)
親父たちが事故に会う前から俺の働いていた会社の経営状況は滅茶苦茶悪化していていつ潰れてもおかしくない状況だった。
だからそのタイミングの一致は本当にただの偶然でしかないのだが、店長はそれが物凄く気になっているようだ。
「は、八年前ってことは君の妹さんは当時八歳……まだ小学生だったってことだよねっ!?」
「え、ええ……当時は幼く泣き虫だったので慰めるのが大変でしたよ……少しでも離れようとすると足元に縋りついて行かないでって泣かれて……いやぁあの頃は可愛げがあ……」
「そ、そうだったのか……わ、分かるっ!! 分かるぞ君の気持ちっ!!」
「はぇっ? えぇっ!?」
更に店長は勢い良く身を乗り出してきたかと思うと、俺の両肩に手を掛けながらうんうんと激しく頷いてきた。
何やら妙に感動しているらしく、その両目からは涙すら零れようとしている。
「年端も行かぬ妹を寂しがらせずに育てようと仕事を辞めて傍についていてあげたんだろうっ!! 貯金なんかは全部妹のために使って、自分は貧困や周囲からの蔑む目にも耐えて、日々の楽しみすら削り私物をも処理して……そこまでして両親を失って悲しむ妹の傍にずっといてあげたんだろうっ!!」
「……いや、別にそういうわけでは……」
「謙遜しなくてもいいっ!! 君は偉いっ!! そんな君の事情もろくに聞かず、嫌なことから逃げてばかりのこらえ性の無いダメ人間だと思って見下していた私を許してくれっ!! うぅっ!!」
物凄い誤解をしながら涙を流す店長……正直ドン引きだ。
(ち、違うって言ってるんだけどなぁ……しかしどうしてここまで赤の他人である店長が感動してるんだ……?)
実際問題、俺がそんな殊勝な人間だと誤解したとしてもここまで劇的に涙を流すほど心を震わせるのはどうにも大げさすぎる気がした。
しかし店長は更に激しく涙を流しながら、何故かお店の方へと顔を向けて熱く語り始めた。
「不動君っ!! 私もね君と同じだよっ!! レジにいた広子は……あの子は私の娘なんだが、その母親である私の妻は彼女がまだ幼い頃に亡くなってしまったんだっ!!」
「あ……そ、そうだったんすか……」
「そうだともっ!! そして当時の私も君と同じ様にサラリーマンとして働いていたっ!! だけどあの子が泣くんだよっ!! 寂しい寂しいってっ!! 母親がいないからって子供にそんな辛い思いさせるわけにはいかないっ!! そう思ったからこそ私はこの仕事を始めたんだっ!! 二階に住居を作って暮らすことで仕事中でもいつでも顔を合わせられるからねっ!!」
「は、はぁ……」
「だから君の気持ちは痛いほどよくわかるんだよっ!! 辛いことも多かっただろうっ!! 苦しい事だってっ!! だけどあの子の笑顔のためなら耐えられたっ!! 君もそうなんだろうっ!?」
涙を流し過ぎて血走った眼を見開きながら顔を突き付けてくる店長。
(こ、こわひ……ここで違いまぁ~す、何て言ったら殺されるっ!?)
余りの迫力にふざける余裕もなく俺はコクコクと首を縦に振ることしかできなかった。
「そうだろうそうだろうっ!! そして立派に育った妹さんにもう私は大丈夫だからって……そう言って貰えたからようやく君は社会に戻ろうと……よかったねぇ、そんな兄思いで素敵な妹さんに育って……いや育てることが出来て感無量だろうっ!?」
「ソーデスネ……」
もうとにかくこの場を乗り切ろうと、俺はただひたすら肯定するだけの機械になりきることにした。
(ただの暴力的で兄をろくに尊敬もしてない妹なんですけどねぇ……だけどそういえばあいつも前に似たようなこと言ってたような……あれっていつだったっけかなぁ?)
むしろ店長の言葉を右から左にスルーしつつそんなどうでもいい事すら考えて始めてしまう。
「私もあの子の笑顔だけを支えに頑張ってきたものだっ!! おかげであんな立派に育ってくれて……ただ最近は経営状況が変わったこともあってあの子にまで仕事を手伝わせて申し訳なく思っていてねぇ……そのせいで彼氏を作る暇もないようだが、むしろ若いうちに変な虫が付かないよう見守ることもできて……」
「……ソーデスネェ」
(……彼氏いるって言ってたけどなぁ……まあ過保護っぽい父親だから言うに言えないのかも……いやどうでもいいんだけど、早く終わらないかなぁ……)
「……から本当なら若い男は雇わないつもりでいたんだが……良し分かったっ!! それほど立派な君ならば話は別だっ!! 喜んで採用させてもらうよっ!! 妹さんにそう告げて安心させてあげなさいっ!!」
「はぁ……えっ!? さ、採用っすかっ!?」
しかしそこで店長が今度は俺の両手を取ってぶんぶんと振り回しながら採用を告げてきたではないか。
まさかそんな流れになるとは思わなくて思わず聞き返してしまうが、店長はやはり涙を流しながら激しく首を縦に振って見せるのだ。
「ああ、もちろんだともっ!! それこそ天変地異でも起きてこの店が潰れない限りは雇わせてもらうよっ!!」
「そ、そうですか……ど、どうもありがとうございます……わ、わぁい嬉しいなぁ……涙出ちゃいそう……」
違う意味で涙を零しそうになる俺……正直、ここで働くのは物凄く面倒なことになりそうだ。
だけどまあ決まった以上は仕方ない、割り切っていい事だけを考えるとしよう。
(まあこれで妹からの暴力は減るだろうし、今日はご馳走作ってくれそうだ……それにお金も入るから少しは贅沢できるようになるぞぉ~っ!! 何よりあの目の保養度MAXな只野広子さんと一緒に働けるってのはいいことだぜっ!!)
今後の事を前向きに考えていた俺の前で店長は涙を拭うと良い笑顔を浮かべながら俺を見つめてきた。
「はぁぁ……こちらとしても従業員が増えるのはありがたいからね、これからは一緒に頑張って行こうじゃないか……ただ色々な処理の問題もあるから後で正式な採用通知を送らせてもらうよ……携帯は駄目みたいだから関係書類を含めて郵送させてもらうけど、その後でまたここに来てもらって細かいスケジュールなんかを話していこうと思うんだけどどうかな?」
「それで大丈夫です……まあいつどの時間帯でも働けますからそちらの都合がいい時間に入れて貰って結構なんですけど……」
「そうかい、それは本当に助かるよ……じゃあこれで面接は終わりにするけど、最後に何か聞きたいことはあるかな?」
(聞きたいこと……いや別に何も……い、いや確か妹の奴が意欲を見せるために何でもいいから聞いておけって言ったよな?)
ここまで採用は確実だと断言されている以上、意欲もくそも無い気もするがわざわざこうして水を差し向けて貰った以上は何か聞いたほうがいいのかもしれない。
だから適当に質問を絞り出そうとしたが、先ほどまでの店長の迫力が余りに凄かったせいで予め考えて置いたことを忘れてしまった。
(何かないかなぁ……この職場について知りたいこと……だけど聞こうにも来たばっかりで見知ってる物事と言えば只野広子さんが理想的な巨乳の持ち主であることと彼氏がいるってことぐらいで……まあもしかしたら一緒に働く中で親しくなったり、向こうが彼氏と別れる可能性=チャンスは零とは言い切れないし……そうだっ!!)
そこでようやく質問を思いついた俺は店長をまっすぐ見つめ返しながら笑顔で尋ねるのだった。
「えっとじゃあ、あんまり仕事に関係ないかもしれない個人的な質問になりますが……」
「ああ、何でも聞いてくれたまえ」
「では遠慮なく……ここって社内恋愛は可能ですか?」
「…………はい?」
「ですから社内恋愛……いや店内恋愛というべきですかね……とにかくお店の従業員同士での恋愛は認められているのか聞いておこうかと……て、店長?」
俺の言葉を聞いた店長は急に固まってしまったかと思うと、何やら身体をフルフルと震わせ始めた。
そして体調でも崩したのかと心配する俺の前で、ふいに弾かれたように再び大声で叫び出すのだった。
「ふ、ふざ……ふざけ……で、出ていけぇえええええええっ!!」
「あ、は、はぁい……じゃあ失礼しまぁす……皆さんと一緒に働ける日を楽しみにしながら採用の通知を待ってまぁ~す」
「があぁああああああっ!!」
(……そんなに大声で叫ぶほど喜ばなくてもいいのになぁ……本当に感極まりやすい人だなぁ)