兄と仕事とパンツ⑮
「良いな兄貴……あたしが居ないからって勝手に人の部屋に入るんじゃねぇぞ?」
「ああ、(俺目線で)よほどのことがない限り勝手に部屋に入ったりはしないぜ」
「絶対だぞ……後それとあたしが居ない所で人に迷惑かけるんじゃねぇ……いや居るところでも迷惑かけるような真似すんなよ?」
「ああ、(俺目線で)人に迷惑になりそうだと思うことはやらないぜ」
「…………はぁ」
妹の要求にはっきりと頷いてあげたのだが、何故か向こうは駄目だとばかりに深くため息をつくばかりだった。
「おいおい、何だよその溜息は……江南の覇者そっくりだって触れ回ってるくせにそんなお兄ちゃんが信用できないのか?」
「もうそれは忘れて……というかそんなふざけたことばっかり言ってるのに信用もくそも無いだろうが……たくもぉ……まあいいや、行ってきます」
「おお、行ってらっしゃい……車に気を付けるんだぞ~」
やはり俺の言葉を聞いて疲れた様に肩を落とした妹は、最後にはこちらへ振り返ることもなく手だけを上げてそのまま家を後にした。
(ふぅ……やっと学校に行ったか……これで夕方までは俺の自由時間だぜぇええっ!!)
「ひゃっほぉおおおっ!! 俺の俺による俺だけの時間が今始まるぅっ!! 目指せ偉大な航路~っ!!」
「……おい」
「ひゃぅっ!?」
早速家の中を掛けだし宝探しに妹の部屋を目指そうとしたところで、後ろから物凄くドスの効いた声が聞こえてきた。
恐る恐る振り返った俺は、そこに般若のごとき形相でこちらを睨みつけている妹の姿を確認した。
「お前さぁ……わざとやってんだろ?」
「あ、あはは……ど、どしたの妙央ちゃん……忘れ物かい?」
「似たようなもんだ、言い忘れてたことがあってな……だけどもういい、それより一発殴らせろ」
「ちょ、ちょっとさらっと暴力振るおうとしないでっ!! ちょっとしたその場のノリ的な冗談だったんだよぉっ!!」
わざわざ靴を脱いでまでこちらに戻ってくる妹に必死で言い訳しながら後ずさる俺。
しかし両手をポキポキ鳴らしているところからして、これはもう暴行不可避ルートであろうことは長年の経験でわかっていた。
(い、いや確か俺の学校に会った漫画に乗ってた先生が言ってたっ!! 諦めたらそこで試合終りょ……うごぉっ!?)
想像通り考えがまとまる前に鋭い拳が飛んできて俺のお腹にめり込んでいた。
「うぐぐ……な、なんて腕の力だ……お前バスケやって見ない?」
「誰がやるかよ……あたしはあんまり運動が好きじゃねぇんだよ……」
「えぇ……こんなに暴りょ……力も体力もあるのに勿体なぁい……その力は兄を傷つけるためにあるわけじゃないんだぞっ!!」
「だったら殴らせるような真似すんなよ……全く、あたしの気持ちも知らねぇで……はぁぁ……」
「……えっと、どうかしたのか妙央? 今日は特に感情の上下が激しいぞ?」
普段なら一度俺を殴れば勢いでそのままコンボまで持っていくところなのに、今回はすぐに拳を下ろし肩まで落としてしまう。
まるで何かに疲れ切っているようで、普段は何だかんだで元気なだけにとても気になる。
「いや……なんつぅか……何で優里菜ちゃんはよりにもよって……はぁぁ……」
「お、おーい妙央ぅ……話がまるで見えないんだが……思わせぶりな態度を取っておいて独りよがりな真似するのは良くないと思いまぁす」
「それこそお前が言うなってぇの……はぁ……まあいいや……あのなぁ兄貴、昨日会った優里菜ちゃん覚えてるか?」
「お、おお……そりゃああれだけインパクトのある出会いをしたらそうそう忘れられないぞ……皮膚呼吸の優里菜ちゃんだろ?」
「だから皮膚呼吸できねぇっての……はぁぁぁ……」
朝っぱらからもう何度目になるか分からないため息をつく妹。
(本当に大丈夫なのかこいつ……流石にお兄ちゃんとしては心配だぞ……また泣きっぱなしだったあの頃みたいになられるのは勘弁だぞぉ……)
今の暴力的な妹もあれだけれど、当時の泣きっぱなしの妹の相手よりはずっとマシだ。
「な、なあ妙央……真面目に辛いなら病院行くか? 今ならオマケでお兄ちゃんが付いてくるぞ?」
「一番要らねぇオマケつけようとすんな……けど兄貴が『真面目に……』なんて言葉を使うなんて珍しいなおい……」
「い、いやたまぁには使ってるよ……うん……それに逞しく成長したお前が落ち込んでるような事態となると槍が振って来かねないし、そりゃあ真面目に対応だってするさ……死にたくないし……」
「はいはい、言ってろ…………ふふ、そっかぁ……私の……ならお兄ちゃんは……やっぱり昔と変わって無……えへへ……」
「お、おい妙央さん……っ?」
心配する俺の前で妹はついにこちらから顔が見えないぐらい俯いたかと思うと、やっぱりこちらからは聞き取れないような声でボソボソと呟き始めた。
(や、やっぱり何かあるよなぁこれ……ま、まさか今更ながらにおパンツ様の呪いがこっちにっ!? バックトゥザおパンツ様っ!?)
ちょっと怖くなってもう少し距離を取ろうと後ずさる俺。
しかしその前に妹はバっと顔を上げたかと思うと、すぐに背中を向けて玄関に向かって歩いて行ってしまう。
だけれど俺は見た……後ろを向く寸前に見えた妹の顔が赤くなっていたことを……。
「……妙央、お前ひょっとして熱でもあるんじゃ?」
「うぅん、そんなことないよぉ~……それより兄貴、言い忘れた件だけど……今日優里菜ちゃんが遊びに来たいんだって……連れてきていいよね?」
「ふぇ? あ、ああ……そりゃあ別に構わないけど……」
「ありがと……じゃあそう伝えておくね…………そ、それじゃあ行ってきますっ!!」
それだけ言い終えると妹は今度こそ出かけて行った。
(……なるほどなぁ……お友達を連れて来たいけど家に俺が居るのが嫌だった……けど流石に出て行けとは言い辛くてあんな珍妙な態度を取っていたのか……それなら納得がいくなぁ)
ようやく妹の不調の原因を名推理で突き止めた俺はこれでおパンツの呪いも槍に降られる心配もないと胸を撫でおろすのだった。
(ふぅぅ……驚かせやがってぇ……しかし妹が友達を連れて来てる間、外に出かけるのは良いとしても暇をつぶせる物がないと何とも……ピエール達でも連れだすかな)
「……ふははははっ!! 我こそは魔界を統べるものなりっ!! そして今こそ暗黒魔界を手中に収める時だっ!! 行くぞぉおおおっ!!」
「……おい」
「ひぃいいっ!? お、お許しください殺戮の鮭王様ぁあああっ!!」




