兄の威厳を取り戻そう⑬
「……ねぇ、本当に良いの?」
「ああ、それはお前のもんだからな」
通帳を片手に申し訳なさそうに俺を見つめて来る妹。
相変わらずしおらしい態度だが、多分俺の就職≒彼氏か何かを家に連れ込めるようになったことが嬉し過ぎて感情がバグっているのだろう。
(それ以外にここまで性格が変わる理由がないもんな、うん……そうかそうか、妙央もそういうお年頃になったんだなぁ……これは俺が伯父さんになる日も近いのかもなぁ……)
かつてオムツを代えてあげたこともあったような気がしなくもない妹がここまで成長したかと思うと、流石の俺も感無量というか思うところがある。
だからたまには真面目に振る舞おうと慈愛の目でじっと見つめてあげることにした
「……ふん、そんな格好つけちゃってさぁ……遠慮なんかしなくていいのに……」
「遠慮なんかしてないさ……何度も言うけどそのお金は親父たちが妙央の為に残したお金なんだからお前が全部好きに使って良いんだぞ?」
「…………」
俺の言葉に納得いかないとばかりに無言でこちらを見つめ返してくる妹。
だけど実際問題、妹が持っている通帳に入っているお金は俺の物ではない。
(生前にはっきり言われてるもんなぁ……『お前に金を残したら全部くだらない物につぎ込むだろぉっ!!』って……うん、自分でもそう思うわ……一週間で使い切る自信があるぜっ!!)
当時から適当に生きていた俺を見て両親は保険の受取人はもとより、財産の相続人までわざわざ遺言書を残してまで全て妹を指名してあったのだ。
尤も遺言書の方はふざけている俺に活をいれるために脅し半分で書いただけの物なのだが、これは当時幼かった妹には知る由もない話だった。
おかげで妹の口座には両親の遺産に加えて退職金や見舞金、それに保険金などが一気に振り込まれてギリギリ九桁に届かない程度の額が収められていた。
もちろん相続等の手続きをする際には俺が動いたのだし、何より俺は血縁者なのだからそれなりに主張すれば多少は自分の物にできただろう。
(だけどなぁ……考えようによってはこれが親父たちの最後のお願いみたいなもんだから聞いてやりたいし……何より駄目な兄貴だからこれぐらいしか妹にしてやれることはないもんなぁ……)
俺は刹那主義者である。
そして自分の気持ちに素直に生きると決めている。
幾ら家族に諫められようとも……それこそ両親が死んでからも、また一人で泣く妹を見てもこの生き方だけは変える気はなれなかった。
本当にどうしようもない人間だと思うけれど、俺には自分を押し殺して年端も行かぬ妹に尽くしたり、模範となるべく真面目に人生を生きる様な真似は出来ないのだ。
そんな俺だからきっとこれからもたくさん妹を悲しませたり怒らせたりすることになるだろう。
だからこそせめて両親の残した遺産……ある意味で両親の残した愛情ぐらいは妹に全て捧げなければならなかったのだ。
(……いやまあ単純に額が額だから手続きとか面倒だっただけなんだけどねぇ……ただでさえ未成年に相続させる手続きだとか妹の後見人だか扶養関係がうんぬんとか適当に書いて役所に叱られまくってたってのに、遺言書を無効にするためのわけわからん処理とかやってらんねぇっての……)
思い出すのは間違えて持って帰って来た婚姻届けを二重線で消しまくって再利用しようとして叱られたことや、どうせだからと予備の婚姻届けに当時は俺の物だったピエールの名前を書いて一緒に役所へ提出しに行き呆れられたこと……というか精神科を真面目に紹介されてあと一歩で入院させられるところだった。
まあそんなこんなで色々と面倒でやってられなかったから妹に全額譲渡したわけだ。
もちろんそんな背景を露とも知らぬ妹は、時折こうして俺に少しはお金を融通しようかと尋ねて来るのだ。
(だけどここんとこはずっと働けの一辺倒だったのに……こう言ってくるのは珍しいというか久しぶりだなぁ……うぅん、これも就職効果ってやつなのかぁ……労働ってすごいなぁ……いやまだ働いてないけどさ……)
「そういうわけだからこの話はもうお終いな……それより面白い話しようぜ、サメの生態とかさぁ~?」
「……もぉ、本当にお兄ちゃんはすぐそうやってぇ……本当に困ったら言ってよ?」
「だから終わりにしようぜって……大体、生活費というかこの家の管理費は払ってもらってるしそれで十分だっての……なぁサメの話が嫌ならイルカの話しようぜぇ~……それともデメニギスの話にするか?」
「……何その訳の分からない生き物……デメキンの仲間かなにか?」
「おおぅっ!? お前あの超有名な深海魚のデメニギスを知らないのかっ!? ほら頭が半透明の奴だよっ!! 凄いんだぜあいつはっ!! よし携帯貸してくれっ!! 画像を検索して見せてや……み、妙央?」
「……はぁああっ!! もぉおおっ!! どうしてお前はそんなふざけた話になった途端に生き生きするんだよぉっ!! せっかく就職決まったんだからこれを機にもっと真面目にしろよぉっ!! ああ、もぉおおっ!! お兄ちゃんの馬鹿ぁあああっ!!」




