これが俺と妹の日常風景
『……キュアデリシャスタンバイっ!!』
「くぅぅっ!! ついに三人目来たぁああっ!! しかも黄色キャラっ!! これは間違いなく人気が……っ」
「うっせぇえんだよクソ兄貴ぃいいっ!! こんな女児向けアニメに興奮してる暇があったら履歴書の一枚でも書けやぁあああっ!!」
日曜日に早起きして活動している兄である俺こと不動政信を、後からリビングに入ってきた妹の不動妙央は尊敬するどころか怒気を込めて睨みつけて来る。
しかもその拳は今にも殴り掛からんとばかりに握りしめられているではないか。
あの拳から繰り出される一撃は木材で出来た家具を容易く粉砕し、薄い鉄板程度ならば余裕でぶち抜けるほどの威力がある……わけではないが殴られるのは純粋に嫌なのでどうにかしなければいけない。
(全く顔は良いのにすぐ乱暴しようとするとは心にゆとりが足らんなぁ……まあAカップしかない胸じゃ感情を貯め込むスペースがあるわけないか……仕方ない、俺が譲歩してやるとしよう……ふふ、俺は何と理解のある兄なのか……)
自分の偉大さに思わず内心で自画自賛してしまうが、拳を鳴らしながら妹が近づいてきたらさあ大変。
この感情を抑制できない単細胞暴力少女を落ち着かせなければ俺の身体は兄の威厳と共に粉砕されかねない。
(しかし残念だったな我が妹よっ!! 幾多のエロゲーと少女漫画を踏破している吾輩にしてみれば貴様如き小娘を丸め込むぐらい容易いことなのだっ!! さあ吾輩のイケメンボイスに酔いしれるがいいっ!!)
まずは笑顔を浮かべて敵意はないことを証明しつつ、俺はゆっくりと妹に近づき至近距離から相手の顔をじっと見つめつつ口を開いた。
「駄目じゃないか、君みたいな可愛い子猫ちゃんがそんな怖い顔し……うごぉっ!?」
「ば、馬鹿にしてんのかテメェっ!? だ、誰が可愛……くそっ!! ざけんな馬鹿っ!!」
俺の知る限りこのセリフを口にされた女の子は顔を真っ赤にして俯くか照れ隠しに逃げ出すはずなのに、何故か思いっきりぶん殴られた。
顔は赤いから効果が無いわけではなさそうなのに、一体何が悪かったのだろうか?
(うぐぐ……も、もしかしてこいつ女じゃないのでは……もしくはイケメンに限る技だったのかこれは……だけど同じ技を使うエロゲーの主人公は大抵特徴のない平凡な男のはず……そう考えると導き出される答えは……こいつ男だったのかっ!?)
胸の薄さと合わせて妹が実は弟であるという真実に辿り着いた俺。
「はぁはぁ……な、なあ妙央……お前って実は下半身に玉とか竿が付いて……へぐぅっ!?」
「し、死ねぇええええっ!! 死ね死ね死ねマジで死ねぇえええっ!!」
「はぐぅっ!? おぅっ!? け、蹴りは反則……わ、分かった俺が悪かったから許してください妙央ちゃんっ!! 妙央様っ!! 妙央お嬢様ぁああっ!!」
しかし真実を指摘されたはずの妹は更に顔を赤く染め上げながらも、より激しく兄である俺に暴力をふるい続けた。
その勢いはすさまじく三十代前半である良い大人の俺が涙ぐみそうなほどだ。
だから必死で土下座して謝るが、そんな俺の背中を妹はゲジゲジと勢いよく何度も何度も踏みつけて来る。
「うっせぇ馬鹿兄貴っ!! そうやっていつもいつもお道化て有耶無耶にしようとしやがってっ!! んな手に何度も乗るかっ!!」
「ほ、本当に悪かったってっ!! マジで今回は反省してるからっ!! 頼むから勘弁してくれ妙央っ!! お兄ちゃんからの一生のお願いだからっ!!!」
「てめぇの一生は何度あるんだっ!? 昨日もあたしのアイス食った時に言ってたよなぁっ!? 忘れたとは言わせねぇぞっ!!」
「そ、そうだったっけっ!? た、確かに昨日はお風呂上りにアイスを食べた記憶はあるが……いやぁ不味かったなぁアレ、あんなの買う奴は味覚がおかしいただの馬鹿……げぐぅっ!?」
まるでプロサッカー選手のごとき鋭いキックが俺の横っ腹に炸裂した。
物凄く痛い上に身体を浮遊感が包み込んだかと思うと、近くのソファーまで吹き飛ばされてしまう。
(な、なんて威力だ……やっぱりこいつ絶対男だよ、間違いないって……けど今それ言ったら殺されそうだからこれ以上追求するのは止めておこう……)
「ぐぅぅ……な、ナイスゴール……お前プロサッカー選手目指したほうがいいぜ……」
「それが遺言か……あぁっ!?」
痛みをこらえておちゃらけて見せるが、妹は三白眼気味な目を大きく見開いて額に血管を浮かび上がらせた修羅のごとき形相を向けてくる。
身長150cmにも満たない黒髪ボブカットをした一女子高生だというのに表情だけでこれ程までに恐ろしい迫力を醸し出せるとは我が妹ながら感服してしまう。
正直なところ、痛みと合わせて上半身と下半身の両方からしょっぱい液体を漏らしそうなほど怖い。
「え、ええと……もしかして怒ってます?」
「ほぉ……あたしをこんな顔で笑う女だと思ってんのかおめぇは?」
静かに呟きながらも両手の骨をポキポキ鳴らしながら近づいてくる妙央。
これ以上殴られたら今度こそ我慢しきれず涙とおしっこを漏らしてしまいそうだ。
(成人男児として涙は別にいいけど妹の前でオシッコ漏らすのは勿体ないよなぁ……どうせなら血のつながりの無い女性の前で漏らして軽蔑の眼差しで見下してもらうか心配してもらったほうがお得……って今はそんなこと考えてる場合じゃないっ!!)
変なことを考えそうになった俺だがそこで今やるべきことを思い出す。
(そうだ、俺はこんな風にふざけてる場合じゃないっ!! 今は一刻も早く妹の怒りを収めないと……間に合わなくなるっ!!)
顔を軽く叩き真剣な表情を作ると、俺は迫り来る妹の顔を正面から見つめ返した。
「……勘違いするな妙央、逆だよ」
「あぁんっ? 逆が何だってんだ? 急に真面目ぶりやがってよぉ……どうせまたふざける前振りなんだろ……いいぜ、もう二度と喋れねぇように今日という今日こそ……」
「俺にとってお前はあんまりにも可愛すぎる愛おしい妹なんだ……だから例えどんな時でも……こうして怒鳴られたり暴力を振られても……そういう顔を見ても可愛いとしか思えないんだ」
「なっ!? な、なに言……っ!? だ、だから可愛……とか止めろってのっ!! ば、馬鹿にしてんだろっ!?」
妹の怒りを抑えるべく適当な褒め言葉を並べ立ててみると更に顔を赤くしながら怒鳴ってくるが、何故か後ずさりを始めた。
よくわからないがこの隙を逃すわけにはいかない……俺はこの場を制するためにも一気に捲し立てに掛かる。
「いや、本気も本気さ……だからどんな形でもいいから構ってほしくてついイジワルしてしまうんだが、確かに迷惑をかけすぎていたかもしれないな……ごめんな妙央」
「……マジで反省してんのか?」
少しだけ声が落ち着いてきた妹だが、それでも訝し気に俺を疑うような声を掛けて来る。
しかしこの調子なら押し切れそうだ……さっさと片付けるべく妹の顔をまっすぐ見つめながら再度口を開いた。
「ああ、もちろんだよ……俺がお前に嘘をつくと思うか?」
「…………はぁ……まあお兄ちゃ……お前は適当なことは抜かすし出鱈目なこと言ってごまかしたり有耶無耶にしようとはするけど、確かに嘘は……たく、じゃあ今この場で一社分でもいいから履歴書を書き上げればそれで許し……」
『……マイル・フルパワーで~♪』
「あぁああああっ!! お、終わっちまったぁあああっ!!」
「っ!?」
そう思ったのもつかの間、TVからエンディングソングが流れだしてきて……俺は説得が間に合わなかったことを悟らざるを得なかった。
「うぅぅぅ……新キャラの戦闘シーン見逃しちまったぁああ……妙央の馬鹿ぁ……罰としてお前が契約してる動画配信サイトのアカウントとパスワードを俺に教え……はっ!?」
「…………」
画面の向こうで踊っているヒロイン達を見つめながら悔やむ俺の前で不意にテレビが切られた。
そして真っ暗になったモニターは鏡代わりにこちらの世界を映し出し……俺の背中に迫る妹が浮かべている殺意の篭った笑みが目に飛び込んでくる。
余りの恐ろしさに振り返ることすらできず固まる俺は、せめてもの抵抗として両手を合わせて目を閉じると念仏を唱え始めるのだった。
「な……南無阿弥陀仏……」
「……馬鹿は……馬鹿はテメェだぁあああああっ!!」
「ぎゃぁああああっ!! お、お助けぇえええええっ!!」