諜報局
君の周りに官僚・政府関係者、若しくは軍関係者でもいいだろう、誰か国家の大事に関わる職に就く人間がいたとしたら、こう聞いてみるといい。
「あなたが最も恐れる存在を教えてほしい」と。
すると彼らは口を揃えて、次のように答えるに違いない。
「諜報局、それも尋問室長のホールデンだ。奴には絶対に近付くな」
こんな噂は、俺が陸軍幼年学校に通っていた頃から盛んに語られていた。
「ホールデンには近付くな」
いつだったか、校長がそんなふうに口を滑らせたことも覚えている。彼は元陸軍省の高級官僚であったらしいのだが、派閥抗争に敗れて下ってきたと囁かれていた。すると誰かがこんな話を持ち込んできたのだ。あれは派閥抗争なんてもんじゃない、校長はホールデンに嵌められたんだ。
だからこそ、今目の前に座る尋問官の姿に、俺はとてつもない恐怖を覚えているのである。
「ニック・ロビンソン。聞きたいことは山ほどある。そうだなあ……。まずは、どうしてあの男が暗殺者だと確信したのか。そのあたりの事情を聞かせてほしい」
尋問室長ホールデン直々のお出ましに、俺は動揺しきっていた。契約のことを話すべきか。話せば確実に信用してもらえるだろう。実証のやり方はいくらでもある。
しかしどうだ。世界の理だとか、あの精霊は随分と大きな話をしていたではないか。それでなくとも、本来この能力は注意すべきものではなかろうか。現に俺は、アナスタシア王太子妃を救うことに成功……しているはずなのだから。
人の生死の運命をいとも簡単に変えることができる。まさに神の力とでもいうべきか。迂闊に詳細を明かしていいはずがないだろう。
「……式典開始前のことです。ジェイソンですか、私は彼の様子を観察していました。彼には不審な挙動が多かったんです」
「短刀は? 現状お前が主張する短刀はどこにも見つからない。一体何を根拠に、奴が短刀を隠し持っていると判断した?」
「……見たような気がするんです。彼が短刀を用意している姿を」
「ニック・ロビンソン16歳、ノール村の出身か。13歳で陸軍幼年学校へ入学、と。わざわざ幼年学校まで入っておいて、王室衛兵に志願するものかね。有能な契約者ならまだ分かるが……。君は未契約者だろう?」
全て知られている。こんな短期間で俺の情報を集められるだろうか。いや、それはあり得ないだろう。恐らく諜報局は、新任衛兵全員の情報を既に管理しているのだ。
「武器の扱いに自身がありましたので……」
「そのようだな。実技試験も難なくパスしている。幼年学校時代の作文も評価されているみたいだな。王室への忠義を綴った、大層な文章だったと」
「それは……」
すっかり記憶から抜けていた。あれは二年次の頃だったか、俺の書いた作文が、ユトダイン・タイムスのコンクールにて最優秀賞に選ばれたことがあった。もとは学校で出された課題だったのが教官の目にとまり、新聞社のコンクールに出されることになったのである。王国の歴史をテーマに定めた、学生用のコンクールであった。正直当時の俺にそれほどの忠誠心があったわけではない。父が熱心な愛国者であったから、その受け売りのような内容であった。
「君の本心ではないと?」
ホールデンの鋭い眼光に射貫かれ、俺は竦みあがってしまった。動揺して上手い言い訳が思いつかない。
「もちろん衛兵である以上、王室への忠誠心は抱いております。ただ作文に関しては、そこまで深い考えがあったわけではなく……。ただ父が熱心な愛国者だったもので、自然と言葉が出てきたのだと思います」
正直に話す他なかった。きっと彼に嘘は通用しないだろう。俺は当たり障りのない言葉選びを徹底することにした。
「お前は、面白い人間だな」
ニヤリと笑みを浮かべるホールデン。彼の瞳からは一切の感情が感じられない。それでいて表情は豊かなものだから、余計に恐怖を煽られる。
ホールデンの後方に視線を移すと、取調室の扉が開け放たれていることに気付く。先ほどから局員らしき人間の怒声が聞こえているのだが、容疑者のジェイソンも尋問を受けているのだろうか。
「ぎゃああああああっ!!」
突然聞こえてきた叫び声に、俺は思わず飛び上がった。声の主はそう遠くない場所にいるようだ。
「あの……、今のは?」
「拷問だよ。ジェイソン君の悲鳴だろう。彼の証言次第じゃあ、次は君の番かもしれないね」
悪寒が体中を駆け抜けた。背筋が凍るとは、まさにこのことを言うのだろう。
ホールデンが恐れられるもう一つの理由がこれである。『拷問王』とは彼の二つ名だ。刑法で禁止されているにも関わらず、ホールデンの統括する尋問室は公然と拷問を行っているのだ。
「お前の言うことに嘘はないだろう。個人的には信用したいと思っている。ただし、証拠がないんだ。もう一度聞こう。お前は、なぜ彼が暗殺者だと気づいたんだ?」
全てを話すぐらいなら、いっそのこと過去に戻った方が賢明だろう。しかし、先ほどから能力が発動しないのである。一体なぜ……。
「その手錠、契約を封じることができるんだよ」
「……え?」
「お前にそこまでの措置を取る必要はなかった。何しろ未契約者だからな。だが私は、君が契約者なのではと疑っている」
だから能力が発動しなかったんだ。この手錠が俺の能力を封じている。手錠を外さなければ、俺は過去に戻れないのだ。
それに、ホールデンはどうやら俺の能力に気付いているようである。確かに俺の証言を聞けば、能力の存在を疑ってもおかしくない。しかし相手はホールデンだ。こいつはどこまで俺のことを見抜いてるのか。まさか上書きのことまで知っているのか……。
「信じてください。俺は何も企んでない」
ホールデンの反応は意外なものだった。彼は大きくうなずいて、次のように語った。
「ああ、そうだろうな。だから証拠が必要なんだよ」
その表情は、何とも形容しがたいものであった。彼の表情から俺への信頼は感じられない。しかし、確信に満ちた表情であった。
「室長、報告です! たった今、尋問中のジェイソンが死亡しました!」
「チッ、てめえら、やりすぎたな?」
「いえ、それが……。尋問とは無関係と思われます。突然吐血して、それも大量に……」
ホールデンの顔色が変わった。そこには確かに焦りが見受けられる。そして彼は、独り言のようにこう呟いた。
「一人じゃねえな……」