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契約

俺は恐怖を感じていた。まぎれもない、本物の恐怖である。目の前で起こった出来事に、正常な判断を下せない。辺りは奇妙な静寂に包まれていた。物音ひとつ聞こえないのだ。俺は慌てて周囲を見渡した。

(誰も、動いていない……)

舞台上の王族も、背後の衛兵も、参列者も、まるで時間が停止したかのように動きを止めているのである。ただ目の前の彼女だけが、微笑みながらこちらを見つめていた。


「精霊だって? 人の姿をした精霊なんて聞いたことない」


「それはね、あたしが特別だからよ」


「特別?」


「そ、特別。んでそんなあたしに選ばれたキミも特別ってわけ」


先ほどから耳元で囁かれ続けているのだが、彼女の甘い声が吐息と共に発せられる度、俺は妙な悪寒に襲われる。


「ところで……、手を離してくれないかな。骨が折れそうなんだよ」


「おっと! ごめんね、力の加減が分からなくて。人間って脆いもんねー」


彼女は手を緩めたが、俺が振りほどけない程度の力は込められたままであった。


「あの、離してくれないのか?」


「えー。離したら契約できないよ?」


「契約? 君本当に精霊なのか?」


「だからそう言ってるでしょ」


にわかには信じがたい。通常の場合、精霊との邂逅は幼少期に訪れるはずである。少なくとも十歳を越えた段階での契約発動は報告されていないはずだ。国が隠している可能性も捨てきれないが、学校ではそう教わった。それに、人間の姿をした精霊というのも、これまで耳にしたことすらない。


「……分かった。取り敢えずもう少し力を弱めてくれないか?」


「ええー、キミ軍人でしょ? よわっちいなー」


彼女の力が更に抜ける。よし、これなら抜け出せる。

俺は勢いよく右腕を引き抜こうとした。


「バレバレよー。折っといたほうがいいかな?」


骨が砕けそうなほどの圧力が俺の右腕を襲った。彼女は涼しい顔でこちらを見ている。いったいどこにそんな力があるんだ。


「まって!もう逃げません!やめっ……」


「ハイハイ。まあ、キミに触れてさえいれば会話はできるからね。これでいいかな?」


含みのある表情でこちらを見つめてくるものだから、俺は思わず身構えた。すると彼女は躊躇なく俺に抱き着いてきたのである。


「これなら逃げたくないでしょ?」


「いや、ちょ……」


「へえ、キミも悪くないね。どうせ退屈だし、遊んでからでもいいわよ?」


「は、はは……いや、ね」


胸の感触が、俺に判断力と思考力を失わせてゆく。これまで家族以外の異性に触れたことなど一度もないのだ。女を知らぬ俺にとって、この状況はあまりに刺激が強すぎる。


いや、俺は何をしているんだ。相手が何者かも分かっていないだろう。そう自分に言い聞かせ何とか理性を保とうとしたものの、頭の中は混乱状態のままであった。俺はすっかり彼女に懐柔されてしまったようである。


「なんてね。人間と話すの久しぶりだから、ちょっとからかいたくなっちゃって。本題に入りましょ」


彼女は身体を離し、再び俺の手を握った。少し残念な気もしたが、同時に緊張が解けたような気もする。


「キミ、契約のことは勿論知ってるよね?」


「あ、ああ。いまだに君が精霊だとは信じ切れていないが」


「信じときなさい。あたしがキミに与えられる能力は時間移動よ。上書きとも呼んでるわ。簡単に言えば、過去に戻れる能力ね」


過去に戻れるだと。時間に干渉できる能力の存在はごく僅かながら確認されている。しかし、過去に戻れるなどという大それた能力は、これまた初めて聞く話である。


「え、それ。やばくないか」


「と言っても、キミがいま想像してるような万能な能力じゃない。色んな条件がついてるの。でなきゃ世界の理に反してしまうからね」


「世界の、理?」


「まま、こっちの話。とにかくこの能力には色んな制約があってね。忘れないように聞いて」


俺は完全に相手のペースに飲まれてしまっていた。だがしかし、彼女が精霊だというのはおそらく本当なのだろう。そもそもこの式典で、何者かが俺を対象に能力を行使する理由が見当たらない。


「まずは制約いち。過去に戻ったら記憶もリセットされる。キミが経験したであろう未来での記憶は、過去に戻ると全て残らない」


「それじゃ自分が過去へ戻ったことにも気づかないじゃないか」


「記憶の代わりに引き継げるものがあるの。能力を使った瞬間、つまり過去に戻る直前に見た光景だけは引き継がれる。キミが生活していて、突然頭の中に何らかの光景が見えたら」


「未来の俺が能力を使ったことになる、というわけか」


「そそ、んじゃ次に制約にい。基本的にこの能力は、自分の戻りたい日時にいつでも戻ることができる。ただし、契約前には戻れない」


「今ここで契約したら、これより前には戻れないと」


「そうよ。もし戻れちゃったら、契約自体を無かったことにもできちゃうから。それはダメなの。一度契約したら、キミの意思で破棄することはできない」


「な、なるほど……。結構使いにくい能力なんだな」


「そう思うでしょ? でもね、今話した二つの制約を解除して、過去に戻る方法が一つだけあるのよ」


彼女はまたも不気味な笑みを浮かべ、見透かすような目つきでこちらを見据えてきた。


「一切の能力が使えなくなることを条件に、一度だけ、制約を解除して能力を行使できる。つまり一度だけ、記憶を引き継いで、いつでも好きな時間に戻ることができるの。もちろん契約前にも戻れるのよ。ただ、その後は全く能力が使えなくなるけどね」


「そりゃすごいな……。制約を解除して能力を使ったら、契約そのものが無くなるってことか」


「違うよ。精霊との契約は、交わした人間が死ぬか、一定の条件を満たしたとこちらが判断するまで続く。制約を解除すれば、キミは能力を失う。でも契約は破棄されない」


「……どういうことだ?」


「契約には対価があるでしょ。能力を失ってもね、対価は支払い続けなきゃならないの。契約が続く限りね。しかも能力を失ってからの方が対価は重くなる」


対価とは、契約者に課される代償のようなものである。こちらも全容は明らかになっていないが、どうやら契約者は能力と引き換えに、何かを支払わされているらしいと、まことしやかに噂されている。


「やはり対価は存在するんだな。一体対価とは何なんだ。俺たちは何を支払わされるんだ」


「それは教えられない。ほんとは教えたいところだけど、教えちゃいけないって決まりなんだ」


「早死にするとか、特定の食物を口にできなくなったりとか、耳が遠くなった契約者もいる。契約する精霊によって対価も異なるみたいだが」


「ま、そのへんもノーコメントかな」


ここまで話してみて、精霊の受け答えは案外事務的というか、何らかのルールに則って話しているように見受けられる。話せることと話せないことの明確な線引きが存在するようだ。先ほど世界の理とか言っていたが、精霊を縛る何らかの力が働いているのだろうか。


「そもそも契約って言うけどさあ、君たちが勝手にそう解釈してるだけだからね。あたしも分かりやすいように、君たちの表現で説明してあげてるけどさ」


確かに、その点については違和感を感じていた。こちらの支払い内容が不鮮明な契約など、現実世界では契約として成り立たない。これでは、後からどんな風にでも要求を後付けできてしまうじゃないか。


「そうだよな。契約としてはあまりに一方的だよ。内容も明示してくれないし」


「怒んないでよー。とりあえず話せることは全部話したわ。もし契約してくれるなら、他にも話せるんだけどね」


やはり引っかかるのは、彼女が本当に精霊なのかという点。そして対価の内容だ。しかしこの機会を逃せば、二度目はないだろう。


「断ったら、次はないのか?」


「うん、一度断られたらそこまで。同じ人に二回も営業かけちゃダメって決まりなの。しつこいもんねー」


終始ふざけた調子の彼女だが、ウソはついていないと信じたい。それに多少使い勝手は悪いが、この能力があればまず死ぬことは無いだろう。記憶を引き継げないのが難点だが、ある程度の情報は伝えられるわけだし。上手く使えばとんでもない力になるんじゃないか。


「よし、決めた。契約する」


「やったー! じゃ、契約完了ということで!」


無邪気な笑顔を見せる彼女に、不覚にも動揺させられた。相変わらず何を考えているのか分からないが、彼女の笑顔は破壊的である。それもそのはずだ。彼女の容姿は、ユトダイン一の美女と謳われる王太子妃と同様なのだから。


「あたしの名前はアナスタシア。このお姫様と姿も一緒、名前も一緒。不思議でしょ?」


本当に不思議である。いやそもそも、先ほどから全ての話が前例のない、奇妙なものばかりなのだ。なぜ彼女は人間の姿なのか。なぜ人間の言葉を話せるのか。過去戻りという強大な能力、そして制約。対価の存在は他の契約者も同様なのだろうが、その存在を精霊の口から直接聞けたのも、驚くべき事実である。


「ま、詳しいことは能力使ってみてから聞きなよ。ちなみに、このお姫様に触れば、またあたしと話せるから」


「いや、そりゃ難しいだろ。王太子妃様に触れる機会なんて」


「さあ、どうだろうね。時間戻せるんだしさ、何とでもなるでしょ」


「他人事だなあ」


俺の言葉を聞いているのだろうか。彼女は大きくあくびをし、眠そうなそぶりを見せている。


「そろそろ飽きてきたー。んじゃね~」


「お、おい……」

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