ミクトの目的
どうもココアです。
本日更新でございます。
――木造二階建てのアパート。築40年経っている建物は誰が見てもボロボロだ。素直に入居したいと思えないこのアパートをラーミナは拠点としていた。
ハーデスから命を受け、ミクトを探すためにやってきたラーミナは入居者が一人もいないこのボロアパートを選んだ。それは彼女がこの世界の人間と関わらないようにするためである。自分が冥界の住人であるということを知られるリスクを減らすためでもあり、ラーミナもそれを理解していた。
「はあ……」
しかしラーミナは、六畳の畳の上で寝ころびながら大きくため息を吐き出した。この世界にやってきて早くもひと月が経過した。時々冥界に帰っているとはいえ、このボロアパートで暮らすのが限界なようだ。
本当ならもう既に任務を終えていて、冥界に帰っている予定だった。しかし、存外ミクトを見つけるのに手間がかかったのと、ミクトの意志が想像以上に固いものだったことがそれを遅らせていた。
「とにかく作戦を考えないと」
任務を完遂しないといつまでもボロアパート暮らしになってしまう。それだけは何としても避けたいラーミナは、体を起こして折り畳み式のテーブルを広げる。その上に紙を乗せ、ボールペンを右手に握るがペン先で叩くだけで文字を書いたりはできなかった。
「……」
頭を抱えながら苦悶の表情を浮かべる。何も浮かんでいないというのが見て取れた。ハーデスの前では大きな啖呵を切っていたが、実際のところはミクトを連れ出す作戦など全く浮かんでいないのである。
「っていうか、何で私がミクト様を連れて帰らないといけないのよ……。死神のことなら他の死神がやればいいのに」
ぶつぶつと文句を言いながら思考を回らせるが、全くと言っていいほど案が浮かんでこない。それはラーミナが無能だからというわけではなく、ミクトが死神であるが故だった。
肉体を失った魂が行きつく世界――それが冥界。その魂は全てが穏やかなものではなく、冥界に来てからラナウェイとなる魂もいる。それらを討伐するのは冥界に存在している兵士たち。ラーミナはその兵士の立場であった。
兵士と死神では明らかな差が存在し、それが覆ることは絶対になかった。
つまり、力づくでミクトを連れ帰るという選択肢が存在しないのである。それが分かっていたからこそ、ラーミナは作戦を立てることに難航していた。
「それにあの鷺沢拓巳……って言ったかしら?あれもどうにかしないといけないし」
ため息をつく回数がどんどん増えていくラーミナ。しかし、それだけ悩んでもミクトを連れ帰ることを諦めるような素振りは一切見せない。冥界の存続は死神にかかっている。それはラーミナも分かっていて、だからこそ今回の作戦は失敗することが出来ないことを理解していた。
「……ん?」
――その時、ある気配を感じたラーミナが目つきを変える。一瞬で戦士の顔となり、どこに隠していたのか分からないが鞘を両手に握って目を瞑り、感覚を研ぎ澄ませる。「近くにラナウェイがいるわね。まだ誕生したばかりで被害は出ていない」
そう静かに呟きながらゆっくりと瞼を開ける。そして、両手で持っていた刀を腰に下げてアパートのドアを開ける。
もう外は月が照らす時間となっていて、人通りも少なくなっている。ラーミナは周りに人がいないことを確認してから驚異的な跳躍で屋根へと跳び乗り、忍者のように屋根から屋根を移動する。余計な回り道をしなくていい分早く辿りつくことができるだろうが、その分誰かに見られるというリスクも背負っている。
それでもこの方法をとったのは、ラナウェイが誰かを襲う前に倒したいからだろう。ラーミナはさっきまでとは打って変わって、必死な形相をしながら全力で屋根の上を移動していた。そして、ある墓場でラナウェイが徘徊しているのを見つけると同時に腰に下げていた刀に手を伸ばす。
「居合――」
そう一言呟き、空を飛ぶような跳躍をしてラナウェイの元へ近づく。
――そして光のような速さで抜刀し、ラナウェイの首を一刀両断する。
「――」
首を切られたラナウェイは、ゴロゴロと地面を転がりながら何をされたのか分かっていない表情をし、やがて紫色の粒子となって消えていった。
「もういないみたいね」
他のラナウェイの気配を感じないことを確認してから刀を鞘に納め、落ちている魂の結晶を拾う。
その瞬間、ラーミナの右肩に誰かの手が触れた。
「誰?」
驚いて後ろを振り返ったりはせず、いつでも抜刀できるように構えながら問いかける。いつもより攻撃的な声色な理由は、触れてきた相手への威嚇と共に気配を全く感じられなかった恐怖心からだった。
「誰とは失礼ですね。昨日会ったばかりではないですか」
「!!」
聞き覚えのある無機質な声が耳に届き、慌てた様子でラーミナは後ろを振り向いて声の人物を確かめる。
するとそこには、紫色の巨大な鎌を持っているミクトの姿があった。
「み、ミクト様がどうしてここに?」
急な展開に動揺が隠せていないラーミナが言葉を詰まらせながらミクトに尋ねる。
しかし、ラーミナが驚いている理由はミクトがここにいるからというわけではなかった。むしろ、ここにいる理由というのは容易に想像できる。しかし、ラーミナが驚いたのは自分に話しかけてきたことだった。
拓巳に自分の目的を話したということもあり、もしかしたら余計なことをされる前に消されるのでは……という思考が頭の中を過る。
すると、ミクトの口がゆっくりと開き
「私がここに来たのはあなたと同じですよラーミナさん」
そう端的に答え、直ぐにまた口を閉じる。あくまでも質問されたことにしか答えないでいるつもりらしい。
「私の名前を……?」
そんな中、ラーミナはミクトに自分の名前を呼ばれたことに疑問を覚えた。ラーミナにはミクトに名乗った覚えが無いので当然だ。兵士の中でも目立っていたというわけでもないラーミナには、なぜ名前を知られているのかが分からなかった。
「ああ。名前は鷺沢さんに聞きました」
「――!!?」
ミクトの何気ない一言に、背中が凍りつくような緊張が走る。
拓巳が自分の名前を言ったということは、この世界に来た目的も全て話されたと思ったからだ。
「……」
もうラーミナは何も話さないと決め、ぼろを出さないよう早くここから立ち去ろうとミクトに頭を下げてからこの場を後にしようとした。
「待ってください」
しかし、それはミクトに止められてしまう。
「どうしてですか?」
「あなたがさっき倒したラナウェイの魂の結晶、それを私に譲ってください」
「えっ?」
当然の申し出に、ラーミナは呆けたような声を漏らす。それと同時に、さっき入手した魂の結晶をポケットから取り出す。
「私にはそれが必要です」
ラーミナが取り出した魂の結晶を見て、ミクトは再び要求する。
しかし、ラーミナはそれを手でギュッと強く握りしめて睨むような視線でミクトを見つめた。
「だ、だめに決まってるじゃないですか!魂の結晶は冥界で汚染されたところを浄化させないといけないんですよ!」
ラナウェイは人間の負の感情によって魂が汚染され、それが積み重なることで誕生する化物。それを倒すことで入手できる魂の結晶は、汚染された魂そのもので、消えることができなかった残りかすのようなものだ。
それらは冥界で浄化され、小さな魂として生まれ変わることができる。生まれ変わった魂はまた肉体を見つける。そして魂は循環していく……冥界は魂の循環をスムーズにする場所でもあった。
逆に、魂の結晶を浄化させなければ魂が循環されなくなってしまう。それは冥界にとってはあってはならないことで、ラーミナが強く断ったのもそれが理由だった。
「あなたは死神なんですよ……ミクト様。その立場を分かっているんですか?」
「……」
諭すようなことを言うラーミナだが、ミクトは眉一つ動かそうとせず無表情を保ったままだった。そしてそのままゆっくりと口を開き、
「私は望んで死神になったわけではありません。誰かが変わってくれるというなら、喜んで変わります」
淡々とミクトは言葉を並べるが、どこか寂しそうな雰囲気を感じさせる声色だった。表情は変わらず無表情のままだが、それでも声はミクトの胸の内を語っているようだった。
「そう言えばラーミナさんの問いに答えていなかったですね」
思い出したように、当然そう切り出したミクトはポケットから巾着袋を取り出す。そして縛っている紐をほどき、ラーミナに中身が見えるようにして傾ける。
その中には、10や20ではきかないほどの魂の結晶が詰まっている。
「こんな量をどうやって」
そう声を漏らすが、ミクトはそれに対して何か答えようとは考えていなかった。なぜならこれを見せたのは自分の話したいことをスムーズに分からせるため。
ミクトは再び口を開き、いつもより力強い口調で話す。
「魂の結晶を沢山集めると人間になることができるという話、聞いたことがありますか?」
あえてそこで言葉を切り、紫色の瞳をラーミナに向ける。
その話の切り出し方から、次に言いたいことは誰でも予想できてそれはラーミナも例外ではなかった。
全てを悟ったラーミナは身体を震わせ、何かに期待をようにミクトに手を伸ばす。
そんなことには目もくれず、ミクトは再び息を吸い込んで
「私は人間になるためにこの世界にやってきました」
――そう、力強い口調で言った。
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