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現世に戻った甲示は手元を確認します。
「本当に無くなってる……」
先程まで確実に握っていたはずのなーくんを繋いでいた紐は跡形もなく消え去っていました。
同じく、現世に戻ったなーくんは全身を隈無く確認し、解放された喜びなのか一目散に甲示の前から走り去り、自由を謳歌するのでした。
「なーくん、遅くなる前に帰ってこないとダメだよー!!」
甲示はなーくんの後ろ姿に向かい声を掛けます。
そんな甲示の声を無視し、なーくんは山道を駆け抜け、姿を消します。
「ヘルメス様に言われるがまま戻ってきちゃったけど、どうすれば良いのかな?調べれば分かるって言ってたけど、何をどう調べれば良いんだろう……?」
現世に戻ってきたが、今後の行動については一切考えていなかった甲示。
なーくんの後ろ姿を見送った後、暫く祠の前で今後について思案します。
「やっぱり図書室か図書館で調べるのが無難なのかな?うーん……。土曜日って学校は入れるのかな?」
ブツブツと呟きながら考えをまとめようとする甲示。
時間との兼ね合いで取れる行動が制限される可能性があると思い、空を見上げます。
「そう言えば、有珠様に聞き忘れてたけど、やっぱり隠世にいる間って時間が進まないのかな?」
現在の太陽の位置は正中からは遠い位置にあります。
太陽の位置から推測すると、まだ正午にもなっていないようです。
日付が変わっていないと仮定すると、隠世と現世では時間の流れに違いがあるようです。
祠の前で思案した結果、甲示は自宅に一度帰宅をし、準備を整えてから学校へと向かう事にしたようです。
次に取るべき行動が決定した甲示は準備をするため、帰路に就きます。
自室からカバンと自転車の鍵を持ち出します。
今日は通学で使用している自転車を選択しました。
前カゴにカバンを詰め込み、学校へ向け自転車を走らせます。
~学校~
学校に到着した甲示。
校門を潜り、構内に立ち入ります。
グランウドからは体育会系の部活の練習をしている生徒たちの元気が声が聞こえてきます。
駐輪場に自転車を止めた甲示は、グラウンドから聞こえる声には脇目も振らず校舎へと歩を進めます。
校舎内に入った甲示は図書室へ向かいます。
図書室の前に到着した甲示は図書室のドアに手を掛けます。
……しかし、
「あれ?開かない……」
部活で登校している学生は居るものの学校自体は休み。
図書室の鍵も当然閉められています。
休日、学校に来ない甲示はこの事を知らなかったのでしょう……。
職員室に図書室の鍵があると考えた甲示は職員室へ向かいます。
職員室前に到着した甲示は廊下から室内の様子を窺います。
「話した事の無い先生ばっかりだな……」
休日で教師の数が元々少なかった事に加え、部活の指導で席を外している教師も多いのでしょう。
甲示が話易いと感じている教師は不在のようです。
「仕方ない……」
甲示は意を決し、職員室に入ります。
職員室の中で一番温和そうな白髪の混じった40代後半~50代前半の見た目の男性教師に話しかけます。
「あのー……すみません」
「はい。どうかされましたか?」
男性教師は見た目通りの物腰の柔らかさで対応します。
甲示は自分の見立てが間違えていなかった事に安堵し、ホッと胸を撫で下ろします。
「少し調べ物がしたいので図書室を使用したいのですが、鍵がかかっていて入れなかったので鍵を開けていただきたいのですが、お願いできますか?」
男性教師は少し考え、鍵置き場に移動をし、引っ掛けられている鍵の中から図書室の鍵を外し甲示に手渡します。
「本当は生徒に鍵を渡すのは好ましくないのですが、休みの日にまで学校に来て調べ物をするような生徒なので大丈夫でしょう。言わなくても理解しているとは思いますが、室内を荒らしたりするような行為は控えてください。……それと、図書室を使い終わった後の戸締りはしっかりとしてから鍵の返却をしてください」
「はい。わかりました。ありがとうございます」
鍵を受け取った甲示は男性教師にお礼を言い、職員室を後にします。
職員室を出たその足で早速図書室へ向かい鍵を開け入室。
「まずは本を探さないとな……。何の本を探せば良いんだろう?」
初手から躓く甲示……。先が思いやられます。
あまり大きくはない図書室とはいえ、通常の教室約3つ分の広さはあります。
端から1冊ずつ全ての本を見て回るのは骨が折れる作業になるのは間違いありません。
図書室の鍵を返却する事を考慮すると時間が限られているのも事実。虱潰しに探すのはあまり得策ではないでしょう。
「あっ!そうだ!!」
甲示は何かを閃き、カウンターに近づきます。
カウンターに置かれていた日本十進分類法に書かれた紙を手に取ります。
「何で調べれば良いんだろう……?神様の事だから~……神話かな?」
疑問を口にしながら手元の紙を眺める甲示。
しかし、簡易的に書かれた紙に『神話』の文字はありません。
「んー……。一番近そうなのは1類の哲学で宗教なのかな?歴史は多分日本史か世界史の事だから違うと思うんだよなー……」
甲示はカウンターに紙を戻し、100番台のシールが貼られている本を探します。
目的の100番台の本の場所は見つけたものの、そこにあるのは哲学書ばかり……。
「アリストテレス……?カント……?ソクラテス……?プラトン……?」
見覚えのない文字列に困惑しつつ、適当に1冊の本を手に取り軽く内容を確認します。
「全員哲学者の名前なのかな……。ここじゃないな」
甲示は他の本も表紙と内容を2~3ページずつ確認し、自身の求めている情報ではないと見切りをつけ、本を閉じると本棚に本を戻し別の本を探します。
「キリスト教にイスラム教、仏教……。宗教関連か……。キリスト様って確か人間だよね?仏教は仏様で神様なのかな……?でも、宗教って高い壺とか高価な絵とか売りつける怪しい集団ってイメージで少し違う気がするな……」
甲示は表紙に書かれている題名だけを見て判断します。
甲示の宗教に対する偏見。
甲示は神話と宗教の関連性を理解していませんでした。
そして、『仏教の歴史』と書かれた本の横にガーくんの手掛かりになり得る可能性のある『ヒンドゥー教』関連の本があったことを知る由もなく、甲示は次の本棚に向かってしまうのでした……。
図書室の本を一通り確認し終えた甲示は退室します。
ドアの鍵を閉め、軽くドアを揺らし、しっかりと鍵がかかっていることを確認し、職員室に戻ります。
「やっぱり図書館みたいな大きな場所じゃないと無いのかな?」
図書室から職員室までの道程、甲示は独り言をブツブツと呟きながら移動します。
「あれ?甲示君?今日、学校休みなのに珍しいね」
考え事をしながらブツブツと独り言ちている甲示に声をかける聞き覚えのある少女の声。
甲示は自身の名前を呼ばれた事に反応をし、少し顔を上げ声の主を確認します。
「あっ、杠葉さん。杠葉さんは部活か何か?」
甲示に声を掛けた少女は甲示と同級生の杠葉 凪沙。
彼女は図書委員に所属しており、以前、調べ物をした時に甲示が少しお世話になった人物です。
甲示との関係は顔見知り程度でしたが、なーくんをきっかけに顔を合わせる機会が多くなり、最近では出会った時は声を掛け合う程度の仲になっています。
最近ではなーくんと一緒に居るのを目撃される事も多く、なーくんが警戒せずに気を許している稀有な人物でもあります。
「うん。まあ、そんなところかな。甲示君は部活って入ってないよね?何かあったの?」
「少し調べ物があって図書室に用事があったんだけど、目当ての本が見つからなくてね。今から図書館に行こうか悩んでたところ」
「ちなみに、何を調べようと思ってたの?」
図書委員をしているだけあり、図書室内の本に関しては知見のある杠葉。
一般の生徒よりは詳しいはずです。
恐らく本人は何も考えず、単純に親切心で甲示が必要としている本を見落としていないかを確認したかったのでしょう。
「ちょっと神様の事をね。でも、神話の本ってないみたいで、哲学とか宗教の本しかなかったんだよ」
「神様!?神話!?」
杠葉は興奮した様子で目を見開き甲示に顔を近づけ問いかけます。
「杠葉さん、近い、近い」
杠葉の変貌ぶりに驚きながら静かに距離感を指摘します。
甲示は冷静を装っていますが普通の中学生男子。顔が真っ赤な所をみるに内心では相当動揺していると思います。
杠葉の咄嗟の行動に驚き大きな声で指摘しなかったのは、杠葉の顔が近くにあったが為の甲示なりの配慮だったのでしょう。
……もしかしたら、あまりの近さに緊張や恥ずかしさで吃っただけかもしれません。
「あっ……。ごめんね。ワタシ、オカルト話とかが好きでつい……。UFOとかUMA、オーパーツとか心霊体験、超能力とか素敵よね。……もちろん、神話も興味があるから少しは詳しいわよ」
甲示に指摘され、甲示との距離を取り謝罪をする杠葉。
頬に手を当て恍惚な表情を浮かべながら話すその姿。遠目からは恋バナをしている雰囲気すら感じさせます。
まあ、話の内容はオカルト話ですが……。
「へ、へぇ。そうなんだ。じゃあ、神様についても詳しいの?」
いつもとは様子の違う杠葉に少し困惑しつつ甲示は質問をします。
「んー……。神話系はワタシより所長の方が専門だから詳しんだけど、何の神様について調べようとしてたの?」
「何の……?何の神様なんだろう?ノーヒントって言われたからなー……」
甲示は杠葉に質問をされた事により重要な事に気が付きます。
それは、ガーくんが何の宗教の神様なのか?何を司る神様なのか?などなど……。情報が少なすぎてガーくんの正体に辿り着けない現実でした。
「甲示君、ちょっと来て」
考え込む甲示の手を取り、杠葉は速足で何処かへ向かいます。
「ちょっ!杠葉さん!何処に行くの!?僕、図書室の鍵を返さないと……」
「いいから、いいから~」
行き先を告げぬまま、半ば強引に甲示の腕を引っ張り移動する杠葉。
甲示も相手が女子だけに強引に振り解く事も出来ず、腕を引かれた状態のまま杠葉の後をついていきます。
「ここよ」
杠葉はとある教室の前で立ち止まります。
「理科準備室?」
「違う違う。よーーく見て」
杠葉は甲示の意見を否定し、ドアの端を指さします。
甲示は杠葉の指差す先に目をやります。
そこには小さなプレートが張り付けてあり、手書きで『オカ研』の文字が書かれています。
「オカ……研……?」
「そう言う事」
「どう言う事?」
杠葉は甲示の呟きに軽く返事をし、ドアを開け放ちます。
甲示が口にした疑問は聞こえていなかったのか答える様子はありません。
「所長ー!新人勧誘してきましたよー!」
「本当か!?杠葉君!!この時期に新人とは珍しいな。これで部活の申請まであと1人になったな!!」
杠葉の言葉に反応し、興奮気味に詰め寄ってくる1人の少年。
杠葉が所長と呼んでいた事から推察するに『オカ研』で一番偉い(?)人物なのでしょう。
「あのー……」
「おぉ!すまない。自己紹介がまだだったな。このオカルト研究会の責任者にして所長の沖 義だ。よろしく」
「ご丁寧にどうも……。って違います!話が見えてないので説明していただきたいのですが、どう言う事なのでしょうか?僕は神様の事……神話を調べていただけなのですが……」
そう、甲示はガーくんの事を調べていただけなのです。
そこに偶々ばったりと杠葉と遭遇し『オカ研』に連れてこられただけ……。
新人勧誘の話など寝耳に水。
「困るな~杠葉君。無理矢理な勧誘などは御法度だと言っているだろう。今は地道に図書室のオカルト本率を上げ、オカルトの素晴らしさを流布する活動に勤しむべきだ。そこで興味がありそうな人物をリサーチする為に図書委員に潜入している最中だと言うのに……」
沖は呆れ気味に杠葉に注意します。
……注意はしているのですが、沖の発言には別の問題があるような気がします。
「だから連れてきたんですよ。オカルトに興味がありそうな人物を見つけるのが図書委員潜入の目的。ここに居る宮司甲示君は神様の事を調べているんですよ。勧誘しない手はないですよ」
「まあ、そうだな。言いたい事は理解出来るがあまりにも早計過ぎる。興味を持って覗いている段階で無理矢理引き摺り込むような行為は逆に逃げられてしまう可能性もある。十分にこちらのテリトリーに足を踏み入れてからの勧誘が妥当だ」
杠葉の意見に一定の理解を示しつつ、杠葉の行動を否定します。
しかし、沖の発想は結構ヤバい気が……。
それに、勧誘する可能性のある相手を前にする会話としても不適切でしょう。
「すみませんでした。オカルト話をする機会が最近なかったのでつい……」
「そこまで攻め立てるつもりはないよ。……で、宮司君と言ったかな?何の様について調べているのかな?」
気落ちする杠葉を軽く慰め、甲示へと話を振ります。
「あの、その前に質問しても良いですか?」
「何だね?」
「オカルト研究会って何ですか?」
「部活になる条件を満たせていないがオカルトに興味のある仲間で構成された────」
「つまりサークル活動ね」
沖が回りくどく長々と説明しているのを遮り、杠葉が端的に説明してしまいました。
「なるほど。オカルト趣味の人たちの集まりが『オカ研』って事か。もう1つ聞いても良いですか?」
「なんだね?」
「何で研究会なのに所長なんですか?」
「前までは会長って呼んでたんだけど、生徒会長と間違えられたからよ」
「……まあ、そう言う事だ。……では、本題に戻り、何の神について調べているのかを教えてもらえるかな?」
哀愁を漂わせながら杠葉の意見を肯定する沖。
過去に生徒会長と間違えられて嫌な思いをしたのでしょう。
これ以上、話を深堀させまいと話を本題に移します。
「はい。……すみせん。実は調べようとしていた神様の情報がなくて、杠葉さんに指摘されるまで検索方法に疑問すら持っていなかったので……」
甲示は沖に現状を正直に話します。
しかし、自分の調べる神様についての情報が皆無だった為の後ろめたさからか声が尻窄みになります。
「何も手掛かりは無いのかい?何教の神なのか、功績や由来、手持ち武器や見た目の特徴など、どんな些細な手掛かりでも良いぞ」
沖は甲示が調べようとしていた神様に繋がる情報がないかを聞き出そうとします。
「んー……。見た目は象の頭で……」
「ガネーシャ様ね!!」
「ガネーシャ様?」
甲示がガーくんに繋がりそうな情報を捻り出した瞬間、杠葉が答えを導き出します。
「杠葉君、象が出た瞬間にガネーシャと結びつけるのは早計過ぎる。歓喜天などの可能性も考慮すべきだ」
「歓喜天……さま……?」
早々に答えを導き出そうとする杠葉を制止し、他の回答も考慮し模索しようとする沖。
ガネーシャにせよ歓喜天にせよ、甲示には聞き馴染みのない名前でした。
頭に疑問符を浮かべながらオウム返しをするしかない甲示を余所に2人の話は盛り上がります。
杠葉と沖が甲示そっちのけで盛り上がっているのはさておき、沖の方が神話について専門だと杠葉が太鼓判を押すだけの事はあり、沖の知識は豊富です。
ガネーシャと歓喜天の違いを理解していなかった杠葉への説明から始まった議論。
しかし、完全に2人の世界に入り込んでしまっている沖と杠葉を眺めるだけの状態になった甲示。
「あのー……。そろそろ帰っても良いですか?」
暫くの間は黙って2人の会話を聞いていたのですが、議論は白熱し終いには全く関係のない話にまで飛び火して収束する気配を見せません。
流石に嫌気が差した甲示は2人に一応の声掛けをして退室しようと試みます。
「わー!!ちょっと待ったー!!」
甲示がドアに手を掛けるまで気が付かなかった沖ですが、ギリギリの所で気が付きました。
「議論に集中し過ぎていたようだ。申し訳ない。……で、あまりにも情報が少なすぎて断定する事が出来ないのだが、他に手掛かりになるような情報は無いのかい?」
「そうですねー……」
ガーくん特定の話に戻った事もあり、退室する事を考えなおしました。
甲示はガーくんの姿形を思い浮かべながら特徴となりそうな部分を口にします。
「腕が4本あって……。あとはネズミが一緒に居て……。えーっと、他には……」
「ネズミ……?ガネーシャのヴァーハナ。ムーサカの事かな?」
「ヴァーハナ……?ムーサカ……?」
聞き馴染みの無い言葉をオウム返しする事で理解していない事を匂わせる甲示。
更に沖の言葉からガーくんの手掛かりも掴めそうだと感じ、もう暫く滞在するようです。
「ヴァーハナはインド神話に登場する神々を象徴する生き物の事だよ。神が乗る動物として描かれている事が多いかな。……まあ、中にはガルダの様な空想上の生き物も存在するけど、ネズミやライオン、孔雀なんかも出てくるよ。それで、ガネーシャのヴァーハナがネズミでネズミの名前がムーサカって言うんだよ」
「ムーサカ……?ムシカって呼ばれてたような気が……」
沖のヴァーハナの説明を聞き、ヘルメスがネズミの事をムシカと呼んでいた事を思い出す甲示。
自分の記憶を頼りに思い出した名と沖の話しているヴァーハナの名前の違い。
甲示は疑問をポツリと口にします。
「そうそう。ムシカで合ってるよ。発音の違いって説明すれば良いのかな?トマトをトメィトゥって発音する感じって言えば理解出来るかな?」
「なるほど。なんとなくですが理解出来ました」
「ムーs……ムシカが居るって事はガネーシャで間違いなさそうだな」
「ほら、だからワタシが初めからガネーシャ様だって言ってたじゃないですか」
沖が最終的に導き出した結論を聞き、杠葉が頬を軽く膨らませプリプリした様子で抗議します。
但し、話し方や声のトーンなどから察するに、本気で怒っていない事は明らかです。
「今回はそうだったが、杠葉君の場合、ガネーシャしか心当たりがなかっただけだろう」
「それはそうだけど……。……で、甲示君は何でガネーシャ様の事を調べてたの?」
図星を突かれ分が悪いと判断した杠葉は話題を変更しようと甲示に話を振ります。
「えーっと……ほら、あの……。そう!おじさん!!」
「おじさんって前に話してた猫ちゃんの元飼い主のおじさん事?」
「そうそう!そのおじさんにお礼がしたいって言ったら、ガネーシャ様の絵を見せてくれて、この神様の好きな食べ物を持ってきてくれると嬉しいって!」
杠葉が急に話を振ってきた事に動揺し、咄嗟に嘘を吐いてしまった甲示。
多少の後ろめたさを残しつつ嘘を貫き通します。
「好きな食べ物か……。何かあったような気がしたが、何だったかな……?」
そんな甲示の発言を真に受け、真面目に回答をしようとする沖。
頭に手を当て「うーん……」と唸りながら記憶を呼び起こそうと必死です。
「所長、頑張って思い出してください。オカ研の見せ所ですよ!」
「いや、物は思い浮かんでいるのだが、名前が……。確か『最中』みたいな名前だったような……。何だったかな……。モーナカじゃなくて……。何かそんな感じの名前なんだよな……。他にもインドの丸いお菓子もあったような気が……。んー……両方とも名前が出てこないなー。まあ、何にせよ完成品が売られているのは見た事がないから自作するしかなさそうだな。……あとは果物とか米、水、牛乳とかをお供え物としていたような記憶があるな……。全体的に甘い物が好きな感じだな……」
「甘い物ですか……。なるほど。ありがとうございます。……で、少し話は変わるんですが、ガネーシャ様ってどんな神様なんですか?」
ある程度の情報を入手することに成功した甲示。
せっかくの機会なのでガネーシャに関する他の知識も得ようと沖に話を振ります。
「ガネーシャはインド神話……。ヒンドゥー教の1柱で、商業や学問の神として知られているな。さっき話に出たカシムに乗る姿から、象がネズミに乗るのは不可能が転じて不可能を可能にする象徴としても知られている────」
自分の得意分野の事を尋ねられ、水を得た魚のような状態の沖。
オタク特有のソレと同様、早口でペラペラと饒舌に知識をひけらかs……披露します。
止まらない沖のガネーシャ話。
それを呆気にとられた表情で眺めながら聞く甲示と杠葉の2人。
「所長が博識なのは知ってたけど、得意分野になるとこれ程のものだったとは……。ちょっと地雷臭も漂ってくるわね。神話の話を振る時は慎重になった方が無難そうね」
杠葉は甲示に話しかける様な、独り言の様な感想をポツリと述べます。
しかし、当の本人はそんな杠葉の発言には耳を傾けず、素知らぬ顔で話し続けます。
挙句の果てに、甲示と杠葉に背を向け、大衆の前で演説しているかの如く、大きく身振り手振りを加え更なる知識を披露します。
沖にとっては2人が聞いてるかは重要ではないのでしょう。
恐らく、話をする機会がある事が重要だと考えているのだと思います。
「ワタシは分野違いだからあまり詳しくないけど、所長が言っていたように商業の神様で有名ね。インド料理屋さんとかで偶に象の置物が置いてあるでしょ?あれってガネーシャ様の像の代わりなのよ」
周りの事を気に留めず、止まる事なく話し続ける沖に代わり軽い知識を披露する杠葉。
甲示としてもこの程度の情報で良かったのだと思います。
「へぇ~。あれってそんな意味があったんだ。てっきりインドだからインド象とかが有名だから置いてるだけなのかと思ってたよ」
甲示は近所のカレー屋の入り口に置いてある木彫り象を思い出しながら感想を述べます。
「ワタシも詳しくはないから、そういう話を聞いた事があるって程度ね。他に質問ある?」
「ガネーシャ様については大丈夫。色々教えてくれてありがとう。……で、沖所長の事はどうすれば良いの?」
「まあ、放っておけばそのうち止まるでしょう」
杠葉は沖を一瞥し呆れ気味に回答します。
まるで、電源の壊れた玩具を見た時の様な感想。
甲示も杠葉の返答には「あはは……」と乾いた笑いで返すしか出来ませんでした。
「じゃあ、僕、図書室の鍵も返さないといけないから帰っても大丈夫かな?」
杠葉の反応から察するに、今すぐどうこう出来る問題ではないと認識した甲示。
時間が勿体無いと考え、この場から去る事を提言します。
「あとはワタシが何とかするから大丈夫よ。逆に気を遣わせちゃってみたいでごめんね。じゃあね、甲示君。オカ研に入ることも考えておいてね」
「うん。ごめんね。オカ研の事は考えておくよ。じゃあね」
沖に呆れる杠葉は甲示の帰宅を了承。
甲示も沖の変なスイッチを押した自覚があり、杠葉に対して多少の後ろめたさがあります。
オカ研に入る気は皆無ですが、キッパリと断らずに保留と言う形をとり罪の意識を和らげたかったのでしょう。
甲示と杠葉の双方に対する申し訳なさで、何とも言えない微妙な雰囲気のを醸し出していますが、甲示は退室をして帰宅する事を決意します。
最後に沖の様子をチラリと確認し、まだまだ演説が続きそうだと確信する甲示。
沖が何かの拍子にこちらを振り向き、演説の続きに付き合わされる前に……。と、逃げ出す様に部屋を出るのでした。
その後も沖の演説は続き……。
ガネーシャの両親の話や生い立ちの話、ムシカの話からガネーシャの素晴らしさ……と終わる様子が見えません。
流石の杠葉も途中で飽き、読書タイムに移行。
ページを捲る時に横目で確認をし『まだ続いてる……』と呆れられる程度の扱いになります。
「────と言う訳なんだよ。ってあれ?宮司君は?」
小一時間ノンストップで話し続けていた沖。
悦に入った表情で振り返りますが、そこには杠葉1人のみ。甲示の姿は見当たりません。
2人に背を向け壁(大衆が居る妄想)に向かい熱弁を振るっていた沖は現状の理解が追い付いていません。
「とっくに帰りましたよ」
杠葉は何事もなかったかのように読書を続け、ページを捲りながら沖に返事をします。
「な、何故だー!!」
「当たり前です。せっかく勧誘出来る機会だったのに延々と自分の世界に入ったまま戻ってこないんですから。あと2人集まれば5人になって部に昇格出来るかもしれなかったのに……」
呆れ半分、怒り半分と言った感じで対応する杠葉。
「申し訳ない……。次からは熱が入り過ぎないよう善処する」
杠葉の対応で自分の仕出かした事の重大さに気が付き素直に謝罪をする沖。
先程までの悦に入った表情とは打って変わり落ち込んだ表情を見せます。
沖の反応を見るからに本当に反省しているようです。
「まあ、自分の好きな事を話せるのが嬉しい気持ちは理解出来ます。次からは気を付けてくださいね。甲示君もオカ研に入る事は考えてくれるって言ってましたので」
甲示の曖昧な返事を真に受けた杠葉が沖に返します。
この甲示の中途半端な返事が、後々面倒事に巻き込まれるキッカケになるとは、この時の甲示には知る由もなかったのである……。
「ガーくんがガネーシャ様って名前の神様って事が分かったのは大きいな……。ガーくんとか馴れ馴れしく呼んじゃってたけど大丈夫かな?怒ってる様子はなかったと思うけど……。それに、沖所長の事も少し心配だな……。放置して本当に大丈夫だったのかな?杠葉さんは少し慣れてるっぽい感じだったけど1人にしちゃったのも間違いだったかな……?」
オカ研を退室し職員室へ向かう最中色々な情報をまとめている甲示ですが、心配事が尽きないようです。
しかし、心配を口にしていても戻る様子は皆無。
オカ研の事は然程重く考えていないのでしょう……。
その後、何事もなく図書室の鍵を返却し、自転車置き場に到着した甲示。
「まだ、時間はあるし図書館もついでに行けそうだよな……。PCが使えるか確認しよう。今日使えなくても予約して後日行けばいいか」
今後の方針も決まり、いざ図書館へ。
~図書館~
駐輪場に自転車を停め入口へ向かいます。
途中、駐車場の状況を確認すると空いているスペースが目立つ状況。
最近では自宅でもインターネット環境が整備されていたり、電子書式化された書籍が多くなって来たりで図書館の利用者が昔に比べ減少している事も影響しているのでしょう。
更に、手軽に遊べる趣味や娯楽なども増えた事も図書館離れが加速している要因なのかもしれません。
受付カウンターに到着した甲示はPCの利用状況を職員に確認。
1台のPCが空いているとの事。
甲示は迷わず使用したい旨を職員に伝えます。
差し出された書類に必要事項を記入し提出。
指定されたPCの前に移動します。
PCのスリープ状態を解除し、デスクトップに配置されているブラウザを起動。
検索欄に『ガネーシャ様』と打ち込み、検索結果で一番上に出てきたWikipediaを開きます。
開いたページに貼られているガネーシャ像の画像を確認し、ガーくん=ガネーシャの確信を持った甲示。
「沖所長の推察通り、ガネーシャ様で合ってるっぽいな……」
甲示はポツリと呟きWikipediaを熟読します。
好物などの情報は書かれていませんでしたが、とある一文に甲示の目は留まります。
それはガネーシャの折れた牙の由来でした。
説明欄の一文に『お腹の中のお菓子(モーダカ)』と記載があります。
「モーダカ……?沖所長も最中みたいな名前って言ってたけどコレかな?」
甲示はブラウザバックをし『ガネーシャ様 モーダカ』で再検索。
……すると、ガネーシャの好物と書かれた検索結果が出てきました。
「コレだ……」
ついにガネーシャの好物の答えにまで辿り着いた甲示。
次に検索すべきはモーダカのレシピ。
『モーダカ 作り方』で検索をかけます。
材料を確認すると米粉やジャグリー、ココナッツ、ナツメグ、カルダモン、ギーなどなど……。
普段野菜炒めしか作らない甲示には到底使用する機会のない材料名が並びます。
中には甲示が聞いた事の無い材料もある為、材料名1つ1つを検索する羽目に……。
全材料の確認が完了したのでメモを取ろうとしますが、筆記用具などを持っていない事に気が付いた甲示。
受付カウンターへ行き、紙と鉛筆を借ります。
紙の表には材料と分量を。そして、聞き馴染みの無い材料には特徴などの一言メモを書き、裏には工程を写します。
「うーん……。使った事の無い材料ばっかり……。米粉とかナツメグは聞いた事があるけど実物は見た事が無いなー」
書き終わったレシピを眺めながら感想を呟く甲示。
ここで一度時計を確認。
そろそろ1時間が経過し、PC利用時間の終了が迫っている事に気が付きます。
「キリも良いし、今日は帰ろうかな……」
ブラウザを全て閉じスリープ状態に戻し、筆記用具の返却とPC利用の終了手続きを済ませます。
駐輪場に着き、空の様子を確認。
先程、時間を確認していた事もあり、空の明るさからも時間的余裕がある事を確信します。
「買い物して帰ろう」
ポケットに入れたレシピをメモした紙に手を当てた甲示はモーダカの材料を購入してから帰宅する事にしました。
今日はいつも買い物をしている近所の小さなスーパーとは違い、自宅から少し離れた大きめのスーパーで買い物をします。
ここに来た理由としては、検索したレシピの材料が聞き馴染みの無い物ばかりだった為です。
近所の小さなスーパーでは材料が売っていない可能性もあると考え、少し遠出をして大きめなスーパーに決めたのでした。
店内に入ったものの、普段使い慣れていないスーパー……。商品の配置が分からず、買い物カゴを手にしたまま立ち止まり店内を見渡します。
「何処に行けばいいんだろう……?」
ポケットからメモを取り出し、材料を再確認。
売り場の分かりそうなものを考えます。
「米粉はお米売り場か粉物コーナーかな……?ココナッツは……生鮮食品?果物かな……?ナツメグとかは調味料だよね……?」
材料一覧を眺めながらブツブツと呟きながら周囲の様子を窺います。
一番近くにあるのは果物売り場です。
立ち止まって考えていても仕方がないと果物売り場へ歩を進めます。
まずはココナッツ探しを開始。
端から置いてある商品を全て確認しながら移動します。
しかし、果物売り場にココナッツはありません。
甲示の目に映る商品は果物から野菜に変化します。
そのままの流れで隣接していた野菜コーナーも全て確認。
しかし、ココナッツは見つからず……。
到頭、野菜売り場の端にまで到着してしまいました。
横を確認すると関係者以外立ち入り禁止の通用口を挟んで魚が並んでいるのが確認出来ます。
これより先は鮮魚売り場、精肉売り場へと続いているようです。
「売り場が違うのかな?」
タイミング良く品出しをしている店員が近くに居たので質問をする事にしました。
「すみません。ココナッツって何処に置いてありますか?」
「ココナッツ……?ココナッツオイルですか?ココナッツミルクですか?ココナッツパウダーですか?」
「いえ、ココナッツを……」
「えっ……?ココナッツってヤシの実ですよね?流石に売ってないと思いますが……。確認しますので少々お待ちください」
甲示の質問に困惑する店員。
甲示に少し待つように告げ、バックヤードへと急ぎ足で向かいます。
暫くすると店員は他の女性店員を連れて戻ってきました。
「お待たせしました。申し訳ありませんお客様。当店ではココナッツ自体の取り扱いはしておりません。ココナッツファインやココナッツパウダー、ココナッツミルクパウダーなどはあるのですが────」
店員が甲示に謝罪をし、ココナッツの取り扱いがない事。そして、代用品の提案を丁寧にします。
「あのー……。すみません。ココナッツファインとココナッツパウダー、ミルクパウダーの違いって何ですか?」
「はい。ココナッツファインとココナッツパウダーの違いは、きめの細かさで────」
店員の説明を聞きながらメモを取り出す甲示。
レシピを一度確認して店員の説明内容からココナッツファインを使用する事にしました。
「ありがとうございます。ココナッツファインは何処にありますか?」
説明をした店員は甲示が初めに声を掛けた店員に目配せをします。
「ご案内いたします」
目配せを受けた店員はココナッツファインの置いてある陳列棚へと甲示を案内します。
「ありがとうございました」
甲示の反応を見て店員は売り場を後にします。
甲示は商品を手に取り、原材料などをチェック。商品毎の違いを確認します。
ココナッツファインを使用すると決めたものの、念の為にココナッツパウダーなどとの比較も行います。
しかし、原材料などの違いはほぼ無し。
店員の説明通り『きめの細かさ』の違いなのでしょう。
数種類の商品を見比べた後、当初の予定通りココナッツファインを使用する事に決定。
商品をカゴに入れます。
その後はナツメグ、カルダモン、米粉と順調に材料を入手。
「ギーとジャグリーはバターと砂糖で代用出来そうだから最悪購入しなくても良くて……。これで全部揃ったかな」
レシピメモを確認しながら買い物をしていた甲示。
料理初心者あるあるの1つ。『オリジナリティ』や『アレンジ』と言う名を借りた『レシピ改悪』を脳内で行いつつ、必要な材料が全てカゴの中にある事を再確認します。
買い忘れている物は無かったのでレジへ直行。
支払いも無事完了し、帰宅します。
帰宅した甲示は真っ先に台所へ。
テーブルの上に買ってきた材料を並べ、塩やバター、砂糖などの足りない材料を探します。
材料一式をテーブルに並べ終えた甲示はボールや片手鍋、計量カップなどの調理器具の準備に移ります。
全てがテーブルの上に出揃い、モーダカ作りの準備が完了。
レシピメモを一読し、凡その流れを再確認。
「よしっ!」
気合を入れた甲示。
今、台所を舞台にした料理と言う名の戦いの火蓋が切られる……。
─ つ づ く ─