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とある平日の黄昏時……。
「ただいまー。なーくん、戻ってるー?」
授業を終えた甲示が帰宅しました。
返事はありませんが、洗面所から居間へ続く廊下には仔猫の足跡がくっきりと残っています。
甲示は靴を脱ぎ、慣れた様子でモップを手にし、廊下を掃除しながら居間へ向かいます。
居間に入ると定位置に鎮座する1匹の仔猫。
「なーくん、ただいまー」
「なー」
甲示は仔猫に声を掛け、なーくんと呼ばれた仔猫は少し気怠そうに返事をします。
その後、甲示は部屋の空気を入れ替える為に窓を開け放ちます。
部屋に新鮮な空気が流れ込み、淀んだ空気を一掃します。
帰宅後のルーチンワークを完了させた甲示は着替える為に2階へ移動します。
制服から部屋着になり、再度、居間へと向かいます。
「なーくん、今日の晩御飯なんだけど……」
甲示は居間の襖を開けながら、なーくんに声を掛けます。
襖を開け、居間に入ろうとした甲示の目に留まったのは身を屈め、お尻を軽くフリフリさせ戦闘態勢バッチリで今にも獲物に飛びかかろうとしているなーくんの姿でした。
「なーくん、何してるの……っ!!」
なーくんの視線の先を追い、驚きの表情を浮かべる甲示。
甲示の視界に入ったものは小さな白い鳥です。
「なーくん、ダメ―ー!!」
甲示は大きな声を出し、既に助走を始め飛びかかろうとしているなーくんと白い鳥の間に割って入ります。
間一髪のところで白い鳥をダイビングキャッチ。
なーくんの魔の手からの救出に成功しました。
「なーくん、メッ!……この鳥はヘルメス様の使いの朱鷺だから攻撃しちゃダメ!」
「な゛ー!!」
あと一歩及ばず、寸での所で獲物を横取りされたなーくんは不服そうに声を荒げます。
「ヘルメス様の朱鷺が来たって事は、また何か用事かな?」
甲示は朱鷺の右足を確認し、結ばれていた紙を解きます。
紙を取られた朱鷺は泡沫の如く消え去りました。
「また消えた。何回見ても不思議な光景だよなー……」
甲示は朱鷺が消えた時の感想を述べながら、朱鷺に結ばれていた紙を広げ、内容を確認します。
『何度見ても』と慣れている雰囲気を装っていますが、今回が2度目です。
広げた紙には【出来たから暇な時に来てね ヘルメス】と書かれていました。
「出来た?何が出来たんだろう?気になるけど、今から行くと遅くなりそうだしなー……。『暇な時』って書いてあるし、土曜日でも大丈夫かな?……なーくん、どう思う?」
声を掛けられたなーくんですが、座布団の上に座りながら少し強めに尻尾をバシバシと打ち付けるのみで返事はありません。
獲物を横取りされた事を根に持ち、まだ不服そうな様子です。
「気にはなるから行きたいのは山々だけど、遅くなるのはチョット……。まあ、今日じゃなくても大丈夫かな……。なーくん、土曜日の朝に有珠様の所に行くからね。なーくんも来るなら外に遊びに行ったらダメだよ。外出してたら置いて行くからね?」
逸る気持ちを抑え、隠世に行くのは土曜日に決定したようです。
そして、甲示はなーくんに予定を伝えます。
しかし、なーくんは尻尾を打ち付けるのを止め、座布団の上に丸くなるのみでした。
「分かってるのかな……?」
何の反応も見せないなーくんに一抹の不安を感じながら、甲示は話を打ち切り、食事の準備に移るのでした。
~土曜日~
「なーくん、行くよー」
今日は珍しく声を掛けると直ぐにテクテクと歩いて近づいてきました。
隠世へ移動する為に山を登り、祠の前に到着。
いつも通り有珠から貰った鈴を鳴らし隠世への移動も完了。
「そういえば、アンクレットを返し忘れてたけど、まだ使えるのかな?」
物は試しと甲示はアンクレットを鞄から取り出し、右足に装着。
自身が浮上するイメージをします。
次の瞬間、甲示の足は地面を離れ、十数cmの位置で停止します。
「おっ!使えるみたい♪……なーくん、見てて」
甲示はなーくんに声を掛け、周辺を高速移動してみせます。
「凄いでしょー?僕、なーくんよりも速く移動出来るんだよ」
アンクレットの力をなーくんに見せつけ、甲示は何故か得意気な表情をしながら自慢をします。
しかし、そんな甲示の気持ちとは裏腹に、なーくんは興味無さ気にテクテクと有珠邸へ向け移動します。
「あっ!ちょっと待ってよ。なーくーん」
甲示はなーくんの後を追い、一緒に有珠邸へ向かうのでした。
~有珠邸~
「結局いつもと同じくらいの移動時間……。なーくんがゆっくり歩いた所為だからね。僕1人ならもっと早く着いたんだからね」
「な゛ーー!!」
理不尽な甲示の言い分になーくんは不機嫌そうに返事をします。
勝手に歩行速度を合わせてついてきた挙句、遅いのを自身の所為にする甲示に対し威嚇する様な不満の声を上げ、それ以上は構う事無く有珠邸に潜り込むのでした。
「あっ……。なーくん、待ってよー」
有珠邸に入り、姿の見えなくなったなーくんの後を追い、甲示も有珠邸の門を潜るのでした。
「ごめんくださーい。ヘルメス様、有珠様、居ますか?」
玄関の戸を開け、声を掛ける甲示。
暫くすると、奥から足音が近づいてきました。
「やぁやぁ甲示君いらっしゃい♪猫が入ってきたから甲示君が来たって事は分かったよ♪」
「なーくんが勝手に入り込んでしまってすみません。……ってあれ?ヘルメス様はなーくんと会うのは初めてですよね?」
「対面するのは初めてだけど、有珠様から話は聞いてたからね♪」
「なるほど……。それで、ヘルメス様、今回はどのようなご用件で僕は呼ばれたのでしょうか?」
「今回は甲示君に色々と見せたいものがあってね♪家の裏手に建てたんだよ♪あと、看板娘……?いや、看板息子?まあ、マスコットキャラクターも手配しておいたから、その内、合流すると思うよ♪あと、前回の改善案も用意したよ♪」
「……?何の話ですか?僕が隠世に呼ばれた話ですよね?」
ヘルメスが何についての話をしているのか理解出来ず、率直な疑問を口にします。
「それは見てのお楽しみってやつかな♪」
「とりあえず家の裏手に行けば良いって事ですよね?」
核心に触れた話をしないヘルメス。
甲示は頭に疑問符を浮かべたままの状態ですが、これ以上問い質しても有益な情報は聞き出せないと諦め、実際に見て確かめる事にするようです。
「そうだね♪門を出て家の裏手に行けば分かるよ♪」
「分かりました。……あっ!そうだ。ヘルメス様、アンクレットを返却し忘れていました。今、お返しします」
甲示は足に付けたアンクレットを外すために身を屈めながらヘルメスに伝えます。
「そう言えば貸与したままだったね♪前回の報酬に納得してなかったみたいだし、そのまま持ってても良いよ♪隠世でしか使えないしね♪」
「本当ですか!?ありがとうございます。じゃあ、チョット見てきますね」
アンクレットを外し、ヘルメスへ伸ばしていた手を速攻で引っ込め、アンクレットを再装着します。
アンクレットの返却が不要と告げられた甲示の足取りは軽く、今にもスキップしそうなほど上機嫌で有珠邸の塀に沿って裏手へ回ります。
有珠邸の裏手にあったものは……。
ログハウスの様な建造物でした。
「ヘルメス様は建てたって言ってたし、たぶんコレの事だよね?有珠様の家が和風だからなんだかミスマッチだな……」
甲示は周りを見渡しますが、他の建造物はありません。
ヘルメスの言っていた物は、このログハウスの事なのでしょう。
甲示は数段の段差を上り、入口の扉の前に立ちます。
「あれ?ドアに何か挟んである。……手紙?」
ドアの前に立った甲示が発見した物は一通の手紙。
封筒には『甲示君へ』と書かれています。
甲示は自分の名前を確認し、文字の雰囲気からヘルメスが自分へ宛てた手紙だと理解しました。
中身を見ると『甲示君へ。この建物は交易の拠点となる場所です。内装などは未完成です。必要な物があれば申し出てください』と書かれた紙と鍵が同封されていました。
「この鍵って、たぶんこの建物の鍵だよね?中に入っても良いって事かな?」
まだ手紙の内容に理解が追い付いていない甲示ですが、鍵をドアに差し込み建物内の確認をします。
「おぉー!広ーーい!!」
有珠邸同様、外見の倍以上に内部は広くなっています。
まあ、有珠邸の場合は外観も相当広いですが……。
隠世ならではの技術なのでしょう。
しかし、建物内の広さに反し、ロビーに設置してある備品は入り口付近のカウンターとカウンターの後ろの棚、テーブルが1台、椅子が4脚のみ。とても殺風景な部屋です。
ヘルメスのメモには内装が未完成と書かれていたので、今後増やしていく予定なのでしょう。
「カウンターの後ろにも出入口がある。奥にも部屋があるのかな?」
棚の横に扉の付いていない仕切り口を発見した甲示。
甲示はカウンター内に入り、奥の部屋の様子を覗き込みます。
「休憩室かな?あっ……。でも、まだ部屋は何個かある。コッチは扉が付いてるのか」
甲示は部屋の扉を開け、中の確認をします。
1つは給湯室。他は何も設置されていない6畳ほどの空間が2部屋。
「給湯室は分かるけど、他は何の部屋だろう?自由に使って良いのかな?後でヘルメス様に確認してみよう。必要な物があったらヘルメス様に言えば良いのかな……?実際に使ってみないと何が必要なのか分からないけど……。そう言えば、マスコットがどうこう言ってたけど、まだ来てないのかな?分からない事だらけだし、一旦戻ってヘルメス様に聞かないとダメっぽいな……」
一通り内見も終了し、必要な物などを考えながら外に出ます。
「ん?」
外に出た甲示の目に飛び込んだのは、見知らぬ人影……。
「着ぐるみ……?それと、牛かな……?ヘルメス様が言ってたマスコットかな?」
甲示は着ぐるみらしき人影に近づき声を掛けます。
「あのー……。突然お声掛けして、すみません。ヘルメス様に呼ばれた方ですか?」
声を掛けられた人影は振り向きます。
(……象?可愛いと言われれば可愛い……のかな?でも、不気味と言われれば不気味かも……。ブサカワイイってやつかな?この人、本当にヘルメス様が呼んだマスコットなのかな?もしかして、全くの別人?だとすると、声を掛けても平気だったのかな?横に居る動物は牛だと思ったけどネズミ?何でこんなに大きいネズミが────)
振り向いた着ぐるみ(?)の形貌は腕が4本あり、首から上は象の頭。牙は片方が折れている状態という異形な姿をしていました。
その姿を確認した甲示は頭の中で目の前の人物の事や現状など、脳をフル回転させ思い巡らします。
そして、現状を把握できず半ば混乱気味の甲示の導き出した答えは……。
『着ぐるみの所為で良く聞こえていなかった』です。
混乱しすぎて考えるのを諦めたようです。
そう結論付けた甲示は再度、着ぐるみ(?)に誰何します。
「ヘルメス様のお知り合いの方ですか?」
着ぐるみ(?)は暫時、軽く上空を眺め何かを考えた後、首肯する事で甲示の質問に返答します。
「もしかして、喋れないのかな……?」
着ぐるみ(?)の反応を見て、発声が困難と判断した甲示は次の質問に移ります。
「もしかして、喋れませんか?」
甲示の質問を受け、着ぐるみ(?)は首肯します。
「やっぱり喋れないのか……。うーん……どうすれば良いかな?ヘルメス様の所に戻るのが無難かな?」
着ぐるみ(?)が発声不可能と確信を持った甲示は次の行動を思案します。
「あっ!そうだ!!」
何か妙案の思いついた甲示は辺りを見回します。
「枝とか落ちてないかな?筆談なら出来るかも……」
しかし、周囲は荒れ地……。
最近の整地の影響で所々草が生え、緑が見えている場所はありますが、木の枝どころか手頃な石すら見当たりません。
「無さそう……」
そんな甲示の言動から察した着ぐるみ(?)が徐に懐を探り、何かを取り出します。
手にしているのは牙でした。
それを見た甲示は着ぐるみ(?)に問いかけます。
「使っても大丈夫なの?折れた牙でしょ?」
着ぐるみ(?)は屈み込むと手にした牙で地面に何かを書き始めました。
【कोई बात नहीं】
「……読めない」
しかし、着ぐるみ(?)が書いた文字は甲示が見た事の無い文字でした。
勿論、読む事も理解する事も出来ませんでした。
【क्या करेंगे आप?】
「最後に『?』が付いてるから何か質問されてるんだと思うけど分からないな……。ごめんね、象さん。やっぱりヘルメス様の所へ行こう。ヘルメス様なら何とかしてくれるよ。きっと」
【ठीक है】
着ぐるみ(?)は地面に何かを書き、1つの手の親指を立てて見せ、甲示に何かを伝えようとします。
「分かったって事かな?ヘルメス様の所に行っても問題無い?」
着ぐるみ(?)は首肯します。
「そう。良かった。じゃあ、ヘルメス様はコッチじゃなくて、向こうの家に居るからソッチに行こうか。家の入口は反対側ね」
甲示は有珠邸を指しながら説明をします。
甲示の説明を聞き、着ぐるみ(?)は再度首肯し、大きなネズミに手招きをして呼びよせます。
ネズミが横に来たのを確認し、地面に何やら書き、甲示に見るように促します。
【सवारी करना अच्छा है】
「ごめんね、象さん。僕、キミの書く文字は習ってないから読めないんだよ」
甲示の言葉を聞き、着ぐるみ(?)はネズミの背中を軽く数回叩きます。
「乗れって事?」
甲示の質問に首肯して答えます。
「でも、僕、飛べr……うわぁ!!」
拒否しようとする甲示を無視し、甲示の両脇に手を差し込み、強引に持ち上げてネズミの背中に乗せます。
「あ、ありがとうございます」
突然の行動に驚きながら、反射的にお礼を言う甲示。
甲示を乗せた後、着ぐるみ(?)自身も甲示の後ろに跨ります。
そして、2人を乗せたネズミは有珠邸に帰還するのであった。
─ つ づ く ─