1/1
とある休日の昼下がり。
今日も甲示はテレビを見ながらせっせと小槌を振りカウンターを回していました。
そこへ何処からともなく1匹の小さな白い鳥が甲示の目の前に降り立ちます。
「鳩の玩具……?鶴かな……?」
甲示が疑問を口にしていると、鳥は右足を前に出し何かをアピールし始めました。
差し出された右足には何かが結ばれています。
「取れって事だよね?」
甲示は鳥の右足に手を伸ばし、結ばれていた紙を取ります。
紙を取った瞬間、鳥は泡沫の如く消え去ってしまいました。
「へっ?」
目の前で起きた出来事が理解出来ず、甲示は素っ頓狂な声を上げます。
呆気に取られながら手に取った紙の中身を確認します。
そこには……。
『至急来たれ 有珠』
と書かれていました。
「有珠様から……?至急……?何があったんだろう?」
混乱した頭をフル回転させ、辺りを見渡し、なーくんの姿を探します。
「なーくんは出掛けてるのかな……?至急って書いてあるし、探してる暇はなさそうだよね……。仕方ない1人で行こう」
甲示は着の身着のままの状態で裏山の祠へ急ぎます。
有珠の居る世界への移動は滞りなく完了。
甲示は有珠邸まで走りました。
「有珠様!大丈夫ですか!?何があったんですか!?」
玄関の戸を開けると甲示は返事を待たず、家の中へ駆け込みます。
「甲示、来たのか。慌ててどうしたのじゃ?」
靴を脱ぎ棄て廊下に一歩足を踏み入れた瞬間、部屋の襖が開き有珠が顔を覗かせながら声を掛けてきました。
「有珠……様……?無事だったんですか!?」
「無事……?お主は何を言っておるのじゃ?」
どうやら会話が噛み合っていないようです。
「やぁやぁ甲示君♪来てくれたんだね♪ちt……じゃなかった。有珠様、甲示君を召喚したのは私です♪」
有珠の背後から声を掛けてきたのは端麗な顔立ちの青年でした。
「ヘルメス……。お主の仕業か」
「いや~。手紙が届かなったらどうしようかと考えていましたが、無事に届いたようで何よりでした♪」
有珠は何処か諦め気味の様子ですが、ヘルメスと呼ばれた青年は悪怯れる様子もなく話を続けます。
「手紙……?」
「はい、小さな白い細い鳩みたいな?鶴みたいな?鳥がコレを持ってきました」
甲示は有珠に手紙を渡しながら答えます。
「一応、アレは朱鷺なんだけどね♪小さかったのは力が制限されてしまうから仕方が無かったんだよ♪」
「アレが朱鷺なんですか。初めて見ました」
呑気に会話をする2人を他所に、手紙の内容を確認した有珠はワナワナと身を震わせています。
「な、なんじゃコレは!!ヘルメス!説明するのじゃ!!」
「以前、お話を伺った時に興味を持ちまして、どうすれば呼び出せるのかな?と考えた末、導き出した答えです♪」
返答を聞いて諦めたのか、有珠は溜め息をつきながら肩を落とすのでした。
「えーっと……。つまり、手紙はヘルメス様が出した物で内容は嘘だったって事ですか?」
「うんうん。理解が早くて助かるよ♪申し訳なかったね、甲示君。君と少し話がしたくてね♪」
取って付けたような謝罪をしていますが反省の色は微塵も感じられません。
「じゃあ、有珠様が何か困ってるとかではないんですね。安心しました」
甲示は手紙の真実を知り、ホッと胸を撫で下ろします。
「甲示よ。先々、似たような事あるかもしれん。1つだけ伝えておいた方が良いかのぅ。ワシが使いを送る場合は鷲を使うのじゃ」
「有珠様自体が来るって事ですか?小さな有珠様……?あっ!もしかして全国で目撃情報のある小さなオジサンの正体って……」
「ちがーう!!わ・し!!猛禽類の鷲じゃ。イーグルじゃ、イーグル!!」
甲示の素のボケに対してツッコミを入れる有珠。
「そっちですか。分かりました。鷲の場合は有珠様って事ですね。実物は見た事が無いですが、アメリカの国章の鳥ですね。イメージは出来るので見れば分かると思います」
「しかし、必ずしもワシからの使いという訳でもないのじゃ。他にもイーグルを使う者は居る。他の使いが来た場合はワシ以外からで、イーグルの場合はワシからの可能性が有ると認識しておけば良いのじゃ」
「はい。覚えておきます」
「で、ヘルメスよ。お主は何故、甲示を呼んだのじゃ?甲示を呼んで何の話をするつもりだったのじゃ?まさか世間話がしたかった訳じゃあるまい」
甲示を納得させた有珠は話を本題に戻します。
「正直に申し上げますと……。実はレイア様に、この周辺の開拓を指示されまして……。ガイア様と多少は整地したとの事で、ほったらかすのは勿体無いとの事でして」(まぁ、嘘なんだけどね♪)
先程までとは一変し、神妙な面持ちで本当の目的(?)を話すヘルメスの言葉に耳を傾けます。
「あのババア共め。余計な事を為居って……」
有珠はヘルメスの言葉を聞き、苦虫を噛み潰した様な顔をします。
「先日、大黒天様や恵比寿天様、有珠様にお話を伺ったのも御二方の意向でして。私としましても致し方なく甲示君にコンタクトを取った訳なのです」(本当は様子が変だから見て来いって言われただけなんだけ♪甲示君を召還したのは面白そうだったからね♪)
「ふむ……」
ヘルメスの言葉を真に受た場合、元を正せば、門周辺の修復依頼が原因。
つまり、有珠自身が元凶です。
これ以上、言い返すことが出来ません。
「と言う事で、私から1つ提案がございます♪」
「提案とな?」
「はい~♪それは、ズバリ……交易です!甲示君に外注を行い、業務の一部を担ってもらえば良いのです♪」
「交易って具体的には何をする予定なんですか?」
「甲示君の世界でしか入手できない物を持ってきてもらうだけさ♪コッチの世界では入手困難な物とかね♪……何かアッチとかコッチだと少し分り難いね。甲示君の住んでいる世界を現世、我々の住む世界を隠世と今後は呼称しようか♪」
ヘルメスの指摘通り『こそあど』よりは名称を付けた方が理解しやすいでしょう。
「『うつしよ』と『かくりよ』ですか?アニメとか漫画とかで聞いた事はありますが、あまりパッとしません。どんな意味があるんでしょうか?」
「『うつしよ』は漢字で『現世』と書き、つまりは今の世の事で甲示君たちが生きる世界の事だね♪そして『かくりよ』は『隠れた世界』の事。現世からは視認出来ない世界の事だよ♪『隠れる』って漢字以外にも、幽霊の『幽』の字を当てて『幽世』とする事もあるけど、意味は同じだよ♪両方とも『みえない』とかって意味を持つ漢字なんだよ♪」
「なるほど。そう言う意味があったんですね。勉強になります」
「ワシは反対じゃ」
有珠は何やら不満気な様子です。
2人の会話を一通り聞き終えた後に反対を表明します。
「他に何か良い呼び名が?」
「そうではないのじゃ。甲示に交易をさせる話に反対してるのじゃ。現世から隠世へ軽はずみな気持ちで物を運び入れる行為に対して反対しておるのじゃ。逆もまた然り。隠世の物は現世では理解し難いオーバーテクノロジーな品も多いのじゃ」
「御自身は社を修復させたり、魚籠を作らせたりと私的利用をしていたのにですか?有珠様は『プチ出の小槌』と言う道具に心当たりはございませんか?」
「う゛……」
有珠は痛い所を突かれ反論出来ず、言葉を詰まらせます。
「はぁ……。せめて、言っている事とやっている事の整合性を確保してから喋ってくださいね♪」
ヘルメスは軽い溜息をつき、有珠の言動をを皮肉りながらも忠言を与えます。
「五月蝿いのじゃ!ワシは良いのじゃ。しっかりと考えてから行動に移しておる。他の者とは違うのじゃ」
軽い逆ギレ感を醸し出しながらも有珠はヘルメスに反論します。
「有珠様、ヘルメス様、お話の途中で申し訳ないのですが、1つ質問してもよろしいでしょうか?」
「なんじゃ?」「なんだい?」
「交易って具体的に何をどうする御つもりですか?僕には元手となるお金とか物とかがあまり無いので現世から隠世へ何かを持ち込もうと考えても、購入出来る物は限られますよ?それに、持ってきた物は何と交換していただけるのでしょうか?現世で換金可能な物にしていただけないと何回も続ける事は不可能です」
ヒートアップしている2人の議論に割って入る甲示。
甲示の主張は至極真っ当。尤もな意見です。
「そうだね。まだ、有珠様の許可が得られていないので私の勝手な構想の話になってしまうのですが、持ってきてもらう物については高価な品は考えてないよ♪最近、信仰心が希薄な人が多くなってきていてね……。隠世でも力不足に陥っている者は少なくない。そんな隠世の住人達の為に甲示君がお供え物や貢物の類となる品を持ってきてくれれば……。って考えてるだけだよ♪対価の事は全く考えていなかったよ。ごめんね」(面白そうだったからってだけの理由で考えた思い付きだからね♪)
「なるほど……。恵比寿様も魚籠を失って寠れていましたし、神様たちも色々と大変なんですね」
ヘルメスの返答を聞きながら、魚籠を渡す前の恵比寿天の姿を甲示は思い起こします。
「あやつの場合はショックが大きかっただけじゃ。長年使用した愛着のあった魚籠だけに立ち直るまでの時間が必要だっただけの話じゃな。あやつの場合、有名過ぎて信仰心が無くなる心配はないじゃろう。遅かれ早かれ放っておいても立ち直ったじゃろぅ」
「そうだね♪一番危惧しないといけないのは、人間の記憶や伝承などからも忘れられつつある存在だね。その点では恵比寿天様は心配ないね♪」
「神様は万能だと思っていましたが、そうでもないんですね……」
「そうだよ♪だから甲示君に援助してもらいたいって考えてるんだよ♪お願い出来るかな?勿論、報酬は労力に見合ったものを用意するつもりだよ♪」
「待て待て待て、待つのじゃ。何、勝手に話を進めようとしておるのじゃ。この話は反対じゃと言うておろぅ」
どさくさに紛れて話を進めようとするヘルメスを有珠が制止します。
「あれ?やはりバレてしまいましたか♪残念、残念。では、有珠様、1つお聞きしますが、現状をどうお考えですか?隠世の今後はどうするおつもりですか?」
話を強引に進めようとしたのを有珠に制止させられはしましたが、素より有珠の裏をかけるとは考えていなかったのでしょう。
軽いノリで残念がります。
そして、隠世の現状を心よりを憂いているのか、甲示に交易させたいだけなのか……。思惑は不明ですが、有珠に隠世の行く末を問いかけます。
「それは……」
「有珠様は良いですよね。消滅の心配をする必要が無いのですから。人々に忘れられ、日々、消滅する恐怖と隣り合わせの者たちの気持ちなど有珠様にはご理解いただけないのでしょう。……しかし、少し寄り添い、そのような者の立場で一考してはいただけないでしょうか?」
「しかし……。ワシ1人の力では……限界もあr……」
「それでも!有珠様の許可1つで救える命があるのも事実です!!」
ヘルメスは言葉に詰まりながらも自分の考えを話そうとする有珠の言葉を遮り、捲し立てる様に熱弁を振るいます。
「ええい!五月蝿いのじゃ!!最後まで話を聞くのじゃ!!」
自分の意見を聞き入れられず、一方的に持論を述べるヘルメスに対し、有珠は遂にキレてしまいました。
「……」
流石にやり過ぎたと反省したのか、ヘルメスは素直に黙ります。
「お主の主張も理解は出来る。しかし、下手に現世から物を流入させると、持ち込んだものが切っ掛けになり隠世自体が崩壊してしまう危険性も孕んで居るのじゃ。それに、最も大切なのは甲示の意思じゃ。無理強いも誤魔化しも誘導もいかんのじゃ」
「有珠様はこう仰っていますが、甲示君はどう考えているのかな?」
「そうですね。有珠様の言っている事も理解出来ます。僕の所為で隠世に悪影響があるなら交易はしない方が得策だと思います」
「ホレ見た事か。甲示は賢明な子じゃ。先見の明もあるのじゃ」
自分の意見に賛同されている為か、甲示の事を過大評価します。
「ですが、僕が交易をする事で救える神様が居るなら交易をしても良いかな。とも考えています」
「流石、有珠様が賢明で先見の明もあると称賛するだけの事はありますね♪私は無理強いも誘導もしていませんよ?これは甲示君の素直な意見ですね♪」
自分の意見にも同調している甲示の意見を有珠の発言を揶揄しながら後押しします。
「じゃが……」
「有珠様、少し2人でお話をしたいのですが、お時間よろしいでしょうか?」
「うむ」
「では、こちらへ……。甲示君、少しの間待っててもらっても良いかな?」
「はい」
往生際が悪く、更に反論しようとする有珠の発言を制止し、ヘルメスは有珠を別室に移動するよう促します。
甲示を1人残すと言う事は甲示には聞かれたくない内容の話をするのでしょう。
平行線を辿り堂々巡りをする討論に嫌気がさしていたのか、有珠もヘルメスの提案を素直に受け、別室へと足を運びます。
「甲示の前では話せん事かのぅ?」
「いえ、そう言う訳ではないのですが、有珠様の威信にかかわる事かと思いまして」
何やら不穏な事を言い出すヘルメス。
「……話すが良い」
只事ではないと察し、有珠も神妙な面持ちになり続きを促します。
自身の威信にかかわる事となれば拒否する選択肢はないでしょう。
「甲示君はあの時の子ですよね?」
ヘルメスの言葉に有珠の肩はピクリと反応します。
「な、何の事じゃ?」
「誤魔化そうとしても無駄です。面影があるので直ぐに分かりましたよ」
「……」
咄嗟に誤魔化そうとした有珠ですが、ヘルメスの一言で黙ってしまいます。
しばしの沈黙……。
「お主の言う通りじゃ。それは認めよう。じゃが、隠世の事とは無関係じゃ。今回の交易の話とも無論関係は無い。甲示なら良いとか、他の者なら良いと言う話でもないのじゃ」
「それは勿論理解していますよ」
「では、何故……」
「有珠様は栗羊羹を最近食されましたか?」
「はぁ?」
ヘルメスは有珠の言葉を遮り、突拍子も無い事を有珠に問いかけます。
有珠もヘルメスの真意不明な質問に素っ頓狂な声を出し、間抜け面でフリーズします。
「どうなんですか?」
フリーズしている有珠の事を気にも留めず、再度質問をするヘルメス。
「いや、最近は……」
「そうですよねー♪甲示君に交易を頼めば、以前有珠様がハマった"あの"栗羊羹をまた食べられる機会が訪れるかもしれませんよ?」
「ぐっ……」
「みたらし団子に柏餅、お饅頭や最中などの他にも美味しいものが沢山あるとあの御方は仰ってましたね~♪あっ!そう言えば、夏になると期間限定で『水ようかん』なる品も売り出されるとか」
有珠の反応を見て、今が好機と踏んだヘルメスが畳み掛ける様に次々と和菓子の商品名を上げ攻勢に出ます。
「ま、まあ、少しなら許容しても良いかもしれんのぅ……」
どうやら有珠も我欲には敵わなかったようです。
あっさり懐柔されてしまいました。
「では、後は甲示君を説得するだけですね♪」
「待つのじゃ」
「何でしょうか?」
「搬入や搬出する物品のチェックはワシも立ち会うのが条件じゃ。好き勝手に交易をされても困るのからのぅ」
「……そうですね。では、品物については有珠様を経由してから交易の交渉をする事に致しましょう♪」
暫時く思案したヘルメスは有珠の意見に納得し、有珠の意見を尊重します。
「まあ、それなら問題ないじゃろぅ」
話し合いが終わり、甲示の待つ部屋へ戻る2人。
「待たせてごめんね♪何とか有珠様の説得に成功したよ♪後は甲示君の気持ち次第だね♪」
「ヘルメス様、質問よろしいでしょうか?」
「何だい?」
「交易をすると仮定して、具体的にどのような流れで物を持ち運びするのでしょうか?僕が買ってに持ってくる物を選ぶのでしょうか?それとも、誰かからの依頼を受けた物のみを購入してくれば良い感じなのでしょうか?」
甲示の疑問も尤もです。
交易、交易と話が進むだけで、具体的な内容には全く触れていない状態です。
「そうだね♪今、有珠様を説得した時に話した内容としては、有珠様が交易する品物をチェックするって事は決定したから、まずは甲示君が隠世の住人と話をして交渉する。次に有珠様に内容を確認してもらう。そして、有珠様から許可が下りたら交易開始って流れかな♪時間や金銭面に余裕が出来たら常備する物とかも考えて良いかもね♪」
「交渉とは、僕が持ってくる物と報酬としていただく物の話って事ですか?」
「まあ、基本的にはそうなるけど、その辺りの話は今後詰めていくことにしようか♪集客の話とかもあるしね♪」
「分かりました。無理そうな物は断っても良いんですよね?」
「それは勿論だよ♪それに、有珠様の許可が下りない物もあるかもしれないからね♪」
「了解です」
甲示もヘルメスの説明で一応納得出来たようです。
「じゃあ、試しに1回テストプレイしてみようか♪改善点などが有れば忌憚なく言ってもらって良いからね♪」
「テスト……プレイ……?」
「そうそう。一度、流れを確認した方が良いからね♪今回の依頼主は有珠様に設定します♪甲示君、今、困ってる事は無いかな?まずは報酬と依頼する物を決めないとね♪」
会話の流れが早く、理解が追い付かず頭に疑問符を残している甲示を他所にヘルメスは話を進めます。
「困っている事ですか……?そうですねー……。うーん……。あっ!現世から隠世に入ってからここまでの道程が遠いです。最初、現世に帰る時は『スレイプニル』で門まで送ってもらったんですが、2回目以降は有珠様が車をお持ちでないようで、徒歩での移動になっています。せめて自転車があれば助かるのですが……」
甲示の回答を聞き、ヘルメスは何やら考え込みます。
「……何故、スレイプニル?そして足が無い……?有珠様、グリフォンはどうなされましたか?」
「グリフォン!?グリフォンって、あのグリフォンですか!?空想上の生き物のグリフォンですか!?」
流石の甲示もグリフォンは知っているらしく、少し興奮気味で質問をします。
「あやつの事など知らん。勝手に出ていったわぃ」
「はぁ……。また、喧嘩したんですか?……で、今回の喧嘩の原因は何ですか?」
甲示の質問を無視し、ヘルメスは呆れながら有珠に問いかけます。
「今回は本当に心当たりが無いのじゃ」
「そうですか……。では、仕方が無いですね」
「あのー……。グリフォンが戻ってきたら僕も乗る事は可能ですか?」
甲示は期待で目をキラキラさせながら質問をします。
「まあ、乗ると言うか車を牽いてもらうって言った方が正しいかな?直接乗れるかどうかはグリフに聞いてみないと何とも言えないかな♪あっ、因みにグリフは有珠様のグリフォンの名前ね♪」
「乗れないにしても空想上の生き物だと思っていたので1度は近くで見たいなー……。居場所は分からないんですか?」
「最近はネメシスのグリフォンの所へ遊びに行ったり、愚痴をこぼしたりもしていたようじゃのぅ」
「あそこに行っても馬鹿にされるだけだと思うんですけどねぇ……。グリフも物好きですね~♪」
グリフォンの行き先の心当たりを有珠が答えますが、ヘルメスは呆れた様な、それでいて同情をする様な雰囲気の微妙な感想を述べます。
「迎えには行かないんですか?」
「前に行っていたと言うだけなのじゃ。今回も行っているとは限らん。あやつの為に無駄足を運ぶのは癪に障る。……まあ、個人的にネメシスに会いに行くのは吝かではないがのぅ」
「まさか有珠様、未だにネメシス様に……いえ、何でもありません。失言でした。お忘れください」
ヘルメスは何かを吐露しようとしましたが、寸での所で思い止まったようです。
「では、甲示君、こうしましょう♪今回は模擬的に交易をしてみると言う事で、私の靴を一時的に貸し出しましょう♪成功報酬は後日しっかりと考えるとして、私の靴が気に入った場合、プチ出の小槌の時と同様に似た物を作る事にしましょう♪……作るのは有珠様ですが」
「また勝手な事を言いおって」
着々と話を進めるヘルメス。
有珠の指摘している『勝手な事』とは最後の一言を指しているのでしょう。
「ヘルメス様の靴ですか?」
「はい♪これです♪」
ヘルメスは何処からともなく取り出したサンダルを甲示の前に提示します。
有珠の小言は聞き流し、話を進めるようです。
「サンダルですか……?」
「おや?甲示くんは『有翼のサンダル』又は『タラリア』と呼ばれる物をご存じないと?」
「『有翼のサンダル』……?『タラリア』……?初めて聞く名前です」
「そうですか……。結構有名なアイテムだと思っていただけに少し残念です。まあ、私の気持ちはともかく、何か不満がありそうですね?」
甲示の反応を見たヘルメスが率直な意見と疑問を甲示に投げかけます。
「いやー……少し奇抜なデザインだな……と」
「それだけですか?」
「えーっと……。ヘルメス様、裸足ですよね?」
甲示はヘルメスの足元を見て何か思う事があるようです。
「……?はい、基本裸足ですが、何か?」
「誠に申し上げにくいのですが、他人が素足で履いたものを借りるのは少し抵抗があると言うか何と言うか……」
何とも歯切れの悪い返事をする甲示。
まあ、甲示の気持ちも理解出来ます。
「お主が直に履いたサンダルなど履きたくないと言われておるのじゃ。あとはデザインもダサい、センスが無いと遠回しに指摘しておるのじゃ」
甲示がオブラートに包んで言おうとしていた事を有珠が単刀直入にド直球な言葉で指摘します。
自分の意見が無視され、話が進んでいる事に多少の不満があるのでしょう。
言葉に少しトゲを感じます。
「な゛っ!」
有珠の歯に衣着せぬ物言いにヘルメスは言葉を失います。
「なんじゃ?図星を突かれて言葉も出ないようじゃのぅ?惨めじゃのぅ」
何故か有珠は驚愕のあまり呆然としているヘルメスの感情を逆撫でする様な追撃をします。
「ゆ、有珠様にだけは言われたくありません!特に『センスが無い』の部分は容認出来ませんよ!撤回を求めます!!何が『プチ出の小槌』ですか!センス0なのは有珠様の方ではないのですか?それに、今は交易の話を詰めている最中です!デザインなどは関係ありません!そんなだからグリフも家出するんですよ!!」
売り言葉に買い言葉……。
ヘルメスも以前から腹に据えかねる事があったのでしょう。
少しヒートアップし、我を忘れている感は否めませんが、怒りをぶつける様に有珠へ反論します。
「言っているのはワシではなく甲示なのじゃ!それに、グリフの事は関係ないのじゃ!それこそ、今は関係の無い話なのじゃ!!お主は昔から勝手気まま、自由奔放のやりたい放題で……盗みを働いた時も嘯くばかりで反省もしない。尻拭いをする方の立場にもなるのじゃ」
事の発端は有珠の言い草にあるとは思うのですが、更に反論する事で口喧嘩は激化……。
「まあまあ、有珠様もヘルメス様も落ち着いてください」
「「五月蝿い!!」」
甲示が仲裁に入るものの、聞く耳持たず。
口論から口喧嘩、更には罵り合いへとエスカレートし、喧々囂々とした状態となり収拾がつかなくなっています。
甲示としても面倒事に首を突っ込みたくないのでしょう。
部屋の隅の方で小さくなり、静かに事の成り行きを見守るばかりです。
暫くの間、2人の醜い罵り合いは続きます。
甲示も流石に出口の見えない状況に辟易したのか、現状を打開する為、再度2人に声を掛けます。
「あのー……。まだ、続きますか?なーくんの事も心配なので、一旦帰っても良いですか?落ち着きそうな頃に再度訪問し直しますので……」
「「……」」
甲示の一言で冷静になったのか、罵り合いに疲れて一時休戦したのかは不明ですが、とりあえず落ち着きは取り戻したようです。
「そうですね。不毛な争いは控えましょうか♪今回は一時的に能力を譲渡する形で妥協し、話を戻しましょう♪」
「まあ、賢明な判断じゃな」
「それで、今回、僕は何をすれば良いのでしょうか?」
何とか平静を取り戻し、交易の話が進みそうな雰囲気を感じ取り、甲示は先程までの話の続きを促します。
「そうですね~……。今回はテストプレイなので簡単な物にしましょう♪ん~……例えば、何か食べ物を持ってきてもらうなんて依頼はどうでしょうか?」
「まあ、物にもよるが飲食物なら問題無いじゃろぅ」
今回の依頼内容は決定していたのに、恰も今、思いついたかの様な白々しい演技をする2人。
「食べ物ですか?お供え物ですか?お酒とかお米、水、塩とかですか?」
「有珠様、如何なさいましょう?」
「そうじゃのぅ……。あまり味気ない物でもツマラン。甘味などを試しに持ってきてもらうのはどうじゃ?」
「甘味……?甘味処とかの甘味ですか?甘い食べ物の事ですよね?お菓子って事ですか?果物も大丈夫ですか?」
「あー……そう言えば、丁度お茶菓子が切れていました♪丁度良いので、御茶請けになるような物にしましょう♪」
あくまでも自然な感じで誘導するつもりの様です。
「では、御茶請けになるような甘い食べ物で宜しいでしょうか?」
「せっかくの機会じゃ、何か縁起の良い物などの何か他の条件も付けるかのぅ」
「縁起の良い物ですか?……、有珠様、では栗は如何でしょうか?殻と渋皮を取った栗は『搗ち栗』と言い『搗ち』が勝利を意味する『勝ち』と響きが同じで日本では縁起物とされ、出陣や祝勝、正月の御節などでも用いられています♪難易度は少し上昇しますが、許容の範囲内だと思います♪」
「うむ……。そう言う事なら栗を使った御茶請けを依頼するかのぅ」
「との事です♪甲示君、依頼の難易度が上がりましたがお願い出来ますか?」
「分かりました。心当たりが有るのでに直ぐに購入出来ると思います」
甲示の返答を聞き、有珠とヘルメスはアイコンタクトを取り『計画通り』と言わんばかりの表情でニヤリとほくそ笑みます。
「そうか。では、よろしく頼むぞ」
「はい。それでは購入してきます」
「あっ、甲示君、チョット待って」
「はい?」
「一時的にタラリアの能力を付与したアンクレットを貸与しましょう♪能力を使えるのは隠世のみに制限してあるので注意してくださいね♪」
「タラリアの能力とは何ですか?」
「飛行能力と移動速度の上昇です♪平たく言えば『空中を素早く移動できる能力』だね♪」
「おぉ!どうやって飛ぶんですか?」
タラリアの能力を聞いた甲示は感嘆の声を上げます。
甲示は右足にアンクレットを装着しながら質問をします。
「イメージするだけで大丈夫だよ♪……たぶん。……一応、制限は設けてあるから浮き過ぎず、速度も速すぎずで安全だとは思うけど注意はしてね♪」
「イメージ……。浮くイメージ……」
ヘルメスの説明は『たぶん』だの『思う』だのと不確定要素が多く、一抹の不安を感じざるを得ないものですが、甲示は素直に説明を受け入れたようです。
ヘルメスの説明通りに浮くイメージをし、空中浮遊を試みます。
「試運転は外でやるのじゃ。怪我をされるのも、家の中を荒らされるのも困るのじゃ」
室内でアンクレットの力を使おうとする甲示を有珠が諭します。
「すみません。そうですね。壁とか天井にぶつかったら大惨事になる所でした。少し外で練習してみます」
甲示は自分の非を認め有珠に謝罪します。
甲示とヘルメスは外に出て、アンクレットの練習を兼ねた試運転を開始します。
「ヘルメス様、制限があると仰ってましたが、どのような制限なのでしょうか?」
「高度と速度だよ♪高さの制限は地面からアンクレットまでの距離が20mの位置までで、速度の制限は最高時速が50km/hだね♪」
「高さと速さに何か意味はあるんですか?」
「制限の事かい?特に数値の意味は無いけど、一般的な木の高さが15m程度だから20mあれば回避可能だと思ったのと、20mなら万が一落下したとしても大丈夫そうな高さかなって思っただけだよ♪大丈夫って言うのは死ななそうって意味で、怪我をしないって意味じゃないよ♪速さも50キロあれば十分かなって思っただけで意味は無いよ♪高すぎても速すぎても危険だからね♪」
「なるほど。確かに慣れるまでは少しずつ高度や速度を上げるようにしないと危なそうですね」
「じゃあ、まずは軽く浮いてみようか♪」
「はい」
甲示は短く返事をしたあと瞼を閉じ、自分が地面から少し浮いている姿を思い浮かべます。
「甲示君、目を開けてみて」
ヘルメスの指示に従い目を開けます。
甲示の身体は地面から10~20cm程度の位置で浮揚しています。
「おぉ~!本当に浮いてる!!」
甲示は右足を軽く上げ、靴底を確認するような動作をしながら感想を述べます。
空中でも地面に立っている時と同様の感覚で不自然に倒れ込むような事はありませんでした。
「うん。大丈夫そうだね♪あと、そこまで集中しなくても、少し浮きたいとか沈みたい、上昇したい下降したいって思うだけでも大丈夫だと思うよ♪」
ヘルメスの指示通り、頭の中で上昇と下降を行いたいと思います。
操作は想像以上に容易らしく、思い通りの高度を取る事に成功しました。
「本当だ」
「じゃあ、次は移動の説明に移るね♪同じように想像すれば移動は可能だと思うけど、それだと趣が無いから歩く時に地面を蹴るのと同じ感覚で空中を蹴ってみてね♪本当は上昇する時も階段や坂道を上る感じで浮上してもらいたいんだけど、それだと直上が出来ないからね♪」
「はい…………。おぉ~、凄い!空中散歩してる!!」
いつもより高い位置を歩きながら甲示は無邪気に喜びながら感想を述べます。
「問題ないかな?」
「はい、普通に歩いているのと同じ感触なので違和感は無いです」
「そう。それは良かった♪早く移動したい場合は走る時みたいに強く蹴り込んでみてね♪」
言われるがまま、甲示は走る時の様な感覚で少し強めに空中を蹴り出します。
「はやっ!」
1秒ほどで5~6m程進みました。
時速換算で約20km/mと言った所でしょうか。
初速でそれほどの速度を出しているのにもかかわらず、空気抵抗などは無いようです。
甲示もあまりの速さに驚いています。
「満足出来ましたか?」
「はい。凄いです!予想以上です!!」
甲示もアンクレットの性能に満足しているようです。
実際に体感した事で興奮気味です。
「そうですか♪それは何よりです♪では、交易の件よろしくお願いします♪」
「はい、行ってきます」
甲示はヘルメスへ返事をし、颯爽と交易と言う名のお使いへ出掛けるのであった……。
部屋に戻るヘルメス……。
「甲示君は計画通り買い出しに向かわれましたよ♪」
「そうか。上手くいったようじゃのぅ」
「えぇ♪それでは、甲示君が戻った後は交易の話がうまく運ぶように手回しをお願いしますね♪」
「うむ」
甲示が自分たちの思惑通り動いた事に満足する2人。
甲示に交易をさせる話は今後どのような方向に進むのでしょう……。
一方、甲示は……。
「うわー。本当にあっという間に着いた」
アンクレットの力を駆使し、現世に戻る門の前に到着しました。
「此処まで全力疾走したけど全然疲れないし、本当に便利なアンクレットだな~」
甲示は左足に装着したアンクレットを眺めながら能力に感心したような感想を呟きます。
甲示の感想から察するに、飛行能力、高速移動の他にも疲労軽減か無効の効果も付与されているようです。
甲示は門を潜り、隠世から現世へ戻ります。
「本当にコッチで使えないのかな?」
現世に戻った甲示が最初に取った行動はアンクレットの動作テスト。
自身が浮くイメージをします。
……ですが、何も変化はありません。
足も地面にピッタリとつき、離れる気配がありません。
「やっぱりダメか~。飛べたら山の上り下りも楽になって便利なんだけどな~」
甲示は現世ではアンクレットの力が発動しない事を確認し、独り言ちます。
効果の検証についてはヘルメスから事前に現世では使えないとの忠告もあった為、1度の確認で諦めたようです。
確かにアンクレットの力を使えれば便利ですが、他の人に浮いてる所や車並みのスピードで移動している所が露見したら一大事です。
写真や動画を撮られ、白日の下に晒されでもした場合、目も当てられない事態に陥るでしょう。
うっかり誤動作などでの能力が発動しないように隠世限定にしたヘルメスの判断に寧ろ感謝するべきかもしれません。
「使えないのは仕方が無い。それより、急いで出てきちゃったから何も持ってないな……。一旦お財布を取りに戻らないと買い物も出来ないな……」
有珠からの緊急連絡と勘違いをし、着の身着のままで家を飛び出した甲示。
有珠からの要望に応える為にはお金が必要です。
しかし、現在は手ぶら状態……。
一旦帰宅して、準備を整える事にしたようです。
~自宅~
「ただいま~。なーくん、戻ってるー?」
玄関の戸を開け、帰宅時の通例として誰に言うとも無く帰宅した事を伝え、なーくんが帰宅しているかの確認も怠りません。
……しかし、返事も物音もありません。
まだ外出中なのでしょう。
「居ないかな?用事は1人で済ませちゃおう」
甲示は自室へと財布を取りに向かいます。
財布を手にした甲示は再び外へ。
「でも、タイミングが良かったかも。最近、ケンちゃんのお爺さん達にお礼の品って事で買い物をしてなかったら和菓子の発想は無かったかも。栗を使ったお菓子って『モンブラン』くらいしか思い浮かばなかったかも。でも、洋菓子って日持ちしないから、すぐに食べない時の御茶請けには向かないんだよね……。危うく栗を使ったお菓子を一生懸命考える所から始めないといけない状況だったかも……」
外に出た甲示は玄関の鍵を掛けながら目的の御茶請けの事を考えながら独り言ちます。
そして、有珠からの依頼を達成する為、和菓子屋へ向かいます。
~和菓子屋~
「いらっしゃいませ」
店内に入ると店員さんの元気な挨拶で出迎えられました。
甲示は軽く会釈をし、陳列棚の前へ歩を進めます。
「うーん……。意外と種類があって悩んじゃうなー。どれが良いかな……」
「何かお困りですか?」
陳列棚の前で真剣な面持ちで悩む甲示を見兼ねた店員が声を掛けてきました。
「はい。縁起の良い栗を使った御茶請けを探していたんですが、栗を使った商品が意外と多くてどれが良いかな?と迷っていました」
甲示は店員へ事情を掻い摘んで説明します。
「そう言う事でしたか。それなら────」
「ありがとうございました」
会計を済ませた甲示の手には店の小袋。
店員の説明を聞き、納得出来る品を購入し達成感からか満足気な様子です。
「これで有珠様からの依頼も達成。後は戻るだけなんだけど、なーくんはどうしようかな……。有珠様の所に連れて行く理由も無いし、今日は僕だけでも良いかな?」
お目当ての品を入手し、少し上機嫌な甲示。
なーくんの事を気にかけてはいるようですが、最終的に1人で有珠の元へ帰還する事に決めたようです。
購入した商品に相当満足しているのか、今にも小躍りするのか?と疑いたくなるほど有珠邸へ向かう甲示の足取りは軽いです。
~有珠邸~
「有珠様、戻りましたー」
現世での山登りで多少の疲れはあるようですが、隠世での移動はアンクレットの能力もあり疲れ知らず。
本日2往復目ですが甲示は疲れを全く見せず、元気一杯に玄関の戸を開け放ち有珠に声を掛けます。
そして、有珠からの返事を待たず家の中へ侵入します。
家の中に入ると一目散に有珠たちの居た部屋へと向かいます。
「有珠様、お待たせしました。依頼通りの品を見つけましたよ。有珠様も満足すると思います」
「おぉ、早かったのぅ」
「はい。近所に和菓子屋さんがあって助かりました」
有珠は甲示の右手にある紙袋を確認して満足気に目を細め微笑みます。
甲示も有珠の依頼通りの品を発見し、持参出来て満足そうにニコニコと笑みを浮かべています。
「では、品物の受け渡しと報酬の話に移るとするかのぅ」
「せっかくですから甲示君に依頼した御茶請けを摘みながらに致しましょう♪今、お茶を淹れてきますね♪」
ヘルメスは有珠の逸る気持ちを慮り、茶の準備に取り掛かります。
「有珠様、こちらが依頼された品物です」
甲示は少し神妙な面持ちになり、紙袋を有珠に手渡します。
「うむ」
有珠は甲示から紙袋を受け取り、折箱と取り出し、箱を開け中身を確認します。
箱の中身は……。
「な、なんじゃこりゃー!どう言う事じゃ!?」
「どう言う事と言われましても、栗入りのどら焼きですが……」
栗羊羹ではなく、栗入りのどら焼き……。
予想外の品に有珠も多少取り乱し気味です。
「何かありましたか!?」
有珠の声に驚き、お茶の準備をしていたヘルメスが駆けつけてしまいました。
「有珠様、和菓子屋の店員さん曰くですね────
『どら焼きは2つの皮で餡を包む形状をしている事から関係を包む事と関連付けられ、円満な関係を築くことが出来ると言われています。更に、古来より小豆には厄除けの効果があるとされていて縁起の良いものとされています。お客様の条件にピッタリな贈答品だと思います』
────との事で、有珠様の出した条件を完璧なまでに満たした御茶請けだと思います。……もしかしたら期待以上の品かもしれません。最近、友達の家に手土産手土産として違う種類のどら焼きを持って行った事があったんですが、どら焼きが縁起の良い食べ物だとは知りませんでした。偶然ではあったのですが────」
甲示は自信満々に和菓子屋の店員の言葉を借りながら説明をします。
甲示的には『縁起の良い栗を使用した御茶請け』で100点。持参したどら焼きは『縁起の良い栗を使用した縁起の良い御茶請け』なので100点以上と考えているのでしょう。
そして、気を良くした甲示は、健太の祖父母の家に菓子折りを持参した時の事を饒舌に語り始める始末……。
「な、なぜ栗羊羹じゃないのじゃ……」
有珠の要望は『<縁起の良い(とされている)>栗を使用した御茶請け』、和菓子屋の店員は甲示から要望を聞き『栗を使用した<縁起の良い(とされている)>御茶請け』と誤解したのが一番の原因でしょう。
まあ、それ以外にも色々と原因はありそうですが……。
「栗羊羹ですか……?」
有珠は栗羊羹を購入してくるものだと勝手に思い込んでいたので落胆の表情を隠しきれません。
甲示としては『栗を使った御茶請け』としか指示されていなかった為、『栗羊羹』と言う品名を出されても寝耳に水の話。頭に疑問符を浮かべるのみです。
思いもよらぬ有珠の発言に意気揚々と語っていた甲示も話を中断してしまいました。
「わ、ワシは……」
「?」
「栗羊羹が食べたかったのじゃ!!」
「えーーっ!!で、でも、この和菓子屋さんは近所でも美味しいと有名なお店で、羊羹以外でも満足していただける味だと思いますよ。そ、それに、店員さんがオマケで栗最中も付けてくれたので、今回はどら焼きだけじゃなく最中まで楽しめて、とーーーってもお得ですよ。……それに、羊羹って商品の中でも高くて手が出し難い部類なんですよ……」
有珠のまさかのカミングアウトに甲示もタジタジです。
紙袋を漁り最中を取り出し、有珠の手に半ば無理矢理持たせ、何とか取り繕おうとしますが無駄な努力でしょう。
それに、最後にボソッと呟いた一言が本音なのでしょう。
甲示の中では値段の観点から羊羹は選択肢にすら入っていなかったようです。
「まあまあ、有珠様も落ち着いてください」
ヘルメスが有珠を宥めます。
「そうですよ。それに、栗羊羹が食べたかったのなら、何故、素直に『栗羊羹を買ってこい』って言ってくれなかったんですか?言ってくれれば、栗羊羹を買ってきましたよ。それにきっと、どら焼きも最中も羊羹と同じくらい美味しいですよ」
「……」
甲示の正論に言い返す言葉が思い浮かばず、手に持ったどら焼きと最中を交互に見つめる有珠。
そんな有珠の前にヘルメスがお茶を差し出します。
「そうですよ。せっかく甲示君が購入してきてくれたんですから、美味しくいただかないと損ですよ♪」
「完璧な計画だと思ったんじゃがのぅ……」
完璧とは……?と首を傾げたくなります。
それはともかく、有珠は左手に持った最中を徐にテーブルへ置き、どら焼きの包みを開け、一口頬張ります。
「どうですか?」
「ふっくらしっとりと丁寧に焼き上げられた生地と主張しすぎず甘すぎない餡と栗の素晴らしい調和。……悔しいが味は認めざるを得んのじゃ」
お茶を一啜りし、有珠がどら焼きの感想を述べます。
「それでは、交易は完了でよろしいすか?」
「そうだね♪一応、交易だから私達からも何か対価を渡さないとね♪何か欲しいものはあるかい?」
「アンクレットを先に渡しておるじゃろぅ」
「アンクレットは急な頼み事に対する物で貸与しただけですよ♪羊羹以外を購入してこなかったからって意地悪い事を言わないであげてください♪」
「ふんっ」
どら焼きの味には納得していたようですが、栗羊羹が食べたかったと言うのが本音なのでしょう。
「アンクレットと言えば、現世でも使えるように出来ませんか?とっても便利だったので、隠世限定なのが残念です」
「現世でも使えるようにですか~……。有珠様、如何いたしましょう?流石に空を飛ぶのはダメだと思いますが、何か妙案はありますか?」
「要は足が速くなれば良いだけの話じゃろぅ?そんなのは簡単なのじゃ」
「本当ですか!?」
有珠の言葉に目を輝かせる甲示。
「準備するから少し待って居るのじゃ」
有珠は甲示に待機するように指示すると奥の部屋へと消えていくのでした……。
暫く待つと有珠は片手に何かを拵えて戻ってきました。
「ほれ、出来たのじゃ」
「何ですかコレは?」
「中敷きじゃ。靴の中に入れると良いのじゃ」
「中敷きは見れば分かるので説明は不要です。この中敷きを靴に入れれば速く走れるようになるのでしょうか?」
甲示は有珠に渡された中敷きを不思議そうに眺めながら質問をします。
「うむ。踵の部分を少し高くし、クッション性を高めた事でスプリングの役割を果たすのじゃ。そして、バネの力を借りる事により走る時の動作の補助を行う事が可能じゃ。それにより、地面を蹴る力がアップしたり、走る動作がスムーズになるのじゃ。他にも土踏まずの部分や指先などを人間の足で走るのに適した形に成形した結果、走るのが速くなるのじゃ。名付けて『俊そk……」
「あー!あーー!!あーーー!!!」
有珠が中敷きの説明を終え、名前を発表しようとした瞬間、ヘルメスが大きな声を上げて阻止します。
「なんじゃ?急に大声を出して」
「いえ、その名前は色々な方面に喧嘩を売りそうでしたので、別の名前にしていただけると幸いです」
「仕方が無いのぅ。今、違う名を考えるから少し待つのじゃ」
「あのー……。有珠様、1つお聞きしたいのですが宜しいでしょうか?」
「なんじゃ、お主も何か文句があるのか?」
「いえ、文句では無いのですが、これもヘルメス様からお借りしているアンクレットや以前のプチ出の小槌の様に不思議な力が宿っているのでしょうか?」
「はぁ?お主は何を言っておるのじゃ?そんなもん宿っとらん。お主らの現在のスポーツ科学のレベルに合わせて作った代物じゃ。強いて言うなら、隠世の素材を使った点が特別じゃな。誰の足にでもフィットするようにはなっておる」
「え゛っ?」
有珠からの予想外の発言に甲示の口から奇妙な驚きの声が漏れます。
「そうじゃのぅ……。名付けて『y……」
「少し便利な中敷きに大層な名前はいりません!!」
驚きのあまり思考停止していた甲示ですが、正気を取り戻し、中敷きに名付けを行おうとしていた有珠にツッコミを入れます。
「なんじゃ、不服そうじゃのぅ?」
「いえ、不服と言うか……。もっと凄いものが貰えると期待していたので……。だって、今日、僕、すごく頑張ったと思いませんか?」
「不要なら返しても良いのじゃ」
「不要という訳では……」
自分の働きには見合っていないと主張する甲示ですが、有珠の返却要請に語気は弱まります。
「お主が購入してきた物への対価じゃ。栗羊羹ならもっと良い物だったはずじゃ」
「でも、味には納得してたじゃないですか」
「ソレはソレ、コレはコレ。別の話なのじゃ」
「何か納得いかないな……」
「要らんのか?」
「い、いえ!ありがたく頂戴いたします!!」
これ以上の交渉は不毛。平行線を辿るばかりか、本当に没収されかねないと感じた甲示は妥協して中敷きを受け取りました。
「なら良いのじゃ。そう言えば注意点を言い忘れていたのじゃ」
「何でしょうか!?ま、まさか、注意点があると言う事は、本当は何か不思議な力が……!?」
有珠の言葉に一縷の望みを感じた甲示の目は希望でキラキラと輝きを取り戻します。
「普段使いでは問題無いのじゃが、公式の大会などで使用すると不正になる恐れがあるのじゃ。記録を計る時は規格に合った中敷きを使うのじゃ」
期待していた甲示ですが、有珠の説明の続きを聞き、ズコーと効果音が鳴りそうなリアクションを取ります。
「つまり、大会の規格外になる不正な中敷きってだけじゃないですか!?」
「そうじゃが何か問題でもあるのかのぅ?お主が間違ごうて使用せんよう事前に忠告しただけじゃ。可能なら学校でも使わんように日常でしか使わん靴に入れておくと良い。バレたら没収される可能性もあるし、バレなくても努力して記録を出そうとする者に対する冒涜にもなり得るのじゃ」
悪びれる事無く、何の変哲もない不正な中敷きだと主張する有珠。
「はい……。分かりました……」
甲示はガックリと肩を落とし力無く返答します。
「まあまあ、甲示君。気を落とさないで♪今回は実験的に試行しただけだからね♪次回からは甲示君の納得のいく報酬なり対価なりを渡せるような方法を思案しておくからね♪」
「はい……。よろしくお願いします。では、今日はこれで失礼します……」
「甲示よ」
帰宅しようと部屋の襖に手を掛けた甲示に有珠が声を掛けます。
「何でしょうか?」
「次、来る時は栗羊羹持参で頼むのじゃ」
「……」
甲示は何も返答せず、ピシャリと襖を閉め部屋を出ていきました。
玄関に到着した甲示は手に持っている中敷きを眺め、何かを考えた末に靴にセットをし有珠邸を後するのでした……。
「甲示君、怒ってましたよ?何故、言わなくても良い事をわざわざ口にしてしまうのですか?」
「性分じゃ」
「はぁ……。グリフが家出した原因も有珠様のそう言う所じゃないんですか?」
ヘルメスは嘆息を漏らし有珠の性分をやんわりと咎めます。
「今はグリフの事は関係ないのじゃ」
「そうですね。しかし何故、甲示君に真実を伝えなかったのですか?」
「真実とは?」
「惚けないでください。中敷きの事ですよ。どう見ても低劣なタラリアの様な道具じゃないですか。スポーツ科学だなんて嘘を言う必要は無かったのでは?本当の能力を伝えていれば甲示君も喜んだと思いますよ?」
「無暗矢鱈に能力を発動されても困るのじゃ。能力を大幅に制限しているとはいえ、普通より少し便利な中敷きだと思っていれば必要以上の力を発揮する事もないのじゃ。それくらいで丁度良いのじゃ……」
「そうですか。有珠様には有珠様のお考えがあるようですが、あまり他の人を不快にさせたり落胆させたりするような言動は控えてくださいね♪上手く隠せているとお思いの様ですが、甲示君は『あの時』の子なのでしょう?」
「ふんっ」
(本当に分かり易い反応ですね……。今回は引く事にしましょう♪)
有珠は咎められた事を不服に思うと同時に痛い所を突かれ、不満気に顔を顰めると、これ以上の問答は不要と言わんばかりに不貞腐れたように外方を向き口を閉ざすのでした。
そして、ヘルメスはソレを理解した上で追及は避ける選択をしたようです。
一方、自宅に到着した甲示は……。
「ただいまー。なーくん、戻ってるー?」
返事も無く、物音も立ちません。
何より廊下が綺麗なので、なーくんはまだ帰宅していないようです。
「でも、なんだかんだで歩くのは楽になったかも。山は下りだけしか体験してないけど、今までよりは楽だった気がしないでもない。流石スポーツ科学の粋を結集させた中敷き?……気のせいかもしれないけど」
甲示は玄関で靴を脱ぎ、脱いだ靴をマジマジと見詰めながら中敷きの感想を述べます。
効果を実感してなのか、有珠に対する不満は軽減されているようです。
丁度その時、玄関の磨りガラスに見慣れた影が映ります。
「なー」
「あっ、なーくんおかえり。今日、有珠様の所に行ってきたんだよ。なーくんは何処に行ってたの?」
玄関の戸を開け、迎え入れてくれた甲示には目もくれず、なーくんは横を通り過ぎ廊下に足跡を残しながらテクテクと居間へ向かうのでした。
甲示はなーくんの足跡をモップで掃除をしながら居間へ。
定位置の座布団の上に鎮座するなーくんの姿を確認し、甲示も定位置に座ります。
「なーくん、今日ね、有珠様の所に行ってきたんだよ。それでね、ヘルメス様って神様に会ってね、交易のお仕事をすることになったんだ────」
興味無さ気に欠伸をしたり、首元を掻いたり、毛繕いをしたり。……挙句の果てに丸くなって眠るなーくんを相手に甲示は今日の出来事を語ります。
ヘルメスに出会った事に始まり、最後は有珠に栗羊羹を催促された話まで。
途中、愚痴をこぼすような内容も含まれていましたが、話している最中に留飲は下がったようです。
出来事を語り終わる頃には和やかな笑みを浮かべながら考え深げに今日一日を振り返る甲示。
そして……。
「あっ……。ヘルメス様にアンクレット返し忘れた……」
なーくんに今日の出来事を話し終え、靴下を脱ごうとした時にアンクレットの存在を認識し、返し忘れていた事に気が付く甲示なのでした……。
─ つ づ く ─