03.鍵を握る少年
自由に使っていいと、案内されたのは八畳程の広さの部屋だった。
鏡台と文机、寝床として板張りの床の一部に畳が敷かれている、一見質素だが使われている木材は良い香りがするし、最上級の客間だろう。
文化が違うから仕方無いとはいえ、出来れば寝具は柔らかいベッドが良かったのだが贅沢は言えない。
しかも、ご丁寧に部屋の天井には監視用のためか魔石がはめ込まれている。
これは、ラクジットが逃げないようにする監視用の魔石だと気付き、無条件で歓迎されていないと分かっていても呆れた。
さすがにだらだら過ごしている姿を見られたくないし、監視されるのは気に入らない。
幻惑魔法を使い、カモフラージュの映像を映すようにした。
「ああ、そうだ」
足早に退室しようとする女中を引き留める。
「あの、さっきの体当たりしてきた男の子は何だったのですか?」
大きく目を見開いた女中は、次いで何かに怯えるように視線を泳がした。
「あの方は……」
口ごもる女中に反則だと思いつつも、ラクジットは彼女に弱い自白魔法をかける。
怯えた様子を見せた彼女を気遣い、部屋に空間遮断結界を張るのも忘れない。
ぼんやりした状態の女中から話を聞き終わり、かけた魔法を解けば会話の記憶は全て消えた彼女は、不思議そうに首を傾げながら退室していった。
一人きりになった部屋の真ん中で、座布団に座ったラクジットは「うーん」と唸ってしまった。
女中の話を纏めるとこうだ。
体当たり未遂をした少年は、三年前に亡くなったマサユキの弟アキマサ・ムラカミの子。
ただし正妻の子ではなく妾の子のため、家督を継ぐ権利は皆無の存在。
少年の父親アキマサ・ムラカミはワコク内でも有名な剣豪であり、とても優秀な人物で家臣からは兄よりも領主に相応しい、とまで言われていた。
そんなアキマサの息子は、マサユキと彼の側近達にとっては邪魔者以外の何でも無いが、先代に仕えていた発言力のある重臣やアキマサを慕っている者達が少年を守っていて手が出せないでいる。
さらにマサユキの娘が少年を弟扱いで側に置いているため、一部の家臣からは家督を継ぐのは彼ではないかとも、囁かれているのだそうだ。
揺れるムラカミ家を家臣達は何とか纏めようとしても、マサユキは現在の正妻カリーシャに夢中で彼女の言いなり状態となっている。
しかも現在カリーシャは妊娠中で、性別は関係無くその子を後継ぎにするとマサユキは宣言しているらしい。
その正妻のカリーシャについては、三年前にマサユキが「難破した異国からの船の生き残り」とある日どこからか連れ帰ってきて、今では彼の正妻となってしまった。
「何とも、胡散臭い」
悪鬼が解放されたのも、マサユキの弟アキマサが亡くなったのも、カリーシャが現れたのも三年前とは。
「悪鬼とやらに会うのが楽しみだな」
呟いてラクジットはクスリと嗤う。
鬼退治は親切心からでもエルネストからの依頼でもない。
自分の奥底にある竜の本能、この状況を愉しんでいる自分を鎮めるためだった。
虫の音も風の音も聞こえない静かな夜。
黒い影は、息を殺して襖を開けようと引手へ指をかけた。
「こんな夜更けに何かご用?」
耳元へ流し込まれる声と同時に首筋へ冷たい物が触れる。
黒い影、少年はビクリと体を揺らして固まった。
首筋に当たるのは、鞘に入れたままだが強い力を持つ漆黒の魔剣。
「……俺を殺すのか?」
早鐘を打つ心臓を落ち着かせるために、呼吸を整えようとして少年は呻くように口を開く。
「殺す? 私には少年をいたぶる嗜好はないけど?」
首筋に当てた魔剣を外し、ラクジットは体を強張らせる少年の手首を掴んだ。
「とりあえず、こっちにおいで。部屋には結界を張ってあるから、誰にも覗けないし話は聞かれないよ」
我に返った少年が拒否する前に、襖を開いて彼を室内へ押し込めた。
「うわぁ!?」
無理矢理室内へ押し込まれた少年の顔を、巨大なナニかがベロンと舐める。
生暖かく獣臭い唾液で顔をびちゃびちゃにされた少年は、いきなりの展開についていけず目を白黒させた。
少年の顔を唾液まみれにした犯人、部屋の三分の一ほどを埋める白い毛足の長い巨大な犬は、千切れんばかりに尻尾を振り回す。
「やめっぶっ」
「ふふっ、吃驚した? この子は襲ってこないから大丈夫だよ。畳で寝るのに慣れなくて、召喚したの。モフモフで気持ちいいでしょ」
全力で魔獣に頬擦りされて仰向けに倒れた少年を助け起こしたラクジットは、水魔法で出した水で手拭いを濡らし、唾液と毛まみれになった彼の顔を拭いてやる。
少年を気に入って遊びたそうにしている魔獣にはお預けをしてから、半泣き状態の彼の正面へ座った。
「で、少年は何故私に夜這いをかけたの?」
問われた内容を理解しきれないのか、ポカンと口をあけた少年の頬が数秒後には真っ赤に染まった。
「は? よ、よばっ!? ちっ違う、俺はアンタが姉上の代わりに生け贄にされると思って、だから、その」
「ふうん、やっぱりそういうことか。定番パターンね」
何か企んでいそうなマサユキの思惑は、物語の定番内で少しばかり残念だと感じてしまった。
代わりの生け贄にされるのは想定内とはいえ、カリーシャの舌舐めずりしていそうな嫌な視線には引っ掛かりを覚える。
「姉上は、あの男の命令で主上の後宮へ入る予定だったんだ。だけど、生け贄に指名されてしまって、あの男が焦っていた時にアンタが現れたから」
「マサユキ氏は私を代わりの生け贄にしようと、御使い様とか言って迎え入れたのね」
伝承の御使い様と同じ銀髪の女、ラクジットがそこそこ戦えると分かり、尚好都合だと思ったことだろう。
鬼退治を了承した時のマサユキの笑顔は、上手くことが運びそうだという喜びからか。
「アイツの傍に張り付いているあの女が、そうするように指示したんだと思う。俺には年老いた醜い魔女にしか見えないのに、アイツは魔女が絶世の美女に見えるらしく、骨抜きにされているんだ。アイツを諌めようとした父上はあの魔女の指示で、悪鬼討伐に行かされて殺された。魔女はアンタを気に入ったみたいだから、早く此処から出ていかなきゃアンタも魔女か鬼に喰われるぞ」
正座で座る足の上に置いた握った手に力がこもる。
口を真一文字に結んだ少年は、どうやら本心からラクジットを心配しているようだ。
「悪鬼に魔女か……成るほど」
少年の話と状況から、ラクジットの脳裏にある仮説が浮かんだ。
もしも、仮設通りだったら鬼退治は簡単にはいかない。
「情報をありがとう。明日の朝一番で鬼退治に行ってくるよ。君のお父さんの敵討ちをしてくるから」
笑みを浮かべて、ラクジットは少年の頭を撫でようと手を伸ばした。
バチッ!
少年の頭へ触れた瞬間、青白い火花が弾けとんだ。
咄嗟に、ラクジットは伸ばした手を引っ込める。
「なっ?」
青白い火花は炎となり少年の全身を包み込み、やがて彼の中へ吸い込まれるように消えた。
「なん、だ? これ……?」
自分の体に起こったことが理解出来ない少年は、炎が消えた心臓付近を撫でながら何度も目を瞬かせる。
「もう、戻りなさい。そろそろ使用人達が起き出してしまうよ」
自室へ戻るよう促して、戸惑う少年を立ち上がらせる。
少年の背中を見送ったラクジットは静かに襖を閉めた。
(あの子、力を封印されている? 何のために? それに、この感覚は、何だろう? この町全体を守護する力に似た力があの子を包んでいるわ)
青白い火花が出た時に感じた封印の存在。
何のために施されているのか分からないが、僅かに封印が綻び漏れた魔力によって彼にはカリーシャの本性が見えているのだろう。
もう一つ分かったのは、少年はかなりの魔力と才能の持ち主だということ。
そこまで考えてようやく気付いた。
(私、自己紹介していない上に、少年の名前知らない)
明日の朝、少年に会えたら名前を聞こうと思いながら、ラクジットは魔獣の毛皮に体を預けた。




