34.生贄だったお姫様は幸せになりました
5章終話になります。
クラス当番の仕事を終え、エルネストの研究室から教室へ戻って来たラクジットは、教室内へ射し込む夕陽が眩しくて目を細めた。
「あれ? まだ残っていたの?」
「ええ、ラクジットさんに聞きたいことがありまして」
「私に?」
神妙に話を切り出すレイチェルは周囲の気配を気にしていて、アレクシスとの間に何かあったのか心配になった。
痴話喧嘩でもしてくれた日には、アレクシスが荒れまくって側近達から泣きの連絡が来そうだから。
「先日行われたカイルハルト皇子の立太子はとても素敵でしたわね。お父様によると、貴族達は挙って娘や親類の若い娘達を婚約者候補へと推しているそうですわ」
「そう、みたいね」
病気療養中だと長らく表舞台から遠ざかっていた第一皇子、彼が新たな皇太子として登場したことで学園中の令嬢達が色めき立っているのは知っていた。
そして件の皇太子、カイルハルトは、貴族達から山のように持ち込まれる縁談を全て拒否していることも。
「何故、ラクジットさんはカイルハルト殿下の婚約者となるのを了承しないのですか?」
婚約の話はトルメニア皇帝からも、アレクシスからも打診されていた。
強い魔力を持っていてラクジットの事をよく知っているカイルハルトは、人柄も地位も竜の王女の結婚相手として申し分はないだろう。
「ラクジットさんとカイルハルト殿下は、お互いを信頼し理解しあっているように見受けられます。それなのに、どうして?」
婚約の話を知る者達から繰り返し問われる「何故」。
問われる度に、ラクジットは自問自答していた。
カイルハルトのことは嫌いでは無い。むしろ自分には勿体無いくらいの相手だ。
「どうして、か……」
じっと見詰めてくる、レイチェルの視線に堪えられずラクジットは目蓋を伏せる。
「幼い頃、帝国から追われたカイルと出会った時から、ずっと彼は傍にいてくれた。私の都合に付き合わせてしまった、何度も死にそうな目にもあった。彼は誰よりも私のことを理解してくれていると思う。でも、私じゃ駄目なの。私は彼を傷付けてしまうから」
ふぅ、ラクジットは息を吐く。
お互いを理解しているからこそ、カイルハルトには幸せになって欲しい。彼を傷付けたくない。
「私の中には、ずっと忘れられない人がいる。だから彼とカイルを比べてしまうだろうし、何処と無く似ているカイルの中に彼の面影を探してしまう。今はそれでもかまわないと言っていても、いつかお互い絶対につらくなる。好きな相手なら、猶更じゃないかな?」
ラクジットからの問いに、レイチェルは首を傾げた。
「そうかしら? カイルハルト様は誰かを想っている貴女も、全て受け入れているように見えるわよ? 私もラクジットさんみたいに、最初はどうするべきか悩んでいたの。私のアレクシス様への想いは、レオンハルト様から得られない恋慕を彼となら得られるのではないか、私を蔑ろにするレオンハルト様を後悔させられるかもしれない、という不純なものでした。でも、アレクシス様は私を受け入れ寄り添ってくれたの。それで、あの方の傍らは何て居心地の良い場所なんだろうって、どんな私でも大丈夫だって思えたわ」
はにかむレイチェルの頬は、夕陽の光に当たっても分かるくらい真っ赤に染まっていた。
「あ、勿論、素敵な方だから求婚を受けたのですけど」
慌ててそう付け加えたレイチェルは、本心から幸せだと思っているのが分かる。
真っ赤になってしまったレイチェルが可愛らしくて、彼女につられてラクジットも笑顔になった。
「居心地の良い場所か」
(幼い頃から傍らに居てくれ、ずっと支えてくれたのは……カイルだったな)
常にラクジットの前に立ち、剣と成り盾と成っていてくれたのはカイルハルトだった。
ラクジットは両手を握り締めた。
***
週末、イシュバーン王国王女宮へ戻りアレクシスの執務を手伝っていたラクジットの執務室へ、来客を知らせにユリアが小走りでやって来た。
誰が来たか言われなくとも、先に気配で分かっていたラクジットは、昨日のレイチェルとの会話を思い出して胸を押さえる。
週末になる度にイシュバーン王国へ戻るラクジットに合わせて、ほぼ毎週彼はやって来るのだ。
「花が綺麗に咲いたから」と、変に気を利かせた侍女達が庭園へ用意したティーセットを前に座るカイルハルトへ、能天気を装いヘラリと笑う。
「忙しいのに時間を作るのは大変じゃなかった?」
黒い詰め襟服を着たままのカイルハルトは、皇太子としての仕事を終えて直ぐ此処へ来たのだろう。
特に約束はしていないから、忙しいなら毎週末無理して来なくてもいいのにと毎回伝えていても、彼はやって来る。
「いや、大丈夫だ。全部終わらせてきたから。そっちは終わったのか? それから学園は落ち着いているか? その、お前の周囲に変な奴は彷徨いては……いや、いい」
目を逸らしたカイルハルトに、何時もだったら心配性だなーとしか思わないのに、今日は何故だか落ち着かない気分になる。
「そうそう、学園と言えば、学祭中カイルの話で持ちきりだったよ。女の子達は、もしかしたらカイルに見初めて貰えるかもしれないって期待しているみたいで」
「いらない」
ラクジットの言葉に被せるように言って、カイルハルトは手を伸ばす。
伸ばされた指先が、テーブルの端に置いていたラクジットの手へ触れた。
「俺は、ラクジット以外はいらない」
「えっ?」
あまりにも唐突で、直球過ぎる想いをカイルハルトからはっきり告げられ、ラクジットは理解しきれずに口をポカン開けた。
数秒遅れて、一気に頬へ熱が集中していく。
口をパクパク開閉させるラクジットの反応を見て、カイルハルトは苦笑いを返した。
「エルネストの所に居た頃、将来の話をしたことを覚えているか?」
「えーっと、何だっけ?」
動揺が収まらないラクジットの手を握るカイルハルトの指に力が入る。
「将来、暗黒竜から解放されて自由になったら世界中を旅したい。毎日、美味しいお菓子を食べられる穏やかな時間過ごしたい。だったな」
「ああ、月光石を取りに行った時に話した気がする」
初めての二人での冒険、月光石の洞窟で滑って転ばないように二人手を繋いで歩いた時、お互いの将来の夢を話していた。
カイルハルトの夢は何だったのか。数秒考えて、やっと思い出したラクジットは顔を上げた。
「ラクジットの夢を両方は叶えてはやれないだろうけど、穏やかに菓子を食べる時間は叶えてやれる」
握った手を離さずカイルハルトは立ち上がる。
「いつか、自由に世界中を旅する夢を叶えられるようにするから……」
許しを請うようにカイルハルトはラクジットの傍らへ来ると、ゆっくり片膝を地へ突き躓いた。
アイスブルーの瞳に上目遣いで見詰められて、壊れたように心臓が早鐘を打つ。
見詰め合うこと数秒、顔を真っ赤にしてカイルハルトは俯いてしまった。
「くそっ、アレクシスみたいには出来ないな」
耳まで真っ赤に染めて俯くカイルハルトの姿に、緊張が解れたラクジットはクスクスと笑う。
「恥ずかしがってくれた方がカイルらしいね。アレクシスみたいに甘ったるくされたら、私はどう反応したらいいか困るもの」
握られたままの手を握り返して、ラクジットは躓いているカイルハルトを立ち上がらせる。
繋いだ手はそのまま離れず、ラクジットも椅子から立ち上がった。
(カイルハルトって、こんなに背が高かったの?)
月光石の洞窟では同じくらいの目線だったカイルハルトは、いつの間にか頭一つ分も背が高くなっていた。
あの時、カイルハルトが話した将来の夢は。そう、確か。
「俺は、ずっとラクジットの傍にいる」
将来の夢と同じ台詞。
ハッとなったラクジットは大きく目を見開く。
「だから、俺が死ぬまで傍にいて欲しい」
幼い頃からずっとカイルハルトは変わっていない。
ずっとラクジットの傍に居てくれていた。
視界が潤んでいき、ラクジットは涙が零れ無いように顔を上げる。
「いいの? だって、私は……」
「ヴァルンレッドが忘れられないのは、俺も同じだ。一生忘れられないし、アイツには敵わないと分かっている。だからおあいこだ」
利害の一致とはいえ、助けられてから何時でもカイルハルトの目前にはヴァルンレッドの背中があった。
『カイルハルト、ラクジット様を頼む』
最後の最後でやっと自分の方を振り向いたヴァルンレッドは、初めて見る穏やかな微笑みを向けた。
その笑みを見て、一生かけても敵わないとカイルハルトは覚った。
「敵わないとは分かってはいるが、ヴァルンレッドからは許可は貰っている」
晴れ晴れとした笑顔でカイルハルトは言い切り、そっとラクジットの肩を抱く。
「ヴァルったら、いつの間に」
カイルハルトがラクジットを裏切らないように縛ったのか。
許可と言いつつ、強制するような残酷なところがヴァルンレッドらしくて、泣き笑いのような顔になってしまったラクジットの目から零れ落ちて頬を伝う涙を、カイルハルトの指先がそっと拭う。
「死が二人を別つまで、一緒に歩いていこう」
「……うん」
しっかりとラクジットが頷いたのを確認してから、涙に濡れた頬をカイルハルトの手のひらが包み込んだ。
「姫様ー! カイルハルト様ー!」
「おめでとうございます! ラクジット様ぁ!!」
「今夜は祝賀会ですからねー!!」
建物の影から突然現れたメリッサやユリア、侍女と騎士、使用人達から祝福の大合唱をされて、驚いたラクジットは慌ててカイルハルトから離れようと彼の胸を両手で押した。
「う、うわぁ~!?」
勢いよく押したため、バランスを崩したラクジットの体は後ろへ倒れる。
「ラクジットッ!」
倒れかけたラクジットの体は背中へ回された腕に引き寄せられて、離れるつもりが隙間なくカイルハルトと密着することになってしまった。
「お前達やっとくっついたな」
最後に登場したアレクシスのにやついた表情から、ラクジットは皆に嵌められたと気付いた。だが、そんなことは後の祭りで。
後に、ラクジットとの関係を焦れったく思っていた皆から、お尻を叩かれたカイルハルトが頑張ったとネタばらしをされた。
更に、カイルハルトのお尻を叩いてくっつけよう計画は、レイチェルが企てたと知り……違う意味の羞恥からラクジットの全身は真っ赤になった。
賢帝と名高い皇帝カイルハルトが、イシュバーン王国王女と婚姻を結んだことにより、トルメニア帝国へ竜王の加護と繁栄の世をもたらした。
カイルハルト帝とラクジット皇后の治世はトルメニア帝国随一の太平の時代で、二人の仲睦まじい姿は多くの絵画や書物で後世まで伝えられている。
特に、昼下がりの庭園で過ごす二人きりの穏やかな時間を晩年までとても大事にされていたと、側近の手記には記されていた。
次話から終章に入ります。
蛇足的な話になします。




