29.笑うのは誰だ
途中で視点が変わります。
カトレア学園中庭では、今日も女子生徒の甲高い声が響いていた。
昼休みを平和に過ごしたい生徒は彼女達から距離を取ろうと、次々に席を立っていく。
中庭の日当たりのよい席に座っているのは甲高い声の主、アイリ・サトウの隣の席にはレオンハルト、テーブルを挟んだ向かい側にアーベルト、ルーベンスが座り彼女の話を聞いていた。
「レイチェルさんって酷いの。ラクジットさんが休んでいるのを私が何かしたと思っているらしくて、B組の人達に私の悪口を言っているみたい。さっきB組の人とすれ違った時、睨まれちゃったわ」
眉尻を下げたアイリは力無く肩を落とす。
「はぁ? アイリがそんなことをするわけ無いのに、本当にレイチェル嬢は意地悪だな」
アーベルトは苛立った勢いで自分が座る椅子を叩く。
肩を落とすアイリを抱き寄せたレオンハルトは、絹糸のような彼女の髪を撫でて慰める。
「レイチェルめ、そんなことをするとは。ただでさえ、アイリを呼び出そうとした学園長に腹が立っているというのに」
図書館で魔法を使用した疑いがある、と言って来た学園長の手配した者達の態度を思い出して、レオンハルトはギリギリと奥歯を噛み締めた。
「だが安心しろ。母上が学園長に抗議してくださるそうだ。ああそうだ、レイチェルにも母上から話をしてもらおう」
俯いていたアイリは勢いよく顔を上げる。
「皇后様が? それは有り難いわぁ」
肩を落としていた時とは打って変わり、瞳を輝かせて嬉しそうにはしゃぐアイリの様子にレオンハルトとアーベルトは吊り上げていた目元をデレッと下げた。
(一時は拘束されるかもって焦ったけど上手くいったわ。このまま、レオンハルトの婚約者となって、第二部にいけたら最高ね! 第二部に入ったら、邪魔が入る前にアレクシスも落とさなきゃ!)
邪魔なラクジットは、魔力封じを受けた影響か体調不良を理由に欠席していて、学園長の事情聴取も皇后の権威を借りて免れた。
あとは、悪役令嬢レイチェルから嫌がらせを受けたとアピールを沢山すれば、好感度MAXのレオンハルトが断罪してくれるはず。
邪魔者は排除されて上手くいったと、アイリは内心ほくそ笑む。
三人のピンク色に染まったやり取りを、一歩下がって見ていたルーベンスは思わず溜め息を吐く。
「はぁ、どうしよう。困ったなぁ……」
兄のシーベルトから矯正の名の下にボコボコにされたのはつい先日の出来事。制約魔法で父親と兄に迷惑をかけないと誓わせられているのに。
まさか皇后まで引っ張り出すとは思わなかった。
出来ることならば学園から逃げ出したいと、兄シーベルトとよく似た顔を真っ青にしてルーベンスは頭を抱えてしまった。
***
始業時刻間際になっても空席のままになっている席を見て、女子生徒は眉を顰める。
「ラクジットさんは今日も欠席ですって。体調を崩されたのかしら? 大丈夫かしらね」
「A組のカイル様も欠席されているそうよ。お国へ戻っているらしいけど、何かあるのかしらね」
憤慨した様子の女子生徒が仲の良い友人の机を囲んで噂話に花を咲かす。
「ねぇ知っているかしら? A組のアイリ嬢が備品を破損させて、誰かを怪我をさせて学園長に呼び出されたけど、殿下のお力で呼び出しを拒否したって」
「まぁー、そんなことをして許されているの? 怪我をされた方はどうされたのかしら?」
「呼び出し拒否って、アイリ嬢はますますやりたい放題ね。何故、先生方は彼女を許しているの?」
女子達の噂話に耳を傾けていたアマリスは、休憩時間に入ってからノートを広げ出したレイチェルの手元へ視線を向ける。
書かれているのは先程の授業内容。分かりやすくまとめて書いた自分のノート内容を、レイチェルは新品のノートへ書き写していた。
「レイチェル様それは?」
「ラクジットさんの分ですわ。授業内容が分からなくなったら大変でしょうから」
欠席の前日のラクジットは元気そうだったのに、今日で欠席して三日目。
女子達の噂にあるように、アイリ嬢やレオンハルトが何かされたのではないかと心配となっていた。
「ラクジットさんが居ないと寂しいですから、早く元気になってくれるといいですね」
「そうね」
心配でもあるし、寂しいのはレイチェルも同じ。
明日も欠席だったら、ラクジットの使っている寮の部屋へ見舞いに行こうかと、レイチェルは書き写し終わったノートを閉じた。
***
授業を終え帰宅したレイチェルを出迎えたイヴァンは、帰宅の挨拶はそこそこに薔薇の模様が描かれた招待状を手渡す。
「レイチェル宛、だよ」
招待状を受け取り、中を開いたレイチェルは驚愕に口を開けたまま固まる。
「お兄様、これって」
差出人の名を確認して動揺のあまり、招待状と渋い表情のイヴァンを何度も見比べてしまう。
鞄を受け取ったまま壁際に控えている召し使い達へ、イヴァンは下がるよう指示を出す。
「立ち話もなんだから座ろう」
レイチェルの手を取ったイヴァンは、そのまま玄関ホール横の応接間へ向かう。
若干、顔色を悪くしたレイチェルを応接間の椅子へ座らせ、イヴァンも向かい側の椅子へと腰掛ける。
「我が家は皇后様に嫌われているから、一度も招待されたことは無いのに、急に皇后宮で開かれるお茶会へ招待されるとはね。しかも明後日だなんて思いっきり怪しい。どうする?」
前皇后健在時、現皇后が側妃だった頃より彼女の装飾品や交遊費の散財を許さず、口煩い臣下の一人であったサリマン侯爵家を毛嫌いしていた皇后は、レイチェルに対して必要最低限しか顔を合わせたことはない。
現在、公務のほとんどを皇后代理として行っている側妃から皇太子妃教育を受けてきたことも、レイチェルが嫌われている原因の一つ。
皇后が望む将来の皇太子妃は、自分の意のままになる傀儡なのだから。
さらに毛嫌いしているサリマン侯爵家の娘が、息子レオンハルトの婚約者というのも皇帝命令の政略での婚約とはいえ受け入れられず、レイチェルとの接触を避けているのだと父親から聞いていた。
とはいえ、帝国での皇后の地位は皇帝に次ぐ権威がある。
「急な招待でも、皇后様からのお誘いを断ることは出来ません。それに」
一旦言葉を切り、レイチェルは渋い表情のイヴァンを安心させるため微笑んだ。
「皇后様はアイリ嬢の後見人をされている方。私がレオンハルト殿下の婚約者なのは相応しくないと、婚約を解消してくださるのかもしれませんね」
「レイチェルは殿下には未練は無いのだね?」
「ありません。婚約を解消していただけるのはならば、喜んでお受けしますわ」
言い切った妹の、未練など微塵も感じさせない姿を見て、ようやくイヴァンの表情はやわらかくなる。
「ああ、そうか。レイチェルはレオンハルト殿下との婚約を早々に解消して、例の彼の元へ行きたいんだな」
図星だったのか、イヴァンから問われた途端、レイチェルの全身は音をたてて真っ赤に染まった。
皇后からの招待状を受け取ってから、大急ぎでドレスと持参する贈り物の準備を行った。
楽しいものだとは到底思えない茶会への参加を父親も難色を示したが、レイチェルの心に不安は一切無い。
学園でのレオンハルトとアイリは、相変わらず周囲を気にしないでいちゃついており、ラクジットは体調不良で欠席をしている。
不安はあるけれども、皇后からの招待状を受け取った後に帰宅した父親から渡された手紙を読んで、レイチェルの憂慮はあっという間に霧散した。
“妹の心配をしてくれていると、レイチェル嬢、貴女の御父上サリマン侯爵から聞きました。妹の体調は大分良くなり、近々学園へ戻れるでしょう。回復した妹と一緒に、私も帝都を訪れます。その時は、貴女をデートへ誘うことを御許しください。 アレク”
封筒から出した便箋は、夜会で彼がつけていた爽やかな香りの香水の香りがした。
ほのかに香る彼の香りと、もう少しでお逢いできると思えば茶会へ挑む勇気が沸き上がってくる気がして、レイチェルは両腕で手紙を抱き締めた。




