24.悪役令嬢の恋
後半、アレクシス視点になります。
学園中に張り巡らしてある結界の上から、高位魔術揃いの教師達と警備員達に気付かれないよう遮断結界を張るのは、魔力を抑制した状態のアレクシスでも困難だった。
目の据わったアレクシスから「協力しろ」と言われ、ラクジットは渋々協力することになった。
渋々ながら協力したのは、アレクシスが魔力制御を外して力業で結界をぶち破りかねないくらい、苛立っていたからだ。
二人がかりで空間遮断結果を張ったのは、夜会が行われているホールの横にある庭園の一角。
元々ある結界に影響しないよう気を配り、上書きして張った結界は我ながら良い出来だった。
ただ、ホールの壁際の職員席に座るエルネストと目があったから、彼はラクジットとアレクシスの行動に気付いたはず。
何か言いたそうに立ち上がったが、エルネストをダンスに誘いに来た女子に囲まれてしまい此方へ近寄れない。
いいタイミングで来てくれた女子達がエルネストを引き留めてくれている間に、ラクジット達はホールから庭園へ逃げた。
庭園の噴水前のベンチに座ったラクジットは、レイチェルを結界内へ誘い込んだアレクシスの様子を窺う。
いくら幼馴染みでも、夜の庭園でカイルハルトと二人っきりというのは今後の学園生活を考えたら色々マズイ。
そう思い、アマリスに頼んで彼女とカイルハルトと三人で休憩している体を装っていた。
お喋りなアマリスを苦手としているカイルハルトは不満そうだが、春までと決めている残りの学園生活を平穏に過ごすためには、これ以上目立つ行動をするのも女子トラブルに巻き込まれるのは嫌なのだ。
「見張りのように控えていたらレイチェル様の邪魔にならないかしら? それにしても邪魔をされないよう、庭園の片隅で語らう二人って素敵ね~」
「邪魔も何も、婚約者以外の異性と二人っきりって色々とマズイからね。夜じゃあ特にそうでしょ」
アマリスにはラクジットがかけた認識阻害魔法の効果で、結界の中で話をしている二人の後ろ姿しか見えていない。
うっとりと瞳をうるませているアマリスへラクジットが突っ込むと、それまで黙っていたカイルハルトがポツリと「婚約者ならいいのか」と呟く。
どうしたのかと口を開きかけて、一瞬だけ浮かべたカイルハルトの寂しそうな表情を見てしまい、思わず口を嗣ぐむ。
「ラクジット、ほらあれを見てよ」
アマリスに呼ばれて注意が逸れた間に、カイルハルトは横を向いてしまっていた。
「あそこの二人、A組のリュシン嬢だわ。御実家は帝都で有名なレストランを経営されているの。一緒にいるのは3年生の子爵令息の方かしら? 確か、子爵令息の方には婚約者がいたと思ったけど、学園祭で気分が盛り上がってしまったのかしらね~」
噴水の影で私達の姿はホールの方からは見えないが、此方からはホールの二階部分にあるベランダの暗がりで抱き合っている男女の姿がハッキリ見えた。
よく見ると、別のベランダの暗がりでも重なる男女のシルエットが見える。
学園祭の夜会では羽目を外す若者は多いのだろう。だから、会場周辺の結界は強化され、一線を越えようとするカップルがいれば教師が制止に入る、らしい。
遮断結界は、教師といえども簡単には見破られないだろうから、保険としてアレクシスが狼藉を働こうとしたら結界内でクラッカーが弾ける仕掛けはしておいた。
それでも、レイチェルは大丈夫かと心配になって、ラクジットは目を凝らして結界の奥を見詰めた。
***
貴族や王家主催の夜会とは違い生徒が主役である学園祭の夜会では、最低限のマナーを守ればある程度羽目を外しても許される。
最低限のマナーを守りつつ、畏まる必要も淑やかにする必要も無くなった生徒達がお喋りやゲームに興じる、賑やかなホールの熱気に疲れた頃、アレクシスから外へ誘われたレイチェルは、月明かりの中の庭園の散策を楽しんでいた。
二人はしばらく歩いた後、庭園の一角に設置されたベンチへ腰掛けた。
「アレク様、今夜は楽しい一時をありがとうございました。今日一日は楽しくて、いっぱい笑って、スッキリした気分だわ」
今日一日の出来事を思い返してレイチェルは、ふふっと笑う。
「貴方に言い負かされそうになった時のレオンハルト殿下の顔と、ダンスを断られたアイリ様の悔しそうな顔は……ふふっ、失礼だとは思いますが、あの方達には散々な気分にさせられていたから、ざまぁみろって舌を出したくなったわ」
以前は、学園中の女子生徒をときめかせていたレオンハルト皇太子殿下。
そんな彼の整った顏が怒りで真っ赤に染まり醜く歪んだ表情と、学園長に襟首を掴まれて引き摺られていく情けない姿を見てしまったら幻滅する。
現に、彼を慕っていた女子達はまるで百年の恋から醒めたように青ざめた顔をしていた。
明日には、皇太子が情けない姿を晒した話は広まるだろう。
さらには、友人から声をかけられたレイチェルが側を離れた隙をみて、アレクシスへ擦り寄ったのにダンスの誘いをキッパリ断られ、羞恥と悔しさに歪んだアイリの顔にもスッキリさせてもらった。
「アレはちょっと無いなと思ったから、断ったのですがレイチェル嬢がスッキリされたのなら良かった」
嫌いなタイプのレオンハルトを煽って失態を演じさせたのはわざとだが、擦り寄ってきたアイリを冷たくあしらったのは苦手意識よりも、肉食獣のような彼女の目とヒロインの強制力とやら怖かったからだ。
それでも、レイチェルの溜飲が下がったのならば素直に良かったと思う。
レイチェルの膝の上に置かれた手にアレクシスはそっと触れる。
触れた瞬間、レイチェルはビクッと小さく体を揺らした。
「アレク様」
こんなに気分が晴れやかになれたのは、きっと彼がレイチェルの代わりに、言いたかったことをレオンハルトへ言ってくれたから。
そして、アイリの誘いを断ってくれたから。
今、隣に座るアレクシスはレオンハルトとは違い、アイリではなくレイチェルを選んでくれたことが、こんなにも嬉しいだなんて。
「こんなに楽しい夜会は久し振りです。以前は皇太子殿下の婚約者の義務として参加していたのですけど、最近は義務と割り切れないことが多くて」
「レオンハルト殿下は貴女を避け、先程の女子を寵愛しているからですか?」
レオンハルトとアイリとは初対面だろうアレクシスにも気付かれるくらい、あからさまな関係だと分かってしまうなんて。レイチェルは目を見開いた後、苦笑した。
「政略で婚約者となっただけで、殿下とは恋愛感情など無いと分かっていても、悲しくなるときもありました」
婚約者として幼い頃から近くにいたレイチェルを蔑んだ目で見るのに、急に現れて瞬く間にレオンハルトの心を奪っていった少女に彼は蕩けるような眼差しを向ける。
嫉妬に駆られ、泣き叫ぶようなはしたない真似は出来ずに、表面上は平静を保っていても心の中では幾度となく悔しくて泣きわめいていた。
触れるだけだったアレクシスの手のひらがレイチェルの手を包み込む。
「今も悲しいですか?」
「今は……」
夜会のエスコートを断られ、恋仲の女子の肩を抱いている婚約者を見ても、悲しさや妬ましい感情は何一つ抱かなかった。
それよりもレイチェルにとって気になることは、隣に座るアレクシスの存在。
触れ合う手から早鐘を打つ心臓の鼓動と、発火するのではないかというくらい熱い、体の熱が伝わってしまうのではないかということ。
顔を動かすとすぐ近くに端正な青年の顔があった。
じっと見詰めていると、宝玉を思わせるくらい綺麗な蒼色の瞳に吸い込まれそうになる。
(か、可愛い)
潤んだ瞳と蕩けた表情、ぷっくりとした紅い唇にむしゃぶりつきたくなる衝動と、アレクシスは必死で戦っていた。
いくらヒロインと引き合うよう働く強制力があろうが、トラウマを刺激されて甘言を囁かれたとしても、こんなにも綺麗で可愛い悪役令嬢を蔑ろにする、レオンハルトの気持ちが全く理解できない。
愚かな婚約者が、レオンハルト皇子が彼女をいらないと言うのならば。
「レイチェル嬢、もし何らかの理由で貴女と殿下の婚約が解消されたのならば……また私の手を取っていただけますか?」
自分の抱く想いを正直に出せるよう、少しだけ瞳に魔力を込めてアレクシスは問う。
「……はいっ、喜んで」
しっかりとレイチェルが頷いたのを確認してから、アレクシスは彼女の手の甲へ誓いの口付けを落とした。




