17.魔法演習授業②
抑えている魔力の半分近くを解放したため、右眼の視界だけ元の状態へ戻る。
竜の瞳、爬虫類じみた縦長の瞳孔の蒼色へ戻った右の瞳には、人の範囲外のモノ、人の様々な感情が入り交じったオーラや霊的なモノ、学園に張り巡らされている結界が見えてラクジットは小さく呻く。
見えすぎる視界と人の範囲内の視界が混じり、脳が混乱して吐き気が込み上げてくる。
「うっぷ、」
両耳のカフスを外した方が楽だと分かっているが、両耳のカフスを外した状態では力の加減が難しく、アーベルトを傷付けてしまう可能性があるためそれは出来ない。
苦肉の策として、ラクジットは蒼色に戻った右眼を手で押さえた。
「な、にを?」
魔力が増幅したラクジットを目にしたアーベルトは、額に汗を浮かべじりじりと後退する。
「貴方と同じように魔力抑制装具を外しただけですよ。貴方が全力で来るならば、私も敬意を払います」
「準備はいいな。では、始め!」
エルネストの試合開始の声と同時に、アーベルトは呪文詠唱を開始する。
呪文詠唱の隙に攻撃魔法を叩き込もうかと迷い、ラクジットは隣の演習場を見る。
既に、レイチェルとヒロインの試合も始まっていたため、しばらくは様子を見るかと攻撃魔法は解除した。
呪文の詠唱が終わり、アーベルトの目前に魔方陣が出現する。
特徴ある魔方陣の文字からアーベルトは精霊召喚をするのだと気付いて、ラクジットは小さく感嘆の声を出した。
魔法の中でも精霊召喚は高位魔法に値する。それだけ高位の魔法を、まだ学生のアーベルトが使えるのは大した才能だと感嘆した。
ラクジットが呪文詠唱を途中で止めたのは、臆したからだと思ったらしいアーベルトはニヤリッと笑う。顔を歪ませて笑う彼は悪役に見えた。
「我と契約せし者よ、我が敵を討ち滅ぼせ! 出でよ、サラマンダー!」
魔方陣をなぞるように炎が吹き出し、炎は体長二メートル越えの大蜥蜴を形取る。
召喚されたのは、大蜥蜴の外見をしている炎精霊サラマンダー。
「サラマンダーを召喚? なかなかやると言いたいところだけど、火蜥蜴程度に私を燃やせるのかな」
他の生徒だったら、人の身だったらサラマンダーは驚異となっただろう。
しかし、竜王の血と力を継いだラクジットを本気で倒したいのなら、サラマンダーでは役不足だ。もっと強いモノでなければ、竜王の血を受け継ぐラクジットの相手にはならない。
敵意を通り越した殺気を感じ、ラクジットの体内を巡る竜の血が敵を叩き潰せと沸き滾る。
「さぁ! 行けっ! サラマンダー!!」
召喚者からの命を受け、臨戦態勢をとったサラマンダーはラクジットという敵を確認した途端、低く唸ると体を大きく揺らした。
蜥蜴といえどもサラマンダーは精霊。対峙したラクジットが何者なのか理解したらしい。
体を縮めて頭を垂れたサラマンダーは、明らかに戦意を喪失し怯えていた。
「おいっ、どうした! 何をしている早く戦え!!」
攻撃を仕掛けないサラマンダーを怒鳴るアーベルトを無視し、ラクジットは手で押さえていた右眼を露にした。
「ねぇ、私を怒らせたいのならかかってきなさい。私に対して敵意は無いのなら、元の場所へ還りなさい」
小動物のように震えるサラマンダーへ、ラクジットははっきりと命令する。
敵意は無い、と意思表示をしているつもりだろう。サラマンダーは、深紅の瞳を真ん丸にしてフルフルと首を横に振った。
「キュウゥ~」
弱々しい鳴き声を上げたサラマンダーは天を仰ぐ。
鳴き声を合図に、真っ赤な体の周囲の空気が渦を巻き、サラマンダーの全身を包み込む。
演習場の石の床が水面になってしまったかのように、ズブズブ波打っていく。波打つ床の中心となったサラマンダーの体は、床の中へ埋まっていってしまった。
「は?」
想定外の展開に、呆然とアーベルトはサラマンダーが消えた床を見詰める。
応援していた生徒達も、サラマンダーに何が起こったか理解出来ず、誰も言葉を発せられなかった。
「サラマンダーは、自らの意思で住み処へ戻って行ったよ」
状況を理解出来ないでいるアーベルトにそう教えてやれば、彼は目玉がこぼれんばかりに大きく目を見開いた。
「なっ!? どういうことだ! 僕の許可無く勝手に!? 戻って来い!」
サラマンダーが沈んでいった床へ向かって叫んでも、応えは返ってこない。
「フッ、蜥蜴が竜に勝てるわけはないだろう」
焦って二度召喚魔法陣を組み立てようとするアーベルトを、エルネストは侮蔑の表情で見ていた。
再びアーベルトは召喚魔法陣を展開し、召喚の赤い光が輝く。だが、サラマンダーは喚びかけには応えず、姿を現さなかった。
召喚魔法が失敗に終わり、アーベルトは「くそっ」と悪態をついて頭を掻きむしる。
「サラマンダーは貴方の喚びかけに応えなかったよ? さて、どうするの?」
魔術師団長の息子、魔術の天才と持て囃されていたアーベルトにとって、大勢の生徒の前での魔法失敗は高いプライドをへし折られたようなもの。
血走った目でラクジットを睨み、アーベルトは低い声で呪文の詠唱を始める。
早口の詠唱を聞き取って、ラクジットは舌打ちした。
(この魔法は! アーベルトは演習場を吹っ飛ばす気か!)
アーベルトが詠唱している魔法は、地下から灼熱のマグマを噴出させる回避不可能な広範囲攻撃魔法。
演習場に居る全員を、巻き込むつもりのアーベルトに手加減する必要はしない。
叩き潰す、ラクジットはその意思を込めてエルネストへ目配せをした。
魔法の影響で床が激しく揺れ、バキバキ音を立てて石の床がひび割れていく。
無差別にアーベルトが攻撃魔法を放つ、と察知した生徒達は激しい動揺と悲鳴が広がる。
監視の教師達は混乱する生徒へ、避難指示と防御結界を張ろうと動き出す。しかし、間に合わない。
「食らえっ! マグナブレイク!!」
呪文詠唱が終わりアーベルトの魔法が発動する瞬間、ラクジットは魔力を解放して彼の魔法を上書きする結界陣を展開した。
「アイスプリズン」
結界陣として出現した氷の蔦は、一気にひび割れに沿って伸びていき演習場の地下でマグマとなって噴出しようとした魔力を抑え込み打ち消されていく。
ひび割れから溢れ出した溶岩は、氷の蔦が絡むと瞬時に凍り付いていく。
氷の結界は氷の牢獄と化し、獲物を凍りつかせ閉じ込める。
「嘘、だろ」
まさか最上位級破壊魔法が打ち破られると思っていなかったのだろう、驚愕の表情を浮かべて呆然と呟いたアーベルトの足にも、氷の蔦が絡み付いていく。
「ぐっ、あっ足が!!」
絡み付いていた氷の蔦は足から這い上がり、腹部、腕を凍らせ、ついには首から下全てを凍り付かせてしまった。
手加減はしてかろうじて命までは奪っておらず、身動きを封じただけ。あと15分以内に解呪出来れば凍傷にもならないだろう。
多少凍傷になっても、他の生徒を巻き込む可能性を理解した上で、破壊魔法を使用しようとしたアーベルトには文句は言えまい。
文句ではなく、感謝してほしいくらいだ。
何故ならば、ラクジットが拘束魔法を使用せずにいたら魔法を発動した瞬間、彼は意識不明になるくらいの重症を負っていただろう。
無差別破壊魔法を発動しようと企てた、アーベルトを殺る気満々でいたカイルハルトとオスカーの手によって。
「勝負あったな。勝者、ラクジット!」
淡々とエルネストが宣言すると、巻き添えを恐れて逃げ惑っていた生徒達から拍手が贈られる。
A組B組、両クラスの生徒から盛大な拍手を贈られて、ラクジットは照れ笑いを浮かべた。




