15.一触即発
遠巻きで見ていた一年生達は、カイルハルトから放たれる殺気とオスカーの鬼の形相に怯え次々逃げていく。
胸ぐらを掴むオスカーの怒気に圧倒され、痛みと恐怖で小刻みに震えるアーベルトの顔色は、真っ青になっていた。
なるべく穏便に済まそうと思っていたラクジットはカイルハルトの腕を掴む。
激昂したアーベルトが魔法を放つタイミングで彼を昏倒させようとしたのに、まさかこんな騒ぎになるとは。
「カイル、オスカー君まで、どうしたの?」
「ジョシュアから、お前が絡まれていると聞いて急いで来た」
アイリへの警戒を解かないで、カイルハルトは視線だけ後ろへ向けて答える。
「アーベルト、ラクジット嬢のことを最低だと言っていたが、俺から見たら女の子に魔法を放とうとしたお前の方が最低だ」
吐き捨てるように言うと、オスカーは震えるアーベルトの胸ぐらから手を離す。
ぐあっと、床に尻餅を突いたアーベルトの口からは、潰れた蛙のような声を上げた。
硬直から立ち直ったらしいアイリは、カイルハルトの傍へと駆け寄って来る。
「オスカー、カイル君、違うのっ! 私、ラクジットさんに意地悪を言われて、それでアーベルトが心配してくれただけなのっ」
涙を浮かべて訴えるアイリに対し、カイルハルトの背中から発せられる怒りの圧力を感じ、ラクジットは更に焦る。
「ちょっ、ちょっと落ち着いて?」
怒りを抑えようと、カイルハルトが力を入れて握り締めている手の甲へ触れた。
「……大丈夫だ」
手に触れた途端、開いたカイルハルトの手のひらが、ラクジットの手を優しく握り返す。
手を繋ぎ私を背後に隠したまま、カイルハルトは無表情でアイリを見下ろした。
「意地悪? エルネストは自分が認めた者以外は相手にしない。ラクジットの言った、個別指導を受けることが難しい、ということは事実だ。だが、エルネストが課す試験に合格すれば、可能性はあるかもしれない。合格する自信があるなら俺が話をつけてやる」
冷たく切り捨てるだろう、と思っていたカイルハルトからの申し出に、ラクジットは「えっ」と驚いた。
涙を浮かべていたアイリは嬉しそうに顔を綻ばせる。
「ありがとうカイル君! ラクジットさんよりずっと優しいのねっ!」
両手を広げて抱き付こうと、突進してきたアイリをカイルハルトはひらりと紙一重でかわす。
かわされたアイリは、信じられないといった驚いた顔をして、バランスを崩してよろけた。
「アイリ!」
よろけたアイリが顔面から床へダイブする直前、火傷の痛みで脂汗をかくアーベルトが支えた。
「エルネストの課す課題は、魔力を封じられ巨大スライムの巣に放り込まれる。または、丸腰でサーベルタイガーの群れの中心に転移させられる、だったか」
エルネストからの課題を思い出し、ラクジットの背中に冷たいものが走った。
カイルハルトと二人だけで放り込まれた魔物の群れ。ヴァルンレッドも側に居ない状況で、初めて経験した死の恐怖を抱いた。
生き延びるのに必死で、どうやって切り抜けたか記憶が曖昧になっているが、あれば二度と経験したくない。
「あとは、エルネストが召喚した全属性耐性を持ち即死攻撃を使う、地獄の騎士との三日三晩の鬼ごっこもあったな」
無表情で淡々と話すカイルハルトとは対照的に、とアーベルトの表情は引きつっていく。
「はぁっ? 何それ!? そんな課題無理に決まっているじゃない! そうじゃなくて! 私は貴重な光魔法の使い手なのよ! 優遇されて当然でしょっ!?」
「無理ならば諦めろ」
喚き続けるアイリへ、カイルハルトは冷たく言い放った。
「アーベルト、殿下に学園祭の前日くらいは生徒会室に来て欲しい、と伝えてくれ。もちろんお前も来いよ」
何か言いたそうにしているアイリを無視し、床に座り込んでいるアーベルトの元へ近寄ったオスカーは膝を突いて、彼と目線を合わして伝えた。
自分の制止の声を無視し、ラクジットを守るようにカイルは彼女の腰へ手を回して立ち去っていった。
残されたアイリは、悔しさのあまり幼児のように地団駄を踏んだ。
「何なのよ!」
何故、カイルとオスカーが守ったのが自分では別の女ないのか。悔しくて、下唇をきつく噛む。
こんな時に、レオンハルトが傍に居ないなんて!
先日、レオンハルトは生徒会長の仕事をやっていないことを父親である皇帝に知られてしまい、三日間の謹慎と騎士団の鍛練参加を言い渡されたため、あと二日は登校出来ない上に会うことも出来ない。
「アイリ、彼奴等のことは気にしないで。レオンハルト殿下が戻ってこられたら、エルネスト先生に頼みに行こう」
慰めようとアーベルトが肩に触れる手の感触すら鬱陶しくて、アイリは目を吊り上げた。
「やあ、随分と騒がしかったね」
気配も無く、突然通路に響いた声にアーベルトはビクッと体を激しく揺らす。
動揺するアーベルトとは逆に、新たなる攻略キャラが登場したとアイリは瞳を輝かせた。
権力と実力ある二人を上手く靡かせれば、オスカーとカイルの好感度が下がっても気にならないくらい、今後の学園生活は恩恵を得られる。
「学園長先生! エルネスト先生! 聞いてくださいっ! 留学生のラクジットさんが酷いんです!」
上目遣いにした瞳いっぱいに涙を潤ませ、庇護欲を擽るように胸元に手を当てて訴える。
男心を擽るように計算された仕草をするアイリを見て、学園長はクスリと嗤った。
「君の弟子が酷いだってさ。どうするの?」
からかう口調で問われ、エルネストの眉間に皺が寄る。
「酷い? ラクジットの言ったことは全て正しい。異世界からの迷い子程度が、私の可愛い弟子を貶めるつもりか?」
「え?」
まさかの、ツンデレキャラのエルネストから可愛いという言葉が出て、ピシリとアイリは固まる。
「頼まれても個別指導などしないと、ラクジットとカイルから聞いただろう。だが、私の課すテストに合格すれば考えてやる」
「あんな無茶苦茶なテストに合格するのは不可能だっ!」
硬直から抜け出せないアイリの代わりに、アーベルトが声を荒げる。
息を荒くして近寄ってきた、アーベルトへの不快感にエルネストは片眉を上げた。
「不可能、だと? ラクジットとカイルは、私の出した課題を11歳の頃にやり遂げているぞ」
「なっ!?」
五月蝿い、と低く呟いたエルネストに学園長は吹き出しそうになり、顔を背けて手で口元を覆った。
普段、冷静なエルネストが、気分を乱されている様子は面白い。
しかし、このまま愚かな生徒が噛み付いてきたら、ただでさえ可愛い弟子にちょっかいをかけられて苛立っているエルネストは爆発するだろう。
「エルネスト、こういう子は自分の我儘を叶えてもらうまでなかなか諦めないよ。一回くらいチャンスをあげたらどう?」
「では……明日の魔法演習授業で、ラクジットかカイルに勝てたら個別指導をするか考えよう。アイリ・サトウ、それで文句はないな」
凍えそうなくらいの冷笑を浮かべたエルネストと目が合った途端、頬を染めたアイリはうっとりと頷く。
勘違いしたアイリの反応に、エルネストのこめかみには青筋が浮かんだ。
黙ってやり取りを見ていたアーベルトが一歩前へ出る。
「エルネスト先生、アイリじゃなくて僕がやります。僕は魔術師団長の息子です。例え、先生の弟子であろうと負けませんよ!」
力強い宣言を受け、エルネストのこめかみに浮かんだ青筋がピクピクと痙攣する。
気を許した者以外の前で感情を出さないエルネストを、ここまで苛立たせるとは大したものだ。学園長はニヤリと口の端を上げた。
「へぇー大した自信だね。では、君がラクジットかカイルに勝てたら、学園の規則を破って攻撃魔法を使おうとしたことを不問にしてあげる。ただし、負けたら……それ相当の罰を受けてもらうよ。あとこれは特別ね」
学園長は魔力を僅かに込めて右手を軽く振る。
火傷を負ったアーベルトの手のひらは、回復魔法の淡い黄緑色の光につまれた。
「くっ、分かりました。ありがとうございます」
火傷の癒えた手を握り締めて、若干顔色を悪くしたアーベルトは頭を下げた。
「アレは確かに厄介だな」
今一事態の重大さを理解していない、アイリ・サトウを引き摺るようにして、去っていくアーベルトの後ろ姿を見送ったエルネストは吐き捨てる。
男の心を擽り、自分をよく見せる言動を計算して行えるアイリという少女は、手練れの娼婦のようだ。
しかも無意識だろうが、焦げ茶色の瞳から厄介な魔力を放っている。
微弱な魔力でも、年若く意思の弱い少年だったら干渉されてしまう、魅了の魔力。
姿だけは少年の学園長が、分かっていて魔力を封じないのは単なる彼の悪趣味だろうが、アイリが自身の力を理解し精錬させたら面倒だ。
「でしょ? 大人しくイチャイチャしているだけなら目を瞑ったけど、秩序を乱されると迷惑なんだよね。君かカイル君が、事故に見せかけて奴等を始末してくれれば楽なんだけどねぇ。僕は皇帝との制約に縛られているからね」
物騒な事を無邪気な口調で吐く学園長はチロリと赤い舌を出す。
「あの小僧の魅了を解いてやるくらいは、制約には障らないだろう」
「アーベルトの魅了を解いても、恋は盲目状態だから矯正は出来ないでしょ。それに、彼奴の父親は嫌いだし。早く消えればいいと思うくらいに嫌い」
黒髪がさわさわ揺れ、学園長の影に潜むモノ達がざわめく。
「お前の好き嫌いに巻き込むな」
「エルネストが巻き込まれたくなくても、弟子達は回避出来ないよ? 皇帝陛下は、後継者をそろそろ決めたいみたいだから」
「彼奴等の意思を無視して事を進めるのは赦さん。あの二人のことは、ヴァルンレッドから任されているのでな」
二人の間の空気が張り詰め、軋む。
姿形に合わない残虐性を持つ魔族の知人の性格は、エルネストはよく知っていた。
粘着質で非情で、皇帝との契約に縛られている魔族の男と敵対するのは、非常に面倒だということも知っている。
それでも、学園長を牽制する理由は……古き友人、ヴァルンレッドが遺した可愛い弟子達のためだった。