04.トルメニア帝国
11歳の誕生日に前世の記憶が甦り、この世界が前世でハマっていたゲーム『恋と駆け引きの方程式~魔術師女子高生~』と同じ世界観だと気付いてから、早いものでもう6年の月日が経過した。
三ヶ月前に密偵から、異世界からの迷い人がトルメニア帝国に保護されたという連絡が来て、ゲーム本編が始まったと覚った。
ゲーム本編とは関係の無いラクジットは、ゲーム中の役割では今頃暗黒竜の生け贄にされて喰われている。続編の最終決戦前、アレクシスの台詞の中で存在を匂わされる程度の薄い役割。
積極的に関わらなければヒロインの恋愛に巻き込まれないだろう。傍観者として異世界転生特権を楽しんでやろう、とラクジットは鼻歌混じりで侍女達を押し退け、自分の着替え類をトランクへ詰め込んだ。
そして、トルメニア帝国使節団との晩餐会から半年……帝国へ出立する日となった。
王女宮の門の前には、アレクシスと宰相、各大臣達、王女仕えの侍女が並んで口々に旅の無事を願う言葉と無茶をしないように、と言うのが解せなくてラクジットは唇を尖らせた。
今回の帝国訪問は、非公式の扱いのため見送りは最小限にしてもらったのだが、近衛騎士達や料理長が壁の影から覗いているのがチラチラ見えているのは、何なのだろうか。
「馬刺、お願いね」
壁や宮殿の窓からはみ出ている人々のことは深く考えないようにして、旅の間人と荷物が乗るトレーラーを引く、馬刺と名付けた馬を撫でる。
真っ赤な色の目を細めた馬刺は、「ぶるるる~」と嬉しそうに鼻先をラクジットに擦り付けてきた。
普通の馬より一回り体が大きく気性も荒い馬刺は、過去にヴァルンレッドが捕らえてきた魔獣だ。
捕らえられるまで獰猛な危険な魔獣だっただろう馬刺は、ヴァルンレッドが居なくなっても逃げること無くラクジットに懐いてくれている。
「ラクジット、くれぐれもやらかして外交問題に発展させないでくれよ。お前達は無理させないように見張ってくれ」
同行者となるメリッサと侍女のユリア、護衛騎士のジョシュアの三人はアレクシスへ「お任せください」とにこやかに返答する。
一国の王女の移動となれば、もっと大人数の護衛と侍女を引き連れていくのだろう。
今回は、トルメニア帝国に国賓扱いをされたくないのと、大人数にくっついて来られるのは面倒なため少数精鋭となった。
トルメニア帝国側の皇帝と側近以外は、帝国立学園へ留学するのがイシュバーン王女だということを伏せてもらうことにしている。
「姫、よろしくお願いしますね」
軽く頭を下げるのは、赤銅色の短髪で爽やか好青年な護衛騎士ジョシュア・カーディフ。
自分で身の回りのことはこなせるし、竜王の力を持つ私を傷付けられる者は限られているため「必要ない」と言ってもジョシュアを付けたのは、完全に私のお目付け役だろう。
「転移魔法を使って山越えをすれば、馬刺の脚なら帝都まで二日も有れば行ける」
大陸の地図を広げ、ラクジットは転移魔法陣の目的地を探して脳内シミュレーションをする。
「手伝うか?」
「大丈夫。馬車ごと行けると思う。ありがとうね」
地図を覗き込むカイルハルトにヘラリと笑って応えて、ラクジットは魔力を練る。
魔力の青白い光が、馬車を丸ごと包む魔法陣を展開させていく。
「じゃあアレクシス、皆、行ってきまーす!!」
王女宮に響き渡るように叫び、ラクジットは転移魔法を発動させた。
転移魔法で辿り着いた先は、イシュバーン王国の隣国オディール国とトルメニア帝国の国境である山脈の麓。
此処から先は転移魔法を使えない。帝都までは馬刺の脚が頼りとなる。
「馬刺、頼むね」
馬刺の鼻先を撫でてやると、彼は任しとけとばかりに、「ヒヒーン!」といなないた。
御者をジョシュアに任せて、トレーラーの中へ入ったラクジットは思わず顔を綻ばせる。
長旅にも耐えられる仕様のトレーラーの内部は、横になれるように段差を無くした床と広い天井で、手狭なワンルームの一室のようだ。
メリッサとカイルハルト、新たにユリアとジョシュアが加わった馬車の旅は、以前経験した旅の情景が少し重なって見えた。
ただ、どこを見ても彼が……ヴァルンレッドが居ない。
「前を思い出すね」
ポツリ呟いた言葉が聞こえたらしいカイルハルトは、ラクジットの手を掴んで自分の方へ引き寄せた。
引き寄せられたのは、ふかふかの大きなクッションの上。
「ラクジット、しばらくの間此処で休んでいろ」
ぶっきらぼうだけど優しいカイルハルトの態度も以前と変わらず、ラクジットはありがたく彼の敷き詰めてくれたクッションの上へ寝転がったのだった。
励ましに応えようと張り切ってくれた馬刺は、二日間ほぼ休まずに走り予定より早く帝都カバルディアへ着いた。
御者をしてくれたジョシュアは大変だったと思うが、女性陣としたら行動が制限される馬車の旅が短期間で終ってくれたのは助かった。
「此処がトルメニア帝国の帝都カバルディア」
軍事国家らしく、強固な壁に囲まれた帝都は要塞都市といった印象を受けた。
入都手続きを済ませた一行は、警備兵が立つ巨大な門をくぐり帝都へ入る。
帝都は門から一直線に伸びる大通りを中心に、碁盤の目状に区画ごと整備された大都市らしく、石畳を敷いた道沿いには魔法の明かりを灯す街灯や街路樹、煉瓦や石で造られた建物が建ち並ぶ。
大通りを走りながら、ラクジットはこっそりカイルハルトの様子を見る。
約七年ぶりの帝都は懐かしさもあるのだろう、彼はじっと窓から人々で賑わう街並み見詰めていた。
単なる旅行だったなら街の散策をしたいけれど、先ずは皇帝へ挨拶に行かなければならない。
大通りを真っ直ぐに進み、城門に着くと既に連絡が入っていたようで門番の兵士ではなく、騎士装束を纏った男性達に出迎えられた。
「どうぞ此方へ」
恭しく一礼をした騎士は、すんなりラクジット達を宮殿内へと通した。
皇帝の住まう宮殿は長い歴史の間で増改築を繰り返したのだろう、内装の全てが贅を凝らした豪華絢爛なもので、華美なものより実用面を重視したイシュバーン王宮と真逆な印象を受けた。
通された応接間で出された紅茶で喉を潤していると、侍従が皇帝の訪れを告げる。
「御初に御目にかかります。ラクジット・アン・イシュバーンと申します。この度は帝国へのお招きありがとうございます」
入室してくる皇帝へ、ラクジットは完璧な淑女の礼をして名乗りを上げる。
「ラクジット王女、長旅御苦労であったな。余はトルメニア帝国皇帝である」
淡々とした口調の中に威圧的な響きが宿る声が聞こえ、ラクジットは下げたままにしていた顔を上げる。
髪と瞳の色はカイルハルトと同じ色合い、整った顔立ちも何処と無く似ている男性が無表情でラクジットを見下ろしていた。
密偵が集めた事前情報によると、彼の実年齢は四十歳を過ぎていると聞いていたのに、白いシャツに黒いズボンというラフな服装も相まってか、見た目は三十代前半にしか見えない。
ラフな服装でも身に纏う覇気というのか、人を圧倒するオーラを感じるのは皇帝だからだろう。
久々の再会となるのにカイルハルトは、「必要無い」と同席を嫌がったため髪と瞳の色を変え眼鏡をかけて容姿を誤魔化している。
成長期の少年の変化は著しいから、皇帝は誤魔化されてくれると信じたい。
成長期は変化が著しくとも、二十年後の彼の姿はきっと皇帝陛下と似たものとなるだろう。
ただし、アイスブルーの瞳に宿る冷たさは全く違うと感じた。
皇帝の視線が後ろへと移動し、ラクジットは内心緊張しながら口を開く。
「こちらは、私の護衛を勤めますカイルと申します。この者も私と一緒に学園へ通わせていただきます」
皇帝の許しを得ていないため、カイルハルトは声を発することは出来ない。
騎士の礼をとるカイルハルトを一瞥した皇帝は「ああ」と一言だけで発して、直ぐに興味を無くした様に視線を外した。
「そなたらが留学する学園には、我が息子レオンハルトと、三ヶ月程前に保護した異界からの迷い人の娘も通っている。今回の訪問は非公式であるため、レオンハルトにはそなたの立場を伏せておくが、同じ年齢となる息子と学園内だけでも親しくしてやって欲しい。学園内でラクジット王女が必要な物があれば、学園長に伝えるといい。直ぐに手配しよう」
「はい、御気遣いありがとうございます」
父親らしい皇帝の一面に驚きつつ、ラクジットは二度頭を垂れた。
後ろに控えるカイルハルトは、今どんな気持ちなのだろうか。
出来ることならば、カイルハルトのことを伝えて彼にも父親としての目を向けて欲しい、と複雑な気持ちになる。
皇帝が退室した後、使節団大使としてイシュバーンを訪れた外務大臣を務めるサリマン侯爵が入室した。
「お久し振りですラクジット王女殿下。学園には私の息子と娘も通っております。娘は殿下と同じ年齢、お困りのことがありましたら娘を頼ってください」
「ええ、是非ともよろしくお願いします」
サリマン侯爵の息子と娘は誰だったかと、首を傾げたくなるのを我慢してラクジットはにこやかな笑みを向けた。
精神を削られる皇帝への挨拶を済まし、明日からはゲーム本編の帝国立カトレア学園へ留学する。
皇帝とカイルハルトの関係に不安はあるとはいえ、前世以来の久々の学生生活へと、ヒロインの繰り広げるだろう恋愛への期待で胸が高鳴っていた。
舞台は帝国へ移ります。




