05.黒騎士の執着
黒騎士はヴァルンレッドです。
朝食を済ませて、午後の勉強の時間までまったり過ごそうとソファーに座っていたラクジットは、背後から聞こえた扉の開閉音に振り返り、固まった。
振り返った視線の先には、ゾッとする程綺麗な冷笑を浮かべたヴァルンレッドが立っていたのだ。
「ラクジット様、何か私に隠している事はありませんか?」
冷笑を張り付けたまま問うヴァルンレッドは、ソファーに座るラクジットの前まで歩みを進め、胸へ手を当てて頭を下げた。
腰に指した剣を抜いて襲いかかって来そうな危うい雰囲気を感じ取り、ラクジットだけでなく側に立つメリッサも体を緊張させる。
「な、何の事?」
滅多に、ラクジットが危ないことをしなければ絶対に見せない、ゲームのスチルを彷彿させる冷笑を浮かべたヴァルンレッドは静かに怒っていた。
怒らせる理由は心当たりが有りすぎて、顔をひきつらせたラクジットは逃げようとしてソファーから腰を浮かす。
圧を放つヴァルンレッドに冷たく微笑まれる恐怖で、上げそうになった悲鳴は必死で耐えた。
「隠し事をしていますね」
「隠し事なんか、してないっ」
動揺して上擦った声は震えていて、隠し事があると言っているようなものだった。
幼い頃より、側に居たヴァルンレッドは怒らせると本当に怖い。
声を荒げるとか、暴力を振るうことは絶対にしないけれど、静かな中に逆らい難い圧を咥えられる恐怖に「ごめんなさい」と謝り、隠し事を白状しそうになる。
「貴女は本当に素直で、分かりやすいですね」
圧力に負けてなるものかと、下唇を噛んで堪えるラクジットの頭を大きな手のひらが一撫でした。
「ヴァルンレッド様、これ以上は」
「黙れ」
泣きそうになっているラクジットを見かねて、メリッサがヴァルンレッドの名を口にした瞬間、氷の様に冷たい風が室内を吹き抜けた。
(ひっ! 怖い!)
感情を排除した硬質な声と鋭い視線。自分に向けられたのでは無いのに、ラクジットは恐怖で体が震えた。
殺気混じりの圧力を直に向けられたメリッサの体が小刻みに震え出す。
このままでは、怒ったヴァルンレッドの手によってメリッサが傷付けてしまう。
逆らったら駄目だと本能は告げるが、ラクジットは勇気を奮い起こしてソファーから飛び降りた。
「駄目っ!」
冷たい視線を向けるヴァルンレッドからメリッサを庇うため、拳を握り締めて二人の間に立った。
涙目で睨むラクジットを見て、フッと笑うヴァルンレッドは纏っていた冷たい雰囲気を解く。
ゆっくりとラクジットの前まで歩き、片膝を床について身を屈めた。
「さて、私への隠し事は何ですか? 正直におっしゃらないのであれば、しばらくの間、オヤツ抜きにしますよ」
涙目になっているラクジットと目線を合わせ、意地悪な事を言うヴァルンレッドの口元は笑みを形作っているのに、濃紺の瞳は全く笑ってはいない。
「ラクジット様?」
我慢しないで早く降参して白状しろと、意地悪な騎士は言外にラクジットを促す。
「ヴァルの馬鹿ぁ!」
圧力と恐怖を振り切るため、叫んだラクジットの瞳から涙が一滴零れ落ちた。
涙に気を取られヴァルンレッドの気が逸れた隙に、ラクジットは彼の脇を走り抜けてベッドへ向かう。
手を伸ばしてベッドの下に隠していた藤で編まれた箱を取り出した。
「内緒で練習して、上手に出来たらヴァルにあげようと思ったんだよ。なのに……」
震える手で箱の蓋を開けて、取り出したのは我ながら下手くそな花が刺繍された白いハンカチ。
内緒だったのに、と呟けば、涙がぽろぽろ蒼色の瞳から零れ落ちた。
ラクジットの瞳から零れ落ちた涙とハンカチを交互に見て、ヴァルンレッドの瞳が大きく見開かれる。
「ラクジット様、貴女は本当に、私の心をかき乱してくださいますね」
怖いヴァルンレッドの冷笑ではない、何時ものやわらかい笑みを浮かべた“ヴァル”は、嬉しそうに目を細めた。
涙を流すラクジットの前まで歩み寄り、ヴァルンレッドは片膝を床について跪いた。
「可愛い私の姫君。泣かないでください」
先ほどの冷たい声が嘘のように蕩けるような声で甘く囁く。
片手を伸ばしてラクジットのスカートの裾を持ち、ヴァルンレッドは愛おしそうにスカートへ口付けを落とした。
驚いたメリッサは口元を手で覆い、唖然となるラクジットとヴァルンレッドを交互に見た後、音を立てないように慎重に壁際へ下がった。
「ヴァル、大丈夫? 調子が悪いの?」
隠し事を吐かせようとして圧力をかけたと思ったら、突然優しくなるヴァルンレッドの変化についていけず、ラクジットは彼が体調不良で変になったのかと不安になった。
「いえ、私の姫は本当に可愛いと、改めて思ったら目眩がしただけですよ」
細めた目元を赤く染めたヴァルンレッドはスカートの裾から手を放し、戸惑うラクジットの右手の指を持ちそっと指先へ口付ける。
「なんだか物語の騎士様みたいね」
以前メリッサに読んでもらい憧れた物語のワンシーン、お姫様に忠誠を誓う騎士と同じことをしたヴァルンレッドの行動が嬉しくて、ラクジットは笑顔になる。
行動の真意を分からないが、ギリギリのところでアレクシスと会ったことはバレなかった。そして、オヤツ抜きの危機は回避されたのである。
***
「……ということが昨日あってね。アレクシスのことがバレたかもって冷や冷やしたけど、何とかなったんだよ」
へらりっ、と笑う私とは対照的に、アレクシスは間違って酸っぱい物でも食べてしまったみたいな変な人でも見ちゃったような、微妙な表情を浮かべる。
「あ、うん……大変だったね。何て言うか、ヴァルンレッドのイメージとは違いすぎて吃驚した」
朝からヴァルンレッドが王宮へ出掛けたのを見計い、ラクジットは離宮の森の奥、アレクシスと約束した集合場所へ出掛けていた。
アレクシスの話では十日に一回のサイクルで国王は睡眠を取っている。国王の眠りを妨げないよう、黒騎士達は住み処を守るため王宮へ集結しているのだという。
お互いの護衛騎士の目が外れる唯一の日。その日を双子の密談の日として、アレクシスは離宮へ忍び込んで来ていた。
「そうだねーヴァルンレッドって、 ゲームだと冷たいイメージがあったけど、前世の記憶を思い出した時は、ヴァルは過保護で優しいからヴァルンレッドと似た顔の別人かと思ったの」
怖くて優しい私の護衛騎士は、黒騎士ヴァルンレッドじゃない別人だったら良かったのになと、何度も思ったし今でも思っている。
「過保護で優しい? 過保護なのは凄く伝わってきたけど、ヴァルンレッドが優しいって? ダリルが聞いたら驚いてひっくり返るかもな」
腕組みをしたアレクシスは「うーん」と唸る。
優しくて過保護な“ヴァル”の姿は、アレクシスの護衛騎士ダリルという黒騎士にも見せていないのか。
「実は、ラクジットの行方を調べていた時、直ぐ離宮に居ることは分かったんだ。でも、離宮周辺に何重にも張り巡らされている結界が厄介で、ヴァルンレッドに察知されず侵入するのに凄い時間がかかったんだよ」
「結界ってヴァルが張っていたの?」
魔力を集中し目を凝らして見ても、見えたのはアレクシスが張った遮断の結界のみで、それらしき物は全く分からない。
「国王の結界だったら、血を継いでいるから解くのはそう難しく無かったけど、ヴァルンレッドの結界は色々絡ませていたりと複雑にされていて、侵入するのが大変でさ。無理矢理破ったらバレるから離宮へ来るのに3ヶ月以上かかったんだ。おかげで俺はレベルアップが出来たけど、最初此処へ侵入した時はバレるかバレないか際どかったかも」
「へー」
「へーじゃない」
離宮へ侵入するのが、どれだけ大変だったか全くラクジットは理解してくれない。
前世の記憶が有ろうと、彼女の危機感の薄さにアレクシスは眉を寄せた。
がんじがらめに施された結界は、内部から出るのは容易いが外部の者はヴァルンレッドに許可された者以外、侵入不可能なくらい複雑で強固なものだった。
それほどまで強固な結界を作ってまで、ラクジットを守ろうとするヴァルンレッドの行動と国王への忠誠心からか。それとも、過保護以上の想いからか。
(逃亡計画も慎重に進めていかないと。ヴァルンレッドから逃げるのは大変だぞ)
鈍くてお気楽なラクジットは全く気付いてはいない。国王のために彼女を護っているというよりも、ヴァルンレッドには別の思惑が、王女への強い執着を抱いているのだろう。
ぶるりっ、アレクシスは急に寒気を感じて身震いした。
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