01.乙女ゲームの傍観者になりたい
5章開始です。
新国王の即位から一年が経ったある日、王宮内は来賓を歓迎する晩餐会の準備で慌ただしく使用人達が動き回っていた。
王宮から離れていているこの場所、王女が住まう王女宮にまで届くくらいの慌ただしさで、王女宮の侍女達も浮き足立っても仕方がない。
しかし、慌ただしさの中には緊張感と警戒心も混じっていた。
それもそのはず、今夜開催されるのは三百年前に国交が絶たれていた帝国とイシュバーン王国が長年のわだかまりを解き、国交を復活させる話し合いのために帝国から訪問する使節団を歓迎するための晩餐会なのだから。
新国王即位以来の晩餐会のためか、来賓が誰であれ気合いを入れてドレスやアクセサリーを選ぶ侍女達を尻目に、ラクジットはソファーで膝を抱えながらどうやって今夜の晩餐会を切り抜けるかと、思考を巡らしていた。
普段は軽装を好み、外見を磨くよりも国王や騎士達と一緒に剣技の稽古までする、全く淑女らしからぬ王女を着飾らせる絶好のチャンスとばかりに、鼻息荒い侍女達の手によって必要以上にキンキラな姿にされることは容易に想像出来る。
拷問にしか思えないコルセットによる圧迫や、裏表の激しい貴族達との駆け引きは出来ることならば回避したいのに。
「ねぇメリッサ」
「駄目です」
まだ何も伝えていないのに、キッパリ「否」と言い切られてしまったラクジットは渋面となる。
「うぅ、まだ何も言ってないのに」
「晩餐会に出たくない、でしょうか? ラクジット様は、今や国王陛下となられたアレクシス様の妹君ですよ。晩餐会の主賓はトルメニア帝国からの大使様ですもの。今回ばかりは、欠席は駄目です! 出席しなければなりませんよ! 逃げようとしても無駄です! カイルハルト様の代わりにエルネスト様がいらっしゃいますから!」
「ええっ! エルネストが!?」
いくら何でも、カイルハルトをトルメニア皇帝からの使節団と対面させるのは気が引けて、晩餐会中は会場外の警備に配置してもらったのだ。
彼の代わりにラクジットの警護もとい、お目付け役となるのがエルネストだと知り、全身から血の気が音をたてて引いていくのが分かった。
あの鬼畜な男は、逃亡防止用という理由で魔法封じの拘束具でも持ってきそうだから恐い。
「トルメニア皇帝直筆の国交と、貿易の申し出の書簡を持った使節団か。イシュバーン産の魔石と、あわよくば王族との繋がりを得たいって、帝国の下心見え見えで怖いね」
腕を組んだラクジットは、前世のゲーム知識とモニター画面に映し出された皇帝の立ち絵を思い出す。
皇帝の外見は四十代前半とは思えないほど若く、何処と無くカイルハルトに似た雰囲気を放つ冷たい美丈夫。
ヒロインを保護した理由は、帝国にとって異世界人の知識が有益だと判断したから手を差し伸べただけ、という計算高い印象があった。
今回の使者、国交の正常化が第一の目的とはいえ、あわよくば婚約者候補すらいないアレクシスと皇女の婚姻か、ラクジットを皇太子の側妃に迎えることだろう。
皇女はまだ6歳、アレクシスとの婚姻よりレオンハルト皇太子とラクジットの政略結婚の方が現実的だ。
しかし、乙女ゲームのメインヒーローであるレオンハルト皇太子は、王道の俺様王子キャラ過ぎて好きにはなれない。
腕を組んで霞みがかっている前世の記憶、レオンハルトの立ち姿を思い出して彼の隣に立つ自分の姿を想像してみて……これは無理だとラクジットは首を横に振った。
「それだけ新国王への期待が高いのでしょう。帝国は三百年以上前から、我が国と王族方に興味がお有りのようですからね」
魔石が採れる土地を奪うため、三百年前にトルメニア帝国は戦争を仕掛けたとイシュバーン王国では伝えられている。
帝国が戦争を仕掛けなければ暗黒竜は生まれなかった、そう考えると使節団を向けえる気が失せていく。
「他国の王族と繋がりを保つ外交は大事だけど、私は愛想良くするのは苦手なの」
ペロリと舌を出せば、メリッサは大きな溜め息を吐く。
「ラクジット様は三百年ぶりの王女殿下でいらっしゃいます。毎日の様に謁見の申し込みや、他国の王族の方々から縁談の話が山のように舞い込んでいると聞いております」
花や装飾品と一緒に届く大量の釣書を思い出して、ラクジットは眉間にシワを寄せた。
護衛騎士となったカイルハルトは釣書が届くと燃やそうとするが、一応全てに目を通している。
「強い魔力と竜王の血は魅力的だろうしね。でも、私がこんな雑な王女様だなんて知ったらガッカリするだろうな」
ラクジットから出た乾いた笑い声に、侍女達は準備の手を止めて心配そうに此方を見た。
部屋に居る侍女達は、メリッサとラクジットの掛け合いには慣れており、残念王女を見ても今さら驚かない。
メリッサの指示で用意したと思われる、キラキラしたドレスを手にして笑顔で見てくるのだけは止めて欲しいと思う。
「では、ラクジット様ご自身で婚約者をお決めになったらいいのではありません? せめて、全て断らずに少しでも気になった方とお会いしてみたらいかがですか?」
「婚約者を決めるのはアレクシスの方が先でしょ? アレクシスこそ縁談を断りまくっているじゃない。まぁ気持ちは分からなくもないけど。私達は強い魔力の持ち主とでないと後継者はつくれないの。相手が魔力を受け入れきれないから、慎重になっているのよ」
縁談を全て断っているのはアレクシスも同じ。
兄である国王を差し置いてラクジットが婚約者など決められない。
「結婚は必要無い」と言いそうになるが、何とか飲み込んだ。
王女に戻ると決めた時に、政略結婚も王女という立場上、仕方がないことだと覚悟していた。
「では、エルネスト様かカイルハルト様と婚約されてはいかがでしょうか?」
「えっ?」
ぱちくりと、何を言われたのか理解出来ずにラクジットは目を瞬かせる。
「お二人とも強い魔力をお持ちじゃないですか。それに、ラクジット様のことをよく分かっておられますし、お二人なら城内で反対する者はおりませんよ? 苦楽を共にした美少年の幼馴染みと冷たい美貌のお師匠様、うふふっ、恋愛小説にしたいくらい素敵ですね」
「……は?」
うっとりと頬を染めるメリッサの言葉を理解するのに、たっぷり十数秒を要してしまった。
妄想モードに入るとメリッサは面倒臭い相手になるのだった。
慌てたラクジットは腕をクロスさせ、違うと主張する。
「ちょっ!? エルネストは師匠だし、鬼畜なことされ過ぎて結婚するなんて無理! 怖いもの。カイルハルトを私の事情に巻き込んだら可哀想だ。はっ、カイルハルト、晩餐会、帝国……そうだ! ふふふっ、いいこと思い付いた」
あることを閃めいたラクジットは勢いよく立ち上がった。
「ラクジット様、騒ぎを起こすのだけは止めてくださいね」
ほくそ笑むラクジットの表情から、またロクでもないことを考えていると察したメリッサは、先程の笑顔から一変して肩を落とし溜息を吐いた。
***
執務室で急ぎの書類に目を通していたアレクシスは、控え目なノックとともに室内へ入ってきた片割れを見上げた。
「あれだけ嫌がっていた晩餐会へ出席するって?」
壁際に置かれていた椅子を執務机の横へ移動させて、ラクジットはアレクシスの隣へ置く。
「うん。飲む?」
アレクシスが頷いたのを確認してから、ラクジットはサイドテーブルに置かれた硝子のポットを手取ると、冷たい緑茶を二人分淹れた。
王宮仕えの侍女が側にいたら「姫様がそんなことをしなくても!」と慌てふためきそうだが、アレクシスの側仕えの文官はラクジットが室内へ入ると音も無く退室しており、今は二人きり。気楽なものだ。
執務机の横に座ったラクジットは、緑茶を口にするアレクシスを観察する。
まだ16歳とはいえ、少年から青年へ変わる過渡期の彼は、顔立ちはまだ中性的な美少年でも、体つきは男性的な筋肉質なものへと変化してきた。
貴族のご令嬢方や侍女達がアレクシスを見て、頬を染めて見惚れるのも分かる気がする。
流石、乙女ゲームのメインヒーローの一人。
「アレクシス一人で対応するのは大変だと思い直したの」
「ふーん、何か企んでいるんだろ?」
双子だからか、幼い頃からお互いの腹の内を知っている相手だからか、彼はなかなか鋭い。
「企んでいるとは人聞き悪い。思い出したの。私達もあと半年で17歳、そろそろゲーム本編の開始の時期だって」
トルメニア帝国からの大使と聞いて、そろそろゲーム本編の開始時期だと思い出した。二、三か月以内で、異世界からヒロインがトルメニア帝国の森へ迷い混んで来るのではなかったか。
普通の女子高生が通学途中交通事故にあい、突然異世界転移してしまう。それがゲームの始まりだった。
街中からいきなり森の中へと転移し、訳もわからず森をさ迷い続けたヒロインは疲労と不安から助けを求めて、通り掛かったレオンハルト皇太子の乗る馬車の前へと飛び出してしまう。
「ゲーム通りの展開でヒロインがこの世界へ現れたら、彼女の恋愛を傍観してみたいなって思ったの。私はゲームではモブキャラでしょ? アレクシスみたいに攻略キャラとして、ゲームには巻き込まれはしないだろうし、傍観者になろうと思うのよ」
「はぁ?」
ラクジットの企みを聞いたアレクシスは、王様らしからぬ素っ頓狂な声を上げた。
ラクジット、カイルハルトともに16歳、もうすぐ17歳になりました。




