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04.誕生祭前日

 前世の記憶が戻るまで離宮に軟禁されていた幼いラクジットは、外の世界に憧れて鳥になりたいと常々思っていた。

 “国王陛下に嫁ぐ時には外へ出られる”

 そう信じていたとは、今の自分からしたら当時は純粋な子どもだったと思う。


 “姫様”として着せ替え人形にされるのも、甲斐甲斐しく世話をしてくれる侍女に囲まれているのにも疲れてしまった。

 王子の生誕祭前日だからか、王宮中に漂う緊張感と僅かに高揚した空気が嫌で、ラクジットは侍女に黙って庭へと向かう。

 一人になりたくて向かった先は、幼い頃によく通っていた秘密の場所だった。


 遠くから聞こえるラクジットを探す侍女の声を無視して、彼女達の目を眩ます幻視魔法をかける。

 裏庭にある煉瓦造りの塀の下に空いている穴を潜り抜けた先、庭の片隅にあるのは小さな園芸用具小屋。

 小屋の横に建つ、古びた小さな東屋が幼いラクジットの遊び場だった。


「懐かしい、まだあったんだ」


 今は訪れる者も居ないのか、色褪せてしまった東屋は記憶の中より小さく見えた。


 ぱきりっ、木の枝を踏む音が聞こえ、無風なのに周囲の空気が揺れる。


「ラクジット様」


 耳に心地好く響く低い男性の声に、ラクジットは大きく目を見開いた。


「ヴァル……?」


 まさか幻聴かと、半信半疑の気持ちでラクジットはゆっくりと声が聞こえた方を振り向く。


「ヴァルー!!」


 何故、どうして此処に、なんて考える間もなく駆け出していた。

 其処に居たのは、紛れもなく黒騎士ヴァルンレッドではない、護衛騎士のヴァルンレッドだったのだ。

 勢いよく飛び付いたラクジットを、難なくヴァルンレッドは両手を広げて抱き止める。


「ヴァル、ヴァル」


 ぎゅうっと抱き付いてヴァルンレッドの胸へ顔を埋め甘えれば、大好きな彼の手が優しくラクジットの頭を撫でる。


「リズリスの隙をついてやりました」


 すぐ近くで甘い吐息を感じて胸元に埋めていた顔を上げると、ラクジットの額にヴァルンレッドの唇が軽く触れてチュッとリップ音をたてて離れる。

 口付けされた額から全身へ熱が広がっていくように、ラクジットの身体中が熱を帯びていく。

 熱くなった頬をヴァルンレッドの手のひらが包み込む。


「ラクジット様、不自由な扱いは受けていませんか?」

「離宮の皆は、私をお姫様扱いするから不自由なことは無いわ。でも」


 頬を包み込む手に自分の手を重ね、ラクジットはヴァルンレッドの濃紺色の瞳を見詰めた。


「ヴァルが居ないと、さみしいの」


 寂しい、そう口に出すと胸の奥が苦しくなってくる。

 潤んでいく視界を自覚して、一度瞬きをすると目の縁からポロリと涙が零れ落ちる。


 ああ、“私”という殻が破れてしまった。

 前世の記憶が、“私”の意識が甦ってからずっと纏っていた殻。

 姿は幼くとも前世は三十路だった前世の“私”は、年齢相応の経験を積んでいてそれほど涙脆くなど無かったのに、ヴァルンレッドが傍にいると幼子みたいに彼に甘えたくなってしまう。

 彼の前だけは、前世を知らないこの世界だけの“ラクジット”に戻って、“私”という殻が剥がれていきただの女の子になってしまうのかもしれない。



「ラクジット様……」


 切なそうに目蓋を伏せたヴァルンレッドの長い人差し指が、ラクジットの目元に溜まる涙をそっと拭う。


「愛しい私の姫。貴女に触れるのは私だけにしたいのに」


 涙の痕をなぞり下り頬を伝う指先はラクジットの顎を掴み、そのまま赤い唇に口付けを落とす。


「明日の生誕祭では、貴女はつらい思いを強いられるかもしれません。ですが、私を、我々を信じていてください」


 どういうことか問おうと、開きかけたラクジットの口を塞ぐように二度唇が重なる。

 半開きになっていた口の隙間から入り込んだ熱い舌先は、歯列をなぞりラクジットの舌を絡めとると軽く引っ張った。


「ぅんっ」


 ヴァルンレッドの舌から与えられる甘い刺激に、身動ぎするラクジットの背中を一撫でして熱い舌は口腔内から出ていてしまった。

 呼吸を乱して見上げたラクジットの下唇をペロリと一舐めして、ヴァルンレッドの唇は離れていく。

 背中へ回していた左腕も離れ、そのままヴァルンレッドは一歩後ろへ下がった。


「……もう行くの?」

「ええ、無理矢理結界内へ侵入したのをリズリスに気付かれてしまいましたから。奴が此処へ来ると何かと面倒なので」


 離れたくなくて伸ばしたラクジットの手を取ると、ヴァルンレッドは名残惜しそうに指先と甲へと口付け、ゆっくりと握っていた手を離す。


「それでは、ラクジット様、明日までごゆるりとお過ごしください」


 恭しく胸に手を当てて一礼したヴァルンレッドは、展開させた転移陣の青白い輝きと共に姿を消した。




 ***




 巨大な黒い竜巻がゴウゴウ音をたてて大地と草木を抉っていく。

 無数の稲妻が巻き付く竜巻状態の魔力の渦に近付くのは本能が危険だと警告する。


 恐怖で体が震え、迷いを見せたメリッサは下唇をきつく噛み、意を決して竜巻の側に立つ男の元へ駆け寄った。



「はぁはぁ……エルネスト様、ラクジット様はご無事でしょうか。まだイシュバーン王国へ向かわないのですか?」


 腕組みをして竜巻を見上げていたエルネストは、首を動かして肩で息をして問うメリッサを見下ろす。


「今はまだラクジットは危険な状況に陥っていない。我らがイシュバーンへ乗り込むのは王子の生誕祭、国王覚醒の儀式の最中だ。軍や黒騎士三人を相手にするのは荷が重い。警護の意識が国王へ集中する時を狙って転移する。それに、冬眠中の国王は強固な結界に守られているため、覚醒しなければ手を出せないからな」

「それは、分かってはいます。でも、ラクジット様がお一人でつらい思いをされていないかと、不安で堪らないのです。」


 両目に涙を浮かべて訴えるメリッサを無言で見下ろし、目蓋を閉じたエルネストは息を吐く。

 正直、女に泣かれると対応に困るのだ。そして困った挙げ句、冷たく突き放してしまう。

 こういう時、ヴァルンレッドならば気の利いた台詞を与えるだろうに。


 バチィッ!


 泣き出したメリッサへ声をかけようとエルネストが口を開いた時、稲妻を巻き付けた黒い竜巻が四方へと弾け飛んだ。


 稲妻が消えた地面は抉れ、中心には上半身の服が破れ全身に細かい傷を負ったカイルハルトが片膝を突いて踞っていた。

 血管が浮き出るほどの力を込めた右手は輝く銀色の剣を握り締め、荒い呼吸を繰り返すカイルハルトは流れ落ちる汗を手の甲で乱暴に拭った。


「カイルハルト様……」


 カイルハルトの変わり果てた姿に、メリッサも涙を引っ込めて彼を見やる。


「カイルハルト、どうにか手懐けることは出来たようだな」


 一日中魔力を放出する攻防戦を繰り広げ、自らの力で課した試験を乗り越えた弟子へエルネストは満足気な笑みを向けた。


「ああ。主従契約は結んだ」


 右手に握った剣を地面に突き立てて、足元をふらつかせながらカイルハルトは立ち上がった。


「では暴走させないように仕付けておけ。食欲に負けて、ラクジットや王子を喰おうと襲い掛かるかもしれん。そいつは悪食だからな」


 エルネストの声に反応するように、カイルハルトが握る剣は白銀の輝きを増す。


 “ドラゴンスレイヤー”

「竜殺し」と讃えられている、かつて人々を恐怖に染めた悪竜を倒した伝説の剣である。

 古の時代に栄えた大国が滅亡した際、王宮地下にあった宝物庫から略奪されて行方不明となった剣。

 この剣をエルネストが所有していることは、彼と長い付き合いのあるヴァルンレッドも知らない。


(悪いな、ヴァルンレッド。私もラクジットを贄から解放し、生かしてやりたいのだよ)


 長年の友人であり、堕ちた竜王の愚かな下僕でもあるヴァルンレッド。

 彼を助ける方法は、実は死の救済以外にもある。

 しかし、それはヴァルンレッドの魂に竜王の影響を色濃く残す可能性や、ラクジットの精神を壊す危険があるため彼女には伝えてない。


 確実なのは竜王を倒すこと。

 そのために、エルネストは屋敷の地下に封印していたドラゴンスレイヤーをカイルハルトに与えたのだった。


ヴァルンレッドは我慢出来なくて来ちゃいました。

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