12.決意
3章終話になります。
強烈な愛の告白をしてくれたヴァルンレッドが、ラクジットの傍から離れて三日が経った。
ヴァルンレッドと両想いだと分かって喜んだのはその日だけ。
逃げたいのに逃げられない死亡フラグ、イシュバーン王国からの迎えが来るまであと四日。
残された期間で、ラクジットはミンコレオの女王との戦闘中に解放された竜王の血の力、倍増した魔力を自分のモノとしなければならない。
扱いきれない強大な魔力はなかなか意のままにならず、簡単な魔法を発動させるのにさえ四苦八苦していた。
魔力の波動を一定の状態を保てないせいで、常に暴れ馬に乗っているような錯覚に陥る。時折、乗り物酔いに似た嘔気すら感じて食欲も無くなっていた。
前世、乗馬マシーンを模したダイエットマシーンを試してフラフラになっていたくらいだ。暴れ馬を乗りこなすのには時間がかかるのだと痛感した。
「ファイアーボール!」
前方へ向けた手のひらの上で作っていた火球がグニャリと崩れ、自分の方へ向かう炎の熱さに耐えようラクジットは両手で顔を庇った。
「くぅっ」
パチンッ
エルネストが指を鳴らした音が聞こえ、ラクジットの顔目掛けて降り注ごうとした炎が消え去る。
「ありがとう。はぁーまた、失敗かぁ」
火球を形成するまでは上手く出来たのにと、魔法発動まで成功すると期待したラクジットは肩を落とす。
長時間集中して魔力を練っていたため、気力と体力を激しく消耗して傾いだラクジットの体をカイルハルトの腕が支えた。
「何度も言ったはずだ、気を抜くなと。危うく自滅するところだったぞ。解放された魔力を使いこなさなければ、お前は今後生き延びることは出来ない。暗黒竜と化した国王は、ヴァルンレッドや私でもまともに戦って勝つことは困難な相手だ」
腕組みをして言い放つエルネストの声には、冷静沈着な彼にしては珍しく怒気が含まれていた。
「生き延びたければ、ヴァルンレッドが迎えに来る日までにその魔力を制御出来るようにしろ」
「ヴァルが来る前に……」
竜王の血が目覚めてから、ラクジットの体内にある魔力回路がおかしくなってしまい、膨大な魔力をコントロールするため初級魔法から習得し直していた。
エルネストの指導と鍛練に付き合ってくれるカイルハルトのおかげで、簡単な魔法はどうにか使えるようになったとはいえ中級魔法を放つ度に魔力を暴走しかける。これでは自分が生き延びるどころか、母親とヴァルンレッドの望みは叶えられない。
この先、暗黒竜と化した国王と対峙し生き残るためには、自滅してなどいられない。
「言いすぎだ! ラクジットは、」
「いいよ、ありがとうカイル」
エルネストに噛み付く寸前のカイルハルトの二の腕に触れて彼を止める。
少し動くだけで体は軋み音を立てて疲労感を訴えていても、制御しきれない魔力は出口を求めラクジットの体内を駆け巡っていた。
「私は、まだやれるから」
休憩したいと訴える両膝を叱咤して、額に浮かぶ汗を手の甲で拭ったラクジットは魔力を練り出した。
ギュルルルー! バキバキッバキッ!
的目掛けて放った風魔法の軌道は外れ、竜巻が周りの木々を薙ぎ倒す。
自分の方へと倒れてく太い枝や幹を防ごうと、ラクジットは周囲に防御壁を張った。
バチンッ!! バチバチバチッ!
「きゃあっ!?」
防御壁を張ろうと練った魔力は一気に膨らみ、壁の形状から風船が割れるように弾けた。
弾けた魔力は無数の火花を散らして発火する。
少しでもダメージを減らそうと、不安定な魔力と纏い身構えたラクジットに襲い掛かる直前、魔力の火花は風に解けるように霧散した。
「ラクジット! 大丈夫か!?」
「あ、ありがとう」
ラクジットの周りに防御壁を展開して倒れる木々の直撃を防ぎ、魔力を霧散させてくれたカイルハルトに頭を下げる。
「やはりまだ魔力が体に馴染み切れず、不安定だな。仕方が無い。これを手に着けろ」
溜め息混じりのエルネストから手渡されたのは、手のひらと甲の中央にコイン大の硝子の玉がくるようなデザインの、前世の知識でいう手の甲に着ける銀の鎖で作られたグローブかバングル、パームカフに似た装飾品だった。
言われたとおりに左手へ着ければ、少し緩い輪がラクジットの手の形に合わせて縮まっていく。
「何? え、あれっ?」
手の形にぴったりとはまった輪は、瞬く間に皮膚に吸い込まれていった。
これはどういうことなのかと、ラクジットは立ち上がって何度も目を瞬かせた。
左手のひらを握ったり閉じたりして確認するが、どういう仕組みは全く分からない。
「魔力補助効果のある魔具だ。身に付けると、装備者が具現化を意識しない限り皮膚と同化する。幻覚と遮蔽魔法を幾重にも施してある。私と同等以上の魔力を持つ者でなければ、竜王や魔王あたりでなければ見抜くことは出来まい。これは、いくら黒騎士といえども見破るのは無理だ」
説明されてもバングルを着けている左手は装着感は無く、見た目も皮膚としか分からない。
「カイル、これ見える?」
「いや、魔法の軌跡すら分からない」
カイルハルトと二人で目を凝らして見ても、やはり肌色の皮膚にしか見えない。感触も魔具を着けた自分でさえ装備しているのは分からない。
視線に魔力を帯びさせて、薄い膜が左手を覆っているのがうっすら見える程度。
竜王の血が目覚めて魔力と増加したラクジットでも、エルネストの遮蔽魔法を見破れないとは。いったい彼はどれだけの魔力を持っているのか。
「そしてもう一つの特殊効果は……手のひらを出せ」
首を傾げつつも言われるがまま、ラクジットは手のひらを上にする。
無表情でラクジットを見下ろしたエルネストは、おもむろに閉じていた右手を開く。
「幻夢?」
音も無く彼の手の中へと現れたモノは、屋敷に置いてきた魔剣幻夢だった。
何をするのかと眉を寄せたのラクジットの目前で、エルネストはスラリと鞘から幻夢を引き抜く。そして、
「えぇえ~!?」
「なっ!?」
ラクジットとカイルハルトは同時に声を上げた。
あろうことか、エルネストは赤紫色の鋭い切っ先をラクジットの左手のひらへ突き刺したのだ。
「心配するな」
水中へ沈めるように、何の抵抗も無くラクジットの手のひらへと幻夢は埋まっていった。
剣が突き刺さっているのに痛みや違和感は全く無い。
まるでそこに収まるのが当然のように刀身全てを埋めて、エルネストは「終いだ」と柄の先を押し込める。
「この魔具は魔剣の鞘となる。魔剣の魔力は外に漏れず、身に付けているのを悟られることもない。更に、常にお前の傍に幻夢があることで魔力は吸収され、魔力の暴走を防げる上に他者からの干渉も防げる。これならば、幻夢を王宮へ持ち込めるだろう。そして、これはお前の目印となる」
口を半開きにしたまま顔を上げると、ラクジットを見下ろすエルネストと視線が合う。
「私が転移する時の、な」
ニヤリと口角を上げるエルネストに、ラクジットは目を瞬かせた。
「エルネストも戦ってくれるの?」
イシュバーン国王と敵対するのは面倒だと言っていたのに、まさか一緒に戦ってくれるとは。
ぽかんと、見上げるラクジットの頭をエルネストの手が一撫でする。
「闇へ堕ちた竜王に喰わせるのは惜しいと思うくらい、お前のことはそれなりに可愛い弟子だと思っている」
エルネストは皮肉混じりの笑みではない柔らかな微笑みを浮かべた。
「えへへ、ありがとう。私、生け贄なんかにならないから! 足掻いてみせるね!」
大丈夫だと思っていたのに、ヴァルンレッドが傍から離れてしまったことで心の奥は不安でいっぱいだった。
強がりの決意表明をしたラクジットの視界は歪み、目尻に溜まった涙が零れ落ちていく。
息をのむカイルハルトの声が聞こえて、すがるように彼の服の胸元を掴んだ。
「こういう場面では、抱き寄せるくらいのことをしてみろ」
「あ、ああ……」
ギクシャクとした動きでカイルハルトはラクジットの背中に手のひらを当てる。
ぎこちないカイルハルトとは対照的に、俯くラクジットの頭を撫でるエルネストの手は何時もは冷たく感じるのに今はあたたかく優しく感じられて、手の甲で拭っても涙は止まらなかった。
***
しゃくり上げるラクジットの背中をあやすように撫でながら、エルネストは前方の木々へと視線を移した。
本来ならば、肉体の崩壊と精神の発狂を防ぐため、時間をかけて目覚めた竜の力を人の体に馴染ませる。
今回は時間が無いとはいえ、ラクジットには無理をさせているのは理解していた。
精神面は大人びているとはいえ、エルネストから見たら彼女はまだ年端のいかない幼い娘。
いくら大事な姫の傍らを離れるとはいえ、ヴァルンレッドもラクジットの心を掻き乱す真似をするとは。酷なことをすのものだと苛立ちを覚えていた。
(おい、術が解けかけているぞ)
いかに目眩ましの術を使おうとも、僅かな感情の揺れが術式に綻びは生じる。
それに気が回らないような男では無いだろうに、自分は兎も角ラクジットやカイルハルトにも気付かれてもかまわないらしい。
ここまで執着して欲しているのに、古の主へ捧げた誓いに、魂の拘束には抗えぬとは哀れな男。
(いくら可愛いと言っても、私は弟子には手を出す気はない。お前とは違って、な)
わざと撫でていたラクジットの頭から手を離し、彼女の体を支えていたカイルハルトから奪うように肩へと腕を回す。
半ば嫌がらせで密着してやれば、さらに乱れる術式を感じてエルネストはクツリと喉を鳴らして嗤った。
次話から4章に入ります。




