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10.狡い貴方へ精一杯の告白を

お待たせしました。糖度高めです。

 雲一つ無い晴天の青空とは真逆の沈んだ気持ちを抱え、カイルハルトは開いた居間の窓から外を眺めていた。


 どんなに目を凝らしても探している少女の姿は見えず、空間を遮断する結界のせいで彼女の気配も察知出来ない。

 あの悪魔のように冷酷な男が、大事な姫との逢瀬を他の者に見せるわけないと分かっている。

 それでも、二人がどんな会話をしているのか、彼女がどんなに蕩けた表情を男に見せているのか気になって探ってしまうのだ。


「気になるのか?」


 ソファーに腰掛けたエルネストは、愉しそうにクツクツ喉を鳴らして嗤う。

 首だけ動かしたカイルハルトが睨みつければ、エルネストはわざとらしく肩を竦めた。


「気になるならば奪い取ればいい」

「アイツはラクジットの敵になるんだろ。なのに、何で」


 あの男は、ヴァルンレッドはカイルハルトの大事な少女の傍に居るのか。

 自分と同じくらい少女を気に入っているエルネストは、何故ヴァルンレッドが彼女の傍に居るのを許すのか。

 彼女を護りたいと思うのは恋慕なのか、ヴァルンレッドによる刷り込みかは分からない。

 ただ、少女の傍に居るのが、彼女が望む相手が、自分を鍛え上げてくれた師でもあり、越えたい障壁でもある男だという事実。それが、悔しかった。



「ヴァルンレッドはまだ黒騎士に戻ってはいない。今はまだ敵ではない。ラクジットを独占されて悔しいのならば、彼奴がイシュバーンへ戻った後はお前が全力で守ればよいだろ」

「言われなくてもラクジットは俺が護る。アイツは、俺を救ってくれた天使だから」


 奴隷の身分へ落とされ、底無しの絶望と憎悪の闇へと沈みかけた時、手を差し伸べてくれた天使。

 復讐という目的、ヴァルンレッドとの契約など今はもう関係無かった。

 ただ、ラクジットを脅かすモノを知り彼女を護る。たとえ師事したヴァルンレッドと戦うことになろうとも。




 ***




「お話ししたいことがあります」と畏まったヴァルンレッドに手を引かれて、ラクジットは屋敷の外へと出た。

 二人きり、しかも手を繋いで歩くのは久し振りで、ラクジットは早鐘を打つ心臓の鼓動を気付かれないように俯いて歩く。


 湖畔に咲く色とりどりの花畑の前でヴァルンレッドの足が止まる。

 繋いでいた手を離すと、彼はゆっくりと振り返った。



「ラクジット様、明日早朝、私はイシュバーンへ戻ります」


 急すぎる彼との別離を知り、ラクジットは俯いていた顔を上げる。


「明日?」


 普段と変わらない微笑を浮かべているのに、ヴァルンレッドの濃紺の瞳は複雑な色を混在させていた。


「ヴァルは、私を陛下の花嫁として城へ連れていくの?」


 自分から問い掛けて、胸がぎゅっと締め付けられるように息苦しくなる。

 暗黒竜の花嫁になるのは嫌だ。


(私がずっと傍にいて欲しいのは、一緒に居たいのは)


 別離を知った今ならば、自分の想いをはっきり伝えられる。


「私、陛下の花嫁になりたくない。誰かと結婚するならヴァルのお嫁さんになりたい」


 真っ直ぐヴァルンレッドの顔を見上げたラクジットは、息継ぎも無く一気に言い切った。

 頬が、顔が、全身の熱が上がっていく。

 今の自分の全身は真っ赤に染まっているはず。


 完全にヴァルンレッドの意表を突いたらしい告白に、彼は目を大きく見開いて固まった。



「ラクジット、様……」


 たっぷり十数秒間固まったヴァルンレッドは片手で顔を覆った。


「はぁ、赦されるならば……このまま貴女を拐って、異界にでも逃げてしまいたい」


 絞り出した声は吹き抜けた風に消え入りそうなくらい弱々しく、顔を覆う手を外した彼の表情は今にも泣き出してしまいそうな切ないものに見えて、さらにラクジットの胸は苦しくなる。


 胸を押さえたラクジットの方へ腕を伸ばしかけ、苦痛に耐えるように目蓋を閉じたヴァルンレッドは腕を引っ込めた。


「私は陛下の黒騎士。私の存在意義は陛下の剣となり盾となること。陛下が崩御されるその時まで、側にお仕えすることを誓い、この身を、魂を陛下にお渡ししたのです」

「それは、国王を倒したらヴァルも死んでしまうということ?」


 眉を八の字にして問うラクジットに、ヴァルンレッドは柔らかな笑みを返す。

「はい」と口には出さなくとも、彼の笑みが問いへの肯定を意味しており、ラクジットの体から血の気が引いていった。


 紅潮させた顔から一変して青ざめていくラクジットへ手を伸ばし、ヴァルンレッドはふらつく彼女の肩を支える。


「イシュバーン王国の中枢は、三百年前の帝国との戦から時を止めています。私は、臣下として陛下を諌めることも出来ずに、多くの命を奪い、償いきれないほどの罪を重ねていった。三百年という長い時間を生き続けていくうちに、何時しか私の心は蝕ばまれ人としての感情を失っていきました。自我を抑え生きる屍のような色褪せた日々は、リセリア様、ラクジット様の御生母様に出逢い、王女殿下を護る任を与えられてようやく終わったのです」

「ヴァルは、お母さんが頼んだから私の傍に居てくれたの?」


 竜王の血が目覚めた時に視たのは、黒騎士ヴァルンレッドの過去の出来事。

 リセリアの傍に控えていたヴァルンレッドは、王妃に仕える騎士以上の感情を母親に対して抱いていたと、鈍いラクジットでも感じとれた。

 恋慕を抱いた相手の命令だから、自分の傍に居てくれていたのならば悲しすぎる。


 ヴァルンレッドを見上げるラクジットの肩は小刻みに震える。


「……護衛を申し出た当初は、リセリア様の願いを聞き入れて貴女の傍に居りました。しかし、何時しか貴女の成長は私の生きる糧となり、国の行く末を憂い嘆く者達の希望の光となった。ラクジット様が笑ってくれるだけで私は満たされる。ラクジット様に仕える“ヴァル”としての感情は、貴女をこのまま陛下の妃になどしたくはない。しかし、私は」


 初めてラクジットの前で苦悩を吐き出したヴァルンレッドは、唇をきつく結び眉間に深い皺が寄っていく。


「私の可愛い姫、どうか私を、イシュバーン王国を、忠誠という鎖で陛下に縛られている者達の魂を解放してください」

「嫌よ。そんなこと、したら、ヴァルはっ」


 死んでしまう、と続く言葉は言えなかった。

 言葉の代わりにポタポタと、ラクジットの両方の瞳から涙が零れ落ちる。


「ラクジット様」


 身を屈めたヴァルンレッドの長い人差し指が、ラクジットの頬を伝い落ちる涙をそっと拭う。


「泣かないで、貴女に泣かれると私は、愚かにもこのまま貴女の傍に居たいと、仮初めの生にすがってしまう」


 涙の膜で歪む視界ではヴァルンレッドも泣いているように見えて、ラクジットは彼の頬へと両手を伸ばす。


「わた、私は、ヴァルとずっと一緒に、居たいし、ずっと、一緒に生きて欲しい」


 伸ばした腕は、大きくて大好きな手に掴まれて軽く引かれる。

 ぽすりと、ラクジットの体はヴァルンレッドの胸の中へと収まった。

 此処へ収まるのが当然だと感じられるくらい、居心地良くて馴染んだ場所。

 条件反射で、広い胸に涙でぐしゃぐしゃの顔を擦り付けた。


「私は、ヴァルが好き、だから」


 ひっくひっく、しゃくり上げながらした人生初の告白は、涙を流し鼻水を啜りながらというムードも何も無いものになった。



「ラクジット様」


 ヴァルンレッドの大きな手のひらが涙で濡れた頬を包み込む。


「私も、貴女が愛しい」


 耳元へ流し込まれたのは、砂糖菓子みたいに甘い囁き。

 言われた言葉の意味を理解して、ラクジットの頬は熱を持つ。

 真っ赤に染まるラクジットの額に、頬に、ヴァルンレッドの唇が落とされる。


「赦されないと分かっていても、貴女が成長するにつれて私は自分を抑制するのが、私以外の者が近付くのが苦痛になっておりました。王女でなければ、妃候補でなければ、誰の目にも入れられぬように鎖で繋いで檻の中へ閉じ込めてしまうのに」


 視線だけで蕩けさせられそうなくらい、熱を含んだ瞳を私へ向けるヴァルンレッドは見知らぬ男性に見えた。

 親指が顎にかかり、恥ずかしくて俯きかけたラクジットの顔は上向かされる。


「ラクジット様、私は貴女を愛しております」


 愛の言葉を囁かれたんだ、と脳が理解して開こうとしたラクジットの唇を近付いて来たヴァルンレッドの唇が塞ぐ。

 反射的に竦めてしまった肩を、逃がさないとばかりに腕が回されて抱き締められる。


 甘い、甘い口付けに、ラクジットの心は蕩けていく。


(……ヴァル、こんなのって狡いよ)


 一方的な離別を伝えたくせに、腕の中へ閉じ込めて自分の存在を魂にまで刻み付けようとするなんて。


 涙目で睨み付けても離してもらえず、更に抱き寄せられてしまう。

 逃げられないよう腕の中へ閉じ込めたラクジットの額や唇へ、何度もヴァルンレッドは口付けを落としていった。



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