08.少年と黒い悪魔
前半と後半で視点が変わります。
ランプの灯りが妖しく照らす、天蓋付きの豪華なキングサイズベッドしか置かれていない部屋。
ベッドに腰掛けた手首と足首に枷を付けられた淡い金髪の少年は、突き出た下腹を揺らして立つ半裸の中年男を睨みつけていた。
裸にガウンを羽織っただけの少年の色白の肌が、ランプの光に照らされている様はやけに艶めかしく見えて、奴隷商人から少年を買ったこの街を裏から支配している小肥りの男、ドン・ホルゾーは舌舐めずりをする。
「本当に俺は運がいい。これだけ美しい少年を手に入れられるとは」
くくくっ、ドン・ホルゾーは厭らしい笑みを浮かべて肩を震わす。
「だが、目付きが気に入らないなぁ。これからお前を俺の好みに合うよう調教してやるよ。自ら「ご主人様お願いします」と、尻を揺らしておねだりするようにな」
逃げようとするのも抵抗をしようにも、魔力封じの手枷をはめられた少年は何もできやしない。
まだ幼い少年はドン・ホルゾ―の腕力には敵わないのだから。
助けを呼び泣き叫んだとしても、地下にあるこの部屋は地上に声は届かない。
万が一声が届いて誰かが助けに来たても、部屋の前には護衛の中でも精鋭の者達を配置してある。少年がドン・ホルゾーから逃げられる道は全くない。
鞭と性道具で白い肌を痛め付けて、媚薬でドロドロに蕩けさせてから快感を教え込む。
生意気な少年が調教によって快楽に染まりよがる姿を想像して、ドン・ホルゾーは唇の端から涎を垂らした恍惚な表情を浮かべ、興奮から身震いした。
「ウヒヒヒ、この白い肌に赤い痕を残したら、堪らないだろうなぁ」
厭らしい笑みを浮かべたまま、ドン・ホルゾーは肥えて浮腫んだ手を少年に伸ばした。
バチイッ!
強烈な電流が流れたような音が響き、伸ばした右の手のひらと右半身に強烈な痛みが走りぬけた。
「ぎゃあっ!?」
悲鳴を上げたドン・ホルゾーの右手は赤く焼け爛れ、白い煙が立ち上る。
痛みと衝撃に飛び退き、ドスンッと音を立てて床に尻餅を突く。
その隙を逃さず、少年はベッドから飛び下り、尻餅を突くドン・ホルゾーの脇をすり抜けた。
「ぐっ、はぁ! きっさま、なぜ、魔法を……まてっ誰か! 誰か!」
尻餅を突いたままのたうち回るドン・ホルゾーを振り返る事無く、少年は足首に鎖を付けたまま扉へ向かって走った。
バタンッ!
少年が手枷を付けられた両手をドアノブへと伸ばした時、扉は音を立てて勢いよく開かれる。
「くそっ!」
身構えた少年のアイスブルーの瞳が大きく見開かれた。
警備兵とは異なる、異様な雰囲気を放つ黒尽くめの男が其処に立っていたからだ。
「ほぉ……」
開け放った扉から室内へ入った男は、瞬時に室内で起こった状況を察して愉しそうに嗤う。
「魔力封じの手枷をはめられているのに抵抗をしたのか。くくくっ、面白い」
男の放つ圧倒的な魔力に、気圧されてしまった少年の全身がガクガクと震える。
「おいっ! さっさとコイツを捕らえぬかっ!?」
尻餅を突いた際、腰を痛めたドン・ホルゾーは尻で床を這いずりながら黒尽くめの男へ近付く。
黒尽くめの男は、近付くドン・ホルゾーを侮蔑の眼差しで見下ろすと、片手に持つ抜き身の剣を素早く振るった。
「がぁっ!?」
体の中心から真っ二つに割られたドン・ホルゾーの体は、どしゃっどしゃっと嫌な音をたてて血と内臓をまき散らしながら床へ倒れた。
少年の体へ吹き出したドン・ホルゾーの血と脂が降りかかる。
震えていた膝の力が限界を迎え、少年はガクリッと床に膝を突いた。
「気色悪い。私に近付くな」
吐き捨てるように男が言えば、ドン・ホルゾーの肉体は斬り口から真っ黒に炭化していき、ボロボロと崩れ落ちていく。
(この力、魔剣だ。コイツは、魔剣使い……否、悪魔か。俺はこんな所で、まだ、死ねないのに)
どうにか立ち上がろうと少年は脚に力を込めるが、魔力封じの手枷を付けられたまま魔法を無理矢理発動した反動から、身体中の筋肉から力が抜けてしまい身動きはとれない。
途切れそうになる意識は、下唇を噛んで何とか引き留める。
「小僧、生きたいか?」
少年の首筋に、男の持つ剣の鋭い切っ先が触れた。
少しでも動けば皮膚を切り裂く鋭く冷たい刃の感触に死の恐怖が這い寄ってくる。
「俺は、こんな所で死ねない。あの女と弟に復讐するまでは」
吐き出した台詞は紛れもない少年の本心。
意識を保つために噛んでいた下唇は、力が入りすぎて噛み切ってしまい血が滲んでいた。
「ならば、此処から連れ出してやる」
黒尽くめの男は満足そうに口の端を吊り上げ、少年の首筋から剣を退ける。
「小僧、復讐するための力を、戦い方を貴様に教えてやろう。その対価は……私の主を守ることだ」
「何、だと?」
思いがけない男からの取引に、少年の瞳が大きく見開かれる。
「小僧、貴様の命は私が握っていると覚えておけ」
高圧的な言葉と圧力で、これは取引ではなく男からの拒否権の無い命令だと理解した。この黒尽くめの男は、本当に悪魔なのかもしれない。
それでも、母親も、約束されていた地位も、全てを失った自分の願いが叶うのならば、命を懸けた契約を悪魔と結ぶのも悪くはない。
(命以外の全てを彼奴らに奪われた俺には、失うものなど無い。悪魔との取引に乗るしか、生きる道は無い)
微かに頷いた少年の意識は限界を迎え、ぐらりっと傾ぐ体を支えることは出来ずに意識を失った。
✱✱✱
(姫の笑顔を見る時が至福の時だと思ったのは、いつからだろうか)
ヴァルンレッドが自分の変化に気付いたのは、王女が誕生してから数年経ち彼女が自分を慕っているという事実に喜びを見出した時だった。
「ヴァル」
蒼色の瞳が真っ直ぐに見上げてくるのが、くしゃりと笑った頬にえくぼが出来るのが堪らなく可愛らしい。
離れていてもヴァルンレッドの姿を見つければ、満面の笑みを浮かべて走って来る姫に走って来た勢いのまま抱き付かれると愛しくて堪らなくなる。
王国のため国王陛下のためという大義名分の上に多くの命を葬り、破壊した罪を抱えたヴァルンレッドが一緒に居るだけで赦されるのではないかと、勘違いしてしまうくらい、愛しい姫君。
この小さな命を、剣と命を捧げた主の命令の範囲外でも守りたいと思ったのは、あの方の最後の願いだったからなのか。自分の意思なのか未だに迷う。
離宮という檻に囚われ外を知らずに育った姫は、11歳になり国王陛下に謁見してから変わった。
籠の中で満足していた姫が、離宮の外を知ろうとして積極的に動き出したのだ。
結界を掻い潜って離宮へやって来た片割れの王子と共に、姫が何かを企んでいたのは分かっていた。
二人を暫く放っておいたのは、ヴァルンレッドも王子の護衛を務めているダリルも国王陛下の案件の方が重要だったのだ。だが、感謝を綴った手紙と可愛らしい贈り物を残して家出をするとは想定外だった。
「国王の花嫁になりたくない」と泣いた姫を、幼いが故の我が儘だと切り捨て捕らえなかった理由は、ヴァルンレッドは理解していた。
ミンシアの町へ足を踏み入れた時から感じていた、どこか懐かしい魔力。
広場を通りかかった時、足を止めた姫の視線の先に居た、鉄格子がはめられた檻に収容された色白で淡い金髪の少年を見た瞬間、魔力の持ち主が彼だと分かりヴァルンレッドの背筋がゾワリと粟立つ。
(この少年は、ただの奴隷ではないな)
強大な魔力を内に秘め、今にも爆発しそうな激情を抑える精神力を持つ者が、ただの奴隷でも平民でも無いだろう。
何故、奴隷に堕とされたのかは分からないが、少年は高貴な血を持つ者だということは分かる。それも、覚えがある魔力と血の持ち主。
無意識にヴァルンレッドは笑っていた。
やっと、姫が生まれてから探し続けていた者を見付けたのだ。
この少年を上手く使えば、己の魂を縛る呪いから解放できるやも知れない。
国王陛下が目覚めるまでの期限付きとはいえ、姫の我が儘に付き合っているのは任務の一環……真の主は姫ではなく陛下だと理解している。
理解はしているが、赤子の頃より守り愛しんだ彼女を、陛下の花嫁という名の贄として捧げたくはないと苦悩する、人らしい気持ちを切り捨てられなかった。
愛しい姫には、天寿を全うして幸せに笑っていて欲しい。
いくら願っていても、国王陛下に命を捧げたヴァルンレッドでは王命には逆らえない。王命に背いて動くのには、優秀な駒が必要だ。
「小僧、貴様の命は私が握っていると思え」
「何、だと?」
床に這いつくばりながら、睨み付けてくる少年の視線が心地好くてヴァルンレッドは笑った。
「全ては、我が姫を守るために」
その為ならば、限りある自由と時間を使い足掻いてみせよう。ヴァルンレッドは自信に言い聞かせるように呟き、目蓋を閉じた。
『ヴァルンレッド』
守るべき姫とよく似た女性の幻影が、幾度となくヴァルンレッドに話し掛ける。
『お願いよ、ヴァルンレッド』
立ち位置からは逆光となっているせいで、彼女の表情は見えない。
『私の代わりに……守って』
ただ、微笑む口元と頬を伝う涙は見えた気がして、ヴァルンレッドは手すりに腰掛ける彼女を止めようと必死で手を伸ばした。
カイルハルトの救出とヴァルンレッドの独白でした。
次話からラクジット視点へ戻ります。




