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第79話:しゃぶしゃぶ

 雪をかき集めるカレンが昼休憩に入る頃、リズとエレノアさんが風呂から出てきて、食卓に着いた。


 湯上がり美人とは、このことだろうか。体がポカポカに温まって、血色が良くなったエレノアさんは、美しい。開放感のある露天風呂みたいな風呂場を体験し、現実を受け入れられることができず、口が閉まっていないところに可愛さまで感じる始末だ。


 目の前に並べられた光景を見ても、同じこと。食材と鍋を見たエレノアさんは、口を閉じることなく、理解できずに首を傾げている。


 今回用意したのは、しゃぶしゃぶだ。寒い冬といえば、寄せ鍋が鉄板だろうけど、しゃぶしゃぶもいい。脂身が甘いブラックオークの肉をしゃぶしゃぶして、野菜にくるんでパクーッ! が、絶品なのである! 数日前に食べたリズが、真剣な顔でお願いしてきたくらいには、しゃぶしゃぶブームが到来中なのだ!


 当然、そんな事情を知らないエレノアさんは、混乱しすぎて何も考えることができていない。


「ミヤビくん、見たことないのですが……」


「は、初めましてなのです! カレンなのです!」


 見たことないという言葉に恥ずかしがり屋センサーが過剰反応したカレンは、謎のタイミングで自己紹介をしてしまった。見ているこっちまで心臓の鼓動が聞こえてきそうなくらい、カレンは緊張している。


「はい……、私はエレノア……ですが、ヴァイス様が気にかけてらっしゃる、生産職の方ですよね?」


 何とか必死で会話のキャッチボールを投げ返すエレノアさんだが、カレンにとっては、豪速球だった! まさか自分のことを知っているとは思ってなかったらしく、口をパクパクとさせるだけで、声が出せない状況に陥ってしまった。


 さすが冒険者ギルドの受付嬢。元々ヴァイスさんは有名人だし、カレンの情報も少しは頭に入っているんだろう。でも、このままだとカレンが緊張で死にそうなので、話に割り込む。


「カレンは恥ずかしがり屋なので、あまり気にしないでください。食べ方については、リズを見てたらわかると思いますよ」


 一足先に肉をしゃぶしゃぶしていたリズは、色が変わったところで鍋から取り出し、ゴマダレを付けてパクリッ。目を閉じて味わう姿は、ウットリという言葉がピッタリである。


「やっぱりゴマダレなんだよねー。サッパリしたオーク肉と濃厚なタレが合わさって、一番おいしいよ」


 絶対ゴマダレ主義のリズは、濃厚なものに弱く、ゴマダレをたっぷり付けて食べる癖がある。サッパリとするポン酢や大根おろしは、絶対に使わないタイプだ。まだまだ舌が子供なのかもしれない。


「リズちゃん……? ゴマダレって何でしょうか……」


「もう、風呂場でも言ったじゃないですか。敷地内に足を踏み入れた時点で、ミヤビの世界に入ってしまうんです。考えたら頭がパンクしますから、いったん考えるのはやめてください」


「でも、絶対に普通ではありませんよね。暴走するミヤビくんを、私は止める側の人間だと思います。だって、風呂場に木が生えていましたよ。木ですよ、木。風呂場に木ですよ」


「開放感があって素敵だって、途中から羽を休めてましたよね」


「ち、違います。あれは夢の世界に誘われただけであって、現実に存在してはならない空間に――」

「はい、エレノアさん。あ~ん」


 混乱していたエレノアさんが拒否できるはずもなく、リズにあ~んをしてもらうと、頭がパンクしたんだろう。モグモグと噛み締めて、箸を取った。


「おいしいですね。味わい深いゴマの濃厚な風味と香りで、癖になりそうです」


 これが、夢の世界に誘われた瞬間である。脳内に幸せホルモンが大量分泌されて、ひとまずしゃぶしゃぶを食べましょう、と思ったに違いない。


 フッ、落ちたな、というリズの悪い顔が見えたところで、俺は肉をしゃぶしゃぶして、カレンの取り皿に入れてあげる。


 恥ずかしがり屋すぎて、初めて会う人としゃぶしゃぶするのは、難易度が高すぎたみたいだ。鍋に肉を入れるタイミングがわからなくて、食べることができないでいた。


「ありがとうなのです~」


「気にするなよ。ちゃんと食べて、昼からも雪集めを頑張るんだぞ」


 コクコクと頷いて、静かに食べるカレンは、数日前とは別人のようだ。絶対ゴマダレ主義のリズと対立して、「ポン酢なのです! ポン酢しか勝たんのです!」と言い争ったのが、まるで嘘みたいだよ。大根おろしも出してやるから、今日は大人しく食べような。


 絶対ポン酢主義のカレンがパクパクと食べ始めるなか、横暴な行動を取り始めた人間がいる。ふぐ刺しのように肉を豪快につまみ、一気にしゃぶしゃぶするリズだ。


「リズちゃん、しゃぶしゃぶは一枚ずつ肉を育てるものですよ」


 早くもしゃぶしゃぶに順応したエレノアさんが注意すると、ポケーッとしたリズがコクッと軽く頷く。普段は絶対にやることのないリズの不可解な行動と、ちょっぴり上がった口角を見て、俺は察した。


 エレノアさんに会えたことが嬉しすぎて、構ってもらいたくて仕方がないんだ。ギルド職員と冒険者という関係を超えて、実家のような仮拠点に私服でいるとなれば、それはもう……お姉ちゃんなのである! 理想のお姉ちゃんだと思っていた人が、リズの中でいま、本当のお姉ちゃんになってしまったのだ!


 悪いことをしたら構ってもらえる、そんな子供っぽい発想しかできないリズは、口いっぱいに野菜を頬張る。


「リズちゃん? もう少し量を減らして食べてくださいね。口元がゴマダレで汚れますよ」


 近くに置いてある濡れタオルを持ったエレノアさんは、リズの口元を綺麗にしてあげるのだった。


 それはお姉ちゃんじゃなくて、母親の役目じゃね? と俺は思ってしまう。カレンに肉をしゃぶしゃぶしている、父親みたいな俺が言える立場ではないけど。

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