ステラ=シュレット。
最近、王都の一部の若者たちの間でとある騎士の話がよく話題にあがる。
ただ話題に上がると言っても所詮は噂話。実在するかも怪しくその真偽も不確かだ。
しかし今、王都の若者たちの間ではこの騎士の噂が妙に広がって来ている。
その噂話を大雑把に纏めるとこんな話だ。
――とある騎士が森の中で魔獣に襲われている子供を発見し、子供を助ける為にたった一人で魔獣に挑みかかり、激闘の末に遂に魔獣討伐。子供も無事に救い出した。
念のために確認するが、魔獣と言う存在はそう簡単に討伐できる様な生き物ではない。
魔獣の個体によって多少の差はあるが、一般的にその討伐には装備を完璧に整えた騎士が最低五人は必要だと言われている。
そんな生き物を相手にたった一人で戦ったのみならず、討伐してしまうなど到底信じられる話ではない。
当然、最初は誰かの法螺話か、吟遊詩人が大袈裟に脚色した歌だろうと思われていた。
だが真偽の怪しいただの噂話だったこの話も、件の魔獣の毛皮らしき一品が商人組合に実際に持ち込まれると噂の信憑性が跳ね上がった。
そして、噂が人から人へ、街から街へと広がった結果、遂に王都にまでこの魔獣殺しの騎士の噂が届いたというわけである。
最近では特にこの魔獣殺しの騎士は一体どんな剛の者なのだと、血気盛んな若者たちを中心に大いに話が盛り上がっている訳なのだ。
ただ残念な事にこの噂の中心人物である魔獣殺しの騎士については名前は勿論だが、その素性について知っているものが誰もおらず、ただその噂だけが一人歩きをしている状況なのだ。
いやむしろ、素性のはっきりとしない人物だからこそ此処まで噂が広がったのかも知れない。
――正体不明の謎の騎士がたった一人で魔獣を退け、子供を助けた。
こんないかにも若者受けしそうな噂話だからこそ、此処まで噂が広まったのだろう。
ただ最近その噂に影響された者たちの所為で少々困った問題が起こっていた。
先ほど血の気の多い若者たちの間でこの話が大いに盛り上がっていると話をしたが、最近その血の気の多い連中の行動が大きく問題視されている。
具体的に言えば、噂に影響されて自分たちも魔獣を倒してみようと挑む愚か者が増えた。
流石にたった一人で魔獣に挑むような大馬鹿はいないが、魔獣の住む山や森に無謀にも入り大怪我を負って帰って来る愚か者が後をたたない。
このままでは魔獣を無闇に刺激し、人里や街道の方にまで魔獣が進出してしまうのも時間の問題だった。
現在は軍人や冒険者などの戦闘職種の人間が魔獣の生息地域に目を光らせ、血の気の多い馬鹿者が無闇に侵入しない様に見張っているが、彼ら相手にどれほどの効果があるかは分からない。
噂のほとぼりが冷めればこの愚かな行為もナリを潜めるのだろうが、各地の関係者はこの問題で大分手を焼かされている状態だ。
――王都にある王立学術院もその影響を大きく受けた被害者だ。
学術院は年若い学生たちが多く集まるその性質上、各方面から厳重な注意勧告を受けていた。
そもそもこの王立学術院は未来の王国を担う人材を発掘育成する為に建設された教育施設であり、王国内の多くの貴族の子息令嬢たちが親元を離れて一生徒としてこの学院に通っている。
高い水準の設備と教育を兼ね備えたこの学院は国の誇りであり、そしてそこに通う生徒達もまたかけがえのない国の宝である。
将来は国を支える人物となる事を予期させる若く優秀な彼らだが、時としてその若さが裏目に出る事もある。
その為、学院の教師たちは年若い彼らが突然おかしな行動を起こさない様、連日の如く釘を刺し続けているわけだ。
「――分かっていると思うが最近は物騒な事件が多い。放課後だけでなく、授業の無い休日も学院の生徒として相応しい態度と行動を心掛ける様に。そして、くれぐれも騎士の方々や親御さんを困らせる様な行動をしない様に注意して過ごしなさい。――以上、解散」
そして今日も耳にタコが出来るほど聞かされた担任教師の説教に生徒たちは辟易しつつ、本日の授業が終わった僅かな解放感を感じながらそれぞれ帰り支度をしていた。
――王立学術院魔術学部二学年、ステラ=シュレット。
彼女も友人たちに囲まれながら帰り支度をしている最中だった。
鮮やかな赤髪と女子にしてはやや高い身長。スタイルも良く、顔立ちも整っており、十分美人の分類に入るだろう。
実際、帰り支度を始めた彼女に声をかけようと機会を伺っている男子生徒が何人かいる。
ただ彼女の周りにいる賑やかな女子生徒たちの鉄壁の壁に阻まれ、彼らは声を掛けることも出来ずに教室の片隅で肩を落としていた。
そんな男子生徒たちの哀愁を知ってか知らずか、彼女たちはこれからの放課後の予定について話に花を咲かせていた。
「それでこの後何処に行く? 黒魔女通りで珍品探し? それとも大通りに新しく出来たカフェの下見?」
「それとも騎士学部の訓練でも見物するか? 前に一度見物したいとかぼやいていただろう」
「あー……それなんだけどね」
友人たちが交互に放課後の予定について案を出すが、ステラは二人の友人たちに向かって突然パンっと両手を合わせた。
「ごめん!! 実は今日、放課後予定があるの」
「あら?」
「へぇ?」
友人二人はステラのその言葉に目を瞬かせた。
「もしかして……彼氏でも出来たの?」
「男? 男なのか?」
ぐいぐいと身を乗り出し、笑顔で質問攻めする友人二人。
その会話を教室に残っていた生徒の一部――男子生徒たちが息を殺して聞き耳を立てるが、ステラは違う違うと手を顔の前で振った。
「家の用事よ。親戚が今日うちに来るらしくって、両親が早く帰って来いってさ」
「なーんだ残念。やっとステラちゃんに春が来たと思ったのになぁ」
「全くだ。つまらん」
ぶーぶーと好き勝手に文句を口にする友人二人をステラはジト目で睨んだ。
「……そういう貴方たちも彼氏なんていた事ないでしょうが」
しかしステラの皮肉に二人は顔を見合わせると、次の瞬間には揃って勝ち誇った笑みを浮かべた。
「私、子供の頃からの幼馴染で年下のかわいい許嫁がいるもん」
「私も故郷に許嫁がいるな。本ばかり読んで軟弱な奴だが……まぁ悪い奴じゃない」
友人二人――おっとりとした喋り方をする方が金髪の女生徒がメイリ―=クラッグ、男言葉が少し目立つ黒髪の女生徒がクロエ=ロンディーヌ。
どちらも家が代々爵位を持つ家柄の娘であり、親が決めた許嫁がいた。
「くッ……」
そう言えば前に聞いた事があって忘れていた事実を思い出し、思わず胸を押さえるステラ。
ちなみにステラの家も爵位を持つ歴とした貴族ではあるのだが、彼女に許嫁はいない。
ステラに許嫁がいないのは彼女の両親が下位貴族の為に中々良縁が見つからないというのも理由の一つだが、最大の理由はステラ本人が両親に『自分の夫ぐらい自分で探すわ』と大見得を切って学院に入学した為、親が娘の結婚相手について一時静観の構えをとっているからだった。
「ステラちゃん、そろそろお婿さん探し始めたら? 私たちもう二年生だよ」
「そうだな。どっかの家の放蕩息子や親ほど年の離れた貴族の大旦那の後妻になるのが嫌ならそろそろ本気を出した方がいいぞ」
どちらもステラを気遣っての言葉で悪気は一切ないのだろうが、彼女からしてみればそれは彼氏持ちの余裕である。
(……今度、二人の許嫁に会う機会があったら学院でのこの二人の武勇伝を聞かせてやろうかしら)
上からの目線に正直ちょっとイラっとしたステラであった。
「……その話は今度考えるわ」
「まぁ、ステラちゃんはモテるから余計な心配かもね」
「狙っている男は山ほどいるからな。主に顔と身体目当てだが」
「うっさい」
一言余計な事を言ってくれた友人に睨みを効かせるステラ。
「……兎に角、今日は用事があるからこのまま先に帰るわね」
話が妙な方向に向きだした事を察したステラはさっさとこの場を後にしようとする。
だが――
「まぁまぁそう怒らないで、もうちょっとお話しましょうよ。……出来ればそのやって来る親戚についてもうちょっと詳しく」
「っ……」
妙に勘の鋭い友人言葉に思わず固まるステラ。
「ん? もしかしてそのやって来る親戚って男なのか?」
「この反応は絶対に男性。もしかしてと思って鎌かけて見たら大当たり」
ひくっと頬を引きつらせるステラ。
「……あ~、確かにお父様から男性だとは聞いてはいるけど、あまり詳しくは聞いてなくてね……だからお年を召した方が来る可能性だって当然ある訳で……」
内心の動揺から聞かれてもないのにつらつらと言い訳を始めるステラ。何やら挙動が怪しい。
ただ来客相手について話すだけで此処まで挙動不審になると言う事はおそらく何かがある。
ステラの様子を試験紙を眺める学者の様な目で観察するメイリ―とクロエ。
「……急な来客に娘に早く帰って来るように釘を刺す両親。――そしてその来客は男性、と」
「……あぁ、なるほど。なんだそういう事か。懐かしいな、私も同じような事があったよ」
「ついにステラちゃんにもこの時が来たのね……」
何やら昔を懐かしむクロエとメイリー。
「いやいやいやいや、待って待って!! 違うって絶対に違うから!!」
二人の様子に急に慌て出すステラ。その様子は必死そのものだ。
「いや、親が娘に早く帰って来いと釘を刺した上に相手が男だと言ってるんだ。これは間違いなくアレだろ」
「覚悟を決める時が来たんだよステラちゃん。ステラちゃんのご親戚ならきっと見た目は良いはずよ」
二人の確信に満ちた表情にステラは張り詰めていた糸が突然切れたかの様にガクッと肩を落とした。
「……やっぱりこれってアレなのかな?」
「ほぼ間違いないだろ」
「経験者の立場で言わせてもらうと間違いないわ」
内心まさかと思いながら確認をとるが、経験者たちの反応は非情であった。
「なら仕方ない。これ以上引き留めては家の人の迷惑になる。急いで帰ったほうが良い」
「そうね。きっと準備もあるだろうし、お話は明日詳しく聞きましょう」
うんうんと何やら楽しそうに頷き合っているメイリ―とクロエ。
反対にステラは胃に鉛でも押し込まれたかの様に顔色が悪い。
「……おなかいたい」
「覚悟を決めろ」
「早く帰らないと不利になるのはステラちゃんの方よ?」
「うぅ……」
友人二人の冷たい言葉にお腹を押さえてしゃがみ込むステラ。その様子にメイリ―とクロエは呆れて顔を見合わせた。
「……なぁ、私たちでこいつを自宅まで引きずって行った方がいいんじゃないか? このままじゃ埒が明かないぞ」
「はぁ、もう仕方ないなぁ」
メイリ―とクロエはため息を吐きながらステラの両脇に回り込んだ。
「ほら、実家の前まで付き添ってやるから」
「帰り道ずっとおしゃべりしていればきっと気も紛れるわよ。鞄も持ってあげるから。ほら、いい子だから帰りましょうね?」
「……うん」
二人の友人に背中を押され、よろよろと立ち上がると重い足どりで教室から出ていくステラ。
――ステア=シュレット。年齢十七歳。
(……神様、過度な期待はしません。だからどうか髭がもじゃもじゃの野蛮人みたいなのだけは勘弁してください……!! どうかどうかお願いします!!)
――彼女はこの日、その生涯で初めて神へ渾身の祈りを捧げた。
此処から少し物語が動き始めます。
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