《下》
川の様に流れる魂達の流れの中で、彼女を感じる。
彼女の魂と俺の魂は繋がっている。だから離れる事は無い。
そう分かっていても、彼女の魂から離れる事は不安だった。死ぬ前の生では、同じ世界に産まれる事が出来たものの、彼女に出会うまでに、かなり時間をかけてしまった。
だから今回は、出来るだけ距離的に近くで産まれる事が出来るように、彼女の魂に寄り添おうとした。
けれど、彼女の魂は、スルリと新たな世界へと落ちていく。
待ってくれ。俺を置いて行かないでくれ・・・
そうして次に産まれた世界では、俺はドラゴンと呼ばれる種だった。
硬い皮膚で覆われた身体に、風を捉える大きな翼、獲物を捕らえる鋭い爪に、獲物を切り裂く鋭い牙を持つ、空飛ぶ生き物。その中でも俺は強者だった。
そして、人ではなくなった所為なのか、彼女の魂の香りを嗅ぎ分け、早々に彼女を見つける事が出来た。
大きな町の一般市民。
温かな家庭で、両親に大切にされ、穏やかに生きていた。
けれど、俺はそんな彼女を攫った。『皆んなに、きちんと説明をさせてください。』と言う彼女に、『説明など無駄。』だと言って。
結局説明などしたところで皆、見たいものしか見ず、俺達の事を理解などしようともしない。
前回も、前々回もそうだった。
ならば、少しでも長く同じ時を過ごしたい。他の者達に無駄な時間を割くくらいなら、彼女と少しでも一緒に居たかった。
それなのに、彼女は殺されてしまった。
俺の事を、討伐にやって来た者達の手で殺された。俺を庇って殺された。
俺には、鋭い爪がある。生き物を一瞬で肉塊に出来る鋭い爪が。
俺には、翼がある。高く舞い上がり、人を傷付ける事なくその場を去る事の出来る翼が。
俺には、硬い皮膚がある。普通のでは傷一つ付かない硬い皮膚が。
それなのに、彼女は俺を守ろうと、討伐に来た者達の前に立ちはだかり殺された。
俺は、どうすれば良かったのだろう?
最初の世界では、彼女だけを大切にして、彼女は殺された。
次の世界では、彼女以外の者達も大切にしたのに、彼女は殺された。
そして、この世界では、他の者達と関わらなかったのに、彼女は殺された。
俺は、彼女と共に居たかっただけなのに・・・何故こうなる?
次こそは、失敗しない。
次こそは、彼女と歳を重ね、家族を作り、穏やかな日々を送る。
そう思っていたのに・・・・
今世の俺は彼女の後を追う事も出来ない。
俺のドラゴンという頑丈過ぎる身体が、俺の魂を離してくれない。
どんなに高い場所から飛び降りようとも、死にそうな痛みを感じるばかりで、魂が身体から離れる気配すら感じられない。
どんなに長時間、水に潜ろうとも、苦しさすら感じない。どんなに食事を摂らなくとも、微かな空腹を感じるばかりで、何年かかるか分からない。
・・・・そして、自分の爪でいくら身体を切り裂こうとも、俺の心臓に届かない。
彼女が居ない。そんな世界になど居たくないのに、この世界から逃れられない。
俺は、強者が現れたと聞けば、あらゆる場所に向かった。
人間だろうと、ドラゴンだろうと、よく分からん生物だろうと、俺の魂を解放してくれる可能性がある者がいると聞けば、あらゆる場所に向かい、喧嘩をふっかけた。
ある地で俺は、国を救った神の使いだった。
ある地で俺は、国を滅ぼした邪神だった。
そうして、何年も何年も何年も何年も・・・・
結局俺が、この世界から去れたのは、彼女がこの世界から去って何十年も経っていた。
今までどんな強者に挑んでも、今世の身体から逃れられなかった俺が、その人のおかげで一瞬で身体から逃れる事が出来た。覚悟していた痛みも無く、俺を解放したその人は、
「愛とは、恐ろしいものですね。」
そう、ぼやいていた。
次に、俺が気付いたのは、彼女の居ない世界だった。
「いない、いない、いない、いない、いない・・・彼女が・・・彼女が・・居ない。」
そんなはずは無い。彼女と俺の魂は繋がっている。何度生まれ変わろうとも、同じ世界に産まれるはずなんだ。彼女が同じ世界に居ないなんてありえない。
焦る俺の耳に、多分男の声であろうと思われる、俺を嘲笑う様な呑気な声が聞こえてくる。
「まあまあ、落ち着きなよ。叫んでも、状況は改善しないよ。」
「お前は誰だ!彼女は何処だ!!」
そんなもの、初対面の人に言ったところで、何が何だか分からないだろう事は分かっている。それでも言わずにはいられなかった。
「ん?あぁ、彼女なら大丈夫だよ。君が心配しなくて済む様に、今世は穏やかに過ごせる様、手配しておいたから。・・・・ほら。」
その言葉と共に、俺を中心にして大地が広がる。
先程まで、何も無かった筈の場所が嘘の様に、青々として柔らかな草が生茂る野原が広がった。
そして、そこに彼女がいた。楽しそうに顔を綻ばせ、優しそうな人達と、子供達に囲まれて、彼女が笑っていた。
彼女だ。どんな姿でも分かる。彼女は俺の探していた彼女だ。
けれど変だ。彼女が彼女であると頭では理解しているのに、足りないと感じる。
「お前、彼女に何をした。」
自分でも信じられないほど、低く、獣の様な声が溢れてくる。
「君、動揺し過ぎだよ、よく見てごらん。コレは単なる映像。彼女が実際に存在するのは、ここでは無い場所だよ。私はただ、彼女が穏やかに暮らしている所を見せて、君に安心してもらおうと思っただけだよ。」
「・・・・安心?何の為に?」
わざわざそんな事をする意味が分からない。それなら、俺が転生して、この目で確かめれば良いだけの話のはずだ。
「君に、君が産まれた世界に戻ってもらう為だよ。」
産まれた世界?
彼女と出会った世界。俺が俺と認識した、一番古い記憶のある世界の事だろう。何故あんな場所に戻らなければいけない?
あんな忌々しい世界に・・・彼女もいないのに。
「嫌だ。」
「言うと思ったよ。だけどね、君は神としての力を、魔物なんてモノを生み出す装置に変えてしまった。おかげであの世界は今、滅亡の危機なんだよ。」
「俺には関係ない。」
興味も無い。
「関係ない事も無いんだけどね。このままだと、彼女が先に死んで、それを追いかけるばかりになるけど良いのかな?」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味だよ。君がこのまま魔物を生み出す装置を放置し続けるなら、これからも、彼女と出会えば、直ぐに彼女は殺され、悲しみに暮れた君は自分で命を断ち、彼女を追う事になる。」
「何故だ。」
「君の魂の半分が、最初の世界の人々の思いで出来ているからだよ。最初の世界の人々の悲しみが、君の幸せを遮っている。自分達は苦しいのに、君だけが幸せになるのが許せないとね。」
「俺から彼女を奪っておいてか?自業自得だろう。」
「そうだね。だけど、それはあの世界の極一部の人達だったよね?他の大勢を巻き込む必要は無かった筈だよ。」
「それは・・・・」
確かに、彼女の死に直接関わった者は極一部だっただろう。けれど、あの時の俺には、それを見極める余裕などなかった。いや、見極める気などなかった。俺にとってあの世界は興味が無いものだった。ただ、どうすればいいかと聞かれたから、生きる目的として・・いや、違うな。俺は怒っていたのだろう。だから、魔物を生み出す事で、自分の怒りを解き放った。そして、満足した俺は、その時になって本当にあの世界への興味を完全に無くし、彼女を追った。
離れていく彼女を捕まえなければ、永遠に失ってしまう。という恐怖感で一杯になりながら。
「とは言っても私はね、君の気持ちも分かるし、あの世界での君は、人々の思いで作られた神だったのだから、君の行動は責められる事では無いと思っている。だけど、このまま一つの世界が滅びるのも忍びない。だから私から提案しよう。君があの世界の魔物を生み出す装置を破壊するなら、来世は彼女と共に幸せに暮らせる未来をあげよう。」
「彼女との・・・・幸せな未来。」
「そうだよ。例えば、親同士が将来『歳の近い異性の子供が出来たら、婚約させよう』と話し合っており、偶々ほぼ同時期に産まれた二人は産まれてすぐに婚約。なんてシナリオはどうかな?ついでに、地位と財産もほどほどにあり、余計な柵の無い人生なんてどうだろうね?」
「好条件過ぎないか?」
「そうかな?世界一つ救うのと、二人分の人生を整えるのだったら、後者の方が楽なのだから、これくらいの見返りは当然だと思うよ。」
そう言われれば、確かにそうかもしれないとは思う。けれど、この声の主を全面的に信頼して、良いのだろうか。
話がうますぎる。だからといって、この話を受けないという選択肢は、俺には無かった。
このまま何度も何度も彼女が去って行く姿を見るのは耐えられない。
少しでも、ほんの少しでも、彼女と共に過ごせる可能性があるのなら、やらない手は無い。
「まあ、分かった。やる。」
「それじゃあ、行ってらっしゃい。」
その言葉と同時に、俺は最初の世界に落とされた。
俺が産まれた世界。
彼女と出会った世界。
彼女を喪った世界へと・・・
戻って来たはずの世界。けれどその場所に、以前の面影は何処にも残ってはいなかった。
焼け焦げ、荒れ果てた大地。無数に存在する魔物達。人々が安全に暮らせる地は殆ど残ってはいなかった。
それは全て俺がやった事。俺がこの世界を憎んだ結果。
その光景を見た俺は、自分のやった事に・・・・絶望・・・しなかった。
少しも心が痛まないのかと言われれば、少しは痛んだが、彼女はこの世界にはいない。
結局俺は、彼女が居ない世界に何の興味も無かったのだと、改めて実感しただけだった。だから、俺は淡々と魔物を倒した。
人々から勇者と称えられ、神の使いだと崇められても、淡々と魔物を倒し、元々自分の一部だった物を破壊する為だけに行動した。
大半の魔物を蹴散らし、最初の俺が死んだ場所にたどり着き、俺の一部だった物に剣を突き立てた。その瞬間、俺は呼び戻される。
勿論、彼女の居る世界ではない。
「おかえり、はやかったね。」
呑気な声と共に、真っ白な髪に、真っ白な肌の男が、俺の顔を覗き込んでいた。
知らない顔。知らない気配。けれどこの声は知っている。
「これで終わりか?」
「あれ?驚かないんだね。まあ良いや。これで終わりだよ。」
終わった。これで終わった。これで彼女に会える。
彼女との幸せな未来が、どんなものなのか想像もつかない。ただ、少しでも長く共に生きられればと思う。
「それなら彼女の元へ・・・・。」
ホッとしながら漏らした言葉は、全てを言い終わる前に、目の前の男の声に遮られた。
「無理だよ。」
「は?」
「だから、無理だよ。君がさ、思ったよりも早く帰って来ちゃったから、彼女の方の人生が終わってないんだよ。彼女の魂は、君の影響を多少は受けているけど、ほとんど普通の魂だからね。外部から強制的に終了させたら、壊れちゃうよ。だからさ、彼女が来るまでここで暇つぶししててよ。」
何を言っているんだろうか、この男は。
「来世は、幸せな未来にしてくれるんじゃなかったのか?」
「そうだけど、今から行っても、10年くらいしか一緒に居られないよ。良いの?」
10年という時間が充分だとは思わない。けれど、俺と彼女が共に過ごした時間は、それより遥かに短かった。
「良い。ここで待っているよりも、彼女の側に行きたい。」
俺の言葉に男は、大きな溜息を吐き出し。
「はああぁぁぁ、せっかく話し相手が出来ると思ったのに、残念だよ。けど・・まあ良いや、来世という約束だったけど、来来世に変えてあげる。その代わり伝言を頼むよ。『予想通りになったから』って彼に伝えておいてね。」
そう言って、神様は俺の背中をトンと押した。
俺の魂が吸い込まれていく。一つの世界へと、彼女のいる世界へと。
気付けば俺は、小さな少年の前で漂っていた。
てっきり、転生するものだと思っていたのに身体は無く、魂だけで漂っている。
そんな俺を、少年は真っ直ぐ見据え、呆れた様な声で
「本当に、愛とは恐ろしいものですね。」
と言った。
前世でドラゴンだった俺の首を、一撃で切り落とした男と同じ言葉を。
『お前は・・・・』
「お久しぶりですね。とは言っても、言葉を交わすのは初めてですが。」
俺を切り落とした男が、何故この世界に?
しかも、魂だけの俺を真っ直ぐに見据えて。混乱する俺に、少年は困った顔をする。
「恨み言は受け付けませんからね。あれ以上暴れられては、あの世界まで壊れかける所でしたから。」
『お前・・・何者だ?』
目の前の少年は、ドラゴンだった俺を知っている。俺の首を切り落とした事を覚えている。
そんな者が何故ここに?彼女の居るこの世界に?
「・・・はぁ。何の説明もされてないのですね。警戒する必要はありませんよ。私は貴方にこの身体を引き渡して、この世界から出て行きますから。」
『は??』
「私は元々、この身体を成長させる為にこの世界に来たんですよ。あの世界での貴方の役目が早く終わりそうだったので、そうなると、彼女に会いたいと言い出すだろうと思いましたからね。赤ん坊では、彼女の元へは行けませんし、突然何の身寄りも無い男が彼女を訪ねて行ったところで、彼女にたどり着く事も出来ないでしょうから。」
そう言って笑う少年は、楽しそうに笑っていた。
その話が本当なら、少年は俺の為だけに転生したという事になる。
「何故・・・」
何故そこまでする?
「そうですね、弟が困っていたら助けるのが兄の役目でしょう?」
「兄?」
俺はどの世界においても、兄がいた事など無い。
「君の魂の半分は、最初の世界の人々の思い。それじゃあ残りの半分は?」
そう言うと、少年はクスクスと笑いながら俺の魂を掴み、自分の胸に押し当てた。
俺の魂が、少年の魂と入れ替わり、同時に少年の記憶が俺の中へと流れ込んでくる。温かな両親とそれを妬む人達。
そして、時折やってくる今世の彼女の姿に似た女性・・・・
『さあ、お膳立ては、しておきましたよ。後は貴方次第です。それでは、私に伝言を伝えていただけますか?』
伝言・・・?
「ああ、『予想通りになったから。』と伝えてくれと・・・」
『分かりました。それでは、この世界を去る時にまた会いましょう。今度は世界を壊そうとしないでくださいね。わたしが大変なので。』
そう言いながら、少年の魂はコロコロと笑いながら去って行き、残された俺は、彼女に会いに行く。
久々に感じる彼女の気配に、俺の心が色を取り戻して行くのを感じる。
まずは、彼女によく似た女性に会いに行こう。あの女性がきっと彼女の元へと連れて行ってくれる。
彼女は、何と言ってくれるだろう。
会いたかったと言ってくれるだろうか?
遅いと怒るだろうか?
どちらでも良い。彼女が俺を見てくれるのなら。俺に声をかけてくれるのなら。
側に居てくれるのなら。