『中』
数多の魂が淡い光を放ち、川の様に流れ、新たな世界、新たな肉体へと散って行く。
その中を、魂だけとなった俺は、彼女の魂を探していた。
似ている魂など無い。他の魂と間違えたりしない、間違えようがないその魂を流れの中から見つけると、そっと抱え込み、神としての最期の力を使い、俺の魂と彼女の魂を繋げた。
これで、彼女と別れる事は無い。
彼女がどこへ生まれても、その側で俺も産まれる事が出来るはず・・・だった。
しかし、とある世界で人の子として産まれ出た俺の側に、彼女はいなかった。
同じ世界に居る気配はするのに、彼女の姿は見えない。
しかも、幼過ぎる身体では、思い通りに喋る事も、身動きする事も出来ず。動ける様になるまでに1年。なんとか言葉を喋れる様になるまでに1年。住処から脱走出来る様になるまでに6年の時を必要とした。
「お前、また脱走したのか?騎士達が嘆いておったぞ。」
広々とした庭の片隅にある東屋で、読書をしていた俺の元に、呆れた顔をした男がやって来た。
「とっとと廃嫡にでもしてくれれば、脱走などしなくて済むのですが。」
「お前はまだ子供だ。廃嫡などされれば、直ぐに野垂れ死ぬぞ。」
「心配には及びませんので、とっとと廃嫡してください。」
「お前はそればかりだな。やる気にさえなれば、お前は良き王になると思うのだがな。」
「何度も言っているでしょう。そんなものに興味は無いと。」
「そんなもの・・・か。隣国では、兄弟間で王位を争い、激しい内戦が起きたというのにな。」
「良かったではありませんか、我が国では、内戦など起きませんよ。第一王子は廃嫡される予定ですからね。」
俺の言葉に、大きな溜息を吐き出す男。彼は、今世での俺の父であり、この国において、王と呼ばれる存在の男だ。
そして、その男の第一子である俺は、第一王子らしい。
全く興味など無いが、そういう事らしい。
「何故、それほどまでに城を出たがる?」
「ずっと王位に興味は無い、と言っているでしょう。」
「これから興味が出るかもしれんだろう。将来を決めるには、早すぎると思うが?」
まあ、普通ならばそう言うだろう。
俺の身体はまだ子供だ。普通の子供であれば、家から追い出されれば生きていけないほど小さく無力な年齢だ。
だが、俺は違う。
前世ほどではないが、前世での神としての力が多少使えるし、教育として付けられている教師達から、知識を絞れるだけ絞り取っている。その中で、子供でもまともに生活出来そうな方法を見つけるのは、容易な事だし、彼女を探しに出かける事すらままならない今の生活は、俺にとって苦痛でしかなった。
「いえ、私にとっては遅いくらいです。」
早く彼女を見つけなければ。
彼女が近くに居る気配はするのに、どの程度近くなのか分からない。神としての力の大半は、元の世界に置いて来たし、残っていた神としての力も、彼女と俺の魂を繋げる為に使った。残っている力は少ない。
しかし、魂を繋げたおかげで、彼女が今、不幸だと感じる様な状況ではない事だけは分かる。だが、それもずっと続くとは限らない。
「お前が焦る理由は、夢の女の為か?」
夢の女・・・
前世という概念の無いこの世界では、どうせ理解される事はないだろうと思ったが、それでも父には前世の話をそのまま伝えている。
信じてくれるなら、それはそれで良かった。信じてくれなくても変人として、次期国王として不適合だと思われれば良いと思っていた。
「夢ではなく、前世です。」
「そのゼンセという考えは、よく分からんが。つまりは、何処に居るかも分からん女を探しに行きたいという事だろう?」
「だから何度もそう言っているでしょう。」
「ならば、お前は王になれ。」
「は?」
「この国は広い。一人で探すには、一生かかっても難しいだろう。しかし、王となれば、何処に居るかも分からん女性を救う事が出来る。守る事が出来る。助ける事が出来るのだぞ。」
つまり、父が言うには、彼女の居場所が分からないのであれば、国中の人達が幸せになる様にすれば良いという、綺麗事と夢物語で固めた言葉だった。
馬鹿らしい。俺が守りたいのは彼女だけだ。彼女以外の者に興味などない。
しかし、居場所が分からない。歳も容姿も、名前も分からない。彼女が彼女であると分かるのは俺だけだ。人に頼む事は出来ない。出会う事を夢見て旅に出るのも良いが、この国が戦争を始めたら?疫病が広がったら?間伐や洪水などで、食糧危機にでもなったら?
ただ、旅をして彼女を探し続けるだけの俺に、彼女を助ける事は出来るのだろうか?
それも、彼女元へ辿り着いた後ならば、まだ良い。しかし、彼女を見つける前に事が起きたらどうなる?
そう思うと、父の言葉を綺麗事だと笑う事は出来なかった。
「分かりました・・・。」
「ん?良いのか?」
「私が良き王になれるかは分かりませんが、精進します。」
「本当にか?本当に良いのか???」
「その代わり、妃を迎える気はありません。彼女以外の女性に触れる気もありません。私の後は弟か、弟の息子に継がせてください。」
「それは、構わんが・・・本当に良いのだな。」
「何度も言うのなら、旅に出・・・。」
「悪かった!!では早速手配をしてくる。王とは大変な仕事だからな!覚悟しておけよ。」
そう言いながら父は、王らしさを投げ捨て、浮かれた足取りで去って行った。
父は、王である事を受け入れてはいたが、王であり続けたいとは思っていなかったらしく・・・それから10年後。
俺がまだ若ずぎるという理由で、父を王の座に座らせ続けようとする者達の反対を押し切り、王位を俺に譲・・・押し付けると、さっさと田舎へ引っ込んでしまった。
そこから俺は、領主の裁量により、格差の激しかった医療、教育、治安に力を入れ、あらゆる有事に備えられる様に準備し、各地の状況を確認する為という名目で、密かに各地を巡った。
慕ってくれる者達に囲まれ、穏やかとは言いがたいが充実した日々の中で、何処に居るかも分からない彼女が、少しでも穏やかな日々が送れる様にと願いながら奔走していた。そうして気付けば俺は、賢王と呼ばれる様になっていた。
しかし、それも全ては彼女の為。
彼女を見つける事の出来ない不甲斐ない俺が、出来る精一杯の事をしているだけ。
それだけだった。
「ララベル・・・・」
それは、偶々訪れた小さな小さな村だった。
本当の視察先は、もう少し先だったが、前日の雨で道がぬかるんでいて、思うように進めず、偶々立ち寄る事になった小さな村。
そこで見つけた。ずっと、ずっと探し求めていた彼女を。
「ララベル、ララベル、ララベル・・。」
彼女を見た瞬間、彼女が彼女であると分かった。
勝手に足が前へ前へと進んで行く。
彼女を求め全身が、魂が、彼女へ向かっていく。
互いを結ぶ魂の糸を手繰り寄せるように、彼女に手を伸ばし、腕の中に閉じ込めれば、世界が色付いたかの様に心が暖かくなってゆく。
それと共に、深く、深く安堵した。
彼女が生きている事に、彼女を俺の腕の中に閉じ込める事が出来た事に。
「・・・・」
しかし、彼女から何の反応も返ってこない。
俺の事を覚えていないのかもしれない。少し寂しいと感じるが、俺とは違い、彼女は元々ただの人だったのだから、仕方がないだろう。
それならそれで、これからゆっくりと俺の事を知っていってもらえば良いだけだ。
そんな事を思っていると、俺の腕の中にいる彼女が身じろぎしながら、俺の顔見上げた。
可愛い。顔の造形など全く興味は無いが、それが彼女だと思えば、全てが愛おしく可愛らしい。
しかも、そんな彼女から思いがけない言葉を貰えたらなら、俺は・・・
「か・・・かみ・・さま?」
かなり戸惑いながらも、確かめる様に漏れてきた声に、驚きと安堵と何か熱いものが込み上げてきた。
目から涙がポロポロとこぼれ落ちては、彼女の頬へと雨の様に降っていく。
「お久しぶりです。神様。」
俺の表情を見て、俺が俺であると確信したのだろう。彼女は、俺と同じ様にポロポロと涙を零しながら、嬉しそうに笑っていた。
嬉しそうに、とても嬉しそうに笑ってくれていた。
それから、彼女のご両親に挨拶をし、村の中を見て回った。
彼女の暮らす村は小さかったが、病院も学校もあり、治安もとても良いらしい。
彼女の話では、前国王の頃も悪かった訳ではないが、今の国王になってから飛躍的に生活が楽になったとの事だった。
それを聞き、俺が今までしていた事が、間違いではなかったのだと安堵し、同時に、彼女に褒められた事で浮かれた俺は、うっかり自分が王だと言ってしまった。
「・・・そう・・・ですか。」
悲しそうな彼女の表情にハッとする。
「大丈夫だ。俺には、妻も婚約者も愛妾もいなければ、うっかりそこら辺の女に手を付ける様な事もした事がない。俺は清いままだ。それに、先代国王との約束で、君を見つけたら直ぐにでも王位を弟か弟の息子に譲る事になっている。まあ直ぐにとは言えないが、王位を正式に譲れば、これからは一緒に居られる。というか居る。それに、この辺りの土地を治めていた領主には、子供がおらず、親戚に跡を継がせるか、養子をとるか悩んでいたからな。俺が跡を継げは問題ないはずだ。だから安心しろ。」
そう言うと、彼女は困った様でいて、嬉しそうな表情をしながら
「・・・はい。」
と、小さく返事をくれた。これでやっと、彼女と共に居られる。
しかし、やるべき事はまだある。直ぐに全てを投げ出して、彼女と共に生きたいが、それで国が荒れては意味が無い。俺は、俺について来た護衛数名に、行く予定であった視察先に、視察の中止と、城へ帰り弟に、王位を譲る手筈を整える様に伝えに行かせた。
この時の俺は浮かれていたし、父との約束もあり、王位の継承は直ぐに行えると思っていた。
だから、3日ほど彼女の村に滞在した後、『直ぐに戻って来る』と言い、城へと帰った。今度この地へ戻る時には、彼女と共にいられると信じて。
それなのに・・・・それなのに・・・・
「兄上・・・大変申し上げにくいのですが・・・彼女は自害しました。」
城に戻って二週間・・弟が、意味の分からない言葉を喋りだした。
「どうやら、あの村は・・・山賊に襲われた様です・・・。知らせを受けた領主が直ぐに私兵を連れて向かった様ですが、村は焼き払われた後で・・・。」
何を言っているのか、分からない。分かりたくもない。けれど、聞かなければならない・・・
「彼女は・・・。」
声が震える。
そんな俺を、弟は悲しそうな目で見詰めながら、ゆっくりと何かを差し出した。
それは、俺が彼女と別れる時に渡した物。
俺が着ていた上着だった。ただ、色が元の色とは違う。そんなに赤黒くなかった。そんな焦げ跡なんて無かった。
「直ぐに村へ向かう。」
そう言い残し、俺は護衛も付けず城を出た。休みもとらず、馬を何頭も乗り換え、彼女の村があった場所へと向かう。
俺が、彼女を置いて村を出て直ぐに、彼女が不安がっているのを感じていた。けれどそれは、俺が王である事や、俺が本当に戻って来るか。といった不安なのだと思っていた。
だから弟に、彼女に渡したはずの服を見せられた時に動揺した。ずっと感じていた彼女の不安は、俺と離れた事に対するものではなかったのか、もっと違うものだったのかと。
けれど、城を飛び出して直ぐに変だと感じた。彼女は生きている。それに、彼女は確かに不安がってはいるが、恐怖心を感じてる様子は無い。しかし、弟が持って来た服は間違い無く俺の物だった。彼女無事を確認せずにはいられず、彼女の村へと急ぐ。
そうして目にした光景は、信じ難いものだった。
家は焼け落ち、村に残っている者は一人もいない。彼女の姿も何処にも無い。
それどころか、人一人、家畜一匹残っていない。
しかも、焼け残っている家が一軒も無い。まるで、証拠を一つも残すまいと、丁寧に焼かれたかの様に・・・山賊がやったにしては不自然なほど、丁寧に・・
しかし、彼女が居ないのには変わりない。
それは、この場所にではない。この世界に・・・・
俺は、分かっている。村が焼かれたのは、俺が城で王位継承の手続きをしていた時では無い。
彼女がこの世界を去ったのは、俺が城で仕事の引き継ぎをしていた時では無い。
村が焼かれたのは、俺が村に着く前日の事だった。
彼女がこの世界から去ったのは、俺が村に着く前日、全力で馬を走らせている時だった。
俺の身体が・・・魂が悲鳴を上げた。それは、絶望と恐怖心。
けれど、それは俺からでは無い。彼女・・・彼女が感じた恐怖心だった。
そして、直ぐに俺の中から、温もりが消えて行く。
前にも一度味わった感覚・・・
もう二度と味わいたくないと思っていた感覚・・・
あぁ、もう彼女は行ってしまった。また俺を置いて行ってしまった。
けれど、確認せずにはいられず、村まできた。
「兄上・・・。」
心配そうな男の声が聞こえてくる。
どうやら俺が村に着いてから、随分と時間が経っていたらしい。男の声に振り返れば、豪奢な馬車と騎士達。そして男が立っていた。
「兄上・・・帰りましょう。そして、今度こそこんな過ちが起きない様に、国を・・・」
何を言っているのか、分からなかった。
この男が何を言っているのか、分からなかった。
「それは、お前を殺せと言う事か?」
俺の口から、感情の無い声が漏れる。
怒り?そんなもの今更何の役に立つ?
悲しみ?そんなもので、何か変わるのか?
憎しみ?だからどうした?
「何を言ってらっしゃるのですか?兄上。」
男の顔に、微かに動揺が滲むが、それでも声色は普段と同じ。
「村を燃やしたのは、お前だろう?彼女を殺したのはお前だろう?何故殺した?」
「兄上、錯乱しているのですか?」
「違う・・・俺は錯乱している訳でも、怒っている訳でも無い。ただ、純粋に聞きたいだけだ。何故彼女を殺した?」
俺の質問に、男は小さく溜息を漏らす。
「はぁ・・・兄上は、これからも王として、国を治めていただかなくてはいけません。たった一人の村娘の為に、王位を譲られては困るのです。」
「お前が、きちんと治めれば良いだけだろう?」
「私では駄目なのです。兄上でなければ駄目なのです。この国の王は兄上だけです。それに、彼女は、兄上に相応しくない。田舎の村娘では、兄上には釣り合わない。」
「俺と、父・・・前国王との約束は知っていただろう。」
「はい。ですが、父上も同じ考えでした。兄上の見つけた相手が、兄上の妻として・・・国母として相応しく無ければ、秘密裏に殺せと。」
「彼女を殺された、俺が王を続けるとでも?」
「殺したのが私だと気付かれなければ、適当な者を犯人に仕立て上げ、その者に怒りをぶつけていただき、私だと気付かれたなら、喜んでこの命を差し出そうと思っておりました。」
そんなもの差し出されたところで、何の意味もない。
「そうか・・・。」
俺の口から、意識せずとも漏れ出した言葉とともに、俺は、近くにいた騎士が、腰から下げていた剣を引き抜き、男の前に立つ。
男は覚悟を決めた様に頭を垂れるが、剣が男に向く事はない。
「陛下あぁぁぁ」
「なんて事を!!」
「どうして!!」
男達の野太い、動揺の声が響き、遅れて男の金切声が響いた。
「兄上えぇぇああああぁぁぁぁぁ。」
その声を、かつては心地良く感じていた筈なのに、今はただ煩いと感じだけだ。
俺の事を呼ぶ者達の声は聞こえるが、今はもう雑音としか聞こえない。
彼女の居ない世界など意味がない。
彼女の居ない国など、何の興味もない。
彼女を殺した者達など、一欠片の感情さえ向けたくはない。
そんな事よりも、彼女の側に一秒でも早く行きたい。
一秒でも長く居たい。
彼女と俺の魂は繋がれている。迷う事などない。
早く彼女の元へ・・・