下
私に見えるのは、目の前の少年だけ。私が感じられるのは、少年が発している息遣いだけ。
他の全てが、無くなってしまった。
いや、あるはずだ。無くなるはずがない。ただ、私の全てが目の前の少年に向いているだけ。
「はじめまして、 シルビア様。」
はじめまして?
何を言っているのだろう?
はじめましてのはずがない。
「私の名前はベルです。」
嘘だ、そんな名前じゃない。
「ずっと貴女に会いたくて、奥様にお願いしていたんです。」
ずっと会いたかった・・・私だって、ずっと会いたかった。
でも、今更会いたくなどなかった。
何で今更・・・・
「伯祖母様、この子、とても賢いのよ、教えた事は一度で覚えてしまうし、剣の腕だってそこら辺の騎士よりも強いのよ。だから護衛の為にも・・・・伯祖母様?」
テレサの戸惑う声がするけれど、答える余裕が無い。
『何で・・・・。』
思わず漏れた言葉に、ベルと言う名の少年が嬉しそうに笑う。
『遅くなってすまない。少し野暮用を済ませていたら、遅くなってしまって。』
まるで寄り道をして来ただけの様な口振りだけれど、何がどうなって、こうなったのか、分からない。
目の前の少年は・・・私の愛した彼だ。
人のふりをして、私と恋に落ちた彼。
賢王だったにも関わらず、私と出会って、全てを投げ出した彼。
ドラゴンの身体で、私を攫った彼。
その彼が目の前にいる。
小さな、小さな少年として・・・・
・・・ない。
流石に、コレは無い。
いやいやいやいやいや・・・ないわぁ・・・
私はもう皺々のお婆ちゃんなのよ。何で今更会いに来たのよ。このまま穏やかに、シワシワのお婆ちゃんとして人生を終わらせてよ。
一緒に歳を重ね、お互いにシワシワになるなら良い。けれど、私の目の前にいるのは、人生これからの・・・というか、始まったばかりの彼。
そして、人生がもうすぐ終わるであろう私。
どうしろと?
中身が大人なのは知っている。でも外見が、少年なのよ。
何処かの誰かが『人は外見じゃない、中身が大切だ。』って、言っていたけれど、外見も大切よ!!
少年と恋愛なんて、出来るわけないじゃない。
それとも、彼が大人になって、同じ年頃の女性と恋に落ちるのを、間近で見続けろと?
これは、私への拷問なのかしら?
『ララベル?どうしたんだ?嬉しくないのか?』
少し寂しそうに聞いてくる姿は、私の気持ちなど微塵も分かっていない様だ。
『その名前で呼ばないでください。今は、シルビアと呼ばれています。』
『そうか、シルビアか。でも俺は、ララベルという名の方が好きだぞ。初めて出会った時の君の名だからな。』
うっとりと、優しく甘く紡がれる彼の言葉・・・少年だけど。
『で?私の今世も、後10年ほどで終わるであろう時に、いったい何をしに来たのですか?』
『何って、愛するララベルに会いに来たに決まっているだろう。』
彼の私のへの愛は、変わっていない様だ・・・少年だけど。
『私、もう皺々のお婆ちゃんなんですけれど。』
『ああ、今までは、ララベルが歳を重ねる姿を見る事が出来なかったからな。俺は、そんなララベルの姿が見られて嬉しいぞ。』
この人、女心が微塵も分かっていないんですが!!
アレですか?身体が子供だから、中身も子供になって、女心が微塵も分からなくなったと?
『知っていますか?何処の世界の女性も、どの時代の女性も、愛する人には美しい姿を見てもらいたいと思うものなのですよ。』
『うむ、だから君は美しいのだな。』
ちがああああああぁぁぁぁぁぁぁぁう!!
そうじゃない、そうじゃないんです。
けれど、そういえば彼は、昔からこんな感じでした。
神だった頃の彼は、神に祈りを捧げる私を見て『おお、女神よ。』と言い。
王だった頃の彼は、土で泥々に汚れて農作業をする私に、『泥も君が着れば、空に浮かぶ星々の様だ。』と言い。
ドラゴンだった頃の彼は、着替えも無く、身体も川で洗うくらいしか出来なかった私に、『君の香りが心地良い。』と言った狂者だった。
神様が『女神よ』って、どうなんでしょう。
王様が泥を見て『空に浮かぶ星々の様。』って、なんなんでしょう。
『君の香りが心地良い。』って、それ綺麗に出来なくて、体臭が強くなったって事ですよね。恥ずかしいだけなんですけれど・・・
と、こんな感じの彼だから、老婆となった私に『美しい』と言ったのも、多分本心なのだと思う。
けれど、本心だからと言って、そのまま受け入れられる素直な心を、私は持っていない。
かといって、態々否定するのも違う気がして・・・彼の言葉は聞かなかった事にした。
それに今は、彼に聞いておくべき問題がある。
『で、これからどうされる気ですか?』
『勿論、君と暮らすに決まっているだろう?』
当たり前の様に言わないで欲しい。
『養子になるという事かしら?』
『何を言う。俺は、ずっと君の伴侶だろう?えっと、この世界では夫だったか?』
『皺々の老婆が少年を夫にすると思いますか?』
『人は外見じゃない、中身が大切だ。』
この言葉・・・そうだった 。私に言ったのは彼だった。
元神様で、元王様で、元ドラゴンの人が言う言葉・・・言葉の重みが違います。
ですが、それを言って良いのは、彼を愛した私の方だと思うのですが。
はああああぁぁぁぁ・・・・
思わず、重い溜息を吐き出していると、何処からともなく、軽やかな声が聞こえてきた。
「伯祖母様、やっぱり無理かしら?」
すっかり存在を忘れていた軽やかな声の主・・・テレサ。
心配そうにこちら見ているテレサに、一瞬だけ彼を押し付け・・・任せてしまおうかと思ってしまった。
だって、どう考えても今世で彼を夫として迎えるのは無理。
今の彼に出会う前であれば間違い無く、私は胸を張って、彼がどんな姿をしてようとも、私は彼を愛していると言えただろう。それが、悲惨な最後を迎えると分かっていても、出会ってしまえば離れる事など考えられず、彼を愛しただろう。
けれど、今の彼の姿は・・・私の精神を削っていく。
艶やかな皺の無い張りのある肌が、声変わりのしていない軽やかな声が、小さくて守ってあげたくなる様な姿が、老婆の姿をした私の精神を地味に削っていく・・・
こんなに若々しい彼の隣に、妻とし立つ・・・流石に無理です。
かと言って、テレサにその気持ちをぶつけるわけにもいかず、言葉を濁した。
「あのねテレサ、彼はああ言っているけれど、流石にねぇ・・・。」
「あの・・・伯祖母様、私には、伯祖母様とベルがどんな話をしていたか、全く分からなかったのですけれど。」
あっ・・・やってしまった。
多分だけれど、彼に出会って『何で・・・』と声を漏らしてからずっと、他の世界の言葉で話していのだと思う。
「ごめんなさいね、彼が異国の言葉を流暢に話していたから、つい私もつられて異国の言葉で返事をしていたわ。」
異国というか、異世界の言葉だし、異世界の言葉を話し始めたのは、多分私が先だったけれど、全てを説明出来るはずが無い。説明したところで、とても信じられる話しでは無いのだから・・・
と、そんな事を思っている間に、彼が不安そうな表情り作り、シルビアに話しかけていた。
「奥様、シルビア様は、私と一緒に暮らしても良いと言って下さったのですが、私が幼い事を気にしてらっしゃる様で、同年代の子供の多い奥様の屋敷の方が良いのではないかと・・・」
え?
待って、私そんな事、一言も言っていないのだけれど。
これは・・・多分、いやほぼ間違いなく、彼はシルビアに援護をさせる気だ。
「まあ、そうなの?それなら、何の心配もいりませんわ伯祖母様。さっきも言いましたが、この子は、大人顔負けの頭脳と、身体能力を持っているの。それに随分と大人びていて、息子や娘達の良きお手本になっているのよ。ただ、私の屋敷では子供達が多過ぎて、この子が休めないの。だから、伯祖母様が良いと言ってくださるなら、この子の為にもお願いいたします。」
テレサ・・・貴女、伯爵夫人だったわよね?
うっかり孤児を拾ってくるのもどうかと思うけれど、その子を伯祖母である私に簡単に預けて良いの?
ペットを飼うとは、わけが違うのよ。
そんな私の心の声が聞こえたかの様に、テレサは言葉を続ける。
「それに、孤児と言っても、この子は知り合いの商家の息子さんで、身元ははっきりしているの。ただ、ちょっと、大変な事に巻き込まれて、ご両親を亡くしてしまって・・・勿論、その辺の処理は全て済ませてますから、伯祖母様に迷惑がかかる様な事にはなりませんわ。だった、大変な思いをしたこの子には、少し落ち着ける場所が必要だと思うの・・・だから、ね?」
幼子の様に、ウルウルとした視線を私に向け、懇願するテレサ。
その横で、同じように懇願する様な表情をしている彼。
『言っておくけれど、私の側にいるのなら、約束して。絶対に私が死ぬまでは、他の女性の元へは行かないって。』
彼だけに分かる様に、今度は意識してこの世界では使われない言葉でそう言うと、彼は首を傾げ、心底不思議そうな表情を浮かべる。
『何を当たり前の事を言っているんだ?君が側にいるのに、他の者など目に入るはずが無いだろう?それに、この世界を去る時は、私も共に行くに決まっている。』
『・・・は?まだ、少年と言われる歳で、何を言っているの?』
『そうだな、この身体は確かに少年だったな。だが、来世で共に転生する為には、やはりこの世を去るのは、同じにした方が良いだろう。来世では、産まれた瞬間に婚約者となり、10代で結婚する予定だからな。時間がずれると、どちらかが待たされることになってしまう。今世では随分と待たせてしまったが、来世では、夫婦として幸せになろうな。ああ勿論、今世も君と居られれば幸せだが、来世はもっと夫婦としての触れ合いをだなぁ・・・』
頬を赤らめ、モジモジとしている少年・・・
その歳で来世の話って、本当にもう何なんでしょう。
まさかとは思いますが、彼が少年の姿で私の前に現れる事となった野暮用って、来世に関係してませんよね??
いや、やめておこう。考えたら駄目な気がします。
はああああぁぁぁぁ・・・・
「テレサ、分かりました。この子はウチで引き取ります。」
「本当ですか伯祖母様。」
瞳を輝かせながら、嬉しそうにしているテレサ。
その横で、テレサ以上に嬉しそうにしている彼。
「ええ。だけど私も若くはないわ。だから、私に何かあった時には、彼の事をお願いね。」
『俺は、ララベルと一緒にこの世を去るのに・・・』
ボソリと漏らす彼の声が聞こえたけれど、聞こえないふりをする。人生何が起きるか分からない。
多分、分からないはず。分かっている人がいる気がするけど・・・分からないはず!!
「はい、勿論です伯祖母様。ありがとうございす。ベルも良かったわね。」
「奥様のおかげです。ありがとうございます。」
二人して嬉しそうにしている姿を見ながら。私は、嬉しい様な、悔しい様な、複雑な気分を抱え、苦笑いを浮かべてた。
結局、形だけ彼を拒絶してみたものの、こんな老婆の姿になっても、私に愛を向けてくれる彼を拒絶でるはずなんてなかった。
その後、テレサと彼と私でお茶を飲み、テレサは笑顔で帰って行った。
お茶の最中、テレサのお茶をミルクに変え、お菓子をフルーツに変えさせると、テレサが大きな溜息と共に
「8人目ですか・・・。」
と声を漏らしていたけれど・・・
どうやら私の気づかいで、お腹の子に気付いてしまった様だ。
そういえば、いままでの子達を妊娠した時にも、同じ気遣いをしていた気がする。
だって仕方がないじゃない、お茶の成分によっては、赤ちゃんに良くない事もあるし、砂糖いっぱいのお菓子より、フルーツの方が赤ちゃんにも良いと思ったの。
テレサは、自分のお腹に新たな命が宿った事に、最初こそ溜息を漏らしていたけれど、帰る頃には嬉しそうな顔をしながら、そっとお腹を撫でていた。
「ララベル。」
テレサを乗せた馬車が、ゆっくりと走り去る姿を眺めていると。
声変わりには程遠い軽やかな声が、甘さを含み私を呼ぶ。
「来世は、沢山家族を作ろうな。」
彼と私は幾度も出会い、幾度も恋に落ちてきたけれど、彼との間に子を成す事は無かった。
私と彼が出会えば、恋に落ちてしまえば、そんな場合ではなくなってしまう。
それに、今世は問題外だ。
けれど来世は・・・彼が教えてくれた来世の話が本当ならば、もしかしたら家族が出来るかもしれない。
テレサの様に、幸せを感じながら自分の腹部を撫でる事が出来るかもしれない。
「・・・。」
少しの気恥ずかしさを感じ、そっと目を伏せると、私の手に暖かく、小さな手が触れる。
私の知っている彼の手は、いつも少し冷たくて、私の手をすっぽりと包み込んでくれていた。
全く違うはずの小さな手。けれど、同じ様に私の心を温めてくれる優しい手。
「ララベル、愛しているよ。」
「・・・。」
言葉は返さない。
来世がどうなるかなんて分からない。
老い先短い老婆である私が、少年に愛を囁いて良いはずなんてない。
だけど、私の気持ちは、きっと彼に届いている。
だって、小さな手がしっかりと私の手を掴み、輝く様な瞳が愛おしそうに私を見つめているのだから。
私は心の中で、呟く。
これまでも、これからも、どんな姿の貴方でも、私は貴方を愛している。