第1話
山の奥、誰もここには近寄るものはいない。龍神がすんでいるというひっそりと静かな湖。
昔から龍神を怒らせ日照りや洪水などが起きてきた為、山のふもとに神社を立て、鎮めるため祭っているのだ。
その湖のどこともなく聞こえてくる鈴の音。
湖の周りで、1箇所だけ草地になっているところがありその方向から聞こえてくる。
鈴が連なった形をした巫女がよく舞うときに持っている巫女鈴だ。
黒い長い髪を後ろでひとつに束ね、少女がゆっくりと舞を舞っている。
ゆっくり静かな動きだが指先ひとつ、目線、足さばきに気が行き届き、まるでぽぅっと光りを放っているようにも見える。
「しゃん」
と鈴が鳴るたびにあたりに音が響き神聖な空気感を広げてゆく。
と・・・ぴたっと止まり、
「はぁ〜っ」
とため息交じりのような息をひとつ吐く。
「またここで間違えちゃった。」
この少女はふもとの神社の巫女。名はあまね。小さな頃から両親からはなれ、神社で巫女の修行をしているのだ。
この神社には後ふたりの巫女がいるが、2つ上のみさとは神社の娘で、1つ上のみなもは孤児だったのを引き取られたのだ。
3人は小さな頃から一緒に暮らしているため、まるで姉妹のように仲がいい。
このあたり一帯は、神社の敷地内で、龍神のいる湖といわれているため、立ち入り禁止になっている。そのため年に数回の掃除以外行くことを止められているので、誰も入ってくることがない。なのでこうやっていつも一人で来ている。
ここにくると落ち着くのだ。
嫌なことも、つらいことも、うれしいこともすべてここにきては、誰もいない湖に向かって報告するのだ。
「この・・・ね。ここからここに行く部分の流れがうまくいかなくって。姉様たちはとても上手に舞うのに。」
誰がいるわけでもない、湖に向かって独り言だ。
「・・・ちょっと休憩〜♪」
そういいながら髪を束ねている紐を解き服を脱いでゆく。
一糸まとわぬ姿になり足先からゆっくりと水の中に入ってゆく。
ここの湖は透明度が高く、下にある砂が見えるのだが、見た目よりもかなり深い。しかしあまねは慣れた風で足がつかなくても立ち泳ぎをして、少し行ったところから身を沈め奥へともぐってゆく。
しばらく潜ってもまだ底にはつかない。
潜るのをやめて上を見上げると湖面は遠い。
そこで両手を広げ身を水に任せる。
少しずつ上へと上がってゆく・・・まるで異なる世界にいるような気分になる。現実である外と音のない、時のない世界。
あまねは本当はいつまでもその中にいたかった。
だが現実はもう帰る時間だ。
この湖に住んでいるという龍神を祭った神聖な場所に、入って泳いだなんて事が知れれば、ただで済むわけはない。
誰にも見られないように、さっさと着替えて帰らねばならない。
慣れた手つきで着物を着て、履物を履くためしゃがんでいると、人影のようなものが・・・
見上げると人が立っている。顔色が悪く表情はなくただ立っている。
あまねは驚くこともなく
「また迷って入ってきたのね・・・」
そういって歌を歌い始める。
子守唄のような暖かくて切なくて懐かしい歌。
ゆっくりと舞うように手を動かす。
言葉は波動になり、光に変わる。滑らかな指先は、ゆっくりと舞いながらその光を人に向かって放つ。
するとその人は、足先のほうから光となり、まるで蛍のように天に昇ってゆく。
まるであまねとその光は、時間から外れたように美しい時をゆっくりゆっくりと刻む。
すべての光が消えたときあまねは手を合わせ感謝の言葉を発する。
この山自体神聖な山でめったなことでは不浄なものは入ってこないのだが、どこかに抜け道があるらしく迷った魂がふらふらしていることがある。
あまねはそんな魂を、光へと帰しているのだ。
「龍神様・・・今日もこの場を使わせていただきありがとうございました。またこさせていただきます。」
ペコンと礼をして空を見上げると、日は西に傾きかけている。
着物の裾を帯に挟むと、道のない急斜面を駆け下りてゆく。
舞を舞うときや光に帰す表情とは違う、はつらつとした笑をたたえ、軽々と飛び降りてゆく。
そして神社の裏の林の1本の木の虚の中に隠してあった着物に着替え、自分の部屋へと帰る。