第9話 セシリアvs魔族
「はーい、ボーナスゲームおしまーい」
薬師の手が騎士の髪をつかむ。
逆の手が走り――
その手が騎士の首を撫でたと同時、騎士の体がどさりと倒れた。
手の中に残った騎士の頭を、薬師は興味なさげに一瞥、部屋の奥へと放り投げた。
リフィーは叫んだ。
「卑怯者! 攻撃がきかないとわかってて……だましたっすか!」
「別にだましてなんていないけど? 私は五秒間だけ反撃しないし回避もしないって言っただけ――約束は守ったけど?」
「そんなこと――!」
くってかかろうとするリフィー。
リフィーの前に小隊長が立ちはだかった。
「いい加減にしろ、リフィー! あいつの調子にあわせるな。魔族は人の負の感情を糧とする。俺たちの心をいたぶっているだけだ!」
リフィーは大きく息を吸った。
(そうっす。今は……撤退するっす)
リフィーの足がゆっくりと後ろに下がった刹那――
「逃げてもいいとは言ったけど――まさか本当に見逃すなんて思ってないわよね?」
血に染まった薬師が床を蹴り、文字通り襲いかかった。
その速度は矢のように速く、半秒でゼロ距離まで縮まる。
(はや……!)
リフィーは知覚した。しかし、反応できなかった。
それほどの速さ。
だが、薬師の血に染まった手はリフィーには届かなかった。
小隊長がラージシールドで受け止め、薬師の突進を止めたのだ。
「お前だけでも逃げろ、リフィー!」
「そんな時間があるかしら?」
薬師が腕を一振りする。
ラージシールドが真っ二つになる。小隊長の左腕がざっくりと裂け、血がぼたぼたと落ちる。
「逃げろっ!」
再度の小隊長の言葉が、リフィーの体を動かした。
リフィーはくるりと反転し、入り口へと走る。
「邪魔っ!」
薬師の声――そして、小隊長の悲鳴。
続いて、リフィーの背中に熱い感触が走る。薬師の追撃がリフィーの鎧と背中を切り裂いたのだ。
だが、それは致命の一撃ではなかった。
逃げるのが半秒遅れていれば間に合わなかっただろうが。
リフィーは入り口から転がるように飛び出し、そのまま地面に倒れ込んだ。
家の前もまた修羅場だった。
待機していた騎士たちは人と同じくらいの体長を持つ巨大な黒い犬と戦っている。すでに何人も騎士たちは倒れていて決して優勢な状況ではない。
「リフィー!」
そんな状況でも――騎士たちは血まみれで出てきた僚友を見捨てなかった。三人の騎士たちがリフィーへと近づく。
「ふふふふ。よりどりみどりね」
家の入り口で薬師が楽しげに唇をゆがめている。
「みんな! こいつは強いっす! 近づいちゃダ――!」
その語尾は空気の燃え上がる音にかき消された。
薬師の口から業炎がはき出された。
炎はリフィーの頭上越しに伸びて三人の騎士を一瞬にして火だるまにした。
味方を燃やし尽くす赤い光がリフィーの瞳に映った。
リフィーは心に黒いものを感じた。
頭上から薬師の哄笑が降り注ぐ。
リフィーはようやく理解した。
この魔族は――圧倒的に強い。
つまり、決して逃げられない。
だが――
だからこそ、リフィーは剣を杖にして立ち上がった。決して逃げられないからこそ――
(せめて、一太刀――!)
リフィーの瞳に激情と覚悟が宿った。
どうせ死ぬのならせいぜいあがいて死ぬ。
「ああああああああああああああああああ!」
リフィーは雄叫びを上げて薬師に斬りかかった。
薬師の右手が閃き――
リフィーの乾坤一擲をたやすく弾いた。リフィーの手からこぼれた剣は後方へとすっ飛ぶ。
たとえ己の命を賭したとしても――神は最後の一撃すら届かせてくれなかった。
勝てない。
勝てない勝てない勝てない勝てない勝てない。
(くそ、くそ、くそくそくそ! 何もできないまま……!)
リフィーが奥歯を噛む。
薬師が唇を歓喜でゆがめた。
「さようなら。お仲間によろしく」
薬師がとどめの一撃を食らわせようとした刹那――
「――すまない。待たせた」
背後からの声。
その声の主を――
リフィーは知っていた。そして、その人物の圧倒的な強さも。
仲間を次々と殺されて、そして自らも死の一歩手前まで追い詰められていたリフィー。彼女の心は不安と恐怖に満ちていたが――
その声だけで。
その言葉がだけで、リフィーの心は勇気と活力があふれた。
そこに現れたのは王国の戦乙女。
一陣の風のようにセシリアが颯爽と現れた。
セシリアが右手に握ったリフィーの剣で薬師へと斬りかかる。
肉を引き裂く音。
悲鳴。
薬師が弾かれたかのように跳躍、家の屋根に着地した。
その片目には今までにない感情――激怒が宿っていた。
片目だけ。
もう片方の目は切り裂かれ、まるで岩に亀裂でも入ったかのようにえぐれていた。
(ついにあいつに傷をつけたっす!)
リフィーは信じられないものを見た気分だった。
リフィーはセシリアの右手に持った剣を見た。確かにそれはリフィーが持っていた武器だ。
魔力が弱すぎるゴミ武器――
薬師はそう笑っていて、確かに同僚の剣は薬師を傷つけることすらできなかった。
しかし。
セシリアの剣技ならば、そのゴミ武器ですら魔族に一撃を与える。
セシリアの圧倒的な強さにリフィーは感動すら覚えた。
「大丈夫か?」
セシリアが視線をリフィーに向ける。
その姿は美しく輝く白銀の鎧に包まれていた。
『白銀公』という二つ名のゆえんだ。これは王より賜った『神器』のカテゴリーに入る最高峰のマジックアイテムなのだ。
この白銀の鎧に身を包み、セシリアは勇者イオリとともに何度も魔族たちと戦い、圧倒的な戦果をあげてきた。
その神々しい輝きは常勝の証。
リフィーの心は一〇〇人力の味方を得たような気持ちだった。
「これくらい大丈夫っす! でも、自分以外のみんなは……」
セシリアが薬師の家に視線を向ける。
家の中に広がる血の池と、そこに倒れる騎士たちの残骸――
セシリアの口の端がぎりっと音を立てた。その目が屋根の薬師をにらみつける。
「貴様……わたしの部下たちをよくも……!」
それに対する答えは笑いだった。
薬師が顔を押さえたまま喉の奥で笑っていた。
「まさかお前のような大物が引っかかるとはなあ、白銀公。罠を張って待っていたかいがあったものだ」
「なんだと……?」
「気づいていないの? 村などどうでもいいのだ、こんな小さな村! 私が本気を出せば一夜だ。一夜で滅ぼせる。それをだらだら時間をかけていたのはどうしてだと思う? 噂が広がるのを待っていたのさ。王国が騎士を動かすのをな。本当の狙いはお前たち王国の騎士を殺すこと。人間どもの戦力をそぐためにね。そうしたらお前のような最高級の獲物が引っかかった。これが笑わずにいられれるか!?」
「なるほど、素晴らしい作戦だ」
セシリアはリフィーの剣を地面に突き刺した。そして――
自分の腰にさした剣の柄に手をかける。
「お前にわたしが倒せるのならな」
「ぬかせっ! 不意をついて一撃をいれただけでいい気になるな!」
「そうかね?」
セシリアが剣を引き抜いた。
その剣もまた『白銀公』の由来のひとつ。その刀身は白く艶めいた輝きを放っていた。これもまた鎧と並ぶ最高峰マジックアイテムである神器――『祝福の剣』。
「次はそのそっ首――たたき落としてやろう」
「大口を! 二度とたたけなくしてやるわ!」
薬師が顔から手を取り払った。その顔に以前までの面影はなかった。顔中が毛に覆われ、その口と鼻は狼のように突き出ていた。
薬師が空に向かって吠え――
屋根を蹴ってセシリアへと飛びかかった。
「死ねっ! 白銀公!」
同時――
「光あれッ!」
セシリアが叫ぶ。
その声に呼応して祝福の剣の、その刀身を彩る光の輝きが爆発したかのようにふくれあがった。
リフィーはあまりのまばゆさに目をすぼめる。不安はなかった。リフィーはその光がなんなのかを知っていた。祝福の剣は退魔能力に特化した武器。セシリアがその力を解放したのだ。
セシリアは薬師の爪をかわし――
「はあああああああああああああ!」
怒りの声とともに、薬師の身体を祝福の剣で一閃。
「ぎいいいいやああああああ!」
薬師の喉から絶叫が漏れる。
切り裂かれた傷から光があふれた。
「ももも申し訳ありません、シャルティエさまあああ――!」
薬師の体が閃光とともに爆散した。
セシリアは薬師が消えた空間を見つめながら、ぽつりと言った。
「首を落とすと言ったが……そううまくはいかないか」
(つ、強い――)
リフィーはもともとセシリアの最強と無敵を知っていたし信じていた。
だが――
眼前のセシリアの強さはその盲信をさらに超えていた。
一撃。
わずか一閃。
リフィーたちを紙切れのように切り裂いたあの強大な魔族を、セシリアは一瞬で蹴散らした。
これが人類最高峰の力――
リフィーは神を見るかのような気持ちでセシリアを見た。
セシリアは剣を天に差し向けて、叫んだ。
「敵の主力は倒した! あとは駄犬のみ! 王国の騎士よ、その力を示せ! このセシリア・ニア・カッパートとともに進撃せよ!」
「おおおおおおおお!」
疲れ切っていたはずの騎士たちだったが、声に活力がよみがえる。
ここに戦いは決した。