第7話 ミーム村遠征
ミーム村が一望できる小山のうえに、リフィーたちは陣を張った。
「朝から村を見張っていますが、村人の姿はひとつも見えませんね」
目のいい見張り役の騎士がセシリアにそう言った。
すでに正午を超え、太陽はゆっくりと傾き始めている。何時間も誰ひとり姿を現さないというのは考えられない。
セシリアの判断は明快だった。
「今から行動を開始する。夜は魔族の時間だ。それまでに決着をつける。一件だけ家の中を確認し、村人の状況を確かめる。得られるならば情報を得る。決して無理はするな。そのまま薬師の家を取り囲み、対象を捕獲する」
三〇人の騎士たちは五人ずつ六つのチームにわかれた。
最初に村人の家を訪れるAチームにリフィーは指名された。
(なかなか大任っすねー。セシリアさまと違うチームなのは残念っすけど)
挨拶をかわしたチーム員たちとともにリフィーは村へと向かう。
村はしんとしていた。
空気すら微動だにしないかのような静けさだった。畑の作物は放置され、荒れ放題になっている。
リフィーもすでに何度か戦場を知っている。
だから、わかる。
(こりゃもう、ダメっすね……)
死んだ場所には、共通のにおいと気配があるのだ。
リフィーたちAチームは村のもっとも外周に近い家へと近づく。
木を組み立てて造った簡素な家だ。
部隊長が静かにドアをノックした。
「すいません。開けてもらえないでしょうか」
返事はない。
ノック。
返事はない。
部隊長がドアに手をかけると、ドアはすっと動いた。
後ろを振り向いた部隊長がうなずき、横へと下がる。
リフィーが前に出て、ドアを開けた。
キッチンのある部屋だった。人は誰もいない。しばらく掃除もしていないようなほこりっぽさ。奥にも部屋があるようだった。
「失礼します。旅のものですが」
もちろん、嘘だ。
しかし、やはり返事はない。
「誰もいませんか?」
そう言うと、リフィーは腰の剣に手をかけて――
隣に立つ男の若い騎士とともに玄関から家へと飛び込んだ。
背中合わせに立って、リフィーはじっと部屋の中を凝視する。
数秒警戒し――
何もない。
ようやく大きな息を吐く。
「隊長さん、とりあえずこの部屋は大丈夫っすよ」
リフィーの言葉を聞き、ほかの隊員たちが部屋に入ってきた。
「誰もいない、か……」
「うわ、蜘蛛の巣だ!」
「やっぱり空振りか?」
彼らの声に、リフィーは奥の部屋に視線を向けて言った。
「いや、それはどうっすかねー……もう一部屋あるみたいっすよ」
とはいえ、呼びかけて返事もなく、これだけ大人数が入ってきても反応がないのだ。
(そこに誰かがいても、普通の状態じゃあないっすよねえ……)
「奥見てくるっすよ」
リフィーは剣に手をかけたまま、奥の部屋と向かう。
そっと奥の部屋をのぞき込み――
ぎょっとした。
部屋には二つのベッドがあって、年老いた夫婦が横たわっていた。
(おじいさんとおばあさんっすか……)
ようやく見つけた村人。
リフィーは手前側の老婆に近づいた。
「大丈夫――」
声をかけようとして、リフィーは言葉を飲み込んだ。
瞳の周りは落ちくぼみ、ほほはそげ、やせこけた額には年齢以上のしわが刻み込まれている。よほど苦しかったのか、胸を強くかきむしった跡があり、その表情は大きくゆがんでいた。
横たわる老婆の姿は明らかに生者のそれではなかった。
そのとき――
「誰……だ、お前は」
消え入りそうな声がリフィーの耳に届いた。
奥のベッドに眠る老人だった。
老婆と同じように消耗しきった容貌だが、確かに老人はかすかに首を横に向け、リフィーを見ていた。
「生存者がいたっすよ!」
そう報告しながら、リフィーは老人の元へと駆け寄った。
老人が荒い息を吐きながらゆっくりと身を起こす。
「大丈夫っすか?」
「……く、薬を……」
老人が胸を強くかきむしる。
「く、薬――どこっすか?」
「薬師が持っている……あれが、あれがないと……!」
リフィーはそのとき気がついた。
すでに老人の目が正気ではないことに。
老人は鬼のような形相をリフィーに向けた。
「お前が奪ったのかあっ!」
老人がリフィーの胸を押す。
枯れ木のような腕のどこにそんな力があるのだろうか。
リフィーが気を抜いていたのもあるだろうが、金属鎧を着ているリフィーがバランスを崩して、腰から落ちた。
「返せぇっ!」
老人は枕元に隠していた短刀を引き抜くと、リフィーに躍りかかった。
リフィーは腰の短剣に手を回した。
引き抜き、一閃する。
何度も繰り返した仕草。身体に覚え込ませた敵を殺すための動き。
しかし――
リフィーの動きが止まった。
今までは低級魔族やモンスターばかり相手にしていた。だから、何のためらいもなく剣を振るえた。
だが、今目の前にいるのは人間。
人間と戦ったのは訓練だけだ。真剣を向けた経験はない。
一瞬のとまどい。
しかし、老人の短剣がリフィーの首をかっきるには充分だった。
その鈍い輝きがリフィーの喉に殺到し――
ごっ、と鈍い音がした。
横から割り込んだ小隊長のラージシールドが老人をはね飛ばしたのだ。老人は吹っ飛んで壁に激突し、白目をむいて床に倒れた。
「馬鹿野郎! ぼさっとするな!」
小隊長がリフィーを助け起こしながら一喝する。
「申し訳ないっす……」
「いいか。耳にたこができるほど言われているだろうが、もう一回言ってやる。戦場は味方以外のすべてを敵だと思え。たとえそれが女子供だろうと老人だろうとだ!」
リフィーはうなずくしかできなかった。
動かなかった自分の右手を見つめて、リフィーはため息をつく。
(まだまだ甘いっすね……)
その甘さのせいで死んでいった同僚をわずか二年で何人も知っている。もう少しで自分も同じ列に加わるところだった。
今回は運がよかっただけ――
その運の良さを大切にしようとリフィーは思った。
「で、どうだ」
小隊長は老婆の状態を調べている騎士に声をかけた。彼は医療の知識を持っている人間で、それを買われてこのチームに加えられた。
「ざっと見たところだと、何かの中毒症状を起こしているようです。麻薬のような禁断症状もありそうですね」
「薬師の薬か?」
「実物を解析しないとはっきりしませんが、おそらくそうでしょう」
「そういえば」
リフィーが割って入る。
「その老人、薬師の薬をくれって言ってたっすね」
「そうか。やはり薬師が薬をばらまいて、だんだんと村を浸食していたんだな……」
リフィーの脳裏に筋書きが浮かんだ。
突如としてやってきた腕のいい薬師。薬師の存在は村で重宝される。みんな歓迎しただろう。
信頼を勝ち得たところで、薬師は少しずつ毒を混ぜていく。ゆっくりと弱っていく村人たち。病気がはやっているんですよ、でも私がいるから大丈夫。薬師の笑顔に安心する村人たち。
毒の量はだんだんと増えていく。
起き上がれなくなっていく村人たち。だんだんと人は死んでいき、やがて村が滅びていく。それをじっと見つめ、笑顔を浮かべている薬師――
リフィーは体を震わせた。
(人間のやることじゃないっすよ……)
こんなことができるのは――そう、魔族だ。
この任務に参加するにあたってセシリアから魔族、しかも強力な力を持つ中級以上の魔族の可能性を説明されていた。
だから、リフィーら騎士団の腰にさしている剣はいつもの普通の剣ではない。普通の武器を無効にする中級魔族に対抗できる、魔法の武器を貸与されている。
ブロードソードLv.2。
一〇段階ある魔法の武器の、二段階目。
これを使用すれば、魔族に対抗できる。
リフィーはようやく知った。
その剣が貸与された意味と、その責任を。
(絶対に許さないっすからね!)
リフィーたちの小隊は老夫婦の家をあとにした。