第47話 衛の修行、からの
「要するに、わたしが言いたいのは、君は決して無敵などではない、ということだ」
「それは……俺もそう思っている」
それもまた衛を焦らせる原因のひとつだ。
セシリアやガラトラのような戦いのプロからすれば、動きのぎこちない衛など簡単に拘束し、くびり殺せるだろう。
「それが君の弱点だが――それほど心配しなくてもいい」
「どうして?」
「わたしがいるからだ。もし君が拘束されてもわたしが助ける。二人で戦えば問題ない」
「そうだな」
「とはいえ……常に二人で戦えるわけでもない。決して一人のときに無理はするな。かなわないと思ったら退け。それが戦場の鉄則だ」
「わかったけど――俺も護身術とか身につけた方がよくないか?」
「言っただろ? 近道はないと。格闘の初心者である君が付け焼き刃を身につけたところでいかせるはずもない」
「まあ、そうだろうな……」
「だから、もっと別の――もうひとつの君の弱点を補う訓練をしたほうが効果的だろう」
「もうひとつの、俺の弱点?」
「そう――まあ、慣れとでも言うべきかな」
そう言って、セシリアが両腕を広げた。
「わたしを殴りたまえ」
「え!? は!? な、なんで?」
「構わないから。顔面でいいぞ。思い切りな」
そう言われてはいそうですかと殴れるはずもない。
殴れるはずもないが――
(だけど、きっとセシリアさんには考えがあるはず)
根拠はないがそう思えた。だから、衛は右手を握りしめる。
「行くぞ!」
衛は自らを鼓舞するかのようなかけ声を上げて、セシリアの顔面めがけて力一杯こぶしを打ち込む。
当たる――と思った刹那、セシリアがかわした。
(って、かわすのかよ!)
確かにセシリアはかわさないとは言っていない。
衛は勢いあまって前によろけた。
「衛、やはり慣れてないな」
「慣れてない?」
「人を殴ることにだ。腕はこわばっているし、腰は引けている。身体の動きがばらばらで威力が弱いのは仕方ないにしても、そもそも気持ちの面で殴ることを怖がっている」
「それは――」
当たり前だった。衛は身体が頑丈なだけで、他の部分については普通の人間だ。蛮のパトロールについていっても、不良を懲らしめるのは蛮であって、衛は見ているだけだった。
「君に必要なのは戦いに対する度胸だ。戦うこと――それを普通のことだと、何も特別ではないことだと、身体に染み込ませなければならない。まずはそこからだ」
「戦うことに慣れるか……そもそもからダメってことか」
「落ち込むな。これはすべての新兵が通る道だ。わたしだって通った。戦いのない日常から、戦いのある――死と隣あう日常への移動はそう簡単なものではない」
衛はうなずいた。
そして、知った。
自分が踏み入れている日常はそれだと。セシリアの言うところの『戦いのある――死と隣あう日常』なのだ。
(覚悟を決めろってことか)
衛は大きく息を吐いた。
「わかった。慣れるさ。でも、どうやるんだ?」
「戦いに慣れるには――戦うことだ。わたしが相手になってやる。思う存分かかってこい」
相手は女性だが――衛は遠慮しないことにした。
相手はセシリアだ。
そもそもの戦闘能力が違いすぎる。遠慮はいらない。
「わかった。頼む」
衛はこぶしを握るとセシリアに挑みかかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
それからしばらく――
衛は何度も何度もセシリアに挑み続けた。
衛の思っていたとおり、セシリアと衛では戦闘能力が違っていた。女性だからという手加減などまったく必要ない。一方的にセシリアにかわされ、払われ、投げられた。
もともと運動など授業以外ではやっていない帰宅部だ。すぐに衛の体力は底を尽きたが――
それでも衛は立ち上がり、セシリアへと挑みかかった。
少しでも何かをつかみたい、少しでも強くなりたい。
少しでもいおりを安全にしてやりたい。
その一念が衛を動かした。
「このっ!」
衛が打ち放った拳を呼吸すら乱れいないセシリアが無駄のない動きでかわす。
そして、伸びた衛の右腕をつかみ、衛の軸足を軽く払う。
瞬間――
衛の視界が反転して、衛は背中から地面に投げ飛ばされた。
「つっ!」
衛はすぐに立ち上がろうとしたが、すでに限界を迎えていた。痛みと疲労で上半身を起こすのがやっとだった。
「今日はここまでにしよう」
「わかった……やっぱ強いね、セシリアさん」
勝てるはずもないと思っていたが――ここまで一方的とは。一度くらい奇跡でも起っこしてセシリアの鼻を明かしてやろうと思っていたが、そんなチャンスはかけらも見当たらなかった。
「まあ、君の年齢分くらい修行を続けているからな。まだ素人の君にやられるわけにはいかないよ」
「そりゃそうか」
「だが、訓練の効果はあった。だんだんと攻撃にためらいがなくなってきた。その感覚を忘れるな」
「疲れて遠慮する余裕がなくなってただけだったりしてな」
「そうでないことを祈るよ」
「あー、疲れた。喉が渇いたよ」
「どうぞ」
そう言ってセシリアがペットボトルを差し出した。衛は何も考えずに受け取り、キャップを開けて一気に喉へと流し込んだ。
流し込んで――
ふと気がついた。
(あれ、このペットボトルって――)
間違いなくそれは衛がセシリアに渡したペットボトルだった。
そして、そのペットボトルはセシリアが口をつけて、飲み残していたものだ。
(てことは、え?)
間接キス。
間接キスだった。
衛の心臓がどどどどどどどと早鐘のように音を鳴らした。
たかだか間接キスだが、セシリアのような妙齢の美女が相手で平静でいられるほど衛は人生経験が豊富ではなかった。
衛が人生で唯一間接キスをしたのは妹のいおりくらいだ。
去年いおりのペットボトルをうっかり飲んでしまった衛に対していおりは――
「うげー、マジ最悪ぅー。ちょっと妹と間接キスして喜んでる変態兄貴がいるんですけど。事故のふり? もうホントやめてよね!」
と衛を強くなじった。
いおりは「ごめん」と謝る衛からペットボトルを奪うと、憤懣やるかたなしという様子でどこかに行ってしまった。
そういう過去もあって、衛は間接キスに敏感だ。
ペットボトルから慌てて口を離してセシリアを見る。
衛の視線に気づいたセシリアが首をかしげた。
「どうした、衛?」
「い、いや……か、返す」
「もういいのか?」
そう言ってセシリアは衛からペットボトルを受け取ると――
そのまま口につけて一気にあおった。
(うおおおおお! 俺が口をつけたのを平気で飲んだよ!?)
衛は驚いた。そんなことをさらっとできるセシリアがとても大人に見えた。
「うん? どうした? じろじろと見て」
「い、いや、特に気にしてないならいいんだ……」
「気にする? 何を?」
セシリアがきょとんとしている。
(本当に気にしていないのか? いや……文化の違いか? 普通の日本人とは考え方が違うだろうし)
かといって問い詰めるような内容でもない。うやむやにするのが一番だ。そう決めて衛は立ち上がった。
「俺は家に戻って風呂にでも入るよ。セシリアさんは?」
「風呂か、実にいいな」
にこりとセシリアがほほ笑んだ。
「わたしはもう少し訓練をしておく。先に行っててくれ」
再び剣を振り始めたセシリアを残して衛は家の中に戻った。
衛は汗の染み込んだシャツを洗濯機に入れると、裸になって風呂に入った。
暖かい湯が衛の身体を包み込む。疲れが毛穴が流れて溶けていくような心地よさが衛の体内に充満する。
「運動の後の風呂は最高だな……」
衛はうっとりとした気分でつぶやく。
もはや思考も定まらずぼんやりと湯につかっていると――
誰かが脱衣所にやってくる気配があった。
(ん? 誰だ?)
衛は視線を向けたが、風呂場のドアは磨りガラスになっているので外の状況は見えない。
ぼんやりとした人影がごそごそと動いている。
(ひょっとすると――いおりが帰ってきたか?)
いおりは買い物に出かけていた。
もしも、あの攻撃的な性格の妹が衛の存在に気づかずに『入浴用の姿』で風呂場に入ってきた場合――
マジで殺される五秒前になるのは確実だ。
ラッキースケベよりも平穏な生活を夢見る衛は律儀な対応に出た。
「おーい。今、入ってるぞー」
衛の正しい行いは神より相応の報酬を受け取ることになった。
「入るぞ」
がらりと風呂場のドアが開き――
素っ裸のセシリアが入ってきた。




