第46話 衛の弱点
衛はリビングから夕暮れに染まる庭を眺めていた。
大手企業で共働きをしていた両親が買っただけあって、衛たちが住んでいる家はかなり広い庭付きの一戸建てだった。
最近は洗濯物を干す以外では使用していなかった庭だが――
今はセシリアが剣の練習をしている。
ジャージ姿のセシリアが、真剣な表情で黙々と剣を上から下に何度も振り下ろす。さらに足を動かし、体勢を変えながら何度も何度も。その動きには迷いもなく淀みもなく――完全に身体に染みついた動きだった。
剣の達人が極限まで無駄を排し磨き抜かいた完成された動き。
それは人を殺す技術の結晶であろうが――舞踏のように美しい動きだった。武術の素人である衛ですら、見ているだけで呼吸を忘れそうになるほどの素晴らしさだった。
その精密無比な動きを、セシリアは一時間以上も延々と繰り返している。疲労は全く感じさせない。
(ガラトラの戦いで知ってはいたけど――本当に達人なんだな)
そのとき――
セシリアの動きが止まった。
剣を鞘に戻して、ふーっと大きな息を吐いている。タオルを手にとって顔の汗をぬぐっている。
「お疲れ、セシリアさん」
リビングのガラス戸を開けて衛が声をかけた。冷蔵庫から持ってきたペットボトルを差し出す。
「ん? これは?」
「スポーツドリンク。妹が好きだから買いだめてるんだよ。スポーツの後に飲むとうまいよ」
「ふーん……どうやって飲むのだ?」
セシリアが小首をかしげる。
「あ、そうか……ペットボトル知らないか……このキャップをねじ切れば飲める。飲み終わったらそのキャップを締めればこぼれない」
「ほう、水筒のようなものか。持ち運びに便利そうだな」
そう言ってセシリアはスポーツドリンクを一口飲んだ。
その瞬間――
かっと目が見開いた。
「こ、これは――うまい」
「気に入った?」
「もう一時間くらいトレーニング頑張れそうだ!」
「いやいやいや! 剣を抜かないで! それ気のせいだから! 気のせいだから休んだほうがいいよ!」
「ふむ、そうかね?」
小首をかしげながらセシリアがペットボトルを地面に置く。
衛が話題を変えた。
「セシリアさん……強くなるにはどうしたらいんだろう?」
「うむ? 急に何を?」
「いや……あのガラトラってやつもまた襲いかかってくるだろうと思ってさ。俺が本当に勇者の生まれ変わりって言うのなら、まだまだ命を狙われるだろう。俺はともかくいおりまで危ない……少しでも強くなりたいんだよ」
「君はガラトラの――いや、十鬼将アーベルーダの一撃を防ぎきった。充分強いのでは?」
「あのときの、か……」
衛は自分の手をじっと見つめた。
「いや……ちょっと自信がない」
「……?」
「あのときの――身体に力が充満した……エネルギーがあふれて破裂しそうな感じってのがないんだ。今はいつも通り、というか」
「あのときだけ、ということか?」
「たぶん。あのときは必死だったから。火事場のくそ力みたいな感じだったのかな」
「なら、また同じように追い込まれれば力が出るのでは?」
「かもしれないけど……そうじゃないかもしれない。俺にもよくわからないんだ」
「そうか」
「だから、俺は俺自身の力を高めたい。俺自身もそうだけど――いおりを守るためにも」
――そんな……顔しないでよ。大丈夫だから……。
公園で、衛はいおりを巻き添えにした。守り切れなかった。青白い顔で弱々しい表情のいおり。死の影が濃いいおり。
もう二度と、いおりのそんな姿を見たくなかった。
「セシリアさん、俺は今すぐ――もっと強くなるべきなんだ」
「……結論から言うと、それは無理だ、衛」
「どうして!?」
「たとえばわたしだ。わたしは五歳の時点でもう剣を握り、稽古していた。それから一五年以上ひたすら訓練している。その積み重ねが細胞レベルにまで刻み込まれて今のわたしを形作っている――」
そして、セシリアは続けた。
「今すぐ――というのは無理だ、衛。何事にも近道はなく、最短もない。ただ道があるだけ。君も一五歳ならば薄々わかっているだろ?」
「だけど――!」
「焦るな、衛。言っただろう、ただ道があるだけと。君を明日までに最強へと育て上げる魔法をわたしは知らないが、君を少しだけ強くする指導ならできる」
「え!?」
「このわたしが訓練してやろう……だが、後悔するかもしれんぞ? わたしの稽古は騎士団の中でも過酷と知られているからな」
「望むとこ――はうっ!?」
いきなりだった。
いきなりセシリアの膝が沈み込み――間髪入れず剣の胴打ちで衛を打った。鞘に入れたままではあったが。
「こ、この不意打ちは……」
衛は後方によろめくと右脇腹を押さえ込んだ。
もう稽古は始まっていた。
あまりのスパルタぶりに衛は少しばかり後悔し始めていた。
(この人むっちゃガチじゃねーか!?)
「おや……? ガラトラの剣がきかないから大丈夫だと思ったが?」
残念ながら痛みはあった。
振り回した腕がうっかり壁にぶつかったときのような、鈍くしびれる痛みが広がる。
気を張っていれば我慢できただろうが、完全に油断していた。
さすがはセシリアの一撃だ。
「そもそも痛くないってわけじゃないのと――あと、不意を打たれて心の準備が間に合わなかったってのもあるかな」
「なるほど、そういうものか……まあ、それでもたいしたものだよ。今の一撃はシロウト相手ならば気絶か、よくて痛みで悶絶して動けなくなるくらいだ。それをその程度ですませたのはさすがだよ」
(よくて悶絶の一撃で不意打ちするとかやめてくれよ!? ていうかよくて悶絶って、全然よくなくないか!?)
セシリアの訓練は厳しい。言葉通りだ。
衛は完全に後悔した。
「だが衛、君のことをわたしはよく知る必要がある。だから――少しばかり我慢してくれ」
――
――来る!
衛は瞬間、顔の前で腕を交差させて衝撃に備える。
セシリアの身体が再び動き、三発の連撃を一瞬にして叩き込んだ。
「――!」
衛は歯を食いしばって衝撃に耐えた。
(なんて速さだ――!)
衛は驚いた。セシリアの剣筋はまったく見えなかった。かわすことなどできず――そもそもセシリアが本当に三度攻撃したことすら衛はわかっていない。
ただ身体を走り抜けた衝撃の数が三、それだけだ。
「ふむ。今度は痛がらないな?」
「くるとわかっていれば、まあね」
「そ、そうか……な、ならば……今度は鞘越しではなく抜き身で斬りかかってもいいかな?」
「セシリアさんって負けず嫌いだよね?」
「……冗談だ」
いや、あの目は本気だった……衛はそう思った。
「さて。さっきの通り、このわたしの攻撃を受けても君はぴんぴんしている。まさに鉄壁だ。だが――」
セシリアが動く。衛が反応するよりも早く衛の背後に回り込み――
ぎっと衛の肘関節が鳴った。
「うっ――!?」
セシリアが衛の腕の関節を極めていた。
「痛いかね?」
「いい痛い、痛い、いたたたたた――!」
「やはりな……わたしが来たとき、君はガラトラに首を絞められていた。無敵に近い君の防御力も、首絞めや間接技のような、人体の特性をついた攻撃には無力というわけだ」
「セ、セシリアさん! 冷静に分析するのはい、いいけど! て、手を離してからにして!」
「む? おっとすまない」
ようやくセシリアが手を離した。
「要するに、わたしが言いたいのは、君は決して無敵などではない、ということだ」




