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第43話 黒髪のセシリア

「約束じゃぞ」


 イオリが輝くような笑顔を浮かべて笑った。

 その約束はしばらくして実現した。残念ながら、王国の祭りには間に合わず村の小さな祭りだったが。


(おしゃれと言っても――よくわからないな)


 きっとイオリも忘れているだろう――そんなことを思いながら、セシリアはいつもの簡素な服で出ていこうとすると、何者かが彼女を羽交い締めにした。


「な――何者!?」

「ふっふっふっふ……ダーメだなー約束は守らないとねー、セッシリアちゃーん」


 後ろに立っていたのは、特徴的な角を隠すため、頭にヴェールをかぶった女――カリギュラだ。


「な、や、約束など! い、意味がわからないな!」

「んふ、んふ、んふふふふ。カリギュラちゃん聞いちゃったー聞いちゃったんだー。『セーちゃん、おしゃれしてイオリさまとぉー、一緒にお祭り生きたですー』って言ってるの聞いちゃったんだー」

「だだだ、誰がセーちゃんだ! し、しかも、勝手に話をふ、膨らませるな!」

「ふーん……あったことは認めるんだ?」

「う、ぐっ!?」

「ちょっとくらいおしゃれしようよー、セシリアちゃーん」

「そ、そういうのは、わたしは、わからないんだ!」

「大丈夫。カリギュラちゃんがうまくやってあげるからさ……セシリアちゃんはもう少し肩の力を抜いてもいいと思うよ?」


 そうして――セシリアはカリギュラの助けを借りて服を整えた。

 小さな村だったのでたいして服はなかったが、カリギュラがうまく組み合わせて見栄えのいい形にしてくれた。


 鏡の向こう側には――

 白いシャツの上に茶色いベストを羽織り、足下までの長いスカートをはいている。首筋には赤いスカーフが巻かれていて、最低限の手入れしかしていなかった金髪は美しく編み上げられていた。

 そこには、美しい女性が立っていた。


「うふふー。やっぱりセシリアちゃんは素材がいいから、普通に整えるだけできれいさが輝くねー」

「へ、変ではないか?」

「大丈夫大丈夫。じゃあ、イオリちゃんのところに行こうね」


 セシリアちゃん大股で歩きすぎ! と叱責を受けながら、慣れないスカートに苦労しつつセシリアは宿屋の外に出た。

 そこにイオリが立っていた。

 イオリはセシリアの姿を見るなりきょとんとした顔つきになった。


(うぐっ――やっぱりびっくりしてる……!)


 セシリアは穴があったら入りたいような心境になった。

 だが次の瞬間、イオリの表情が緩み、大きく笑った。


「いやー、やっぱりセシリアはきれいじゃのー! 儂の見る目に狂いはなかった。ありがとな、セシリア! 約束覚えておいてくれて!」


 その言葉を聞いて、その喜ぶ顔を見て――セシリアは自分の心が春の野をはねるうさぎのように浮つくのを感じた。

 おしゃれなんて自分には似合わないと思うけど――


 この人のためなら、またしてもいいかもしれない。

 そこまで思ってセシリアははっとなった。

 この人のためなら。

 その言葉が意味すること。

 なぜこの人のためなら、苦手なことでもやってみたいと思ったのか。自分を変えてもいいと思えたのか。


 その答えが、心の扉の奥から覗こうとしたとき――

 セシリアは慌ててその扉を閉めた。


(今はまだいい。まだいいんだ。必要ない。今は女であるわたしではなくて――騎士であるわたしが必要なんだ)


 だが、結局セシリアがおしゃれをすることは二度となかった。

 勇者イオリが魔王とともに光の渦に消えてしまったからだ。


(おしゃれ、か……)


 そんな懐かしい記憶から、セシリアは現実に意識を戻した。


(まあ、わたしには似合わないものだ……それに見せたい相手ももういないわけだし……)


 冷たい風が――セシリアの胸を通り過ぎた。

 この三年間ときおりセシリアをざわつかせる感情だった。その感情の波にセシリアが静かに沈みそうだったとき――


「おはよう、セシリアさん」


 不意に声をかけられ、セシリアはびくりと反応した。


「……おはよう、衛」

「……? どうしたんだ、セシリアさん。考え事でも? ……ああ、髪の色が気になる?」


 衛は勘違いしているようだが――セシリアにとってそれは都合がよかった。


「その通りだ。私の世界にも髪染めはあるのだがね。あいにく私は使ったことがない。生涯初の髪染めだよ。昨日の夜から何度も見ているが――実に変だ」

「俺は変だと思わないけどね」

「そうかな?」

「黒髪は黒髪で、セシリアさんきれいだと思うけど」


 セシリアは瞬間――息を呑んだ。

 なぜかその一瞬、勇者イオリとのあの夜のやりとりを思い出したからだ。


 ――儂はセシリアをきれいだと思うがの?


 同時に、そのときの心の揺れまでが思い出される。

 かあっと顔が赤くなる――そのことがわかったから、セシリアは隠そうとうつむいた。


「……からかうのがうまいな、少年」

「そ、そんな、からかうだなんて――」

「わたしには、そういう言葉は似合わないよ」


 深く息を吸い込み、セシリアは感情を一瞬で整理した。

 セシリアは鏡の中の自分を一瞥して――話を変えた。


「だがやはり、髪が落ち着いたからこそ目が目立つな」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 少し前。

 セシリアが洗面所で自分の顔を眺めている頃――衛はようやく目を覚ましたところだった。

 今日は土曜日だった。

 特に早く起きる必要のない日なので、衛はいつもよりも長く寝た後、ゆっくりとした足取りで部屋を出る。

 そして、すぐ近くのいおりの部屋をノックする。


「おい、いおり」


 返事はない。いつものことだ。

 衛がドアを開けると、ベッドで眠りこけているいおりがいた。


「いおり、起きろ」


 衛はいおりの身体を揺する。

 いおりは不機嫌そうに眉をしかめながら、うーん、もう少し、などと言いつつベッドの上でゴロゴロしている。


「朝飯作っておくから、早く来いよ」

「あー……い」


 いおりが寝ぼけた声で返事をした。

 休みの日の朝、いおりを起こすのは衛の役目だった。


「いい? 土曜日は目覚まし時計を鳴らさないからマモ起こしてよ」

「勝手に起きてこいよ」

「やーよ。遅く起きたらマモの作ってくれた朝食冷めるじゃん。だから朝食作るマモが起こすのが効率的ってもんでしょ」

「はいはい。わかったよ」

「あ、どーせ寝てるだろうってノック無しで開けるの禁止だから」

「どーせ寝てるだろ?」

「早く起きて着替えてるかもしれないでしょ!? のぞき行為として死刑執行だからね!」


 というやりとりがあって、この大役を賜ったのだ。

 衛が洗面所の前を通り過ぎると、中にジャージ姿のセシリアがいた。セシリアは小さな鏡をのぞき込み怪訝な表情を浮かべている。


「おはよう、セシリアさん」

「……おはよう、衛」


 考え事でもしていたのか、反応が一拍遅れてセシリアが振り返る。


「……? どうしたんだ、セシリアさん。考え事でも? ……ああ、髪の色が気になる?」


(昨日の晩にも見たけど――髪の色で印象って変わるものだな)


 セシリアの金髪が真っ黒になっていた。

 昨晩、いおりが市販の染色剤で染めたのだ。

 髪の色と一緒に雰囲気もがらりと変わったが――それはセシリアの美貌を損ねるようなものではなかった。ベクトルの違う新しい美が誕生したような、そんな印象だった。

 髪について話した後、セシリアは自分の目について話を始めた。


「だがやはり、髪が落ち着いたからこそ目が目立つな」


 セシリアの目は依然として碧眼のままだった。真正面から顔をのぞけば日本人でないのは一目瞭然だ。


「そこは――あれを使うんだろ?」


 衛はあごでしゃくる。その先には洗面台に置かれたサングラスがあった。

 カラーコンタクトという手もあったが、衛もいおりもあまり詳しくはなかったし、そもそも風呂に感動しているセシリアにコンタクトレンズを扱えるとも思えなかったので没とした。


「かなりきつい気もするんだけどな……」

「おや? 衛には気になることでもあるのか?」

「いやね……サングラスをかけた長身の女性ってのは目立つよ。金髪碧眼は確かに隠れているけどさ」


 セシリアの外見からすると、お忍びの旅をしているハリウッド女優かトップモデルにしか見えない。もちろん、そんな人物は都心から離れたこの街でなくても人目を引く。


「そうか……では、やはり丸坊主にでもしようか?」


 それは髪を染める前にセシリアが言った案だった。

 確かに印象は変わるが――いおりが「そんなのぜぇーったいにダメ!」と強硬に反対して流れてしまったが。


「わたしは別に丸坊主でも気にしないのだが」

「まあ……丸坊主は丸坊主で目立つからな……しかも丸坊主にしている女性ってのはそんなにいない」

「……やはりこれがベストか」

「俺もそう思うよ」


 ちょうどそのとき、洗面所の入り口にいおりがやってきた。腹に手を当て憂鬱そうな表情をしている。


「マモー、お腹すいたー。朝食は?」

「あ、ごめん。今から準備するから」

「至急! 至急! お腹の虫が鳴り止まない!」

「わかった! わかったよ!」


 衛はいおりに追い立てられるようにして洗面所を後にした。


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