第42話 セシリアと勇者イオリの約束
翌朝、セシリアは目覚めると洗面所へと向かった。
「いーい、セッシー? ここのコックを上げると水が出るから」
前夜に教えてもらったとおり蛇口のコックを持ち上げると――大量の水があふれ出した。
(本当にこちらの世界はすごいな……)
セシリアの世界で水は貴重だ。重量もあるので人の手による運搬にも時間がかかる。それなりのお金を払って買い求める――大切な物資なのだ。
だが、この世界では蛇口から無限に水がわき出てくる。
衛たちの話によると水を運ぶための施設が完備されていて、水はいくらでも手に入るという話だった。
「水は高いのかって? え? 考えたこともなかったなー。日本だと水はただみたいなものだよ。あ、でもホントはただじゃないから、使い終わったら蛇口はちゃんと締めてね」
そういおりは言っていた。
(あ、いかん)
感動のあまりうっかり水が出るさまを眺めてしまった。早く使い終わって水を止めなければ。
セシリアはすくった水で顔を洗い、蛇口を締めた。
タオルで顔を拭きながら――
洗面台の鏡を見る。
その顔を見た瞬間、セシリアは怪訝な表情を浮かべた。
鏡の中のセシリアもまた怪訝な表情でセシリアを見返す。
そこにあるのはいつもの自分の顔。
だが、ひとつだけ違う点は――
黄金色の髪が真っ黒になっていることだ。
「髪染めちゃえばいいじゃん!」
そう言ったいおりは、市販の染色剤を買ってくると本当にセシリアの髪を染めてしまった。
セシリアの世界にも髪染めはある。
だからなじみがないわけではなかったが、そんなことに興味がないセシリアは未経験だった。
髪を染めている貴族を見て「何が楽しいのか」と思っていたが――実際に自分がやってみるとやっぱり「何が楽しいのか」と思った。
いおりは、
「うっわー、セッシー。いい! いいよー。黒髪もマジ似合ってる。美人マジ卑怯! おしゃれのしがいがあるね!」
などと興奮気味に言っていたが。
おしゃれ――
それはセシリアにとって縁遠い言葉だった。
レイント王国第一騎士団団長こと『白銀公』セシリア・ニア・カッパートの二一年の人生を振り返ると、鍛錬と戦闘でだいたい埋まってしまう。
そこにおしゃれだの美容だのという女性らしい単語は絶無だった。
本人も興味をもったことがなかったので、特に不満はなかった。宮廷では貴族の娘たちが自分の美を競っていたがセシリアには違う世界の話のように思えた。
だが。
過去に一度だけ――
おしゃれと言う言葉を気にしたことがある。
それはまだ勇者とともに旅をしていたときのことだ。
一行は十鬼将『兆蝶婦人』ことマダム・バタフライの居城を目指していた。森は深く延々と緑が広がり、その日もまた野宿となった。
セシリアは見張り役として起きていた。たき火の向こう側には同じ見やり役の勇者イオリがいる。
深い森の中に、たった二人。
他の仲間たちは眠りについていた。
すでに見張りについてから一時間も経つが二人とも特に会話することもなく、装備品の手入れをしていた。別に仲が悪いとかではない。そもそもずっと一緒にいるから改めて話すことがないのだ。
そんなしみ入るような沈黙を、勇者イオリが破った。
「セシリア」
セシリアは声をかけられるとは思ってもいなかったので、やや驚きながら顔を上げた。
一〇代後半の少年がにこにことした顔であぐらをかいている。髪は黒色で、眉のしっかりした意志の強そうな顔立ちの少年だった。決して優れた容貌ではないが――何か人の心を引きつける魅力的な表情をしている。
「……今日もよう歩いたのう。お疲れさん」
イオリはいつも通りの、妙になまった言葉を言った。
本人曰く「山の奥で爺さんと一緒に暮らしてたからの。爺さんの口癖がうつってしまったんじゃ」とのことらしい。
「いえ、勇者さまこそ」
「その勇者さまっちゅーのは、ちょっとやめてくれんかの。少しばかりこそばゆい」
「できません。勇者さまは勇者さまですから」
「硬いのう、セシリアは」
「そういう人間ですので」
「彼氏の前でもそういう感じだったのか?」
「か、かかか彼氏!?」
おしゃれ以上に、自分とははるかに縁遠い言葉にセシリアは素っ頓狂な言葉を上げ――あわてて口を押さえた。仲間が寝ているからだ。
「せせ、先進的な社会派の学者たちの意見では、そそそ、そういうししし質問はセクハラと言ってダ、ダメだそうですよ!」
「そうか? まあ、気にすんな」
にやにやと笑いながらイオリが言う。
その笑顔を見た瞬間――セシリアは、まあいいか、と思った。思ってしまった。イオリの表情には人を従わせる――張った気をあっさり溶かしてしまう不思議さがある。
せめてもの抵抗とばかりにぷいっと横を向いてセシリアは答えた。
「彼氏なんていませんし、いたこともありません」
事実だった。公爵家の令嬢ではあるが、剣ばかり振り回している奇特な娘だったので、許嫁のあてもなかった。一〇代で結婚するのが不思議でもない世界なのだが。
「……わたしは普通の貴族の娘とは違いますから。殿方からしてみれば魅力に欠けるのでしょう」
「うーん? おかしいのう。儂はセシリアをきれいだと思うがの?」
きれい――
その言葉を聞いたとき、セシリアの身体は自分でも驚くような反応を示した。
とくん――
とセシリアの胸が鳴った。
(え、あ?)
なぜそんな言葉に自分が反応するのかセシリアはまったくわからなかった。
セシリアの動揺をよそにイオリが話し続ける。
「普通の貴族の娘はもちろん魅力的じゃ。べっぴんじゃのー、ええ服着てるのー、そう思う。確かにセシリアはその子らとは違うが――だからといって魅力がないわけではない。強くて凜として。嵐の中でも折れない柳の美しさを感じさせるぞ」
「……褒めすぎです……」
そう答えながらも、セシリアは自分の心を喜色が染めていることを無視できなかった。
イオリはいつだって率直にものを言う。お世辞など言わない。例え相手が王であっても気にくわないものは気にくわないという。
つまり、イオリの言葉はいつも本音なのだ。
それだけに今の言葉はセシリアの心に響く。
「セシリアの強さを秘めた美しさもいいが――一度くらいは貴族の娘のように着飾ったセシリアも見てみたいのう」
「そんな――似合いませんよ」
「似合う」
イオリが言い切った。
イオリの発言はいつもそうだ。根拠などないが――相手を信じ込ませる何かがある。
だから、その一言はおしゃれというものに対してかたくなだったセシリアの心をほんの少し緩ませた。
イオリが続けた。
「そうじゃ、マダムとの戦いが終わったら――今度、みんなで王国の祭りにいかんか? そのとき、セシリアはおしゃれをしてみてくれ」
「え、え?」
セシリアは驚きながらも――
悪くはないかも、そんな言葉が勝手に浮かんでしまった。
そして、反射的にこう答えた。
「……悪くはないかも、ですね」
答えてから、セシリアは自分でも驚いた。
(な、何をわたしは――!?)
だが、それほど後悔もなかった。自分の中に――わくわくとした気持ちがあるのも事実だったから。
「約束じゃぞ」
イオリが輝くような笑顔を浮かべて笑った。




