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第38話 朝目覚めたら妹が横で寝ていた件

「ねむ……」


 いおりがあくびをしながら階段を上っていた。その肌は風呂上がりで心地よく暖まっており、服はゆったりとしたピンク色のパジャマに着替えている。


「はー、気持ちよかった」


 身体中から疲れが流れ出ていくような風呂場の感覚を思いだし、いおりの口から言葉がうっかり漏れる。

 それほど開放感に包まれていた。

 今日はあまりにもいろいろなことが起こりすぎた。一歩間違えれば死ぬほどの目にあったのだ。身体だけではなく心まで疲れ果てている。だが、それもどうにかこうにかやり過ごして、無事に家まで帰り着けた。ようやくいおりは緊張感を脇に置くことができたのだ。

 いおりは衛の部屋の前で足を止めた。


(マモ、もう寝たのかな?)


 いおりよりも先に風呂に入った衛は


「いおり、俺はもう寝るよ」


 そう言って一足先に部屋に戻っていた。

 いおりは衛の部屋のドアをそおっと開ける。暗くなった部屋に廊下からの明かりが細く漏れる。いおりに背を向け、衛がベッドの上に横たわっていた。

 いおりは部屋に入る。

 衛は微動だにしない。背中の向こう側から規則正しい寝息を立てている。

 いおりはベッドの横に立ち、衛の顔をのぞき込んだ。まぶたを閉じて深く眠っている。


 ――俺の妹に何してやがる!


 その言葉はいおりの耳に深く刻まれていた。


「えへ、へへへへ」


 いおりは思わずにやけてしまう。


「かっこよかったぞ、マモ」


 いおりは衛の頬を指でつついた。そんなことに気づかず、衛は寝入っている。

 衛は必ず自分を守ってくれる――

 いおりはそう信じていた。


 両親を失ってすぐのことだ。泣き続けるいおりの手をつかんで衛はこう言ってくれた。


「いおり、お母さんから頼まれたんだ――俺は絶対にお前を守る」


 まだ小さかった衛の手が、とても強く自分の手を握ったことをいおりは覚えている。

 その力強さと、真剣な衛のまなざし――

 決していおりは忘れていない。


(あの頃は毎日ずっと泣いていたっけ……)


 両親を亡くしてからずっといおりは心にぽっかりと穴が開いたような日々を過ごしていた。世界中で一番不幸な女の子は自分だと固く信じていて、わけもなく泣き出す毎日だった。

 特に一人になることを極端に嫌がった。今度は衛が不意に消えてしまうのではないか――そんな恐怖が心の奥底にあったからだ。


 だから、当時のいおりは兄と一緒に寝ていた。


(そうそう、あの頃はこのベッドでよく寝てたな……)


 いおりはふと懐かしく思い、衛の寝ているベッドをひと撫でする。


「ふふふふふ……」


 いおりはなんだか楽しくなり、そのままベッドの中に潜り込んだ。

 薄暗い闇の中、衛の背中だけがいおりの視界に映っていた。

 いおりはそっと衛の背を撫でる。


(大きくなったんだな……)


 成長期を駆け抜けた背中は四年前と全く違っていた。骨も肉もついて大きくなり、幅も厚みも変わっている。

 いおりは意識していなかったが、衛はいつの間にか男の子から男に成長していたのだ。

 そして――見事にいおりを守ってみせた。


 そんな兄がいおりは誇らしかった。


「頼りにしてるぞ、お兄ちゃん」


 照れまじりに小声でそうつぶやくと、いおりはこつんと衛の背中に額を押し当てる。深く息をして――ベッドを出ようと思っていたが、次の瞬間あまりの眠気に意識が吹っ飛んだ。


 ――――――――――――――――――

 ――――――――

 ――

 目覚まし時計の音がけたたましく鳴っている。


(……うっさいなー)



 いおりは目を覚ましたが、まだ頭はぼんやりとしていた。そのため、目覚まし時計の音がいつもと違うことに違和感を覚えなかった。

 いおりは目を閉じたまま目覚まし時計を止めようといつもの位置へと手を伸ばすが――もちろん、そこに目覚まし時計はない。


(ううん……?)


 そんなことを思っているうちに横で何かが動く気配がして、目覚まし時計の音がぴたりと止まる。


(ん……?)


 ようやく何かが変だと気づく。

 そして、雑に動かしていた腕が何か硬いものに触れた。


(んん!?)


 いおりはびっくりして目を開ける。

 その視線の先には――

 ベッドで上半身だけ身体を起こした兄がいた。その右手は目覚まし時計に添えられたまま――固まっている。


 突然、いるはずのない妹に脇腹をまさぐられて、少し顔を赤くしている衛の顔がそこにあった。


「あ、あああ、ああ……」


 いおりは自分自身の状況を完全に把握した。


(もう最悪! 何であそこで寝ちゃうかな、あたし!)


 いおりは叫ぶ。


「ちちちち、違うの、これは!」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 目覚める直前、衛は夢を見ていた。白くてふさふさした毛を持つ猫が甘えてくる夢だった。衛が座っていると衛のあぐらのうえにちょこんと座り、衛が横になっていると衛の背中にふさふさの背中を押しつけてくる。

 それは暖かくてふわふわしていて――とても気持ちよかった。


(あー、幸せだー)


 そんな感じに衛が和んでいると――

 無慈悲な目覚まし時計がけたたましい音を立てて夢の時間の終わりを告げた。


 まだベッドで寝こけていたかったが――いおりの弁当と朝食を作ってやらないといけない。

(ん、何だろう……?)


 自分の横で何かがもぞもぞしている気配を衛は感じたが、あまり気にしなかった。


(夢の中の猫が出てきたのかな)


 衛は身を起こして鳴り響く目覚まし時計を止めた。

 そのとき――

 何かが衛の脇腹を撫でた。


 勘違いとするにはあまりにも現実的な感覚。びくっと身体を震わせて衛は正体を探った。

 探るほどでもなかった。

 中学二年生の顔立ちの整った少女がそこに横たわっていた。

 名前は衛もよく知っていて――御堂いおりという。


 妹だった。


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