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第3話 そのころ兄は

 御堂いおりが瞑想するかのようにベッドに潜り込んだ頃――

 兄の衛はキッチンに立っていた。


 冷蔵庫から卵を取り出し、慣れた手つきで卵を割る。

 かき混ぜた溶き卵を熱したフライパンに落とす。熱が卵を焦がす心地よい音と香りがキッチンに広がった。


 目覚めたら自分と妹の分の朝食を作る。

 御堂家の家事担当である衛の最初の仕事だ。


 御堂いおりの兄である御堂衛は一五歳。


 一ヶ月前に東野高校に入学したばかりの男子高校生だ。

 優れた容姿、スポーツ万能、成績優秀な妹と比べるまでもなく、彼は周囲に『普通の人』だと思われている。


 一七〇センチまでたどり着けてよかったと思える程度の、中肉中背の体格。特に印象に残らない普通の容姿。平均点よりもわずかに上程度の、特筆するほどもない成績。もちろん、スポーツ経験もなく体育の授業で注目を集めたことも一度もない。


 実に平凡。


 だが、衛はそれほど周りからの評価が嫌ではなかった。

 厳密には、特に興味がなかった。


 その気持ちは四年前から始まる。

 四年前、そう、両親が事故死したあの日から。


 あの日から衛といおりは二人で生きてきた。

 葬式が終わると親戚のおばさんが声をかけてきた。


「ねえ、衛くん、いおりちゃん。よく聞いて。もうお父さんもお母さんもいない。天国に行っちゃったの」


 衛は黙って聞いていた。ずっと泣いている妹の肩に手をかけながら。「これから、二人はどうするつもり?」

「いおりと一緒に今の家で暮らす」


 四年前の衛は短く答えた。

 それは彼にとっての誓いだった。父親とは違い、即死を免れた母親は病院でほんの少しだけ息があった。

 体中に包帯を巻かれて真っ白になった母親は、最後の力を振り絞るかのように衛の手をとり、消えそうな声でこう言った。


「いおりをお願いね」


 その瞬間、衛の人生は衛だけのものではなくなった。

 だから、衛にいおりと離れる選択肢はなかった。

 だが、親戚のおばさんは困った顔を浮かべるだけだった。


「そうね。それが一番だし叶えてあげたいんだけど……小学生だけじゃ暮らしていけないよ?」

「僕たちはおばさんたちの家に引き取られるの?」

「そうね。でも、二人の子供を一緒に引き取るのは難しくて……衛くんといおりちゃんは別々の親戚のおうちに行ってもらわないといけないの……」

「やだ!」


 衛は即答した。隣のいおりが肩をふるわせて、衛の手を強く握る。

 おばさんは同情した視線を向けたが、それだけだった。


「でもね、衛くん――」


 その日、ほかの親戚たちからも同じように諭されたが、絶対に衛は首を縦に振らなかった。


 衛たち兄妹にとって幸運だったのは、住んでいた家が両親の持ち家であり、二人が相続することになったことだ。加えて、大手企業に勤めていた両親は大学を卒業するまでなら充分な蓄えを残していた。


 そんな状況もあり、最終的に親戚たちは衛たちの意見を受け入れてくれた。


 最初の一年は近所の親戚が頻繁に訪れて家事や雑事の仕方を教えてくれたが、今はもう完全に二人だけで暮らしている。

 そんな四年間を通じて、もはや衛はいおりを単純な妹とは思っていなかった。


 ――いおりをお願いね。


 両親から渡された、護るべきもの。

 自分はいおりの保護者なのだ。


 だから、自分の評価など特に興味はなかった。いおりさえ笑顔でいてくれれば、それでいい。


 むしろ、いおりが優秀だという噂のほうが衛には重要だ。

 そんな妹が、衛にはただただ誇らしかった。

 という親のような『枯れた視線』で妹を見ていたはずなのだが――


「あれはどういうことなんだ……」


 フライパンの前に立ったまま、衛は頭を抱えた。

 悩みの種は今朝、見た夢のことだった。


 とても変な夢だった。


 石造りの大きな部屋の中で、妹のいおりが甲冑を着て戦っていた。そのいおりがピンチになったとき、自分が現れていおりを護ったのだ。 別にそれはいい。


 いおりを泣かせるやつがいれば、それが地球の裏側だろうがファンタジー世界だろうが、かけつけて助けてやるのが衛の本望だ。

 だが、問題はその次だった。


 なぜか自分が全裸になっていた。


 記憶の確認のために、もう一度、衛は思い返す。


 なぜか自分が全裸になっていた。


 鎧武者の出でたちで颯爽と現れたはずの自分の姿が、なぜか全裸だった。それだけでもたいそう異常な状態なのに、


 その後、なぜかいおりまで全裸になっていた。


 そして、さらに事態は悪化する。

 夢の中の衛がいおりを抱きしめようとしたのだ。

 ――目を覚ませッ!

 一喝ともにいおりに殴り飛ばされて――

 言葉の通り、衛は目を覚ました。


「なんて夢だ……」


 荒唐無稽もいいところ。むちゃくちゃな夢。

 ただの夢だと笑い飛ばしたいところだが、それもできない。雑誌を読んでいたいおりからこんな話を聞かされていたからだ。


「ねえ、マモ。最近、よく見る夢ってある?」

「夢……? あんまり覚えてないけど、カバンとかスーツケースに荷物を詰めているような夢が多い気がするな」

「何のために?」

「うーん……旅行に行く感じだったような」

「ふぅん。じゃあ、マモは旅行に行きたいんだね」

「どうしてそうなるんだ?」

「ここに書いてあるんだけど、夢ってさ『夢は深層心理、あなたの本当の願いの現れです』なんだって」

「へえ」

「というわけで、マモの欲求不満解消のために旅行にゴー!」

「お前が行きたいだけだろ、それ」


 いおりから聞かされた理論によると、欲求不満の現れとなる。

 すなわち、衛は求めているわけだ。

 裸のいおりを。


(いやいやいやいや! そんなわけがない!)


 衛は頭を振った。

 親代わりとしていおりの面倒を見ている関係上、妹への愛情が過剰なのは自覚がある。だが、それはあくまでも肉親への情であって、それ以外の何物でもない。

 性的な意味は一切ないのだ。

 少なくとも、衛はそう思っていたのだが――

(それとも、まさか、俺は心の中でいおりのことが……)


 衛は頭を抱えて振り回した。


「いやいやいや、ない! そんなはずが――!」


 そこまで叫んで、衛はあることに気がついた。

 作っていたオムレツに火を通しすぎていることに。


「ぜーったい半熟で。とろっとろのふわっふわにしてよね!」


 というのが、いおりからのお願い、もとい命令である。


 オムレツを作りすぎていおり好みの完全に火加減をマスターしていた衛だったが、考え事のせいで注意がそれてしまった。

 充分食べられるレベルのものだが――


「どうしたの、なんか騒いでたけど?」


 パジャマ姿のいおりがリビングに入ってきた。

 作り直す時間はない。


「いや、何もないよ」


 衛はにっこりと笑うと、そのまま料理の仕上げにかかった。


(うまくやりすごせるだろうか……)


 という浅はかな気持ちは、いおりがオムレツの一口目を食べた瞬間に砕け散った。

 あまり元気がなさそうないおりだったが、オムレツを食べた瞬間、敵意だらけの視線を衛に向ける。


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