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第28話 女騎士、カレーに感動する

 何度もの死線をくぐり抜けて――

 ようやく衛といおりは家に帰り着いた。


 見慣れた風景の、見慣れたにおい。血と暴力がうずまく非日常とは違ういつもの日常。帰ってきた。

 その実感がじわりと心の中に広がって衛といおりの心は平静を取り戻した。

 わけでもなかった。


「邪魔をするぞ」


 そう言って二人の後ろから見慣れない人物が家に入ってきた。

 茶色いマントで全身をすっぽりと覆った金髪の美少女、セシリア・ニア・カッパートだ。


 ガラトラが逃走した後、衛といおりは困った状況にあった。

 いきなり現れた金髪の美女相手にどう接すればいいのかわからなかったのだ。


 そもそも――何が今まで起こっていたのかすら、衛には理解できておらず何から話せばいいのかすらわかっていなかった。


 一方、セシリアのほうは別だった。

 セシリアが素早い動きで身を翻す。同時、彼女の右手から細い短剣が放たれた。それは一直線に塀へと飛び、そこにに止まっているカラスを刺し貫く。


 衛は目を疑った。


 カラスは悲鳴を上げた後――もやのように溶け消えたのだ。


「さっきからわたしたちを監視していたようだ」


 セシリアはそう言うと、剣を鞘に戻してマントを羽織った。


「わたしの名前はセシリア・ニア・カッパート。レイント王国の第一騎士団団長を勤めている」


 それは蛮から昼間にきかされた話とまったく同じだった。

 あのときは冗談だと二人で笑ったものだが、実際に帯剣している姿や素人目にもわかるほどの剣技の冴えを見せつけられて――今は笑う気にもなれなかった。


「俺は御堂衛。こっちは妹のいおり」

「いお、り……?」


 セシリアは驚いた様子でいおりの名前を復唱する。独り言のように、たまたまなのか、とつぶやいて首を振った。


「わたしは君たちを探していたんだ」


 衛は特に驚かなかった。ガラトラはいおりを狙っていた。そして、ガラトラとセシリアは知り合いのようだった。ならば、セシリアの言葉はそれほど想定外でもない。


「君たちに話がある。どこかゆっくり話せる場所を知らないか?」


 そして、三人は衛の家へとやってきた。


 いおりは見ず知らずの人間を家に上げたくないようだったが、衛は気づかないふりをした。

 セシリアは命の恩人だというのもあるが――それよりもいろいろありすぎて考えることに疲れていた。


 セシリアがしげしげと家の中を眺める。


「すごいな。これがこの世界の家か。きれいなものだ」

「そうか? 普通だろ?」

「これが普通なのか、君たちの……我々の王国だと広さはともかく、王侯貴族でもこんな豪華な内装の家には住んでいないぞ」


 物珍しげにセシリアがつぶやく。


(王国とか騎士団とか言っていたから、中世時代みたいな国から来たんだろうか)


 衛のその時代への知識はほとんどゲーム由来だが、木や石でくみ上げたような簡素な建物のイメージしかなかった。それに比べれば確かに『普通の家』ではない。


 三人はリビングに入った。

 いおりと衛がテーブルに座る。


「好きな場所に座ってくれ。マントも脱ぐだろ? そこのハンガーを使ってくれ」

「あ、ああ……」


 しかし、困った顔でセシリアは所在なげに立っていた。


「このままではダメか?」

「いや、構わないが、マント重くないか? 脱ぐのが普通だろ?」

「それもそうだが……」


 それでも渋るセシリア。いおりが立ち上がってマントを渡すように手を差し出す。セシリアが観念したようにマントを脱ぎ――


 そのまま倒れた。


「お、おい!?」

「すまない……やはりダメか」


 よろよろと身を起こすセシリア。その手は腹に当てられていた。同時に、ぐーと盛大な音が鳴った。


「そのマントには空腹制御の魔法がかかっている。着ていると空腹感が抑えられるんだ」

「飯、食ってなかったのか?」

「保存食を五日分持ってきたのだが、こちらに来たのが一〇日前でな……もう切らしている」

「さっき戦闘前にも脱いでなかったっけ?」

「勢いで脱いでみたものの、あのときちょっとやばいくらいの空腹を感じてな……あ、脱いだの失敗だったと思ったんだが、騎士としての気力でカバーした」

「その話……聞きたくなかった」

「昨日のわたしよりも今日のわたしは強いとか言ったがあれは嘘だ。少なくとも五日前のわたしのほうが強い。腹が減ってないから」

「さらに聞きたくなかった……」

「というわけでやっぱりマントを着ておこう……」

「いや、飯にしよう。俺たちもこれからなんだ。今日はカレーを作った。ちょうどいいからみんなで食べよう」


 衛はすぐにカレーを三皿用意した。

 空腹でぐにゃぐにゃしているセシリアをテーブルに座らせる。セシリアは目の前に置かれた茶色と白のコントラストが特徴の料理を見てごくりとつばをならした。


「すばらしい香りだな。胃が……とんでもないことになっている。ただ、すごい色をしているな……食べても大丈夫なのか?」

「カレーは始めてか? 大丈夫だから食べてみなよ」


 衛は安全だと言うことを示すためにカレーを食べてみせる。

 セシリアは怖々した様子でスプーンを手に取ると、ルーとご飯をすくって口に運んだ。

 その瞬間――


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


(こんなものがうまいのか?)


 セシリアは半信半疑だった。米は王国でも食べたことがある。味はわかっている。問題は米にかかっている茶色い粘り気のある物体だ。


 茶色。

 とても食べ物の色とは思えない。


 食欲のそそらない外見だが――そこからあふれ出る香気は対照的だった。言葉では言い尽くせない玄妙な香りが胃袋を刺激する。五日間からっぽだった胃袋にはとても危険だ。


 無意識のうちに、セシリアはごくりとつばを飲み込む。


「カレーは始めてか? 大丈夫だから食べてみなよ」


 衛もいおりも何でもないようにぱくぱくと食べ始めた。


(食べても大丈夫なのか?)


 セシリアは鋼鉄の精神の持ち主だ。勇者の仲間として何度も危険な目に遭ったがそれでも屈することなく任務を全うした。

 どんな危地でも自分を律し続けていたセシリアだったが――

 飢餓状態で全力運動をしたばかりのセシリアに、カレーの圧倒的な芳香を前にしたセシリアに――


 今ここで己を律することなどできるはずもない。


 カレーの香りの前に、すべては崩れ落ちた。


(もうなんでもいい! 我慢できん!)


 セシリアはスプーンをつかむと、カレーと米をひとすくいして口の中に放り込んだ。


 その瞬間――

 口内でビッグバンが炸裂した。


 玄妙なのは香りだけではなかった。無数のスパイスの合成によって作り出された味もまた複雑。セシリアの舌はこの味わったことのない、だがとんでもなく旨いものの謎を解くため、味覚の迷宮を深々ともぐっていく。

 だが、カレーの極意はそこだけではなかった。


 舌の上で味わい、堪能し尽くした後、セシリアはごくりとカレーを呑み込んだ。熱いかたまりが食道を下に移動する感覚。それが胃袋に到達したとき――

 二つ目のビッグバンが胃に炸裂した。


(そんな! カレーは二の剣を隠し持っているのか!?)


 熱い――とんでもなく熱い。


 胃袋の粘膜を溶かすかのようにカレーのスパイスが弾ける。それは炎の龍となってセシリアの口から飛び出してきそうな勢いだった。

 だが、それは不快ではなかった。

 心地よい暑さがセシリアの体をほてらせる。


(とんでもなく、うまい)


 その間――たった五秒。

 この五秒でセシリアのカレーを見る目は変わった。


 セシリアは大貴族の出だ。衣食住に関しては一般の王国民とは比較にならないほど恵まれている。

 その経験を持ってしても断言できる。

 この食べ物は王国にあるどの食べ物よりも圧倒的にうまいと。


 五秒前までは食欲を感じなかった茶色い物体が、今では香り抜きでもセシリアの胃袋を刺激してやまない。


 栄光あるレイント王国第一騎士団団長が陥落した瞬間だった。


 セシリアの目にはもう、カレーしか映っていなかった。


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