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第26話 衛の切り札

 衛は身体中の毛が逆立つような気分になった。

 

 ――あいつの遠距離攻撃が怖い。俺の後ろにいろよ、いおり。


 衛は確かにそう言った。

 だから、いおりはその言葉を愚直に守ったのだ。

 そして、衛は背後に一直線に吹っ飛ばされて――いおりを巻き込んだ。


「い、いおり、すまない……すまない」

「ばか……あたしを……守るんじゃなかったの。守られて……どうすん……のよ……」

「ごめん」

「そんな……顔……しないでよ。……大丈夫だから……」


 そんな減らず口をたたいたが――いおりの声にはまったく力がなく、それが強がりなのは明白だった。


 弾丸のような速度で打ち出された衛の身体とフェンスの板挟みにあったのだ。大丈夫なはずがない。骨が砕け、砕けた骨の破片が内臓を突き刺していても不思議はない。


「気に……しないで……いいから」


 いおりはそう言うと、小さく呻いた。そして、まるで力が抜けたかのように身体ががくりと力を失う。頭が支えを失って下に沈んだ。


「いおり……いおり……」


 衛がいおりの身体を揺すった。

 いおりの口は力なく動くが――息を吐くだけで音を発しない。


 ――このままだと、いおりは死ぬ。


 その言葉が衛の脳裏によぎった。それは不安からくる曖昧なものではなく――厳然たる事実だと衛は理解した。


 砂時計の砂が落ちるかのように、いおりの命がこぼれ落ちている。

 衛の心を絶望のベールが覆った。


(俺はいおりをまた守れなかったのか……!)


 自分が発した、また、という言葉に衛はどきりとした。


(また?)


 それは無意識から出た言葉だった。だが、それがただの言い間違いだと衛には思えなかった。

 ――自分は過去に、すばるを死の淵から救っている。


 突如として脳裏の底から浮き上がってきた言葉には確信があった。確かに自分はそれをやり遂げた。

 だが、いつ? どうやって?

 衛の記憶が過去へ過去へと逆流する。無数に流れていくいおりとの生活の映像。そのどこかに答えはある。衛はすがりつくような想いで過去を掘り続けた。


 そうして――見つけた。


 それはいおりと衛の二人だけの生活が始まった原点。

 両親を亡くした事故。

 あの日、衛は身を挺していおりを守った。守り抜いたと思っていたが――真実は違った。


 あの日、目覚めた力によって衛は無傷だった。衛の頑丈な肉体はすべてをはねのけた。衛はその身を盾として妹をかばったが――車が壁に正面から衝突した勢い、天地が逆転したかのような衝撃の激しさ、それらを耐え抜くにはいおりの身体はあまりにも脆弱だった。


 いおりは頭から血を流し、車のシートに力なく横たわっていた。

 放っておけばいおりが死ぬのは時間の問題。


 それが衛があの日見た真実だった。


 病院で目覚めた瞬間まで衛はそれを覚えていたが――無事だった妹の姿を見て記憶を補正した。


 何もなかったのだと。

 だが、そうではなかった。


(そうだ。確かにあの日、俺はいおりを守れなかった。だけど、いおりはほとんど無傷で助かった。それはどうしてだ?)


 衛は記憶のドアを押し開けた。

 事故の直後――衛は目を覚ました。


 自分が抱きしめているのは、ぐったりとしたいおりだった。

 自分はいおりを守れなかった!

 子供の衛は瀕死の妹を見て無力感にさいなまれた。だが諦めてはいなかった。何かをしなければならない。


 だけど――何をすればいいのかわからなかった。


「お父さん! お母さん!」


 頼みの両親は返事をしなかった。

 ドアのシートからのぞく父親の左腕は力なくだらりと垂れ下がっていて、血で真っ赤に染まっていた。


 衛はぞっとした。


 両親を頼ることはできない。それだけは理解できた。


 妹はまだ死んではいない。じょじょに力を失われてはいるが、まだその小さな身体は生きることをやめてはいない。

 今なら――助けることができる。


 だけど衛にはできることがない。

 衛は心にぽっかりと穴が開いたような空虚さを感じた。


(こんなに僕は元気なのに! ひとりだけ元気でも意味がないじゃないか! どうせなら僕を殺せよ! いおりを助けてやってくれよ!)


 衛はいおりの手をとり神に祈った。衛の目から悔しさの涙がこぼれたときのことだった。

 幼い衛の手から光がこぼれた。

 いや、手だけではない。衛の身体がぼんやりと光っていた。


「これって……?」


 衛にはその力が何なのかよくわからなかったが――身体中のすみずみにまるで生命の息吹が吹き込まれるかのような心地よさを覚えた。細胞のひとつひとつが活性化している感じだ。


 その力は衛が握っていたいおりの手から、彼女の身体にそっと流れ込んでいった。

 変化は明らかだった。

 蒼白だったいおりの顔に血の気が戻り、荒かった息はだんだんと落ち着きを取り戻している。


 衛は気づいた。


(治っている!)


 いおりが治っていくにつれて、衛は頭がぼうっとしていく感じを覚えた。

 だが、そんなことはどうでもよかった。

 本当にいおりが助かるのならば、神に祈ったとおり自分が死んでもいいとさえ思っていたのだから。


(もう少しだ! 頑張れいおり!)


 衛はいおりの身体を抱きしめた。そうしたほうがきっと早く治るのではないかと思ったからだ。


 急速に衛は自分の意識が弱まっていくのを感じ――

 そうして、そのままあの日の衛は再び意識を失った。


(そうだった。あの日、俺はいおりを治したんだ)


 今この瞬間。

 衛はようやくすべてを思い出した。


 あの日の絶望を、子供の頃の衛は乗り越えていたのだ。


(だから、いおりは死ななかった)


 つまり、あのときと同じ奇跡をもう一度起こせばいい。


 その願いに応えるかのように――

 衛の両手にははっきりとした光が灯っていた。


 そして気づいた。衛の全身に刻まれた『痛み』。身体の中に生まれた温かい流れがそれをきれいさっぱり消し去ってくれていることに。

 衛はつばを飲み込んだ。


(これでいおりが助けられるのか?)


 衛は首を振った。そんなことを考えていても仕方がない。いおりには時間がなかった。今できることをするしかないのだ。

 ぐったりとしているいおりの両肩に衛は手を置いた。

 光がいおりの身体を包み込んでいく。


「う……うう……?」


 息を吐くだけだったいおりの口から声がこぼれた。今までぐったりとしていたいおりの身体にゆっくりと力が戻っていく。


「……え、マモ……あたし……?」


 うつむいていたいおりの顔が上がり、衛の目を見た。いおりの目の輝きは弱々しかったが――確かだった。それは死にゆくものの目ではなかった。

「よかった……よかった……!」


 衛はこぼれそうになる涙をこらえて心の底からそう言った。感動のあまり思わず手に力が入って――

「ちょ、痛い、痛いってマモ! 力強すぎ!」


 いおりが衛の手をふりほどこうと身体を揺する。


「悪い悪い」


 そう言って衛はいおりから手を離した。その強気な口調が衛には嬉しかった。


「もう大丈夫だな」

「あたしどうしたの? 確かさっき死にかけてた気がしたんだけど……マモが何かしたの?」

「たぶん。でも俺にもよくわからん」


 衛は笑って立ち上がった。


「いおり、ここで待っててくれ」


 今なら何でもできる気がした。身体中にうずまく力。身体の内側からわき上がってくる熱い衝動。今までにはない力が身体中にみなぎっていた。

 衛はいおりに背中を向けた。


「終わらせてくる」


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