第20話 この程度で死んでくれるなよ、勇者
ガラトラは夜道を歩くいおりの後をつけていた。
その歩き方を見て――
楽勝だな、と思っていた。
あまりにも素人の歩き方だった。いつ何時襲われても返り討ちにしようとする武人の気構えはどこにもない。
どこにでもいる――平凡なこの世界の住人の歩き方だった。
むしろその無警戒さがガラトラには不安だった。
(あいつは本当に勇者なのか?)
そんな疑いが頭をもたげる。
過去に対峙したときに感じた勇者の圧倒的な圧力。その片鱗すら今の姿からは感じられない。
しかも、女だ。
生まれ変わったのだから性別が変わっていてもおかしくはない。おかしくはないが――釈然としない。
だが、シャルティエのカラスは少女の頭上を飛んでいる。
(まあ、いい)
ガラトラは頭から疑念を追い払った。あの女が本当に勇者かどうかなどどうでもいいのだ。
そんなことは死体を持ち帰ればシャルティエが調べること。
ガラトラがするべきことは――
(この狩りを楽しめばいい)
にやりと口をゆがませた。
あの程度の無力なひな鳥、ガラトラなら一瞬でくびり殺せる。今この瞬間に首をはねてもいい。
しかし――そうはしない。
あれが勇者とは違うのならば、そうしてもいいだろう。興味のない存在。わら人形の首を落とすようなもの。
だが、本当の勇者であればどうだろう?
それではあまりにももったいない。
ガラトラは勇者に自分と同じ気持ちを味あわせたかった。
ガラトラは勇者に恐怖した。
勇者の圧力の前にひるみながらも、ガラトラは数合切り結んだ。一撃一撃がとんでもない重さを持っていて、あっという間にガラトラは自分の敗北を悟った。
その弱った心を勇者は見逃さない。
一瞬でガラトラの左腕が切り飛ばされた。
勇者は戦力を半減させたガラトラなど見向きもしなかった。そのままガラトラを無視してほかの魔族へと挑んでいく。
その先にいるガラトラの主――十鬼将『剣鬼』アーベルーダのもとを目指して。
ガラトラは自分を無視した勇者に激怒――しなかった。
ガラトラの心を支配したのは恐怖だった。
自分でも情けなくなるほどの恐怖だった。
あれは勝てない存在だと、戦ってはいけない存在だと気づき、主と仲間に背を向けて無様に逃げた。
結果、主と仲間たちは討ち死に――
ガラトラだけが生き残った。
それまでガラトラは自分を立派な戦士だと思っていた。
勇者パーティーの女騎士セシリア・ニア・カッパートとは戦場で何度も相まみえた。その戦いはどこまでも互角で戦士として喜びに満ちあふれたものだった。
戦士として戦うことがガラトラのすべてだった。
だから戦士として敵を討ち、いつかは戦士として果てるものだと信じていた。それが名誉であり喜びだと思っていた。
だが、ガラトラは目の前に迫った明らかな死を前に――逃げた。
ガラトラの心に残ったのはほんの少しの安堵と情けない自分への失望だった。戦士を自認するガラトラは戦いの中で死ねれば本望だとずっと考えていた。だが、それは嘘だった。本当のガラトラは主を見捨てでも生にしがみつく恥知らずな生き物だった。
醜い己の本音を直視したからこそ――
ガラトラは勇者が許せない。
勇者がさせたのだ。自らの弱さを、勇者がさらけ出させたのだ。剣士としての尊厳を木っ端みじんに砕いたのだ。その事実を思い返すたびにガラトラの心は憤怒で打ち震える。
だから、ガラトラは決めていた。
自分と同じ恐怖を与えてゆっくりと殺してやる、と。
そのためにはそう簡単に死なれては困るのだ。
キリ――とガラトラの左腕がきしみをあげる。
その音に反応したのだろうか、女の脚が速くなった。ガラトラも足を速める。やがて――
女が弾かれたように走り出した。
(そうだ。そうしろ。獲物の仕事は逃げることだ)
ガラトラは喉の奥で笑うと女の後を追った。意外と女の脚は速かったが、上位魔族であるガラトラに比べるまでもない。悠然と女の後を追い、女が明るい看板の建物に飛び込んだのを見た。
ガラトラは唇をゆがめて笑った。
(今ごろ安全圏に逃げ切ったと思ってほっとしているんだろうな)
だが、それは間違いだ。
その浅はかでささやかな安堵を打ち砕くことにガラトラはたまらない愉悦を感じる。
ガラトラは店に近づきながら、右手を水平に振った。するとまるで手品のように、右手に一メートルほどの長剣が握られていた。
名前は『鋭刃Lv.10』。いわゆるマジックアイテムと呼ばれる範疇のもので限界まで強化された特級品。ガラトラの愛剣だ。
「この程度で死んでくれるなよ、勇者」
ガラトラは店の入り口の前に立つと、無造作に剣を振った。
瞬間――
轟音とともに店が真っ二つになった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
いおりはセブンセブンの店内に飛び込むなり、ポケットのスマートフォンを取り出した。
すぐに衛のケータイに電話をかけるが――
どれだけ待っても衛は出なかった。
(ちょっと、バカマモ! 早く出なさいよ、かわいい妹がピンチだってのに!)
いおりは店の奥で足を踏みならす。
その瞬間、信じられないことが起こった。
突風でも吹いたのだろうか。それともこれが噂に聞くかまいたちなのだろうか。
耳をつんざくような音と同時。
まるで鋭利な刃が飛んできたかのように、店内が断ち切られた。
商品の陳列棚が引き裂かれ、ワインの瓶は熟練の空手家が手刀を繰り出したかのように真っ二つに割れ、アイスコーナーは中のアイスごと両断されている。
透明で巨大なギロチンが店を真っ二つにしたかのような状況だ。
いおりは一瞬、呼吸すら忘れた。
何が目の前で起こったのか、全く理解できなかった。
店内にいた客が驚きの混じった悲鳴を上げる。店員は何が起こったのかわからず挙動不審になっている。
そう、誰もが混乱しているその最中――
冷静そのものの足取りで四〇くらいの男が現れた。
一八〇センチくらいの高身長で恐ろしく筋肉質な体格だった。まるで熊がそこに立っているかのような威圧感をいおりは覚える。
男は店内でただひとり冷静で――平然としていた。
この混乱の最中で浮き足立たない存在などたったひとつしかない。
この混乱を生み出した張本人だ。
だが、そんな浅い推理をする必要すらなかった。
男の右手には普通の日本人が持っているはずがないものが握られていた。
(剣!?)
そんなものを持ち歩いてコンビニに入ってくる人間がまともなはずがない。
男の目は一直線にいおりを見ていた。
その口が、歓喜で歪む。
「さあ……せいぜい逃げて――俺を楽しませてくれ」




