第14話 四年前の事故
車の状態は凄惨の一言だった。
まるでプレス機にかかったかのように車体の長さが半分になっていた。
フロント部分は完全にぺしゃんこになり、そこからあふれ出したさまざまなパーツが衛の両親を串刺しにしていた。
後部座席は運転席よりもはるかにマシだったが、大きくひしゃげ、ゆがんでいる。そこに常人ならば確実に死んでいるであろう強大な圧力がかかったことは想像に難くない。
間違いなく乗員全員死亡の事故。
しかし――
衛は目を覚ました。
そこは白い壁の部屋で、衛は白いベッドの上に横たわっていた。
衛の体にはケーブルが張り付いていて、ベッド横の大きな機械とつながっている。その前に女性の看護師が立っていて機械に表示されている数値を書き取っていた。
看護師が衛の様子に気がついた。
彼女は驚いたように目を見開いたが、職業的勤勉さですぐに表情を立て直し、にっこりとほほ笑んだ。
「衛くん、気がついたの? 体は大丈夫?」
「うん、大丈夫――」
そこで衛は身体をぶるりと震わせた。
映像が泡のように頭に浮かんだからだ。
まるで自分が実際に見たかのような、鮮明な映像で――
不吉な記憶だった。
それは――力なく倒れているいおりの姿だった。
車のシートの上にぐったりと横たわり、頭から大量の血を流している。
その小さな手は力なく開き、身体は痙攣している。白い喉がうごめき、こほっという声とともに口から血がこぼれた。
ぼんやりとした半目の表情が――いおりの死が近いことを物語っていた。
(いおりはダメだったのか!?)
衛は泣き出しそうな声で叫んだ。
「妹は!? いおりは!?」
看護師は衛の剣幕に少し驚いたが、にっこりと笑って言った。
「無事だよ。ほら、そこ」
衛の隣のベッドでいおりが静かに寝ていた。頭にガーゼが貼られているくらいで、あまり深刻ではない様子だった。
衛はほっとした。
あの記憶はきっと事故の影響で作り出した自分の勘違いだと思った。
自分の中に生まれた不吉な映像を振り払うように、衛は首を振る。
「衛くんよりもちょっと怪我しているけど、大丈夫。命に別状はないってお医者さんが言ってたよ。よかったね」
衛は自分の胸の中に温かいものが膨らむのを感じた。
あのとんでもない事故はまるで悪夢のようなもので、目が覚めてみればすべては元通りに戻っている――
「僕たち助かったの?」
「うん。二人とも大丈夫だよ。助かったんだよ。心配しないでね」
そこで衛は違和感を覚えた。
二人とも。
二人――
ここにいるのは衛といおりだけ。そして、事故にあったのは四人。
「二人?」
衛の聞き返しに看護師は自分の失言に気づき、唇を噛んだ。
「二人ってどういうこと、ねえ?」
「……衛くん、落ち着いて聞いてね? つらい話だけど――」
父親は即死。
母親は意識不明の重体で集中治療を受けている。
「お母さんは助かるの?」
「……」
看護師は沈黙するだけだった。
母親は奇跡的にも一瞬だけ意識を取り戻し、ベッドのかたわらに立つ衛の顔に触れて、こう言い残した。
「いおりをお願いね」
そして、衛といおりは両親を失った。
警察や医者たちは二人が助かっただけでもすごい、奇跡だと言って二人を励まそうとしたが、そんなもの何の慰めにもならなかった。
だが、実際は奇跡でも何でもなく。
それは衛の特性が導き出した必然だったのだ。
衛の体の異常な頑強さはあの事故を境に開花していた。衛の鋼の肉体が己の身と妹を助けたのだ。
しかし、衛はまだ自分の能力に気づいていなかった。
異変に気づき始めたのはそれから一年後、慣れない手つきで料理をしていたときだ。
振るった包丁が自分の指にあたったのだ。
「いたっ!」
反射的に叫んで衛は気がついた。
――痛くない。
指先はいつもと変わらず血は一滴も出ていなかった。
そのときはまだ運がよかった程度に思っていたが、危険な火や刃物を扱う炊事は多くの示唆を衛に与えた。
包丁が当たっても怪我をしない。
熱い鍋に手があたっても火傷をしない。
さすがに衛も自分の体がおかしいのではないかと気づき始めた。
インターネットで調べた結果、最初は無痛症かと思った。痛みを感じない体質というものがあるらしい。
だが、それは違うと気がついた。
まず、痛みがないわけではなかった。非常に鈍くて小さいが、患部に違和感はある。
そして、より大きな違いとして――
怪我をしないこと。
肉を切り裂く刃も、肌を焼く鉄板も衛に傷ひとつつけられない。
それから衛はわりと本格的に実験を行い、世の中にあるたいがいのものでは自分の体を傷つけられないことを知った。
(俺はかなり頑丈で怪我をしない体質らしい)
だが、衛はそのことをいおりには教えていなかった。
事故直後はショックで半年ほどもろくに口がきけなかったいおり。何年か経ち以前のように振る舞えるようになったが、それでもたまにさみしそうな表情を見せるいおり。
そんないおりに不安を抱かせるような話をしたくなかった。
衛が決めたことはひとつだけだった。
この力を使っていおりを護ってみせる――
それが衛の決意だった。
「しかし、トラックにはねられても無傷ってのは……さすがに人間離れしてるよなあ……」
衛は頭をかきながら高校へと向かった。
衛は気がつかなかったが――彼が通り過ぎた後に背の高い女性が現れた。
もしもその姿を衛が見ていたらぎょっとしていただろう。
金髪碧眼の美女――
その日本人離れした風貌に加えて、全身をすっぽりと覆うマントをはおっていたからだ。
彼女は鷹のように鋭い視線を周囲に向け、つぶやいた。
「反応があったのはこの辺だと思うが――遅かったか?」