第13話 衛vsトラック
――嫌な予感がしていた。
妹のいおりを送り出してから、衛は家を出た。衛の通う高校は衛の家から徒歩一〇分くらいの場所にある。
道路脇の歩道を歩いていると、小さな子供がサッカーボールで遊んでいた。
子供の視線はボールにばかり向けられていて、道路を走る車がまるで見えていない。
(おいおい……なんか危ないぞ)
その衛の直感は当たってしまった。
子供の蹴っていたボールが道路に転がり――子供はボールにつられて道路に飛び出した。
そして、最悪のタイミングで大型のトラックが突進してきた。
子供はトラックに気づいたが――むしろ恐怖で体が動かない。
(まじか!)
自分の直感の冴えを苦々しく思いながらも、衛の体はすでに動いていた。
プラン1.可能であれば少年を確保後、離脱。
プラン2.プラン1が不可ならば自分の体を盾にして少年を護る。
(まだ車は試したことがなかったな……)
やや後悔しながらも、衛は道路に出て少年の体を両手で抱え込む。
その頃にはもうトラックは衛の眼前まで到達していた。
(プラン1はダメだ。プラン2か……)
不安で怯える子供を強く抱きしめ、衛は衝撃に備えた。
トラックの運転手が慌ててブレーキを踏み込む。タイヤがアスファルトにこすれる音が響くが――間に合わない。
激突。
まるで突進する猛牛に追突されたかのような衝撃が体重六〇キロしかない衛の体を吹き飛ばした。
天と地が逆になり、さらに逆になって元に戻り、また逆になる。風に舞う枯れ葉のような、そんな視界。
猛烈な勢いでアスファルトが近づいてくる。
衛は体をぎゅっと丸めて少年に傷つかないようにした。
そのままアスファルトに打ち付けられて、二転三転してごろごろと転がり、ようやく衛の体は止まった。
「君、大丈夫か!」
蒼白な顔をしてトラックの運転手が降りて駆け寄ってくる。
衛は泣きじゃくる子供を抱いたまま、何事もなく立ち上がった。少年をひとりで立たせ、その様子を見る。泣いてはいるが、ところどころにある擦り傷くらいで大きな傷はなさそうだった。
続いて、衛は自分を観察した。
大型のトラックにはねられたが――
傷らしい傷はどこにもない。
制服が土埃で汚れてしまったくらいだ。
(やっぱり……大丈夫だったか……)
制服の汚れを払いながら衛は応えた。
「はい。大丈夫ですよ」
「待っていてくれ、今すぐ警察と救急車を呼ぶから……」
「そうですか。じゃあ、この子のことをお願いします。僕は学校に行きますので」
「が、学校!? いや君、君はトラックにはねられたんだよ!? 傷がないように見えてもどこで出血しているかわからないし、病院に行った方がいい!」
「気にしないでください。体の頑丈さには自信があるので。じゃ」
一方的にそう言って、衛はそそくさと現場を立ち去った。
別にかっこをつけたわけではなく、単純に巻き込まれたくなかったからだ。そして、自分で言ったとおり『体の頑丈さ』には自信があり、どこにも怪我をしていないのは明らかだった。
御堂衛は決して自殺志願者ではない。
あのタイミングで子供を助けるために飛び出せば、よくて子供を助けて自分が死ぬ、最悪、助けられずに二人とも死んでいただろう。
そんなことはわかりきっている。
それでも衛が助けに動いたのは――
死なない自信があったからだ。
御堂衛の体は並大抵の頑丈さではなかった。トラックではねられてもぴんぴんしているほどに。
(残念だけど、俺はトラックにはねられて異世界に転生するのはできそうにないな)
友達から聞いた最近のWeb小説の流行りを思い出しながら衛はそう思った。
その頑丈さがはじめて発揮されたのは、両親が死んだ事故だった。
あの日。
自動車に乗っていたのは衛の両親だけではなく――
衛といおりも後ろの座席に座っていた。
「ブレーキが――きかない!」
父親の悲鳴にも似た声は今でも思い出す。
助手席の母親が血相を変えた。
「スピード上がってるじゃない! どうして!?」
「わからない! アクセルは離しているのに!?」
それはみんなで少し離れたショッピングモールに買い出しにいった日のことだ。
「お出かけの日よ」
と言って、母親はにこにこしながらいおりにきれいな服を着せた。衛はいつも通りのTシャツとズボンなのだが。
「女の子だけのとっけんだもーん」
いおりが得意げに笑った。
そんな幸せな日は――
その日、終わったのだ。
父は減速できない車を必死に操った。
曲がり角、交差点。
ほかの車が驚いたように止まり、抗議のクラクションを鳴らす。赤の信号を突っ切ったとき、道路を渡ろうとした歩行者は恐怖を貼り付けた顔で立ち尽くした。
そんないつもとは違う光景を衛は真っ青になりながら見ていた。
何が起こっているのかはよくわからなかったが、心臓がぎゅっとつかまれたかのような恐怖が体内に広がっていた。
「お兄ちゃん……」
いおりが震える手を衛の太ももの上に置いた。
衛はそっといおりの手に自分の手を重ねる。
後で警察から聞いた話だと、この蛇行運転による被害者は奇跡的にでなかった。
それだけは少なくとも救いだ――天国にいる両親のために衛は心の底からそう思う。
この事件による被害者はたった二人ですんだ。
父親の祈るような必死の運転も、ついに限界を迎えた。
猛スピードで走る車の前に――
分厚いコンクリートの壁が迫った。
「うわああああ!」
「衛! いおり!」
父と母の声が聞こえた。
同時、衛はいおりの体を抱きしめた。
兄として、それが自分のなすべきことだと思ったからだ。
人生で始めて聞くおぞましいほど大きな音。そして、体中がばらばらになるような衝撃を受けて――
衛の意識は闇に落ちた。