第12話 勇者イオリのその後2
「そうだよ。セシリアちゃん、いい? この世界の横には、壁に隔てられた別の世界がある」
「ふむ」
「その別の世界の横にも、壁に隔てられた別の世界がある」
「ふむ」
「そういう感じで、壁に隔てられて行き来はできないけど、無数の世界が並んでいるの」
「ふむ?」
セシリアはぴんときていない。
別にセシリアは愚鈍ではないが――あくまでもその職責は騎士であり、常識外れの話をされてもすぐにはついていけないのだ。
「わかりやすく例えるなら――牢屋のようなものを想像して。そこには壁に区切れた無数の独房がある。独房の数だけ様々な世界が存在するわけ。もちろん、その独房のひとつが、このわたしたちが住む世界よ」
「つまり、我々のいる独房とは異なる独房に、勇者さまは転生されたということか?」
「その通りよ」
「いや、違うな……」
神妙な顔でセシリアがつぶやく。
「独房というのはまずいな、勇者さまが独房。例えとはいえ失礼に値する。独房以外の何かがいいな……」
「セシリアちゃん、話の腰が骨折してるよ?」
「違う世界にいるのはわかった。どうしてまた、この世界ではなくわざわざ別の世界に転生したんだ?」
「それは勇者ちゃんが魔王の魔法を阻んだ影響だと思う。魔法の構築式が乱れて効果がゆがんでしまったの」
「やっかいだな。魔王も同じ世界に転生しているのか?」
「魔王のほうは確証はとれてないけど、魔法の効果から類推するなら同じ世界に転生した可能性が高い」
「……ということは、まだ三歳ならば魔王も恐るるに足らぬはず。見つけ次第、退治したいが――別の世界ではどうしようもないか」
「ひとつ先に言っておきたいんだけど……たぶん、魔王も勇者ちゃんも三歳じゃないと思う」
「なぜ? 魔王と勇者さまが消えたのは三年前だが……ああ、そうか、身ごもっている時間があるからもう少し小さいのか」
「そういう意味じゃないの。わたしもまだ壁を超えた先の世界については詳しくないからよくわからないんだけど……壁を越えたとき、彼らが同じ『今から見て三年前』に落ちたとは限らない。それは『今から見て五年前』かもしれないし『今から見て一五年前』かもしれない。ひょっとしたら『今から見て一〇〇年前』かもしれなくて、すでに魔王による新世界が築かれているかもしれない。ひょっとすると過去ではなく未来の『今から見て一〇〇年後』に落ちているかもしれない」
「む?」
「結果だけ言うよ? ようは何歳かはわからない。勇者と魔王が同じ年齢とも限らない。そういうこと」
「わかった……その部分を言葉の通り理解しよう」
セシリアは大きく息を吐いた。
とにかく、整理するための情報量が多すぎる。
だからこそ――セシリアは集中する。状況の複雑さは関係ない。大切なのは自分が何をなすべきか。何をするのが現状に対して効果的か。それさえ単純化できていればいい。
それが軍人の思考というものだ。
「で、その話をわたしに聞かせた理由は何だ? 斬新な学説だ。学者どもに聞かせれば涙を流して喜ぶだろうが、あいにくわたしはただの騎士。ただの王国の剣だ。何をさせたい?」
「だよねー、話が早くて助かるーセシリアちゃん!」
ふふふ、とカリギュラが笑う。
「大切なことはふたつだよー。覚えておいてね。まずカリギュラちゃん、勇者の座標の特定に成功しました!」
「座標?」
「居場所」
「どどどどどんな感じだ!? 勇者さまは今! もちろん、すばらしい男子に育っているのだろうな? 身長は何センチだ? いいいい、いや、護ってあげたい感じでもいいな。今度はこの不肖セシリアがお守りしてみせる!」
「あー残念だけど、どういう感じなのかはわからないのよね。とりあえず、時間的場所的にこの辺にいるなー、みたいな。そんな感じ」
「そうか……」
わりと本気で、心底からセシリアは落ち込んだ。
「だが、そんなことがわかってどうする? そもそも別の世界にいけない以上、意味がないのでは?」
「ふふーん。それがもうひとつの大切なこと。カリギュラちゃんの得意なことなーんだ?」
「空間に関する魔法――空間? まさか」
「そうでーす。カリギュラちゃん、壁を越えて隣の世界に行く魔法を開発しました!」
「ほほほほ本当か!」
セシリアは興奮してカリギュラの両肩を強くつかんだ。
「いだだだだだだだ!? ちょっとセシリアちゃん、あんたの馬鹿力なんとかして!?」
「興奮せずにはいられるか! 勇者さまをお助けしなければ! 第一騎士団いやいやいやいやいや王を説得して全軍を動かしてでも!」
「残念だけど、軍団全部とか無理ー」
「なぜ? 以前、万を超える兵を一瞬で転送させていたじゃないか」
「はっきり言うけど、別世界への転送には膨大な魔力が必要なの。絶対神あるいは魔王級とまでいかなくても、それに近い力がないとダメ。普通の魔族には無理だけど、カリギュラちゃんが空間特化した魔族だからなんとかできる、そういう魔法なの。だから転送できるのはせいぜい一人だけよ」
「ああ、そういうことか」
ようやくセシリアは理解した。
なぜ、自分がここに呼び出されたのか。そして、これから自分が何をなすのか。
「つまり、こう言いたいのだろう? このセシリア・ニア・カッパートに、その新世界に行って勇者さまをお迎えしてこい、と」
「そゆこと。行ってくれるよね? もちろん、ミゼラード氏にも話は通してあるけど」
誰も行ったことがない、何の情報もない場所。
それどころか、空間すらまったく別の新世界。
知的研究者ならば喜んでいってみたいと言うだろう。しかし、セシリアは騎士だ。新発見には興味がない。むしろ、既知であるほうがリスク回避の点で有利だ。
だから、未知のものなど危険しか感じない。
騎士の職業的判断と直感はありえない任務だと判断している。
(だが――そこに勇者イオリさまがいるのだ)
何度もともに戦い、何度もセシリアの危機を救ってくれた英雄。
どんな絶望にも立ち向かい、セシリアたちパーティーメンバーを励まし導いてくれた存在。
彼の背中を追い続けた日々をセシリアは昨日のように思い出せる。
彼は魔王と相打ちになって別世界に飛ばされた。
誰のために?
それはセシリアたちのためであり、そして、彼が護ろうとした全人類のためなのだ。
そのために彼は笑って魔王の魔法に身を投じた。
彼にはすべてをなげうってでも返せないだけの借りが存在する。
(――もともと迷うものでもない)
セシリアの心は決まっていた。
そもそも、そんな理屈など必要ないのだ。勇者が苦境にあるのなら、ただそれだけでセシリアが動く理由になる。
もしも、勇者イオリが命をくれと求めるのなら――
セシリアはためらいなく命を捧げるだろう。
そんなことはわかりきっていたのだ。
セシリアは美しい金髪を両手でかき上げた。そして難しい顔をしがちな彼女にしては珍しいにこりとした笑顔を作った。
「わかった。行こう」
「やっぱりね。さすがはセシリアちゃん。そうでなくっちゃ」
「ひとつ教えてほしいんだが」
「なーに?」
「わたしが行く世界の名前はわかっているのか?」
「傍受した会話から分析した言葉だから、正しいかどうかわかんないけど――行くのはニッポンって場所よ」