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今も僕を束縛する、三人の彼女の話をしよう

 さて、僕はもうじき死ぬわけだけど、それまでにはまだ少し時間がある。


 秒針の進む音が、こんなにも大きく、無慈悲に聞こえるのは初めてだ。

 時計の針は、どんなに願っても決して止まってはくれなくて。

 心が押しつぶされそうになる。気が……狂いそうになる。

 だからせめて正気を保つために、ここに至るまでの経緯を書き記そうと思う。できるだけ、淡々と。


 まずもって自分がクズであることは自覚している。

 好きだと言って欲しいと枕元で囁かれれば、自分の気持ちがどうであれ、僕はその言葉を口にできる。

 愛していると言われれば、僕もだよ、と、つい反射的に笑って答えてしまう。

 人を愛するフリをするのにも、人に愛されるフリをするのにも、疲れてしまっていた。

 きっと僕はいつまでも、こんなのっぺりとした感情を抱き続けるのだろうと、そう思っていた。


 あの日――殺されそうになるまでは。


 皮肉なことに、自分の命が狙われるようになってから、僕は愛を……愛に似た感情を、知ることになった。

 この話をするためには、僕が出会った三人の彼女について語らなければならない。


 一人は僕を愛し続け。

 一人は僕を無視し続けて。

 そしてもう一人は、僕に殺意を抱き続けた。


 プライバシーを考慮して偽名を用いるけれど、これは三者三様の在り方で今も僕を束縛し続ける、三人の彼女の話だ。

 この遺書を読んでいる人たちは、どの女性が、どの束縛をした人物なのか、考えてみて欲しい。

 僕は沢山の人の顔に泥を塗って、思い出を蝕む紙魚しみを放って、心に癒えることのない傷を作った、どうしようもない人間だけれど。

 そんな僕の下らない人生が誰かの娯楽として機能するのであれば幸いだと、心か




 あぁ……ダメだ。




 今、僕の左肩に手が置かれた。




 ほっそりとした指が、肩にどんどんと食い込んでいくのが分かる。

 手のぬくもりを感じる。

 耳元に吐息がかかる。

 甘いフローラルな香りがする。



 そうか……。そうかそうか、そういう事か。

 僕は今日、殺されるのか。



 体が硬直している。首を動かして後ろを見ることも、立ち上がって逃げ出すことも、誰かに助けを求めるために叫ぶこともできない。

 辛うじて動くのは、ボールペンを持った、この右手だけだ。

 だけど自分でも分かるくらいに、右手が小刻みに震えている。判読できない程に文字が荒れていく。

 それ■も、こうやって書き続けてい■のは、少しでも正気を保ちたいからだ現実逃避をしたいからだ。……今、背中にとがった物が当たった、きっと刃物だ。いやだ……死■たく■い、死■■■■い! ■に■く、ない……っ!。僕は……僕はどう■ようも■く愚かだっ■。死ぬんだ、もうす■死ぬの■などと嘯きながら、その実死ぬ覚悟な■てこ■っぽっちもできてい■かったんだ! ■から今スグ真後ろに■言で立ち続けている死の存在に■れ■どまでに怯えているんだ……! ごめんなさい! 本当に■めんなさい! 僕■未だ■どうしようもなく■いようがない■に愚か者だ。……何秒経った? いや、何分か何時間か? 分■らない■計を見■こともできな■もう眼■を■か■■■もできない。肩に■■込んだ指が■れない。刃物を■■■けら■た■ま、僕はた■■を動かして思■がまま■言■を■■連ねて後ろにいる■の■■フ■■死■■■フフ■


 ■フフ■■■フ



 ■■やめ■■あ■■■え■



 コンバンハ■いた■いたい■■■



 ■サテ■■



 ■


 モンダイ デス■■■■■あ


 ■■■

 

 ワタ■■ハ


 ■■な■■■■!


 ■■



 ■シ■■ハ




 ワ■■タシハ







 ワタシハ ダーレダ?





 


 君、は【※以後、被害者の血が大量に付着しており、判読が不可能】




【※本テキストデータは被害者の手記から復元したものである。筆跡が酷く乱れており、■部は判読不可能】




◇◇◇



「さて、約三か月前の午後五時三十二分、男性の死体が発見されました。男性の名前は、篠嵜眞籠しのざきまこも、二十二歳、都内の私立大学に所属する大学生です。死因は出血死。凶器は包丁で、背後から複数回刺されていました。その彼が死ぬ間際まで書いていた手記が、今ご覧になった物ですね。

 これが原因で捜査が遅々として進まず、犯人の特定に時間がかかっているため、ある人から私個人に捜査をして欲しいと依頼が来たわけです。


 ……部外者に話すなんてとんでもない? 

 そんなことをしたバカはどこのどいつだ? 

 そもそも、お前は何者なんだって?


 うふふ、流石の私も依頼主の名前は明かせませんよ。その人は事件を解決するためなら手段を選ばない人なんです。

 『それが非人道的な方法でないのであれば、真実を掴むためにあらゆる手段を行使する使命が僕たちにはある』とかなんとか言っちゃって。なーにかっこつけてんだって話ですよ、ねぇ、長瀬さん?


 ……なんでそんな苦々しい顔してるんですか? もういいから話を進めてくれ? はぁ、私は聞かれたことに答えただけなんですけどねぇ。


 あ、私ですか? 私はそうですね……コンサルタント探偵、みたいなものです。ある著名な殺人犯に思考法を叩きこまれた、正義と悪の狭間にいる、合法と違法の間を行ったり来たりする、そういう存在です。


 で、どこから説明したらいいですか? 順番に? 全部? えー、めんどくさ。

 とりあえず私は、事件の解決を遅らせている、その背景を聞いた訳です。失礼かもしれないんですけど……ふふ、私、笑っちゃいました。

 だって「犯人がこの手記を残している理由が分からない。破棄する時間はいくらでもあったはずなのに、これを残しているという事は、捜査をかく乱させるために犯人が脅して書かせたものなのではないか?」だなんて。


 推理小説の基本構造の一つに「Why Done it? (なぜ殺したのか?)」ってあるじゃないですか。私、あれが一番下らないと思ってるんですよね。だって、推理に「動機」も「理由」も必要ないでしょう? 「何となく殺した」「気分が悪かったから殺した」。そんな曖昧であやふやでふわふわの動機がごまんとあるのに、犯人の気持ちがー、とか言って頭を悩ませるなんて、おかしいったらありゃしませんよね。


 話がそれましたね。もー、そんなに渋い顔をしないでくださいよ、長瀬さん。大丈夫、ここからはちゃんとしますから。


 さてさて、まぁ普通に考えて、これは被害者が自分の意志で書いたものでしょうね。

 ここの『プライバシーを』からの部分。よーく見ると、文字の太さが変わってるんですよ。詳しく調べてもらったところ、ここまでの文字は0.38ミリの太さ、そしてここからは、0.5ミリの太さのボールペンで書かれていることが分かりました。


 加えて、被害者の部屋のゴミ箱には、インク切れのボールペンが入っていました。芯の細さは、0.38ミリ。そして、被害者が遺体で発見される日の前日。近くのコンビニで、ボールペンを買っている姿が監視カメラに映っていました。

 なので、少なくとも三人の女性について記述したところまでは、本人の意志で書かれている訳です。仮にそこまでが犯人に強要されて書いたものだとすれば、コンビニで助けを求めない理由がないでしょう?

 被害者はコンビニから戻り、新しく買ったボールペンで手記の続きをしたためようとした時、背後から包丁で刺された、という事ですね。実にシンプルです。


 この手記が被害者の意志で書かれたものならば、とても有益な情報を含んでいることになります。

 特にこの「彼を束縛していた三人の女性」は、重要参考人になるでしょう。殺意を抱いていたという女性は、最有力容疑者になるかもしれません。そう考え、調査を進めました。

 しかし難儀なことに、被害者はどうしようもない女たらしでした。女の敵ってやつですね。

 被害者の女性関係は、把握できているだけで十一人。一夜限りの関係も含めてしまえば、第三者が彼の女性関係を把握しきるのは困難でしょう。


 この三人の女性は一体誰なのか。きっと警察の皆さんは、ここでも躓いていたのですよね?

 解決のキーとなったのは「あの日――殺されそうになるまでは」という部分です。被害者は命を狙われた経験がある。ならば、被害届や、それに類する何らかの形でSOSサインを出していたのではないかと考えました。


 ――結果は当たりでした。二年前の六月、被害者の通っていた大学近くの交番に、覆面を被った変質者に襲われた、という相談が彼の名前で寄せられていました。

 つまり、ここに記された三人の女性というのは、彼が大学二年生の時に親密にしていた女性である可能性が高い、という事です。

 そして調査の結果、その頃、被害者と特に仲が良かったという二人の女性に行きつくことができました。

 ……そう、「二人」です。

 いくら探しても、彼の周りで該当しそうな人物は、二人しかいなかったのです。


 問題点が見えてきましたね。一度まとめましょうか。


 愛、無視、殺意――それぞれの束縛の役割を担っていたのは、一体どんな女性なのでしょうか?

 そして、捜査線上に挙がらなかった三人目に該当する人物は、果たして誰なのでしょうか?


 ……ふふ、大分静かになりましたね。グレートグレート。グレートバリアリーフです。


 それでは少しだけ、お付き合いください。

 不肖私、琴鳥静が、この事件の真相を詳らかに明かして差し上げましょう。


 これは確かに、彼と――彼を死ぬまで束縛し続けていた、三人の彼女の話なのです。

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