幸運の子~生まれた時から異形に守護されております~
どんな危険な目に遭っても必ず無傷で生還する。
それが、僕、成宮晃である。
え?
お前何言ってるのかって?
そうは言われても、事実だから仕方ない。
割と事故や危ない目に遭うことが多いのに、無傷なんだからね。
そうそう、あまりにも僕だけが無傷なものだから、一時期あだ名が死神だったっけ。
流石に、高校生になった今は、そんなことを言ってくる相手はいないけど。
《アキラ》
それにしても、僕はただ平穏に平和に生きていきたいだけなのに、どうしてこうなるのやら。
犬も歩けば棒に当たると言うけれど、僕は似たようなものだと思う。
外を出歩けば、何かの事件に遭遇する。
大なり小なりだけれど、少なくとも、僕にとって何も起きない場所は家ぐらいだ。
《アキラ、止マレ》
耳に届いた声に、僕は素直に従った。
別に従う義理はないかも知れないけれど、従った。
この声はいつだって正しい。
腹が立つほどに正しいと、僕は知っている。
そして、言われるがままに立ち止まった僕の視界で、赤信号を突っ込んできたトラックが、電信柱に激突した。
「わぁ、紙一重」
思わずぼそりと呟いた僕の声は、周囲の喧噪にかき消えた。
幸い、誰も怪我をしなかったらしい。
いや、運転手は怪我をしているのかも知れないけれど。
とりあえず、誰も跳ねられたり轢かれたりしていないので、良かったと思う。
僕は外に出ると、こういうことが日常茶飯事だ。
学校に通うだけでも一苦労だ。
それがあるので、徒歩で通える距離の高校を選んだ。
毎朝電車が事故を起こす可能性を考えながら通学するなんて、まっぴらだ。
《アキラ、怪我ハ?》
(無いよ。見たらわかるだろう)
《ダガ、人間ハ、脆イカラ》
(そりゃあ、君のようなイキモノに比べたら弱いよ。一緒にしないで)
心の内で返事をしても、きちんと相手には届く。
先ほど僕に止まるように促した存在は、背後からすいっと僕の顔を覗き込んでくる。
血のように赤い髪、立派な2本の角、天狗のような黒い翼、鱗に覆われた腕、猛禽類の足。
そんな人ではない歪な姿を寄せ集めているのに、僕を見つめる顔は奇妙に人間に酷似していた。
褐色を通り越して浅黒く、ぎょろりとした瞳は金色で作り物めいている。
大きな唇から覗くのは、八重歯や犬歯ではなく、ただの牙。
そんな明らかに人間ではない、想像上の生物みたいなイキモノは、今日も僕の背後に佇んでいる。
コレが何であるのかは、僕にも解らない。
僕の両親にも、祖父母にも解らない。
誰にもわからない。
けれどこいつは、僕が生まれた時から、僕の側にいる。
まるでそれが役目だと言いたげに、愚直に僕を護り続けている。
……僕が、何が起きても無傷で生還するのは、こいつのおかげである。
僕は幸運の持ち主と呼ばれているが、実際は幸運ではなく守護者持ちなだけだったりする。
こいつが何であるのかは、知らない。
ただ、うちの家系はこういうものが見える家系だった。
生まれてすぐの僕の傍らにこいつが現れても、慌てず騒がず会話をしたらしい父さんのことは尊敬している。
母さんは見えないから、父さんが何をしているのかわからなかったらしいけどね。
そして、こいつはただ、僕を守護するために現れたのだと告げたらしい。
何でそんなことをしてくれるのかは、誰にも、わからない。
こいつは何も、語らないから。
見返りを求めないというのは良いことなんだろうか。
でも正直、薄気味悪いと言う人もいる。
確かにそうだ。
異形が、人じゃないイキモノが、何の見返りも求めず、17年もひたすら人間の子供を護り続けるなんて。
いっそ、護り育てて、最後には喰らうのだと言われた方が納得出来る。
《アキラ?》
……けれど、こいつはそんなことを考えていないのだろう。
言葉を綴るのが苦手なのか、牙が邪魔なのか、こいつの言葉はどこか片言だ。
僕の名前も、外国人が呼ぶみたいに歪に呼ばれている。
それでも確かにそこには感情が込めてあって、……こいつは僕に、優しいのだ。
何故優しいのだろうと、最近は思う。
物心ついた頃からこいつは側にいて、いることが僕にとっての普通だった。
それが当たり前で、誰にでもこんな風に、誰かが側にいるのだと思っていた。
けれど違うと気付いたときに、何故僕だけが、こいつだけが、他と違うのだろうと思った。
だって、異形は総じて人間に優しくなどない。
それは彼らに情が無いのではなく、価値観や感性があまりにも違うからだ。
危ない目に遭うのは僕の普通。
僕の日常。
それは、僕がそういう星の下に生まれたからなのだと、今は亡き曾祖父の言葉だった。
曾爺ちゃんは、一族でも屈指の目と耳を持っていて、様々なものが見えたのだという。
そんな曾爺ちゃんは、まだ幼かった僕に、こう言った。
――覚えておきなさい。お前の魂には、印が刻まれている。
――しるし?
――その印は、誰にも外せない。お前が危ない目に遭うのは、そのせいだ。
だから、《彼》の言葉に従いなさい。《彼》はお前を護ってくれるから。
――はい。
意味は良く解らなかった。
それでも僕はその時頷いた。
そして今、僕は、その意味を噛みしめている。
僕には何かがあるのだろう。
僕自身が知らない、何かが。
僕が危ない目に、……こいつがいなければ死んでいるような目に遭い続ける、理由が。
《アキラ?》
(ちょっと考え事してただけ。……今朝はもう、何も起きない?)
《今ノトコロハ、大丈夫ダ》
(そっか。ありがとう)
僕の言葉に、こいつは小さく笑った。
不器用に、ぎこちなく。
まるで表情を作ることが苦手だと言うように、歪な笑顔を向けてくる。
それが笑みだと伝えるのは、その金色の瞳だ。
どこまでも優しくて、慈愛に満ちたその眼差しの意味を、僕はまだ、知らない。
無条件に慈しまれる意味なんて、僕は知らない。
何も、何一つ、知らないままだ。
知ることを放棄してるわけじゃない。
けれど、今の僕には、知る手段が無いのだ。
こいつに聞いても、困ったように口ごもるだけで、何も教えてくれない。
何かを知っていただろう曾爺ちゃんは、もう死んでしまった。
真実を僕が知ることの出来る日は、いつ、来るのだろう。
平穏で、平凡で、平和な、そんな当たり前の日常が欲しいだけだった。
物心ついたときから側に異形がいて、危ない目にしょっちゅう遭って。
そんな日常を普通だと思いたくないと考える程度には、僕の常識はマヒしていない。
これが僕の普通だと解っていても、人並みの普通の生活がしたいと願うことぐらいは、許して欲しい。
アキラ、と僕を呼ぶこいつの声は、僕にとってお守りみたいなものだった。
何で側にいるんだろうと思っていても、いなくなられたらきっと寂しいのだろうなと思う程度には。
こいつの存在が、僕の中で大きいのは、当たり前だ。
だって、赤ん坊の時からこいつは僕の側にいるんだから。
いつまでたっても名前を教えてくれない、薄情な守護者。
こいつにとっての僕は、いったい何なんだろう。
何のために僕を護るのだろう。
何のために側にいるのだろう。
教えてくれないその理由を、僕が知りたいと思っていることを、こいつは知っているのだろうか。
知っていて黙っているなら、本当に、ひどいと思う。
問わなければ、こいつはきっと側にいるのだろう。
理由を暴こうとしなければ、名前を知ろうとしなければ、正体を探ろうとしなければ。
今のまま、優しく僕をアキラと呼んで側にいてくれるのだろう。
誰より近い場所で、何より完璧な、僕の守護者として。
……けれど僕は知っている。
僕に優しく、僕を愛しそうに呼び、僕を守護するお前は、決して僕を見ていないのだ。
……お前が呼ぶ『アキラ』はきっと、僕じゃないんだろう?